精霊(関連記事)

■精霊(関連記事)について
関連項目 井戸
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今日の話で言いたいことは、
・ 46億年の地球史を、24時間と置き換えた場合、
・ 人類が誕生してまだ「1分間」しか経過していない。
・ 人類が存在しない期間が、23時間59分間も在る。

まさに人間とは、新参者です。
生まれて「1分間」しか経過していない生物が、最近の「1秒間」で地球を殺すほど破壊している訳です。
人間は、もっと謙虚に成らなければ生けない。

精霊が家内を泳いでいる姿を観ますと、精霊としては当時の環境の中を今も生きているのです。
それが同じ場所で、現代の次元が重なって、共存しています。
これがどこでも、誰の家でも、過去の次元と重なって今が存在することを知って置いてください。

だからこそ、氏神を祭ったり、先祖を供養する行為が意味を持ちます。
誰もが、次元の重なり、「次元のカーテンの揺らぎ」の中に住んでいます。
このような仕組みを、宗教よりも宇宙物理学のほうが先に証明することに成るでしょう。



この項では、珍しく精霊が登場します。
興味深いのは、精霊が古代詩の韻文を話すということです。
この場合、この精霊に2つの出自が言えます。

・ 古代に生まれた人霊が、その当時の修行によって精霊にまで昇華した存在である。
・ または、古代の時代にも、古代詩を天から人々に啓示で教えた古い精霊である。

この2通りのパターンが考えられますが、森の全体を明るく照らすほどの精霊ですから、古代詩を人類に啓示した古い精霊をこの項には思います。

生きる人間でありましても、正しい真理に目覚めた人物、または正しい真理を求めたい人々には、
* 精霊は、お辞儀をして礼を尽くしてくれる。
ということを覚えていましょう。



この大権現(まさに駐車場の真正面の森に有ります)を参拝した時に幻視した様相は、壮大な神芝居を観せられました。
この巨大な精霊が、富士山の頂上で腕組みをする場面から始まり、御嶽山、高尾山、東北の山々を一足飛びにジャンプする姿を観せてくれました。白山はまた別格であり、散歩コースには入っていませんでした。

そして真上の大空に向かって片方の高下駄だけを使って思いっ切りジャンプしますと、その視野は遥か上空の成層圏にまで飛びました。もし両足を使えば、どこまで上がれるのかは未知数です。
これがつまり、遠くを見回せる、未来を視られる、地球全体を俯瞰(ふかん・大きな視点で)出来るという能力を意味していました。
今の日本を守護する存在が、日本の首都を意識して神界から派遣されて置かれていた訳です。
この大きさの精霊は、日本で一体しか存在していません。



タクシーから降りた私は、まず手水舎で手を洗い参道を進みました。麻賀多神社(まかたじんじゃ)本殿の正面に進む間も、参道の右方向の森から強力な神気が来ていました。
本殿を参拝後に左側に進みますと、いよいよ天然記念物の大杉と面会しました。

非常に立派で美しい巨木でした。この時に、先ほど幻視した神霊の背丈と、この大杉の高さ(約40m)がほぼ同じであることに気が付きました。
ここで思い付いたことは、巨大な大杉が有れば、それと同じ大きさの精霊がその場に存在すると思っても良いです。つまり、大自然の精霊と、そこに実在する巨木とに相関関係があると感じました。
思い出して見ますと、玉置神社、白山中居神社、屋久島、・・・・・大きな精霊が実在しています。



六甲山系の山から瀬戸内海側という地域は、関西でも非常にお金持ちが多い地域で知られているのですが、道路を1本またぐだけで、金運が増す家が多い地域と、衰退する地域の明暗があるような気がするという話をされていました。

その話を聞いた時に脳内に浮かびましたことは、水の匂いでした。
地層の性質の影響から、山からの湧き水が自然と出やすいポイントが幾つも在ることを感じました。
これは日本のどこの地域でも言えることなのですが、
水が溜まりやすい場所=精霊が宿る場所、山の気が噴出する場所
とも言えます。

このような場所は、色々と非常に難しい場所であり、そういう所にコンクリートで土地にフタをして家を建てますと、運気と運命を左右すると言えます。
こういう地域は、氏神を祭って榊を欠かさないことで、家に溜まる悪い気を抜く(昇華させること)ことが大切に成ります。

また、土地の精霊の息抜き用の空気パイプを、庭のデザインの中に取り入れることで、家人の健康(呼吸器系・循環器系・寿命・子供の精神状態)に霊的に影響するオマジナイと成ります。
空気パイプとは、横穴を幾つも開けたパイプの導管を、地面から50cm以上も地中に埋めます。

大事は、パイプ導管の底がコンクリートではダメです。必ず土が出た状態であることが大切です。底に小石を入れるのは良いです。直径は10cm~もあれば良いです。
そしてパイプの地上の先端はフタをせずに開けておきます。そのパイプの周囲は自由にデザインしても問題はないです。ゴミよけに、細かい目の網をかぶせるのは良いです。パイプが地面から飛び出る長さは自由です。

ただ、マンションなど設置できない場所もありますから、無理は不要です。氏神を祭ることで良いです。ただし、榊が重要です。
土地の精霊へのエチケットということで、個人の宗教は関係ありません。



今朝の深夜3時すぎに、森林地帯の方向から大勢の天狗たちが叩く太鼓の音を聞きました。
長く地域に住んでいますが、住宅地域で天狗の太鼓を聞いたのは初めてのことです。
過去に白山の周辺で、満月の深夜に天狗たちの太鼓を聞いた経験が何度もありますが、今朝の太鼓には金属音のような大きなドラの大音響が3回連続で必ず定期的に入る演奏でした。

今までの経験では、太鼓の縁の木の部分を叩く見事な連続打音を挟む演奏が多かったのですが、今朝のは何とも言えない不気味な金属系のドラの音が挟まれていました。これは霊聴ですので、町の青年団では無いことは確かです、笑。
あのような太鼓さばきは、人間には無理です。連続打音で全体の調子を表現します。

天狗という存在は、大自然の精霊です。天狗界の高位まで上りますと、その先にはスサノオの神界に通じることが許される自然霊の集団です。
人間の山岳修行者が死にますと、まずは幽界の天狗界に行くことが多いです。そこからの修行は、人間界の年数で表現しますと100年単位の気の遠くなる次元の段階が存在しています。太鼓を叩ける資格を持つには、最低でも500年以上の天狗修行が必要です。
今は消えた龍神の修行となりますと、これが1000年単位の修行となります。大地を動かす巨大な地龍に変化するには、そのエナジー体は10万年単位の修行者です。まさに地球の大地の動きと関係しています。
(次元の参考資料:http://www.shinkyaku.com/B/p122.htm

問題は、今朝の金属音のドラです。日本の大地の異変を、大自然の精霊たちが懸命に知らせようと、なんとか調伏しようと、していると私には感じられました。



見えないモノを捨て去る風潮は、営利主義・勝ち組・やった者勝ち・・・、さらには街からは精霊が消えて行き、弱く見える先祖霊よりもキンキラ欲望やるぞ神が流行りました。

見えない部分を疎かにする営利主義は、段々と日本製品が売れなくなる傾向も生みました。
日本人の他に無い特色は、見えない部分や精霊存在にも配慮が出来る性質が在ったことだと思います。
また、弱者を助ける思いも強い国民ですが、その代わりに助けられる弱者も、「申し訳ない」「有り難い」と思う国民だったからこそ成立していました。しかし、これもアタリマエの権利だと思う国民が出始めますと、すべてが崩壊に向きます。

昔の日本に在った、見えない物事も大切にする、先祖を大切にする、良心に恥じない、という気持ちの再興が大切です。
これが再興するに従って、社会からは悪霊が減って精霊が復活する国と成ります。



伊勢神宮の外宮の神域に豊川茜稲荷神社(とよかわアコネいなりじんじゃ)が在ります。地元では古くから「あこねさん」と呼ばれています。
もともとは、外宮の周りの古代に沼地だった場所に居た、土地の龍神の精霊を祭った場所だと感じます。
             -中略―
稲荷(いなり)さんとは、過去記事【稲荷神の秘密 2008-10-26 14:47:10】にもあるように、神様のお使いの精霊です。だから、それを利用する人間に自戒(じかい:自制すること)が必要なのです。精霊を善神にするも、悪神にするのも人間次第なのです。


何事も水の流れのように 2011-02-04 11:02:22

富める社会が継続しますと、厳しい親子関係が消え、友人のような親子平等の風潮が増し、親の威厳が消えて行きました。
それから起こり出したことは、子供がバットで親を殺す事件などが社会で発生し始めたのです。更に時代が進んだ現代では、子供が引きこもって遊び、親が奴隷のようにひたすら働いて食わせる逆転の親子関係の発生です。明治時代の人間には、信じられない日本の風潮です。
親の威厳が消えているということは、日本に昔から居る精霊たちも、その立場を無くしているのです。
逆に言えば、地域の氏神(うじがみ:地域の森と精霊を祭る神社のこと)などや「先祖霊」が再び大切にされれば、家庭も自然と健全に成る反射が起こるのです。



九州で心配されている「宮崎県」にもまたがる、活火山の新燃岳(しんもえだけ)が噴火をしています。
報道される映像は、その爆発力の凄さが畏怖すべき大自然の姿を現しています。普段はおとなしい緑の山も、噴火を始めますと止まりません。
自然の精霊が発動を始めますと、人間的な温情もなく発動をする様相と同じだと感じています。
要は、発動をさせては生けないのです。動き出すと止まりませんから、それまでの過程が「祭り」であり、祭りとは静かに鎮(しず)める事でもあります。
近年の宮崎県は、神界からの告知の地域と成っています。
宮崎で起こった事は、今後のウイルス被害・政治の動き・火山への注意予告です。
また、宮崎でのパワースポット信仰への、神からの戒めも在ります。精霊の怒りです。
             -中略―
しかし私は、感謝の気持ち1本で、精霊が反応する様相を観てきましたし、現実生活の中での改善を起こすことを数多く体験しています。
本来の神道の行為が、最高・最善・最短であるのは間違いが無いです。



二千年以上前の神道は、神祭りと先祖崇拝を一体化したものでしたが、今の社会風習では分けられています。やはり自然界の精霊と先祖霊を両方意識した、生かされている原点への感謝の祭りがカギを握ります。



昔の日本人は、日常生活の中の至る所に精霊を感じていました。
便所・台所のカマド・座敷・風呂・・・山・川・海・森・・・。
つまり、人間が生きるために使用している所や、利用させて頂いている物に対して、見えない存在を感じていたのです。
これは精霊を霊視していたのでは無く、自分たちが使用させて頂いて「ありがたい」と言う感謝の気持ちから、精霊が「居るに違いない」に成ったと感じます。これは、霊視をする以上に、高度な心境を意味しています。



宣伝して非常な営業努力をする集金教団が多い時代でも、伊勢神宮は黙ったままで自然と参拝者数の記録更新中です。
全国の氏神も、再生と掃除が進んでいます。
まだまだ、日本には大自然の精霊たちが現存している証拠です。
戦争や階級差別で苦労をした人間は、人間は平等だという理念のもとで色々な考えが在るようです。
その気持も分かりますが、やはり役割分担というものが人間界には有ります。
2千年以上も継続して国家の国魂(くにたま:国土の精霊)へ、国民を代表して感謝をする役職である「天皇」という存在をもし無くせば、霊的には大変な事態に国は必ず成ります。
そんな非科学的なことは、やってみないと分からないではダメなのです。そんな冒険を試させては絶対にダメです。
天皇の権威が低下しますと、日本の戦国時代を見ても、現代の大統領制にしても、強い者勝ちの騒乱が水面下で必ず発生します。



神山では、人間の何気ない行為(小便、ツバ吐きなど)が、場所により精霊の聖域を汚すことに成り、逆鱗に触れることがありますので注意が必要です。
            -中略―
大自然の中には、人間を受け付けない精霊の世界が存在するのです。ただ普通の人には、それが何処なのか?が分かりません。
だから、昔から禁足地とされる場所には、素直に入らないことです。
近年では神社側が集金のために、わざわざ禁足地を有料解放している所があります。しかし、これは宮司の無知ゆえの罪です。多くの人間が生命力を失う可能性が高いです。宮司も死んでから、精霊の裁きを受けるでしょう。
みなさんも、公的に認められている進入=精霊が許可している、では絶対に無いことを知っておいてください。



太陽の精である根源的なアマテラスオホミカミは、与える一方の存在です。
たとえ感謝をされなくても、黙々と与え続ける存在です。
日本も、諸外国から罵倒されながらも、与え続けている国柄です。まさに、太陽の転写を受けた様な国です。
しかし、太陽を無くせば地球も消える様に、日本国は諸外国を助ける為にも、生き残る必要が霊的に在るのです。その為には、見えない精霊を八百万(やおよろず)の神々として大切にする国柄を、なんとか維持しなければ生けません。


大福を捨てていますよ 2010-07-05 11:12:12

天狗も自然界の精霊です。日本全国で自然や古来の信仰が破壊されて、物を言いたい天狗が全国に居るのだなと思いました。
現実界に物を言いたい天狗が、各地で見込んだ人間に憑依していたのです。しかし憑依された人間は、何かをしたいのだが、何をすれば良いのかが分からないのです。それで、このような講演会や間違った信仰を自分で始めて、集金活動して行くパターンが有ったのです。精霊の思いを代弁するはずが、目先の金と欲に染まって行くのです。


出会いも、精霊の誘導 2010-06-26 11:00:37

異性との出会いや、新しい仕事との出会いを希望して悩む人が多いです。
これらの出会いの為の、この世的な活動をして行けば、後は見えない世界への行為が、その実現性と良し悪しを決めます。
1:寄り代による感謝の先祖供養と、
2:内在する神様への感謝の神祭り(寄り代としての神札は、神社札を使用する)
をしていけば、先行きの運命が必ず「本人にとっては」最善に変化して進みます。
人との新たな出会いも、見えない精霊が先に介在します。
人との出会いも運命だからと、あきらめている人がいますが、真相は全然違います。
1と2の行為と、現状への感謝想起により、精霊の導きが発生して新たな出会いは、幾らでも簡単に起こります。



日本に古来から存在します、目に見える物すべてに精霊を認めて大切にする気持ちが大切です。
これは他人の中にも精霊(内在神)を見て、尊重する姿勢です。
たった一つの根源存在が、すべてに分派して内在するのです。自宅の神棚を大切にする行為も、自分自身を大切にする「結果」に繋がるのです。


水は基本です 2010-05-30 10:58:22

日本に水が豊富なのは、森の精霊を氏神として祭事してきたからです。
森林が砂漠化する前に、国民全体で宗教ではなく生活習慣として、精霊を大切にする事が大切です。はやく気付いて欲しいものです。


エデンの東 2010-05-01 11:57:18

今日の五月一日という「おついたち」の朝に浮かんで来たのは、伊勢の伊雑宮の景色でした。
そして降りてきた啓示は、聞いたことがある「エデンの東」という言葉でした。
旧約聖書の創世記にあります「東の方のエデンに一つの楽園を設け、神の造った人をそこに住まわせた」(第二章八節)
「エデンの園の東に、ケルビム(=知恵の深い精霊)と自転する剣の炎とを、神は置いた」(第三章二十四節)

つまり神様は、アダムとイブを追放した後、「生命の木への道」(=人が神へ至る方法)を守らせるために、エデンの園(=日本)の「東」(=伊雑宮)に回転する炎の神剣とともに、精霊を置いたという啓示です。
また、「モーゼの契約の箱」(外宮の多賀宮の下に在ります)の上には、この精霊(=日輪の形象)を模した太陽が金細工により施されています。
つまり、エデンの東=伊雑宮、だったと言う事です。
これが聖書の一説に対する私の今朝の感応です。
このケルビム(=知恵の深い精霊、日輪の形象)の姿は、今月に発売されます、「伊勢の写真集」
http://www.amazon.co.jp/dp/4270005807)に掲載されています。


すべてが生きています 2010-04-30 11:46:16

地鎮祭とは、土地の精霊への挨拶(=仁義を切る事)をするための儀式です。
15分間ほどの短い儀式の為に、御金を掛けてするべきかと思う人も居ることでしょう。儀式を終えた私の感想は、やはり地鎮祭はするべきです。
祝詞が上がり始めますと、どこからともなく白いオーブが地面から沸き上がってきて、寄り代の周りに漂っていました。
言葉により、これから工事を始める事を、その場所に「聴かせる」のが地鎮祭の目的です。

霊能力などは関係が無く、現実界において実際の行為で「気遣い」を示す事が重要であり、それが精霊に届くのです。
地鎮祭は、自分なりの土地への気遣いを示せば、それも立派な地鎮祭と成ります。神主に頼む必要は、必ずしもありません。
地鎮祭がされたかどうかが不明で、既に家が建っている場合は、日々の寄り代(位牌か短冊)による感謝の先祖供養での3本目で、土地への感謝を思えば大丈夫です。



皆さんも内宮に参拝された時は、御稲御倉に対して自分なりの正式な参拝をすれば良いです。
ここは、参拝するに十二分に値する御宮です。普通は荒祭宮を目指して素通りされています。
参拝をすれば、御米の精霊に包まれる事でしょう。つまり、天照太御神の神気に最も間近で接する事が出来る御宮なのです。


謙虚さを忘れない為に 2010-01-21 10:41:21

べつに地域の氏神を祭らなくても、人間は生きる事ができます。
神札を祭らなくても良いですが、その土地に住む精霊と共に人は生きている事を認識しておいた方が良いのです。そう思って「謙虚に生きる事」が、自分の運気を高めます。
なぜ命が生じるのかは、いまだに科学が解明でき無い事です。途中の理屈は、解説ができますが。
人間は、土地の精霊の上で暮らしている事を直ぐに忘れますので、目に見える道具としての神棚などは有効なのです。
もし、土地の精霊からの苦情が自分に来ている場合、神棚を祭る事ができ無い人には、寄り代(位牌か短冊)による感謝の先祖供養の3本目の線香で対応される事に成ります。



神社は、地域の土地の精霊の「寄り代」(よりしろ)です。それぞれの土地には、人間が住む以前からの生き物の精霊が居るものです。そこに人間が住み始めて土地を掘り起こし、岩を移動させて木々を切るわけです。やはり以前から居る見えない霊的存在には面白くないのです。すると、やはり住む人間に良くない現象が起きたわけです。
地域の土地の精霊に対して、場所を決めて「礼儀」を尽くした事が神社の起源の霊的な意味の1つです。
これを行った村と、しない村とでは、自然災害や村人の健康・生活において差が出るのが人々に認識されたのです。人間とは、本当に無駄で無意味な習慣ならば、継続しない合理的な面を持つものです。
そう言う意味では、数千年間も継続している神社とは、凄いものです。この様な神社となりますと、地域の精霊に留まらず、国土の精霊を祭り礼儀を示す神社と成っています。


焼滅しない為には 2009-10-06 09:30:55

東北地方に在る、座敷童子(ざしきわらし)で有名な旅館が全焼しました。
報道で以前の和室の写真を観ますと、床の間の正面に向かって右手の辺りに、青色の帯をした着物姿のオカッパ頭の男子が居るのが分かりました。
もともとは、土地の精霊が童子の姿で、床の間に寄っていただけの様です。床の間には、土地の精霊が寄り易い機能が存在します。
床の間の起源を私なりにリーディングして観ますと、やはり祭事と関係して来ます。
現代の様な立派な書院造りではなく、稲作を営む農家において、部屋の隅に床面よりも1段高い場所を設けて、そこにゴザを敷き、その上に収穫した稲を置いて感謝をした様です。
その感謝を捧げた場所には、稲の精霊(天照太御神の分霊)が寄ったのです。収穫した稲が寄り代の機能を果たしました。その行為を行ないますと、次の年も豊作に成ると言う縁起が広まったのが、床の間の原型だと感じます。

ただ、火事に成った旅館の童子は近年の宿泊者により、妖怪化していた感じです。
何名かのボッタクリ有料先生(特に女性先生の垢が悪い魔モノです)の関与を感じます。
もともとは精霊で在った物が幽界化されたので、太陽霊光に潔く自ら焼かれたとも言えます。土地の磁場により、強制的に終了させられたのです。旅館を再建される時は、氏神に謝罪と感謝を行い、有料先生の宿泊を拒否しなければ、また同じ事にも成りかねません。


ある思い出 後編 2009-05-31 09:39:15

日本の霊的歴史には、オオカミ形象が神様の御使いとして活躍した期間が有った様です。
神様の代わりに働いたオオカミが霊視されて、神社の狛犬の起源の1つにも成っています。
神社の神名の最後に付く「ナントカ大神」の大神は、オオカミだったのです。

神様の元御使いが、なぜ人間を惑わす組織を応援するのか?
これは、自然界から人間への一種の復讐だと思います。
自然の精霊達への感謝心を持つ事なしに、土地開発や自然環境の破壊を行なうからです。


言霊の幸(さき)わう国 2009-05-01 09:33:50

日本は緑が多い国です。どんな空き地でも直ぐに草が生い茂ります。このアタリマエな事が意外と外国にはないのです。
草木と重要な水。これが多い国は精霊も多いのです。
母音は、精霊に良く響くのを感じます。
正しい言霊は、国土に溢れる精霊を味方にします。


借り物は大事にして還す 2008-05-22 20:54:32

自分の魂が生まれ出る国を選んだ段階から、自分の魂に応じた、その国の精霊神が神界よりやって来ます。
そして、その国の中で生まれる家系を共に考えてくれます。
1,旅する永遠なる自分の魂
2,生まれる国の精霊・・・・内在神=産土神(根源神の分神)
3,生まれる家系・・・肉体を借ります(借りている間、先祖霊の影響を受けます。
この3つの要素の集合体が、今の「あなた」です。


英語化と再認識 その1 2008-03-31 20:01:23

伊勢白山道の独自解釈を外国向けに現したいと思います。
人間が生活する土地には、地域の精霊が巡回しているものです。面白いことに、精霊の巡回コースや守備をする土地の範囲は、精霊ごとに縄張りがあります。
だから、新しく家を建てる場合、地鎮祭の儀式は実行した方が良いです。神主さんの霊能ウンヌンは、この場合は無関係です。 精霊に対して「気を使った」という型を、現実界で示せば普通の場合、精霊は許してくれます。お墓や遺跡後などや土地を巡回する精霊の道を塞ぐ特殊なケースの場合は、別ですが。
女性が妊娠中は、その住む土地にいる精霊の神気を受けています。 その神気は、女性が宿した胎児の中に、縁ある魂が宿れる様に魂の定着する場所(魂座)を作ります。
この魂座に、永遠の旅をする個人(生まれる予定)の魂が縁起により誘導されて定着します。
魂座は、女性の霊体の胎盤に相当するとも言えます。
旅する魂が、魂座に落ち着こうと合体を試みることが、生きる女性には、悪阻(ツワリ)という形で現れます。
そして、母親と胎児の同調過程であるツワリを無事に終える事とは、魂座に魂が無事に合体した状態です。
これは、胎児に魂が宿った事を意味します。
             -中略―
英語での産土神の説明として、
「妊婦の胎児に魂が宿るように導いてくれる、住んでる土地
の精霊」 と言えます。


20141222

  • 最終更新:2018-06-15 12:26:43

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