カンナガラ

カンナガラについて
キーワード 神人合一 自動モード 自動運転
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「素直」「何も考えていない」「心が空」に成れる人には、神様は味方をするということです。

格闘技の先輩で、青年よりも力の強い人は無数に居ます。
でも大舞台では、普段の実力の60%ぐらいを出し合って戦う感じです。
でも青年のように、本来の実力の全部か、それ以上を本番で出す人が中には居るということです。

「素直」「何も考えていない」「心が空」とは、古神道ではこれを「随神」(カンナガラ:神の意志のままに存在するさま)の状態と言います。
その時々に適した神様が、その人の中に降りて来て力を発揮する状態を指します。


神様に溶けること 2017-10-09 11:34:31

言えますことは、掃除がされた神社への参拝では、自分の心を素直に溶け込ませる姿勢が、一時的な神人合一を起こします。
後から良い知恵・アイデアが浮かびやすいです。


悟りと願望達成について 2016-09-12 11:16:50

もし人間が、過去や未来に意識を飛ばさずに、今の現状の中に100%生きることが出来たとしたら、その時に起こる現象が「悟り」です。
これはカンナガラ(神人合一。内在神との完全同化現象)でもあります。



古代の神社は、その背景に御神体の山を持ちました。要するに大自然を拝みなさい、大自然に感謝をしなさいということです。
そして大自然に感謝を継続する行為、これを神事として繰り返して行きますと、その日々の行為の先に自分自身も大自然の一部だという感応を持ち始めます。ここで、
* 究極の方向は自分の心の中に神様を見ること
という方向性を知っていますと、より早く最善のピントを合わせる方向に自分が進むことが出来ます。

コノ世的な、ムダで損な行為(集団行為・金銭・時間の浪費・家庭の犠牲・・・・・)をしなくても済み、究極の神仏と自分の一体化(カンナガラ)に至ることが可能です。
カンナガラになれば、その人の生活も人生も一変します。すべての流れが自然と変わります。

(中略)

自分の仕事を通して、自他の中の神様を尊重し、神様を自分の生活と行為と志向と、自分の顔の表情に「出現」させるのです。
その人は、他人からは輝いた人に見えます。

神様をコノ世に出現させることが可能なのは、人間の生活行為です。私たちの普段の生活を通して、神様は人間を通して姿を「見せる」「現れる」ということを知って置いてください。
宇宙人のように、外から神様がやって来ると思っていては生けません。それは本当の神様では無いのです。宇宙人も所詮は、何かから「生まれた」存在に過ぎません。
自分の中から神様を、自分の生活行為の中で「御出し」して行きましょう。
それがカンナガラ(神様と共に・神人合一)ということです。



要するに、今日の話で私が言いたかったことは、自分の中には陰と陽の両面が有るということです。
このバランスを「自分で意識して」取るように普段からしないと、崩した時に回復が大変なのです。
そして自分の視点を、常に公平・中立という物事の円の中心に「置く」気持ちが大切です。
これも自分の生活努力の内なのです。

自分の中に潜む男女二名(イザナギ神とイザナミ神)を仲良くさせることが出来ますと、
神話でイザナギ神とイザナミ神を和解させた白山ククリ媛神(=子供時代の天照太御神)に、
自分自身が成るのです。
これがカンナガラ(神人合一)の奥義です。



私の体験でも内在する母性(神)との融合とは、最高の快楽です。これを1度でも体験しますと、肉体による性的な絶頂とは、耳かきぐらいの気持ちよさであったことを思い知ります。
ただ、頻繁にこのような体験を日常生活で繰り返すことは、自分の社会生活に影響しますので「来そうだ」という感覚が事前に分かりますのでセーブをしています。意識を他に向けることで止めることも可能です。

このような自分に内在する母性に目覚めるには、
* 日々の生活の中で感謝すること。
* 他人へ慈悲・愛情・思いやりを持つこと。
* 自分に内在する神様と先祖(遺伝子DNA)に感謝をする行為をして行くこと。

この継続が、ある日に自分に内在する大いなる母性(神)の目覚めを起こします。
まさに天照太御神との神人合一(カンナガラ)が「起」こります。
コノ世のすべての刺激も快楽も肉体には無く、それを感じることが出来る自分の心にこそ在ることを忘れないでください。


神様には主語が無い 2014-06-15 09:45:16

“自我は他人を区別するが、真我(内在神)は他人を区別「することが出来ない」”
これは真理です。見性(けんしょう)、覚醒、悟る、カンナガラ(内在神との一体感)を体験しますと、理屈抜きに分かることです。



ただダラダラと歩くのではなく、若返るための有効手段として真剣に「明るい」気持ちで歩くことが大切です。これを通勤でも、意識します。
そして、バランス良い食事をして、生かされていることへの感謝想起をします。
このようなことでも意識して継続しますと、人間は悟ることが「突然に」「起こり」ます。
そのように人間はプログラミングされています。

問題は、このようなことを最初は意識して実行しないと、悟りは「起こりません」。
意識して継続しますと、それが無意識となり、忘れても実行している時にカンナガラ(内在神の自動運転)モードに入り、その内に悟り、見性、意識の無限性、すべては1つなる存在、というものが腑に落ちるように飛び込んで「来ます」。
近代インドの聖者ラーマクリシュナも、外を歩いている最中に、飛んでいる鳥を見た瞬間に大悟しています。一休さんも似たような瞬間に悟りに落ちています。


リアル・カンナガラ 2014-03-07 10:02:13

放浪の天才画家と評された山下清(やました・きよし。1922~1971年)さんのことを、思い出していました。

(中略)

何の計画も持たない障害のある青年が、全国を放浪して生きることが出来て、その上に絵も描けたことに日本の素晴らしさと、日本の「良心」を感じるのです。
誰かが御飯を食べさせて、見ず知らずの人が電車賃を上げ、雨の中でも貴重な絵だけは自分で守ったのでしょう。

ただ、冬の北海道などは本能で「寒いのはイヤだ」と避けたのだと感じます。ナントナク死んでしまうと感じたと思います。
絵の風景は温暖な地域のものと、暖かい季節の風物が多いです。
  
まさにカンナガラ(内在神の発露)が、彼を死なせずにナントカ放浪させたと感じます。
彼は、他人の評価を気にしたり、上手に絵を描きたいとも思わなかったでしょう。そんなことまで気が回らないのです。
ただ、自分の脳に在るモノを「出したかった」だけだと感じます。
もし出さなければ、安心出来なかったのでしょう。落ち着かなかったのでしょう。
ただそうしていれば、周囲が驚いて称賛を始めたのです。

多くの人間が、自分の思うように成らないと悩んでいます。
しかし、山下清さんにも、学ぶべきヒントが在ると思います。
人間は、自分の良心に従って生きていれば、ナントカ生きられるものなのです。
今日も自分の良心が満足するように生きて見ましょう。



神人合一とは、他所から神様が「来る」のでは無くて、自分の心の良心に既に居る神様を
「思い出すこと」「それに気付くこと」なのです。
理屈では無くて、直感、感覚で、「分かっている状態」「なんとも言えない安心感」が神人合一をしている状態です。そしてまた、普段の状態に戻ることを繰り返します。
自然の食べ物やモノに触れることで、「思い出しやすく成る」ということです。
登山にハマる人も、知らずにこの感覚を追い求めていると言えます。

だから、どんな人間でも「生きている間だけ」は神人合一は可能です。
逆に死にますと、内在神と離れてそれぞれの魂の次元に心が戻りますから、神人合一は不可能に成ります。
ただ、コノ世で神人合一を継続していれば、死後も神人合一のままで相応(ふさわ)しい次元に行きます。多くの人間が、知らずに神人合一を目指して何回も生まれて来ています。

そして、神人合一は、コノ世のどんな苦しい生活の中でも、病院の中でも、良い生活の中でも、「思い出す」ことが誰にでも可能です。


お餅は、神合わせの神事 2014-01-02 02:17:03

お正月にお餅を食べるというのは、年神様と一体になるための神人合一(しんじんごういつ)の神事の意味を感じます。
お餅は御米の精霊のカタマリです。これを良く噛んで食べることが重要なのです。
お餅を噛んで、上の歯と下の歯を「噛み合わせる」ことで、「神合わせ」(カミアわせ)となる神事です。
本来は、お正月に食べるお餅は、正座するような真剣さで食べる食物とも言えそうです。


悩みの本質 2012-12-22 11:12:30

人生という有限な期間の中で、心をシンカ・進化・深化・神化させるという目的を持つ魂ほど、自分自身に対して悩み(課題)を自分で与えようとすると感じます。
悩むということは、悪い点や欠点、問題に気付いているからこそ悩むわけです。その人間なりの課題をナントカしたいと思うのです。
その課題に対して悩んでいる内は、少しずつでもその問題に対して対処をしていることに成ります。
人間の悩みが発生する原因に、人生時間が有限であることを本能で知っていることが因子に在ると感じます。
もし、時間の概念が消えた世界であれば、悩みも消えて、成長も止まると感じます。

ここで逆説的に、
「自分の心を進化させる目的が根底にあるから悩むのであれば、先に自分の心を進化させる意識を持てば、自動的に現実の悩みも減るのではないか?」
ということを感じます。
心が進化すれば、自動的(カンナガラ)に問題が起きないような生活行動に成って行くと思います。
では、自分の心を進化させるにはどうすれば良いのでしょうか?

それは、この難しい何の保障もない世界の中でも、
慈悲(情け心)、愛情力、感謝の心、・・・・このような気持ちを自分が日常生活の中で持つことを意識することが大切だと思います。
そして、先祖(遺伝子)への感謝心を持つことが、特に大切であり作用すると感じます。


人生の勝利者とは 2012-04-26 10:40:26

人間には、愛情力が最重要です。この力を持つために、魂は受肉すると言っても過言では無いです。
愛情力=慈悲(じひ:神仏からの愛情)でもあります。
だから愛情の深い人は、自然とすべてが神仏の転写を受け出します。つまり、自分の愛情力を深めることにより、神人合一へも至るのです。



人間はこの世に、自分の良心(内在神)と向き合い、自分の良心と1つに成れるか?を試しに来ているのです。これが神人合一です。
魂が死後に、良心=内在神と分離するのか?、神人合一して魂が内在神と同じ神格を「帯びる」のか?を、期間限定(この世の人生)で全員が挑戦しているのです。



頭で考えずに、静観しながら、それに関する情報を頭にはインプットして行きます。1度入れた情報は、忘れていても問題はないです。
そうしますと、深層意識、良心(内在神)の領域において、すべての要素がガラガラ・ポンされて、自然と自分にとっての最善へと進みます。
これは、古神道における理想の状態、カンナガラ(神様と共に生きる状態)にも通じる極意です。
ただ、大切な注意点が在ります。
ガラガラ・ポンを邪魔する磁気信号(憑依)が自分に在りますと、自然な正しい行動が出ない、進む方向を間違うことも有るのです。
だからヨリシロ(悪磁気を放電します)による感謝の先祖供養は、生きる人間には必須であり、自分の最善へと行動するには大切です。
見えない霊の影響への対策は、縁ある先祖霊にお任せで大丈夫です。その上には、内在神である天照太御神(太陽の良心)が、すべての人類に内在していますから先祖霊を援護します。霊に対しては、霊が対応します。


どこでもカンナガラ 2010-07-29 11:27:41

自分の心に神様が居ることさえ深く自覚できれば、今の自分の環境にある現実的な問題(金銭・他人との関係・・・)を、楽しめるように成れます。
問題が無くならなくても、受け入れて大きな目で見られるのです。そのうちに、本当に問題が解決するものです。
これが、カンナガラ(神様と共に生きる道)と呼ばれる、古神道が目指す道です。

呪文も祝詞も不要なのです。自分の生活を神と共に生きている「自覚」を持つことが、神道の目指すものです。
神道=生活のことです。
神道で言う生活とは、昔は大自然の中での生活でした。現代では大自然が、雑多な社会の中での生活に置き換わっているだけです。
だから都会の中にも、神道は在るのです。自分の心に神様を自覚しながら生活をすれば良いのです。すると、必ず現実的な改善が起こります。


気付けば幸せです 2009-10-23 09:44:55

神道では、神事の後に直会(なおらい)が行なわれます。
直会とは、神事の最後に参加した全員で、神様に供えられた御酒と食べ物を食する行事です。
一般には、神事が終わった後の打ち上げの食事会と誤解されている面がありますが、本当は神事が継続しており、最後の神人合体を成す重要な「締めの神事」なのです。
だから神事だけに参加をして直会を遠慮すれば、その人の神事参加は不成立とも言えます。
神前に供えられて神様の神気が降りた食べ物を、口から体内に入れる事により、神人合一を成すとします。


大きな視点の供養 2009-06-23 13:20:21

先祖供養の行き先は、家系を通じて全人類への供養に行き着
く壮大なものです。最終的に1組の男女に行き着き、その先は
神々と繋がるのです。 先祖供養を極めれば、神人合一の
カンナガラへと自然と成ります。
神様と既に一体である事を認識できる、最も安全な近道です。


二礼二拍手一礼 2008-12-16 18:17:21

結局、紆余曲折を経て現在の「二礼二拍手一礼」が標準とさ
れたのには神意が有ったと感じます。
これを、霊的に私の独自な解釈をしますと、
二礼=神道ではイザナギ・イザナミの二神をツガイの夫婦神と
して神々の始まりとします。 この始祖の神々それぞれに対
して頭を下げる意味があります。
二拍手=二神への賞賛として手を叩きます。
一礼=二神を一つに結び、自己の内在神として頂いた御礼
を意味します。 神人合一の型です。
参拝で一番大事なのは、神様に笑顔を奉納する事です。


同じ釜の飯 2008-06-07 18:42:25

昔は、日本人の主食は、御米でした。
御米は、天照太御神の神気を固めた食物です。
食事場所の気は、そこの地面の気。
すなわち、国常立太神の気です。
この2つに、自己の霊体の気が合一する行為が、食事です。
大袈裟に言えば、食事の度に小さい神人合一をしているとも
言えます。
食事場所を変えると、同じものでも美味しさが変わります。
自然の中で食べる御握りと、室内で食べる御握りは別物
です。
同じ釜の飯を食う仲間とは、同じ時間・同じ場所で神人合一
をする仲間でした。 体の中に、同じタイミングで異物を入れ
る行為を共有する事は、神聖な事かも知れませんね。


正しい神懸り 2007-10-08 10:02:41

正しい神懸りは、本人も気が付か無いものです。
神と一体に成っているので、その行動、思うことが神意なのです。 これが、カンナガラ状態です。常に神と共にの状態。
”やり取り”や会話をする状態は、危険です。
本人の現状への不満、逃避の思いが、人格の乖離を起こしていることが多いです。 現状への不満を努力で無くせば、”やり取り”は、無くなるでしょう。 これを進めるには、先祖霊への感謝・線香・短冊供養と、神仏への感謝想起が守護霊と身体強化に繋がり、有効です。


国のカンナガラ 2007-08-16 09:58:08

天照太御神は、祭る代表者に天皇家を選ばれました。
天皇家の血筋を問題にする古神道家がいますが、これは間違いです。神は血筋を選択したのでは無く、天皇家と言う存在を数千年も維持させることに、神意があるのです。
天皇が自ら宮中において、日々、天照太御神を祭り、国民が伊勢参拝を続ける限りは、紆余曲折を経ても最後には、何故か守られている国と人民が、そこに居ることでしょう。
神道は、古来より、”和を持って尊し”の心が本質です。
これを、政治に当てはめると、全員の意見を聞いていては、何事も決まり難く、進みが遅いです。でも、これで良いのです
政治家は、独裁者さえ出なければ、それで良いのです。



社会の中で、感謝をキーにした自己想起をしながら、真面目に生きて行きますと、神霊との観応が知らないうちに自然と起こっております。気を付かせない観応こそ、真の神懸りのカンナガラ状態です。
残念なことに、霊能者ほどカンナガラとは、ほど遠い人が多いです。


七夕のお祝い 2007-07-07 19:30:25

現在の文明の遥か昔、太古の世界に意識を遣ると感じられるのは、神霊と生き物、人間の意識の交流が全員に有る世界です。その当時の人間の神霊に対する思いは、自分達は何か分からないけれど 自分達の命の元 であり全ての生き物を 生かしめている存在 を、理屈では無く直感により当然の事実と受け入れていました。
当時も自然災害や争いは、有りましたし、天候による食物の不作もありました。しかし、神霊と人間、一人、独りが1対1の関係で神と交信し、常に神との一体感を感じることが出来ていたので、不幸な事も、良いことも常に全力で味わい、喜怒哀楽を神と共に体験して生きたようです。これが カンナガラ 状態です。
私達も、胸の奥に居る内在神を意識した生き方、をして行くと、胸が熱くなり、自己の中に既に神が居た事を知るでしょう。人生には、楽しい事も、悲しい辛い事も、沢山有りますが、カンナガラ(神と共に居ること)に目覚めると、不幸から逃げる思いや、神に助けを祈願する気持ちになりません。もう、神と一体の上での不幸ですから、ただ全力で明るく味わおうとする心が沸いて来ます。そうなると、訳の分からない奇跡が勝手に来ます。そして、神を称え感謝する気持ちが出て来ます。
これが、祝詞です。 神を、お祝いする言葉です。



神 の 寄り代 として、生きる人間が まず、日本の人口の5%に達した時、世界を改善する 歯車 が回転し始めるでしょう。
私達は、今 どんな苦しい境遇や身体 であっても、既に ”生かされている”上での事だと、アタリマエ に成ってしまっている事への”感謝想起”を始めると沢山の事が、現実界で変化する事に成ります。 神と共にある 状態に成ります。 これが、 ”カンナガラ” です。 この状態を早期に実現する言霊が

   ”生かして頂いてありがとうございます”

関連コメント

私はリーマンさんのブログを初めて読んだ時に言葉では説明出来ないのですが、感覚的に即分かってすぐ行動に移せました。以前リーマンさんが読者様のお答えの中で「本能」と表現されてましたが、真我とも言えますでしょうか?
もしそうなら、この感覚がカンナガラとも言われる状態でしょうか?
また、こちらのブログを読む習慣や先祖供養や神祭りなどが続いているのもある意味カンナガラと言えますでしょうか?

。。。。先祖と内在神の誘導。正しいものが分かる。

継続すれば、それはカンナガラ。
2022-05-25 20:49:08


>「素直」「何も考えていない」「心が空」に成れる人には、神様は味方をするということです。

上文の意味は、何事をするにも、その結果に囚われずに真面目に真剣に行う(その行為に徹する)ときは、カンナガラの状態になりやすい。つまり、内在神からの啓示を受けやすい、という意味でしょうか?

。。。。。OK
2022-01-07 16:39:40


正直に言いますと、リーマンさんに出会う以前より、神仏に感謝する習慣がありました。今は勿論伊勢白山道の神祭り先祖供養の習慣です。ですので昔より見えないご先祖様神様を敬う気持ち、見えないものに生かされている思い、見えない世界がある思い、でした。でも悟る、や解脱、という事を考えたことがほとんどありません。これはめざすものではないかと思います。こういう思いの人はどうですか?

。。。。あなたが正しいです。

目指すべきことでは無い。
これが正解。

カンナガラ(神様と一体)になると、悟りを超えます。
カンナガラは、神祭りの生活から自然と起こる。
2019-01-20 13:19:07


天皇陛下は天皇霊の依り代かと思いますが、

我々、一般人も地域の精霊の依り代と言えるかと思います。
............これが大事。カンナガラです。

遜色は無いです。
カンナガラな人が、増えないと日本はダメ。
明治まではゴロゴロ居ました。
2019-01-05 01:03:25


鏡開きの本当の意味がありましたら教えて下さい。

.........平たい御餅は、御神体の鏡の意味があり、
神様のカガミを食べて、神人合一を年始に誓う儀式。
2018-01-14 00:04:19


昨年の九月に初めて伊勢神宮に参拝させていただきましたが、内宮を参拝した時は台風が接近していたこともあり、心が折れる大雨でした…。
参拝前10日くらいは肉も絶ち禁酒して参拝したのですが、何か不敬があったのでしょうか?

。。。。霊的な問題では無いです。
気楽に行き、御馳走を楽しましょう。
参拝後の御馳走は、なおらい。神人合一で大事。

伊勢白山道問答集 第3巻 神さまとの正しい向き合い方
2017-05-19 00:30:22


悟れば神様の実在を知り、悟るとは神様に帰ること。回答、ありがとうございました。

私も少しは悟った経験があるし、神様を知識としてなら誰でも知ってます。神様や神道について勉強してる人もいます。
悟りは何回もあると思いますが、どのラインを超えると神様の「実在」を知ったことになりますか?
実在とは体験、心中に神様を感じることでよいですか?それとももっと、時間が止まる経験でしょうか?遠くのものがわかる能力など特殊能力に目覚めることでしょうか?色んな悟りがあるなかで、どの段階が一線なのか、知りたいです。

...........最終は、すべてが神だった。を思い知ること。
内も外も無かった。
そして、生きる内はカンナガラ。
2016-08-05 12:42:39


内在神の発露=悟りを超える、とは悟りとは違う、と今日の記事【「天の岩戸開き」 2016-01-22 10:57:12】で明記された、という言でしょうか?

...........内在神の発露=カンナガラ。
個人の悟りを超えて、全体への干渉に進化します。
個人の悟りだけでは、つまらない。
2016-01-23 14:38:26


人は人、神は神。ですよね。
人が神になることはあるのですか?神が人になることはあるのですか?

。。。神は、すでに人の右胸に宿っています。
生きる人類の全員に。

自分の内在神と、全身で合一することが、
神人合一。
カンナガラ。

多くの人は、右胸の奥に隠れたままです。
これが天の岩戸。
2015-08-20 16:05:08


日々リーマンさんのblogを読み、自らを反省し気付きや勇気をもらい、励まされながら生活させていただいています。
そのなかでも特に内省が深く出来たとき?に自分の内側と自分の外側の境界線が無くなるような不思議な感覚になり我という部分が薄れ、頭の中が空っぽになり身体が自由に動きその日にやらなければならないことが驚くほど何の抵抗もなく淡々とスムーズに出来ることがあります。
これがリーマンさんのおっしゃる随神という状態なのでしょうか?
そして随神とは1種のトランス状態と考えても良いのでしょうか?

。。。カンナガラ=無思考であり、自動運転です。
なぜか最善を勝手に進みます。
その正体は、自分の努力磁気です。内在神が後押しします。
2015-04-19 19:21:42


普段の生活を大事にして、小さな事でも嬉しいと思って生活していると、不思議と「良い」とされる行動を自然ととれるようになっていく気がするのですが、いかがでしょうか?

。。。そうなります
2015-02-13 22:46:47


内在神の天照太御神は10次元ですが、カンナガラ状態と融合の違いは、段階の違いで、融合が10次元-10段階、カンナガラが10次元-02段階のような理解でしょうか。

。。。カンナガラは、4段目を超えてから始まり、5段目から本格的に。
8段目を超えると、呼吸の減少、脈拍の減少、が始まり、日常生活は難しくなります。
9段目からコノ世を去り始めます。死にます。

こんなことより、あなたは、
生活努力と、先祖への感謝を普段の中ですることが大事。これ次第です。先祖への感謝磁気を貯めることが、守護に繋がります。
2014-11-15 14:09:02


リーマンさんは、自分が死んだ時、誰かに泣いてもらいたいですか。

。。。いいえ。それでは私は心配に成りますよ。
普通で良いです。そのほうが、キレイに旅立ちます。
これはペットも同じです。
飼い主が悲しむと、迷います。
動物は天性のカンナガラで、本来は迷わないのですが。
2014-08-09 20:43:36


ウズはウズでも、岩戸にお隠れになったアマテラスを誘い出すために踊ったアメノウズメの「ウズ」が気になりました。「ウズメ」が何を意味しているか、諸説あるもののハッキリとしたことはわからないようです。この神名のウズメにはどんな意味があるのでしょうか

。。。ウズメの踊りが回転舞踏だということ。
ウズにように高速回転の舞踏です。

これはグルジェフが示唆した、スーフィー舞踏に通じます。ウズのように回転して、神人合一します。
2012-07-22 12:53:29


宇宙の心、天地の心と一体となるとは、どの様な状態、生き方でしょうか?

。。。カンナガラのことです。

「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を出来れば何度も再読してください。
2012-02-10 13:54:03


その職を通じて、何らかの形で自然と カンナガラ でヒーラーとなってゆくのではないでしょうか?

。。。まったく、その通りですね。
話は違いますが、古い大きな神社には、住み込みの雑役老人が居ることが、あります。
主に、神社内の掃除を黙々とされてます。
食・住と、ほんのコズカイ銭で働いている身寄りの無い老人です。
神霊が呼び寄せるんですね。大宮司よりカンナガラです。
2007-08-12 15:12:31


カンナガラの意味が今一つ分からないのですが、その御老人のような方が『カンナガラ』なんですね

。。。カンナガラとは、自分は既に神と共に生きていると自覚できることです。
あなたも、神を内在して既に生きているのです。
ただ、自覚出来ると、神に対して恥ずかしい生き方は出来ません。自分に正直になります。
2007-08-13 19:31:12



  • 最終更新:2022-05-28 16:45:29

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