邪馬台国

■邪馬台国について
関連項目 卑弥呼

関連記事

お知らせ 2011-12-12 10:50:00

考えて見ますと、関西~京都は今の日本の歴史の発祥の地域であり、女王ヒミコの邪馬台国も、今の奈良県に在る三輪山の側の桜井市に存在していました。
今の日本の重要な時節に、関西~京都に眠る日本の意識が起動することを思います。



ばななさんの魂は、とても古くから転生を繰り返しています。
一番に印象に浮かぶのは、奈良の三輪山のふもとにいた祭主である卑弥呼(日見子)にお仕えした、一番格の神がかる巫女でした。
おそらく奈良での歴代の卑弥呼の中で、3番目ぐらいの卑弥呼に仕えた巫女です。(それ以前の卑弥呼は、過去記事にあるように邪馬台国は白山の近辺に在りました。そこでも役職としての卑弥呼が存在しました)
伊勢神宮を起こした倭姫(やまとひめ)は、三輪山を去った最後の卑弥呼でした。伊勢神宮で祭主としての巫女(ミコ)が、外国からの蔑称では「卑」ミコと記述されています。
優秀な倭姫は、三輪山=地球大蛇の親玉からの脱皮を行い、伊勢の太陽神へと皇室の信仰を元に戻したのです。


伊勢日記 8 2009-04-18 09:46:50

古代の伊勢の人口の大半は、外宮の前の地域にしか居なくて、内宮の辺りは森だったのです。
外宮のある山田地区には、縄文遺跡や竪穴式住居遺跡が出るはずです。山田と言う地名は、
「やまだ」←「やーまだ」←「やーまたい」←「やまたいの国」の「1つ」だったのです。
(邪馬台国の呼称の原型である。 魏志倭人伝の指す時代の邪馬台国は、奈良三輪山近辺を首都として、伊勢から熊野地方全域が邪馬台国であった)


神話ヤマタノオロチ 2007-11-23 10:28:05

ヤマタノオロチとは、大蛇では無く、ヤマタイコクのオロチと言う意味です。
この当時のヤマタイコクは、白山の近辺に在りました。
今の福井県から石川県辺りが、中心になります。
山々に囲まれた大国=ヤマタイコク です。
白山王朝が外国の異民族に急襲された後、異民族が北陸を拠点にして、日本人の中に混ざっていったようです。
そして中国大陸からの人と文化の流れがあったようです。
オロチとは、中国大陸から来た民族の呼称です。
霊聴では、オルシェ族とも感じ取れます。
このヤマタイコクは、後に現在の奈良県あたりに存在した邪馬台国へと変わります。


関連コメント

奈良の桜井が邪馬台国だとすれば、明日香村は何だったんですか?

。。。邪馬台国は、奈良から三重県・和歌山までの広大な大国ですよ。
2012-01-07 15:29:01


日本の歴史アカデミズムでは、邪馬台国は九州の台地に存在していたことが、ほぼ定説化していたと聞いたことがあります。NHK放送などでも、そのような番組を見たことがあります。
また、ある高名な日韓の歴史研究者の説では、邪馬台国は朝鮮半島に存在したそうです。
シナの文献「魏志倭人伝」に邪馬台国や卑弥呼の記述がありますが、あれに記載されている人々の風習などは、昔の朝鮮半島にそういう人達がいたそうです。
しかし本日の記事の通り、邪馬台国は現在の奈良県桜井市の辺りに在った小国であり、その他の地域の説は間違いである、と考えてよいでしょうか?
九州その他・朝鮮などの邪馬台国説は、完全な間違いか、または関係する類似の小国が、彼の地にも存在していたのでしょうか?

。。。九州は原住民の集落にすぎません。
規模も小さく、霊的痕跡が若いです。

三輪山周辺の思念の蓄積は、九州など比較にならないほど滞積してます。

奈良県桜井が魏志倭人伝の邪馬台国です。

その前の邪馬台国は白山の麓です。
これは森羅万象で既出です。
2011-12-12 18:58:57


最近話題のまきむく遺跡(桜井市)は本当に女王卑弥呼の宮殿なのか、知りたいです。

。。。ココは、卑弥呼の住居の1つに過ぎません。
三輪山を中心として、近辺に数カ所在りました。
2011-01-24 15:51:09


リーマンさんの邪馬台国についての過去記事を再読しましたが、やっぱり納得いきませんね。
なぜならば・・・?古代吉備国についての記事がないからです。古代史を研究している者として言えることは、
古代を語る上で吉備国が出てこないのは、あきらかに偏った見解と思いますが・・。いかがでしょうか。

。。。やはり奈良から見ると、新しいです。
奈良の三輪山のあたりを霊視しても、5千年は軽く遡れます。
大和と出雲の中継点の域をでない感じです。
霊的には清浄な地域です。
2010-11-06 21:31:43


20140722

  • 最終更新:2014-07-23 21:01:47

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード