自我とは(本能)

自我とは(本能)について
キーワード 本能 サガ
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私は以前から、人間の自我のサガを深く考えた時に、
・ 人間は、自分に一番似合わない服装を選んでいるはずだ。
という推測を持っています。

・ 他人から見れば似合っている服装でも、自分ではそれが気に入らないものだ。
・ 自分が鏡で見る自分の姿では無くて、「実際には」他人にどう見えているのか?
自分では分かっていない。
・ 人間は、自分の良い点も、悪い点も、分かっていない。見えていない。

(省略)

悟りにおいても、一番の近道は、
・ 汝自身を知れ
なのです。

人間は、いかに自分自身のことが分かっていないか。
他人のことは、よく見て分かっている。
これを元に、色々な分野で参考にして頂ければ幸いです。
自分自身を静観しましょう。



(1)「事前に注意することで未来は、変わる」
これを個人の人生を観ていましても、よく感じています。

(2)「知ると知らぬでは大違い」
これも、昔からよく言われていることです。

でも、
(3)「分かっちゃいるが止められない」
最近の酒に関する事件を見ましても、これも言えます。

(1)(2)の上でも、(3)が起きるのが人間です。
これが個人が持つサガ(性・因果・自我)です。

でも、(1)(2)がまったく無い場合の(3)は、それで起きることの内容も・大きさも違うのです。
ここが大切なポイントです。
これを軽視しては生けません。

(3)という「結果」が起きたから、(1)(2)などはムダ、関係ない。
というのは、間違いなのです。



他人の悪口ばかり言う人。
御礼を言うことを知らない人。
悪行を行うことを好む人。

他人に物をあげることを嫌がる人。
ウソをついてでも、他人に羨ましがらせることを好む人。
悪いことでも、恥を知らない人。

このような人こそが、最低の人間である。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章7節-No.133)

(感想)
釈尊が具体的に、因果的にも最低な人に成る条件を上げています。
人として、最低だと見なされる条件です。
来生の転生(生まれ変わり)に影響する霊的な因子でもあります。

このような人は、偉い人、裕福な人、にもたまに見掛けます。
つまり生まれた環境や、社会条件は関係がなくて、個人の魂のサガ(性・自我)から生じるものだと言えそうです。

(中略)

このようなサガは外国でも、卑しい人、恥知らず、と最も侮蔑(ぶべつ:バカにされること)されるポイントです。
コノ世で「恥」とされるポイントは、アノ世では罪と見なされて因果として来生に残ると言えます。

いくら貧乏でも、恥ずかしいと思われることはしたくないものです。
富裕に関係なく、心は高貴に、高潔(こうけつ:正しく)に、生きることは幾らでも努力で可能です。



五つの自我のサガを捨て去った人。それは、
* 醜い貪欲さ
* 怒ること
* ムダに心が沈むこと
* 心が落ち着かないこと
* 何でも疑うこと
これらが無い人であること。

また、悩まない人であること。

更には、五つの苦悩の矢。
* ワレヨシな色情の矢
* 他人を嫌悪する矢
* 被害妄想をする矢
* 慢心する矢
* 何でも悪く受け取る矢
このような苦悩の矢が抜けた人であること。

以上の悪い自我が消えた人は、

コノ世とアノ世を往復する輪廻(りんね:生まれ変わり)を終わらせます。

それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.17)

(感想)
この項が、第1章1節の最後です。
「それはまるで蛇が古い皮をスルッと脱ぎ去るように出来ます」という、「蛇」がテーマの節でした。
蛇とは、自我(ワレヨシの思い)が持つサガのエネルギー体を象徴する意味があります。

人が持つワレヨシな自我な思い(上記のような)とは、霊眼では本当に蛇の形象で視えるものなのです。
2500年も前の釈尊も、やはり人の思いに蛇を幻視したので、ハッキリと「蛇」と言い残しています。

現代の学者が考えますと、ただの比喩の表現のように思うのでしょうが、これは思いの世界を実写した現実の意味から「蛇」なのです。


ワレヨシな性欲はダメ 2016-06-05 12:02:20

私が感じますことは、
* ワレヨシな自我からの色情・性欲を無くしなさい。
ということを、釈尊の言葉から解釈します。

ワレヨシな性欲とは、
* 異性に対して攻撃的な、
* 自分だけが果てることを目的とした、
* 相手に思いやりの無い性欲。
を意味します。

子孫を残す為には、健康体ならば性欲が有ることは当然なのです。
釈尊は、これを否定するような「性欲を消しなさい」とは決して言われていないと感じます。
釈尊の教えは、厳格に守れば子孫が絶え、人類が消滅するようなものでは決して無いのです。

つまり、
* 「性欲にも種類が有る」
ということを知って置いてください。
歳を取りますと、ホルモンバランスの影響から「性欲」が無くなる人はいます。
「枯れていく」のは自然なことです。
でも、自分の生活ストレスから他人を攻撃したい「色情」が、逆に大きく成る人も居ると思います。

とにかく、この項から言えますことは、
* ワレヨシな自我からの色情・色欲はダメだ。
ということを知って置いてください。その魂の転生(てんしょう:生まれ変わり)にも影響するサガ・性だということです。


真の近道とは 2016-02-19 11:57:33

(感想)
* 人は、自分に無いモノを見て苦しむということです。

既に自分に有るものは気に入らず、常に新しいモノに注意が行くサガを人は持ちます。
住まい・自動車・仕事・洋服・不倫・自分の伴侶や子供でさえも、常に他人のモノが良く(欲)見えるかも知れません。

* 既に自分に有るモノを、見直せる人は少ないのです。

古女房を大切に出来る男性は、本当にステキで真の愛情を持つ男性です。
浮気をする男性に恋をする女性がいますが、その男性が平気で女性を捨てられる不実な人間であることに気付けません。現実に奥さんを捨てています。いつかは自分も同じ目に遭います。
まさか自分(女性)も捨てられるとは思わないのが勝手な自我なのです。

そんなパターンが分かっていましても、止められないのが個人が持つサガです。
もし、自分に善徳貯金が有れば、間違いには「目が覚める・冷める」ことが誰にでも急に起こります。
本当は、もっと善徳貯金が多ければ、そもそもがそういう縁とは初めから無縁と成ります。



人は、苦しいことが有りますと、どうしてもアノ世・コノ世という区切りや、期間を想像してしまいます。普段の生活でも、

受験に受かる「までは」、遊びを止めて頑張る。
家のローンが終わる「までは」、仕事を頑張る。
子供が成人する「までは」、離婚しない。

などなどの、色々な区切りを考えて行動するものです。
何かの区切りが有る御蔭で、そのために頑張ることが出来るのが普通の一般的な人だと思います。
これはこれで、良いと思います。

しかし釈尊が言われるのは、「最高の人」の場合の心境です。
別に最高の人に成る必要も無いのですが、
「理想形」「本当の真相では」「真理では」「宇宙の視点」
の「答え」を知って置いた上で、普通の人であることも大切なのです。

「答え」を知った上で普通の生活をするのと、「答え」を知らずに普通に生きるのでは、やはり違うのです。
本当の答えでは、
* 区切りは無い。区切りを考えて生きるな。今だけを見て生きなさい。
* 本当は、何も恐れなくても良いのだよ。
* 何の縛りも受けないでも良い。
ということなのです。

人は、
* 今だけを見て生きること。
* 目の前だけを見ること。
が苦手なサガだと思います。それが苦しいのです。

子供でも、授業中にじっとしていることが出来ない児童が増えています。
これは、やはり制御する心が小さい状態であり、自我が大きく出ている状態と言えます。ただ本能で生きる感じです。
人が期間を切りたがるサガも、子供のサガと似た面が有るのです。

つまり、人が自分で期間を区切る時は、
* それは自分の自我(サガ・ワレヨシ)が出ていないか?
ということを忘れないでいましょう。

自分で期間を区切ることに逃げずに、絶えず今だけに懸命に生きることに挑戦して見ましょう。



歴史的には、軍事用に使われた象のことを戦象(せんぞう)と言い、主にインド、東南アジアや古代ヨーロッパ世界で用いられたようです。突撃して敵を踏み潰すか、あるいは敵の基地を破壊することを主目的とした兵器として武装した象の集団が使われました。飼いならされた象は、よく耐えて人の言うことを聞いたようです。
釈尊が生きた時代にも、耐え忍ぶ象の姿がありました。

現代の私たちは、普通の平和な社会の中に居ましても、他人からの言葉や視線だけでも自分で勝手に心身を傷めるほど響かせている人が多いです。
この項では釈尊が、私たちも戦象を見習って他人からの非難を耐えましょうと言われています。

なぜならば、コノ世に生まれ出る人間とは、そもそもが誰もが何らかの色々な訳有りのサガを「持つからこそ」生まれ出て来るのです。

(中略)

だからサガが強い者ほど、元気にコノ世を闊歩しているとも言えそうです。
しかし仏教では、サガが強いほどコノ世に生まれ変わることが終わらずに、何回でもサガが消え入るまでコノ世で誕生と死を繰り返すとしています。
誕生をリピート体験する内に、自分のサガ(ワレヨシな自我)を減らして心が浄化して、繰り返す転生を終えることを仏教の目的とします。

究極の目的は、コノ世に生まれ出ずに永遠に別次元の天国(涅槃)に安住することが、仏教の最終目的だと言えます。チベット密教でも、自分が間違った世界に生まれ出ないための生き方を説いています。
自分のサガ・自我が昇華するほど、コノ世だとかアノ世だとかの境界が消えて、今の生活の中で心が安住します。

私たちは時間限定で、誰もが短いコノ世に存在しています。しかも、稀有な日本にです。
この貴重な短い期間ぐらいは、どんなことも思い出として耐えて、その中でも楽しみながら永遠へと自分の心を行(逝)かすことを目的としましょう。
このように楽しみながらも、他人のサガの中を耐え忍びながら頑張って生きますと、コノ世に居る中でも天国を味わうことも可能なのがコノ世です。
他人のサガに負けずに頑張りましょう。



そして、社会の中で普通に暮らすことが更に大変な理由が、欲望のワナが周囲にたくさん有ることです。
修行僧のような隔離された中での生活では無くて、色々なサガの誘惑の中でも正しく生きることが真の修行です。
「自分に勝つ」ということです。

自分の自我に勝つ。自分のサガに勝つ。
これは人が、わざわざコノ世に生まれて来る意味だと感じます。
誰もが、今度こそは「自分自身に勝つ」と思って誕生して来ると思います。
でもコノ世に生まれますと、自分に勝つはずが「他人に勝つ」に置き換わって行くようです。
多くの人が自分自身が持つサガに負けています。



(感想)
(1) 自分の家族や子供、ペットだけに執着して溺愛する自我。
(2) 私が私がと見栄を張る自我。
(3) 自分の命が永遠ではないことを忘れている謙虚さを欠いた自我。
(4) 何をしてもムダだと思う怠け者の自我。

これが2500年も前に生きた釈尊の言葉です。これはこのまま、現代人にも言える事です。
人間のサガ・性とは、まったく変わっておりません。進歩も進化もしていません。
でも釈尊が実在されたように、現代の誰もが釈尊に成れる時代が来ていると感じます。

(中略)

ここで大切なことは、人間の様々の領域に棲み付く自我(じが:ワレヨシの心)を沈静化して行くことです。
この継続が、私達を浄化して行きます。

これは、各人がどんな状況でありましても、自分の環境の中で浄化して行くことが可能です。
他人と比較せずに、自分の居る世界こそが重要なカギです。自分だけの固有な、因果・因縁が反射して出現しているからです。

だからこそ、逆に今の環境が重要なのです。
これを乗り越えることで、自分の因果・因縁が昇華されます。
逆に言えば、自分が成仏するためには、今の環境を避けては生けないのです。
どうしても生きる人間は、他人との比較や関係で浄化が停滞します。他人を見ている限りは、進歩はありません。

上記の(1)~(4)を意識して、自分の生活を静観して見ましょう。
これを素直に意識出来る人は、必ず心境が変わって行きます。
人間は、死ぬまで誰もがチャンスに満ちています。



(感想)
今の自分がする努力や我慢などはムダではないか?
アノ人たちのように、自分の好きに遊んでいる人たちのほうが、人生の勝ちなのではないか?
今の自分などがバカを見るのだろう。
などと思う人がいます。

若い頃は、社会ルールに従うことがカッコ悪いと思うかも知れません。
今でも穴の開いたジーパンを数万円も出して良い大人が買っています。
普段にキッチリとした格好をしている人ほど、家庭ではパジャマを好むかも知れません。
このように人は、自分がしていないこと、自分には無いもの、という真逆を好むサガ(性)があるのです。

人間が浮気をするのも、従来の安定した慣れた相手よりも、自分の知らないタイプの他人に惹かれてしまうサガが人の根本にあります。ただ、これもやはり後で後悔することに成ります。最初に得た安定した相手とは、人生で二度と得られない超貴重なお宝であることが、因果の法則からは言えるのです。
しかし人は、失って見て初めてこのことが分かるサガを持ちます。
以上と同じようなことを、2500年も前に生きた老子が述べています。



人間でも魂でも、今は無いモノに期待する、生きがいにする、無いモノを求める、という本能(自我)が存在するのです。
男女の不倫なども正にこの自我です。だから念願かなって不倫相手と結婚しましても、また「今の」生活の有り難みを見ずに、よそ見ばかりを始めます。そして大後悔を繰り返します。転職にも注意すべき視点です。
大切で長い人生でも同じようなことなのです。魂の転生(てんせい:生まれ変わり)でも同じです。

今の生活の有り難みを見ようとはせずに、未知なものに、まだ見ていない事に、幸福を期待しています。そして、大切な今を見ずに捨てているのです。
これは人類の病気なのです。
目の前をナゼか見ようとはしない病、見えない遠くばかりを見ようとする病です。
今の既に「在る」本当に大切なコトは見ようとしないで、今の有り難みに気付け無いのです。

(中略)

無名のまま、悟る人間が日本から多産されることでしょう。
悟る時は、家事道でも、リーマン稼業でも、子どもでも、病院の中でも悟るのです。
それは、今に在る有り難みに真から気付くことなのです。
物事に対して真から感謝をしている時は、その人は悟り中です。
でも、また自我の「目の前を見ない病」により引き戻されます。これを誰もが繰り返しています。



ネットの世界には「不倫→離婚」という自分の体験談・相談中の話がよく投稿されています。
現代の人間のサガ(性)を知るには、その親の態度も含めて興味深く最近によく仕事の合間に読ませて頂いています。
中には数年にわたり経緯をネットに相談しながら、最後の破局の顛末まで書かれているものもあります。

(中略)

今日は、このような下世話な話を取り上げた理由は、
*今の現状の「既に」在る「有り難いこと」に気付くこと。失ってから気付いても遅いのです。
*今の生活に在るものをアタリマエにして、更に別にもう1つを欲しがり楽しもうとする人間のサガに気付いて置くこと。
*もう1つの予備を持ちたがるのは、狩りという狩猟精神(悪魔)が人には残存すること。

このようなサガ(性)に普段から気付いて置くことが、人のサガ(自我)を昇華させて行きます。
自我が昇華するほど、その人から神性が発露を始めます。
これから人が神性の磁気を発露させれば、免疫の意味でも、遺伝子の意味でも、第三の人類に変化することを感じています。
生きていれば年齢は関係無いのです。老人も変わります。
今日も、自分の自我(サガ)を静観しながら楽しみましょう。

関連コメント

私は自分のサガが嫌いです。それが日常生活において常に自分が嫌いな理由です。それを出さないようにと常に思いますが、これが本来の私のようにも思い嫌になります。サガは何度生まれ変わっても、変わらないとリーマンさんはおっしゃっていました。その時からこのサガが変わらないなら、こんなサガを持つ自分がいつまでも嫌な奴だなぁって思うのです。

............慌てないこと。

「自分の心を守りましょう」
「自分を大切に育てましょう」
2020-12-23 20:42:52

ーーーーーーーーーー
自分のこころを守るのとサガのことは違うでしょ?心は守ってきたからまだ生きています。 サガは持って生まれて変わらないものとリーマンさんに聞きました。私のサガはそんなところへまた放り出されるのかと理解してます。

。。。。自我は、自分の意識でコントロールが可能。
反省も、そのコントロールの1つ。
2020-12-27 01:34:33

ーーーーーーーーーー
回答いただいて、何度も申しわけありません。質問は今更ですが、サガと自我は同じですか?
私は自我は自分でコントロールできるものであるがなかなか扱いにくく良い方向にするにはなんらかの我慢とか辛抱がいるものであるけれど、サラッと受け止めていけるようにできるのが理想であるが難しいです。

...........反省する人は救われます。
サガは、自我の中に入ります。
2020-12-30 01:57:39


多くの人が制御がきかず、悩まされ、身を滅ぼしかねない色情は、クンダバッファーの名残が発動している状態なのでしょうか?未だに操作されていますか?

。。。。それは自分の自我の大きさ。
2020-09-01 12:18:52


性(サガ)と自我は別物なのでしょうか?

.............自我の中に、サガも入ります。
2018-03-15 15:42:30


経済面を中心に、夫に依存しているのは、内在神に素直な生き方と言えますか。しばらく留守をしてから、家に帰る時に、心が嫌だと叫んでいるのを感じたのですが、こんなにハッキリ自覚したのは初めてです。この感情は、一時的なものでしょうか。それとも内在神が嫌がっているのでしょうか。もしそうであれば、一緒に暮らさない方がお互いのためなのでしょうか。
経済面や今生活できることに感謝したいのですが、心(内在神)の声に反しているような気がして、気になりました。

。。。不倫に注意。
自分の身勝手な自我に注意。
周囲を巻き込んでの不幸になってからでは後悔することも想定するのを参考に。
2014-11-01 00:32:52


もしかして神意って本能に従う・・という意味があるのでしょうか??

。。。その本能が自分の間違った自我由来が大半です。
だから、先祖への感謝を普段の中ですることが大事。これ次第です。先祖への感謝磁気を貯めることが、守護に繋がります。
家系の水子にも感謝をしましょう。応援されます。

「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を出来れば何度も再読してください。

実践が自分に教え、先行きを導きます。実践なき者は迷います。
2012-12-09 13:58:57



  • 最終更新:2022-03-10 15:47:36

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