内在神(全般:関連記事)

内在神(全般:関連記事)について
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全般


「何となく」の感覚こそが、非常に高度な神懸かりであり、自分の生活次第で精度を上げることが可能であり、この世での幸運の秘密に関係することです。
「何となく」は、「神ながらの状態」、つまり内在神の自動運転状態でもあります。


苦労と守護霊の話 2023-05-22 12:26:24

自業自得の場合は、嫌なことも不幸も重なることが有ります。
でも、強い守護霊が付いている人には、これは無いのです。自分が挑戦するべき課題が、1つずつ来ます。
守護霊が付いて居る = 苦労のスケジュール管理も、きっちり厳格にされています。

そして、苦しい時ほど、守護霊も、縁ある守護神(内在神)もその人のことを観ています。
「頑張れ〜」と思いながらも、手出しはしません。
その本人の魂の成長を起こすように、雑巾を絞るようなギリギリの境界線を、注意深く観て管理しています。
ただし、本人の魂を壊すような限界を超えた負荷は、陰で強制的に排除をしてくれています。
これが本当の正しい守護霊・守護神のやり方です。



過去の聖者たちが共通して言う認識に、
・ 時間は無い。
・ 人類の思い込みで、時間という概念が存在している。
・ 自我には時間が大きく存在して、それに縛られている。
・ 奥に在る真我(しんが:本当の自分・内在神)には、時間が無い。


「天の岩戸開き」 2016-01-22 10:57:12

今朝に感じましたことは、
「人間は、自分で自分自身をもっと励ますべき」
ということでした。

え?自分一人なのに、まるで自分が二人いるかのように思うのは変ではないか?
と思われるかも知れません。しかし、

*自我(じが)=ワレヨシな自分
*真我(しんが)=良心からの視点=内在神=本当の自分

という重なる二層構造を人類が持っているのです。
古神道でも一霊四魂(いちれいしこん)として、より細かく人間の魂の構造を分析しています。


究極の楽しむ人 2015-09-04 11:23:31

転生をし続けている・ingのは、常に魂の「個性」「サガ」=自我、の部分なのです。
人の「自我」が、ひたすら生まれ変わりを繰り返しています。
その自我(ワレヨシ)を、今生で「素直」に変えてしまえば、その連綿と数千年以上も繰り返し「生まれ変わり」を継続して「来た」、1つの個性を終わらせることが可能なのです。
自我の終焉=悟り、です。

多くの人間が、個性=魂、だと思ってしまっています。
これは間違いなのです。
魂=神性(内在神)、なのです。
誰もの心の本当の正体は、「神様」なのです。
しかし、自我(ワレヨシ)の部分が、その魂を「人間」に“しています”。人間に変えています。


不滅の言葉 No.14 2013-08-17 11:25:55

コノ世のすべては、自分の心の内在神との関係しか無いのです。
その関係の内容が、コノ世での自分の生活に転写されるのです。
もし自分に必要ならば、自分の良心(内在神)へのケア・対応次第では、莫大な富でも、結婚でも、名声でも何でも与えられます。
すべては、自分の内在神との関係性から生まれるのです。

自分の内在神を無いものとして、自分の欲望のために、動物根性(悪徳宗教や動物性根の有料先生)へと祈願・伝授の依頼をしているのが現代人です。
これでは自分の内在神(良心)から離れるばかりです。自分自身から離れて行っているのです。
このような逆向きに進めば進むほどに、金銭も仕事も健康も失くして行きます。これは自分が悪いのです。

見詰めるべきは、求めるべきは、自分の良心(内在神)です。
これですべてが良い方向に転換を始めます。
ただし、コノ世で肉体を借りている間は、リース(貸し出し)への御礼として先祖(遺伝子)への感謝を忘れては生けません。これも絶対条件です。
その上で、自分の良心(内在神)を見詰めれば、コノ世も死後も保証されます。
必ず、すべてが大丈夫に成ります。

なぜならば、内在神とは宇宙の創造神だからです。


不滅の言葉 No.8 -2 2013-07-20 10:18:13

ラマナ・マハルシが示した真我(内在神)の気付き・達成には、マントラは不要であり、むしろ霊的には邪魔に成るのです。
マントラとは、ただ、初期の幻視・奇異を見るだけの危険な道具なのが霊的実態です。

(中略)

外在のモノ(マントラ・精霊・他人先生)に頼らずに、自分の右胸に存在する大いなる真我(内在神)に意識を向けましょう。
この意識の向け方は、

感謝を表す普通の話し言葉である、「生かして頂いて ありがとう御座位ます」
日本の大地の精霊の親元である、「アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ」

を外在にではなく、自分の右胸に意識を向けながら日常生活を行います。これこそが真の「動の瞑想」「作務・さむ」と成るのです。



神様の性質は鏡(カガミ:神・我・見)です。
すべてを反射して映します。
だから、神様(内在神)には感謝をしますと、自分自身に感謝の思いが増幅されて反射します。
つまり、思わず自分が感謝をしたくなる現実が到来しやすく成ります。
良いことが起こるということです。

(中略)

神様は人類に、自神の姿の片りんを求めています。
だからあきらめずに、良いことを思って行きましょう。
それを実現させるには、この言葉の精神で生きることが秘訣です。それが、

生かして頂いて ありがとう御座位ます



自分が思う心(=内在神)から出る「光」が時間差をおいて、その内容に応じた物質化がこの世で起こります。
この心から出る光には、重量感を私は感じます。
つまり、光=重さが有る=”既に”物質だと言えます。
既に物体ならば、二次製品だとも言えます。最初の原初では無いのです。
では、その光を生み出したのは何か?
心(内在神)が思う「言葉」だと、神示では示されます。
要は、私たちが心中で思っている言葉が「光」と変わり、その光が現実界へ作用しているのです。
だから、いかに心中で思う内容の言葉が大切かと言うことです。

(中略)

人間が息と共に発音した言葉は、息という息吹が加わり、「発声した言葉=言霊(ことだま)」と成ります。
言霊を産む前の、心(内在神と共に)で思う言葉が、光をも産み出す原初なのです。



要は、この現実界で生きる間、私たちは自分の本心(内在神)との対話・対面を常にしているのです。これは深い意味での霊的真相です。自分の心が曇っていますと、これに気付けません。
そして、自分が面会している家族や他人は、自分の本心を映す・映される鏡なのです。(映す:うつす。動体への転写)
神社や神棚・供養の寄り代(短冊や位牌のこと)も、同じく自分の心を写す鏡です。(写す:うつす。静体への反射)
この世のすべては、究極的には自分の本心(内在神)を知るために用意されています。

人間は自我(じが:我れよしの心)が成長するにつれて、だんだんと自分の本心(内在神)から気持ちが離れ、他人との比較、「他人の視点を気にする中」で生きることをします。
これは、内在神(母性のカタマリ)から離れる事に成りますので、満たされない飢餓感・不安感を生活の中で感じだします。この世の何を手に入れても、安心することは出来ません。



人間が持つ、安心できない心、いつまで経っても満足できない心、理由の無い飢餓感、異性や他人を求める心、
・・・これらの原因は、自分の心が内在神(良心、母性)から離れていることに在ります。
誰もが、本当の母親(内在神)から生き別れた霊的な孤児(こじ:みなしごハッチ)なのです。
人類が生まれてくる大目的は、生きている間に、自分の心に居る本当の母性(神)に出会うためでもあります。
自分の内在神に気付く深さが増すほどに、上記の欲求はだんだんと消えていきます。そして、いつも安心した心と成るのです。
まるで大きな母性に、いつも包まれた心境でいられます。


他への母性を発揮する事 2010-09-14 11:14:46

この世で発揮するエナジーの強さは、内在神>>~>自我です。圧倒的に内在神が生命力・幸運・物事を産み出す力に満ちています。
だから自分の内在神に沿った生き方をする事が、本当の幸福に繋がります。


相手の奥にも 2009-03-23 11:21:05

私は人と話をしたり、街で人物を眺める場合、相手の内在神を観ています。仕事で嫌味の強い人物と会っても、その人の内在神と会っているつもりで話をします。
嫌な事を平気で他人に言える人にも、生んだ親が居られ、さらに内在神を抱えて居られる。その様に思うと冷静に相手と話が出来ます。他人を傷付ける事が平気で出来る目の前の人は、その人の迷いの姿であり、その人にも内在神は
立派に居られます。


肉体は借(仮)り物 2008-05-05 13:39:51

自己の魂は、ある意味この世に旅しに来て現れた荒御魂とも言えます。内在神は、和魂として根源存在と連動します。
また、別の次元の表現をすれば、
荒御魂は、人の肉体・霊体との相関。
和魂は、人の心・内在神との相関。   とも言えます。


初めより、途中が大事 2008-04-28 19:38:26

質問 :
リーマンさんは、「日本人の内在神は天照太御神で、国常立太神を内在神に持つと苦労が多い。」といわれてたことがありましたが、それは選択することが可能なのですか? それとも有無なしで決まっているものですか?
返答 :
これは、2007-7-12日の「産土神から内在神へ」の記事が
参考に成ります。 母親が妊娠中に、旅する魂が母体に宿る
時、魂がその地域の精霊の神気と合体することにより母体に
宿る事が出来ます。 その地域の精霊を産土神(うぶすな
かみ)と呼びます。 この産土神は、本当に大きく巨視的に
考えると日本では、天照太御神系と国常立太神系の2大
系統のどちらかに所属しています。 根源神1つから神々が
分派派生するピラミッドの最初の分岐点のような感じです。

(中略)

誕生時の産土神は、内在神のスタートに過ぎません。
この世に誕生する為にお借りした神気が、高位な精霊だった
としても意味は全くありません。生まれ出た時点から、個人
の内在神の成長の道が始まっています。
産土神が高位の神霊だとしても、一生の免罪符には全く成ら
ないのです。 むしろ、内在神を下位の存在に落として行く
人生を歩む人が、残念ながら多いです。

産土神が国常立系だったとしても、現実界で信仰するべき
神霊は、天照太御神が良いです。
正しく信仰すれば、内在神は天照系に置き換わって行き
ます。 ただ、生きる上で大きな精神的ショックなどがあれば
国常立系に戻る事は有ります。

委託されている


自分の魂・心が、自動車(肉体)の運転者であることを思い知りましょう。
自分の自動車を、よく観察して静観していることで、事前に色々なサインに気付くことが可能に成ります。
ガソリンの残量、エンジンの温度、ハンドル感覚・・・・色々と静観しておくべきことが有ります。
ただ大切なことは、借りている自動車を自分自身だと思って執着しては生けません。大切に御借りしているだけです。いつか御返しするモノであることを知って置きます。

自動車の車体は・・・・・自分が借りている肉体です。
運転手の正体は・・・・・自分の魂であり、心です。
後部座席に乗車している御方は・・・・・内在神です。
自分も内在神も、安全に楽しく「御運びする」気持ちが重要です。
今の旅行は、どんな人間も内在神との「同行二人」(どうこうににん。普通の読みにします)です。

コノ世で自分が一人でありましても、常に内在神は後ろから自分が運転する姿を見てくれています。
頑張って、今日も自分の肉体を運転して楽しみましょう。
本当に貴重で稀有な旅をしている最中なのです。


既に預かってますよ 2008-07-16 19:03:03

内在神の運命を根源存在から人間に委託されているのです。
これは凄い事でもあり、とても怖い事でもあります。
この現実界では、生きる、この喜怒哀楽を繰り返す私達人間が主役なのです。神々の運命をも左右するのです。
現実界を離れると、この自由な大特権を無くします。
生前に内在神を、どのように扱ったのかに応じて、厳正に応じた世界へ引き寄せられます。



  • 最終更新:2023-08-10 21:22:41

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