卑弥呼

卑弥呼について
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神話と御神名の真相 2022-03-31 01:10:41

有名な女王・ヒミコにしても、個人の名前では無くて、役職名や地位を表す名称なのです。
これが、すべての御神名にも言えます。
個人の名称では無くて、「役職の名称」「地位の名称」が御神名の真相です。

役職である女王・ヒミコの名は、時代時代で女性の神官に引き継がれ、後世に伊勢神宮の祭主(さいしゅ)へと変化したことを感じます。
だから現在の伊勢神宮の祭主である黒田さんは、もし古代ならば「ヒミコ様」と呼ばれる役職の名称になられます。


大ガラスはカカアと鳴く 2013-10-19 10:47:20

出来上がったばかりの「森羅万象 8」を眺めていて気付きますことは、例の「資格が無いのです」の謎の老女は、由緒ある家系の男系の家族に生まれる「女子」なのです。これが先祖代々と何十代も継続しており、必ず男系家族の「女子」に神懸かるのです。
そして、皇室もやはり、直系の男系の家族に生まれ出る皇女が、伊勢神宮の祭主を二千年間以上も継続して来たのです。
天皇は皇居に居られながら、皇女が神宮を治めて来られました。
ここに、日本の霊的なアル法則を知ることが出来ます。
神祭りには、直系男子の家族に生まれる女子が重要な訳です。

すると、古代ヒミコは、父親が重要な人物であることが分かります。
古代史には、ヒミコの父親に関する記述が一切ありませんが、これは触れては生けない人物だったからです。つまり、天皇なのです。



倭姫(やまとひめ)とは女性でありますが、日本史上でも有数の大霊覚者だったと感じます。
今の神社庁が一番に大切にする大祓詞(おおはらえのことば)も、古代祭祀を仕切った中臣氏(なかとみうじ)や文武天皇が、大祓詞の創作者である可能性を言われますが、私は倭姫が神界から下ろした言霊だと確信しています。



伊勢神宮は、日本列島のほぼ真ん中あたりに在ります。全国から参拝するには、国民に公平な距離感です。
もし伊勢神宮が九州に在ったとしますと、今までのような参拝客による盛況があったのでしょうか?かなり事情は違っていたと思います。
まだ日本の全体の地形も把握されていない二千年以上も前に、第11代天皇の皇女である倭姫(やまとひめ)が現在の伊勢の地において、太陽神を祭る決断をしたことは、地理的にも大正解だったわけです。

私のリーディングでは、倭姫は奈良県の三輪山の近辺に「最後の」卑弥呼として在住していました。(倭姫が伊勢に移住した以後は、伊勢神宮における代表の祭主としての歴代の巫女(ミコ)の長が、卑弥呼に相当します。卑弥呼とは、外国からの蔑称でもあります。ほんとうは、日見子の字がふさわしいです。)
倭姫は、とても小柄な姿に観えます。身長は120~130cmぐらいに見えます。顔の形は、おでこが少し張り出し、ほっぺたが福よかです。
伊勢のお土産のデザインで使用されています、お多福さんに顔が似ています。縁起が良いとされる、お多福顔の起源は倭姫にあると、私は思っています。
おでこの張りは、倭姫が持った意志の強さと呪術師としての側面を表していると感じます。
ただ、倭姫にしても、太陽神を祭る場所に迷いに迷ったのです。最初から奈良から伊勢に行ったのではありませんでした。



伊勢神宮を起こした倭姫(やまとひめ)は、三輪山を去った最後の卑弥呼でした。伊勢神宮で祭主としての巫女(ミコ)が、外国からの蔑称では「卑」ミコと記述されています。
優秀な倭姫は、三輪山=地球大蛇の親玉からの脱皮を行い、伊勢の太陽神へと皇室の信仰を元に戻したのです。


神話が生きている聖地 2010-12-04 10:59:00

古老からの話:
「内宮は格上で、伊雑宮は下なんよ。だから向こうには天皇陛下が行かれて、こっちには皇太子殿下が来られる。
でもね、本当はこっち(伊雑宮)が本だったんだよ。

(中略)

伊雑宮の本当の入口は今のところではなく、昔は裏の田んぼ側にあった。伊雑宮と商店の間の道から裏に回るのが本道だったんだよ。
徳川時代にここの磯部(イソベ)の信仰こそ、本当の原始のアマテラス信仰の始まりの地だと熱烈な運動がここの住民で起きた。でも幕府には認められなかった。50人も処刑されたんだよ。
そして、その伊雑宮への信仰の勢いだけは利用されたんだ。その熱烈な信仰運動は、いつのまにか内宮のために転用されてしまったんだよ。
昔、豊川稲荷の方で木材が必要になった。そこで、ここの近くの千田寺(ちだじ)の木を送ろうとして、境内の楠の根を調べたら石棺(せきかん:石の箱)が出てきた。みんな驚いたよ。
中には鏡や勾玉があった。この周囲は倭姫(やまとひめ:天照太御神を背負い歩いた卑弥呼であり皇女)の伝説が多い。



結局、草薙神剣は剣ではなく、金製品だったがゆえに大切な神事の道具としての「寄り代」に使用されたのが、その正体だと感じます。
白山から今の奈良へと邪馬台国が移された後、代々の卑弥呼(ヒミコ:日見子)により、神事の寄り代として草薙神剣に神気の磁気が蓄積されていきました。
古代後期の最も優秀なヒミコであった倭姫命(ヤマトヒメ)により、伊勢神宮へと草薙神剣は運ばれています。

では問題は、現代のどこに草薙神剣はあるのか?
私は、土用殿に明治まで在ったと言うのが大きなヒントだと思います。
つまり、明治天皇が三種の神器に干渉しないはずが無いと思います。
日本の明治以降の大躍進。そして世界大戦に破れても、世界を代表する経済力を有するまでの奇跡の復活が成せたのは。。。ある意味では神がかっています。
つまり、古来からバラバラに安置されていた三種の神器を、明治天皇は移動させていると感じます。それが神威を発動させて、国を盛り上げたと感じます。


決して一人では無い 2010-01-27 10:45:05

リーデイングで読みますと、超太古の白山信仰が隠された後、次に古いのは三輪山の信仰です。現存する中では日本で最も古い信仰の場所が三輪山です。
神官である女王、卑弥呼=日見子(ヒミコは神官の役職名です)も毎日の様に三輪山に上り、日拝した様を感じます。
近年では、この御神体への登山を有料で許可している様ですが、直ぐに止めるべきです。知らずに不敬をして眷属による神罰を受けている人が多いです。幸運どころか運命を曲げられている人が増えています。
聖域=人が入っても良い、では決してありません。欲な人ほど罰が当たる仕組みがあります。


女性は偉いのだ 2009-02-10 09:45:15

太陽神である天照太御神を背負いながら伊勢の地に辿り着いた、皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)。
鬼道呪術を修め、国を治めた女王卑弥呼。
神道における最高神官は古来、女性でした。
現代の日本でも伊勢神宮だけは、この伝統を途切れながらも現代まで継承して来ました。
しかし、現代の神道界の現実は男性中心の構造です。
巫女さんの地位は低く、定年が早いものです。
これから神意が現実界に干渉を始めますから、官僚主義的な役人根性の神官は自然と消えていくでしょう。


白山の秘密 その2 2008-10-29 18:47:50

白山ククリヒメ大神とは、九クリ=九星を束ねた存在です。
宇宙全てを束ねた存在が、ヒメ=女性として現れるのです。
これは、今の混乱した世界は、女性を頂点にすれば平和に束ねる事が可能な事を示唆します。
女王卑弥呼が大国(タイコク)を治めたように・・・。
ククリ姫神 の秘密 2007-06-17 08:05:14】の記事にある、黄泉の比良坂で殺し合おうとする夫婦喧嘩を止めさせた、ククリヒメ神の言葉は、
「未来の子供達が待っています」 と、子供を代表して天照太御神が両親に耳打ちしたのでした。

関連コメント

祭主卑弥呼も夜の活動はあったのでしょうか?、、夜はやはり眠るリズムでしょうか?

。。。。古代の基本は太陽の動きに生活を合わせてます。
2018-05-08 14:28:04


ヒミコの役目とは自然災害を予見すること、以外にどんなことがあるのですか?

。。。。豊作への祈願と、天候への干渉。
2018-04-22 23:53:14


卑弥呼という役職は、天皇にかかる厄災の身代わりの意味でも別に立っているという事はありますか?

.......言えます。
2015-11-01 02:27:21


神武天皇以前にはヒミコは居なかったということなのでしょうか

。。。白山王朝にも、天皇もヒミコもあったし、
火星にも。
2015-05-29 22:30:09


「初期卑弥呼」の意味について伺わせてください。「初期」とされましたが、孝霊天皇の皇女の前に「初代」が居るということですか?

。。。います。
神武天皇以来、歴代の天皇には、ヒミコと呼ばれる巫女の役職ランクがありました。
2015-05-28 22:12:09


邪馬台国の時代、卑弥呼が表の記録に残っている時に、天皇も存在したが、尊い存在ゆえに隠され歴史に残らなかったと以前のコメントから解釈しましたが、ユダヤの末裔が大陸を半島経由で日本に入り、東にせめた神武天皇の流れとは別の流れですか?
それとも邪馬台国を神武天皇が、攻め滅ぼしたのではなく、神武天皇の流れと卑弥呼の背後に控えていた天皇は同じユダヤの流れ(もとは太古日本から出てもどってきた民族)でしょうか?

。。。日本書紀の
「ナガスネヒコはカムヤマトイワレビコの元に使いを送り、自らが祀る櫛玉饒速日命(クシタマニギハヤヒ)は昔天磐船に乗って天降ったのであり、天津神が二人もいるのはおかしいから、あなたは偽物だと言った。カムヤマトイワレビコとナガスネヒコは共に天津神の御子の印を見せ合い、どちらも本物とわかった。」
どちらもユダヤの宝を見せ合っています。
色んな時代に渡り、ユダヤ10氏族が渡来してます。
2013-11-25 19:48:59


魏志倭人伝の邪馬台国の女王卑弥呼ですが、子供心に?と思って答えられる人はいないと引っ込めた疑問だったのは、その当時は天皇はいなかったの?という事でした。というか、いても卑弥呼が女王だったの?国の最高位で代表者だったの?という事でした。

。。。渡来人は、天皇との面会をしていません。
天皇が面会を始めたのは、明治からであり、新しいのです。
それまでは誰も面会も不可です。
皇室は、卑弥呼の記録よりもはるかに古いです。
卑弥呼は、皇室に関係する巫女に過ぎません。
伊勢神宮を創建した皇女倭姫も卑弥呼の一人です。
卑弥呼の蔑称は、外国人が付けた皇室の巫女への呼称です。
2013-09-18 18:58:22


卑弥呼はヨリシロであったと読ませて頂いてますが、実際は、歴代の卑弥呼で神我実現に至った人物はいましたか?神我実現しててもヨリシロの役職をしたのだし、それは出来る事で可能ということでしょうか?

。。。。ヒミコは役職名ですから、8名以上居ました。
倭姫もヒミコです。この方は、神人合一していました。
2013-08-19 19:29:40

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倭姫もヒミコです。この方は、神人合一していました。

お返事ありがとうございました。
続けて失礼します開示可能ならお願いします。
歴代のヒミコの中では倭姫たったお一人だけと言う事でしょうか?
19人の中に倭姫が入っているのでしょうか?

。。。初期のヒミコにも神人合一が数名いますが、大半がその前の段階の高度な霊媒でした。
19人には入りません。
2013-08-19 22:33:05


倭姫は最後の卑弥呼であると同時に初代の卑弥呼でもあるということですか?倭姫は二人存在した?

。。。いいえ、ヒミコの前に奈良に5人はヒミコがいました。
倭姫の死後にも、伊勢神宮で数代は巫女の長をヒミコ呼称しています。
2012-03-05 22:55:48


私は長年、「ヒミコ」は、「日御子」「日巫女」ではないかと考えておりました。外から客観的にあがめる民人は、そう見たと思うのです。
「見」とは、自分は「日神」をひたすら見つめているだけだ、という倭姫の自己認識を、リーディングされたのでしょうか。それとも、この場合の「日」とは暦の意味なのでしょうか。

。。。太陽を見る女性です。
2012-03-05 15:09:29


戦後、神宮祭主が女性による御奉仕となっていますが、意味があるのでしょうか?

。。。ヒミコや倭姫に由来します。
2011-11-12 15:10:10


最近話題のまきむく遺跡(桜井市)は本当に女王卑弥呼の宮殿なのか、知りたいです。

。。。ココは、卑弥呼の住居の1つに過ぎません。
三輪山を中心として、近辺に数カ所在りました。
2011-01-24 15:51:09


歴代のヒミコさまの最期なのですが・・。もしかしてヒミコさまは、生贄の選定をされていましたか。

。。。奈良の三輪山にいた、歴代の卑弥呼は関与あります。しかし、後期の卑弥呼=倭姫は無関係です。
奈良から伊勢に、倭姫が移動した理由の1つに、生贄が嫌だったことも関係します。三輪山を離れた理由です。
2010-10-30 13:35:33


大分県に姫島村という島が在ります。古事記によるとイザナギ、イザナミから生み出されたとあります。またこの島にヒミコソ社という神社があります。

。。。卑弥呼を連想させて面白いです。
ヒミコ=神官の高位の名称、と私はしています。
伊勢神宮の創設に関わる倭姫も、古代後期のヒミコです。
2010-10-15 22:42:24


三輪山の山頂で、蛇神に、人間の生け贄を捧げていたとのことですが。

。。。山頂からは、人骨が無数に発掘され出るでしょう。
卑弥呼以前の数千年間、人間が犠牲に捧げられいました。マヤ文明と同じです。
2010-08-25 15:35:02


三輪山に行くとしたら、何か気をつけなければ行けない事は特にありますか?

。。。御神体の山に登らなければ大丈夫です。
卑弥呼も日参した神社です。感謝の参拝です。
2009-12-08 16:49:59


奈良の大神神社でもお参りの際は、「アマテラス。。。」と唱えていいのでしょうか?

。。。卑弥呼が、ここで太陽信仰をしていましたから問題は無いです。
2009-11-05 19:53:42


私は「邪馬台国」は九州北部に最初に拠点を構え、その後東に移動したと考えています。そして最終的に奈良に落ち着いた「新・邪馬台国」の勢力が日本と統一し「大和朝廷」を開いたと考えます。

。。。九州との交流はありましたが、邪馬台国は奈良三輪山のあたりです。
九州の地名は、後付けです。
卑弥呼は、役職階級名称であり何人も存在しました。
倭姫命も、卑弥呼の一人です。
2009-04-18 12:34:53


ヒメ巫女は処女でなくてもいい? この点は重大だと思います。つまり、「古代の神道は既婚の女性が中心であったのに、中臣神道が女性の処女性を前面に出すことで、何か大事な点を隠ぺいした。それを伊勢白山道が復活させる」ということにあるのですか?

。。。なかなか詳しく、興味深いことを書かれます。
しかし、これは一面のことに過ぎません。
女性が神の寄り代となる、年齢の節目はあるのは事実です。
6歳まで・・・神聖、聖女。
19歳まで・・・寄り代には成れる。
空白期間・・・不安定。
42歳以降・・・寄り代に成れる。

男性の場合は、年齢の区切りが無いものです。
個人の内在神に応じた感応があります。
2009-02-11 16:43:31


奈良の一宮であるところの「大神神社」は過去記事を見ても、龍とか休眠中とか畏怖などの事を仰ってられるのですが、大神神社は自己の内在神の感応を得られる正しく機能した神社でしょうか?

。。。この御札を祭るのは、別に良いです。
ここは、本当に古いです。卑弥呼とも深い縁があります。伊勢神宮とも関係します。
ただ、現れる形象が、巨大な山ほどの黒蛇で現れます。これは、ただの蛇霊では無く、インカやアステカ文明とも関係する地球規模の意味を持つ霊的存在です。 現代の物質文明との関係があります。文明が終わるとき、共に消えるでしょう。
綺麗な龍神ではなく、あくまでも蛇の形象を持つ意味があります。
感応を求めるならば、やはり、伊勢外宮がよいです。
2008-03-02 21:08:35


関連項目




  • 最終更新:2023-07-31 15:17:26

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