良寛

良寛について
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誰もが自身の年齢と、必ず来る平均寿命までの短さを感じ始め、正しいことへと誘導が始まりやすい時節に来ています。
ここで思い出す言葉は、江戸時代後期の禅僧・良寛さんの言葉です。

・ 災難に遭う時節には、災難に遭うのがよいのです。
・ 死ぬ時節には、死ぬのがよいのです。
・ こういう思いで居ることこそが、災害を避けることが出来る妙法(未知の力)を起こします。

つまり、災害が起こるのも、自分が災害に遭うのも、「それを恐れる心」に原因が有ると良寛は指摘しています。
まだ来ない災害に対して「抵抗する気持ち」こそが、恐怖感であり、心の心配の苦しみなのです。
それならば、
・ それが来れば、その中でも楽しく住んでしまう覚悟を持っていれば大丈夫。
・ もし災害が来れば、その中での生活を楽しく「受け入れる覚悟」で居れば、災害は逆に来ない。
という示唆を感じます。



控えめな優しさで有名だった禅僧の良寛(りょうかん:1758年〜1831年)さんが書いた言葉に、
「交友莫争」
{友と交(まじ)はるに、争ふこと莫(な)かれ}
と言うものが有ります。

友人との交際には、自分の考えに固執して、相手と言い争わないことが大切な意味です。

(中略)

でも、正しいのはどちらだったか。
時間が過ぎれば分かることが多いです。
良寛さんは、「後で分かってくれれば良い」という御方でした。

ある日のことですが、良寛さんが隣村を托鉢で歩いた後に、ある家で失せ物が発生したということで騒ぎに成ります。
すると、普段は見掛けない人物が歩いていたとなり、良寛さんは追い掛けて来た村人に捕まります。
でも、怒り狂う村人に対して、良寛さんは一切の弁解をしませんでした。
そうする内に裸に剥かれた良寛さんは、土の中に生き埋めにされ始めます。

でも、あまりにも弁解もせずに無抵抗な様子を見た長老が、「これはおかしい、待て」と成ります。
その時に、良寛さんの村の人が、身元確認のために今回の話を聞かされて、驚いて駆け付けて来てくれました。
そうこうする内に遺失物も結局は見つかり、良寛さんが全く無実だったことが村の全員に分かりました。

以上の一切の弁解をしないことは極端な事例であり、やはり冷静に違うことを言うべきです。
しかし、この話の趣旨は、
「時間経過を待つことの大切さ」
「あなたは、待てる人なのか?」
ということです。
良寛さんは、異常に待てる御方だったのです。しかも命懸けのこともです。

この世の問題点は、時間経過が全てを教えてくれるのに、人は待てないために争いが起こることです。

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すべては、自分だった 2023-04-25 12:14:26

良寛さんが黙っていた理由は、怒り狂い着物を剥ぎ取る村人に出会ったことも、いつかの自分が作った縁だと思い、それを「申し訳が無い」と村人に対して逆に思っていたかも知れません。
あくまでも、これは霊的な境涯を垣間見た人には、言えることです。真理です。
この自覚が無い人は、真似をしてはダメです。思いっ切り抵抗すれば良いです。



今朝に浮かびましたことは、禅僧の良寛さんの詩の言葉です。

「花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ねる。
花が開く時、蝶来たれり。
蝶が来る時、花は開く。

このようなことも、人が見てようが知らないでいようが、
人もこのようなことが起こっていることも知らずに、
誰も知らないでも、天の法則に自然と従う」 (以上)

(中略)

・ 自分が一生懸命に生活しているだけでも、
・ 自分が歩いた跡は、周囲の人々にプラスだったか。
・ 自分が歩いた跡は、他の人々にマイナスだったか。

このように考えますと、自分はダメかも知れないと、厳しく感じる人は多いかも知れません。
ことわざで、「立つ鳥跡を濁さず」(たつとり あとをにごさず)と言いますが、退職にしても、離婚にしても、その場所を濁さずに去ることの難しさが分かります。

理想は、他の人からの見返りや利益をまったく考えずに、
ただ、自分が一生懸命に生きているだけなのに、
出会った人々に「嫌な思い」を残さなかった。

これが最上の生き方であり、天の法則に沿った人であり、悟りに近い生き方だと感じます。
意外なことが目覚めや、悟りに最も近いということを感じます。
スピリチュアルな行為などは、とても幼く見えてしまいます。



禅僧だった良寛さんが死にぎわに残した、この世へのお別れの言葉である辞世(じせい)が、どんな言葉だったのかについては諸説あります。

(中略)

3つ目は、
(3)「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」

良寛さんと最後の期間を過ごした尼僧への、感謝の気持ちから詠んだ句です。
・ 良寛は、尼僧には自分のすべてを見せて、一切の嘘の気持ちは無かったこと。
・ 自分のすべてを見せた尼僧と別れる辛さを詠んだ。
こう解釈します。

最近に知った良寛さんの辞世は、
(4)「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
だったという説が有りました。

良寛さんは禅僧なのに、最期は浄土真宗の念仏とは、かなり意外で斬新な説です。
阿弥陀如来への念仏とは、
・ 阿弥陀如来の名前を呼ばれれば、どんな人も必ず救うという誓い。
これを宣言したのが阿弥陀如来です。

良寛さんの辞世が、本当に「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」だったならば、良寛さんが最期に思っていたことは、
・ 自分自身が救われることでは無くて、
・ この世のすべての人を救いたい。
このように思いながら逝かれたと言えます。


いつの時代も同じです 2022-04-03 12:36:23

良寛さんは、友達だった子供たちが、当時に流行した天然痘で死んで逝くことを心から悲しんだと言われています。

江戸時代は、7〜10年ほどに一度、天然痘の大流行が起こり、多くの子供たちが亡くなっています。
良寛は、我が子のように悲しみ、子供の親の気持ちになって詠んだ歌が複数あります。

現代の言葉に、私なりに意訳しますと、

・ 他の子供たちが遊ぶ姿を見掛けると、そこで親の動きは止まります。
  ただ、とめどなく涙が流れ落ちる。

・ 春が来たので、木々の葉は芽を出し、花は咲きます。
  でも、まるで秋のモミジの葉のように枯れ落ちた子供たちは、帰らず。

・ 亡くなった子供たちのことが思い出され、悲しみでどうしようもない時は、
  家から外に出て、野原で野草を黙って摘みましょうぞ。
  (子供を亡くした親に向けて)

・ 知っている子供も知らない子供も、どんな子供も皆んな亡くなれば、
  光り輝く仏様が立つ、蓮(はす)の花の台座の1枚の花弁になるのだよ。
(以上)

(中略)

いつの時代の親たちも経験した、子供を亡くすという心の生き地獄。
でも、良寛さんが言うように、どんな子供も全員が、必ず天国に行けます。
そして、仏様の花となって、美しく咲きます。

そして親は、悲しんでばかりでは生けません。
もし亡くなった子供に再び会いたければ、自分も仏様が居る世界へと、行ける生き方をしなければ会えません。
子供のためにも、がんばって最後まで生きることが大切なのです。
先に亡くなった家族を供養するためにも、生きましょう。



禅僧である良寛さんは、自由でほのぼのとした生活をされたように後世からは見えますが、実は多くの我慢と忍耐をしながら、それを他人に見せなかった、そう思わせなかった人生とも言えます。

良寛さんは7人兄弟の長男として生まれ、それも家柄は越後地方の名家・橘屋であり、父は「名主」(みょうしゅ・なぬし)という役人の高い地位にある家柄でした。
名主とは、田園農地の経営を請け負うとともに、領主への税金としての年貢を集める税務署のような任務を任された家柄のことです。

多くの農家を従えた家柄なので、そこの長男坊となると、妬(ねた)みも含めた注目の視線でいつも監視されながら育ったわけです。
良寛さん自身も長男として跡を継ぐために名主の見習いを他家で勉強しますが、2年ほどで突然に辞めて、家を捨てて禅宗へと出家してしまいます。

農民たちから年貢を集めるなど、人の上に立つことが何よりもの苦痛に感じて、死にたいと思い続けたようです。
少年・良寛さんを、そのように導いたのは、農民たちや周囲の人々から注目される長男坊への「無言の視線」だったと感じます。



ある時に良寛さんは、酒ばかり飲んでいる知人を心配して、木の板に言葉を書いて諌めました。
(諌める:いさめる。過ちや悪い点を指摘し、改めるように忠告すること)

部屋に木の板を置いて、それが嫌でも目に入るようにして、酒を減らして欲しい意味でした。
その木の板に書いた言葉が、
「浮世(うきよ)は夢の如し
歓を為すは いくばくぞ」

この意味は、
・ この世は、浮いた泡のような夢の世界だ。泡は、消え去るのも早い。
・ だから、酒で喜びを得るのも、少しばかりの時間に過ぎない。

このように板に書いて、「この世が時間限定」であることを指摘した言葉を与えました。
でもその人は、「酒だけは止められない」といって、その板を玄関先に投げ捨ててしまいました。

ところが、玄関に借金取りが来て、その板を拾い上げて見ました。
すると、ひと目で良寛だと分かる筆跡で、良寛の印(しるし)である文字も入っていました。

その頃には、良寛の書を富豪たちが買い求めることを知っていた借金取りは、
「この板をくれれば、お前の借金はただにするから」
と言って、その板を持って帰ったということでした。
借金が無くなった知人は、更に飲酒をすることが出来たというエピソードの落ちでした。

その他にも良寛が、時間だけは直ぐに過ぎ去り、決して一点に留(とど)まらず、消え去るものであることを意識して書いた漢詩が見られます。

「過去は、すでに過ぎ去り
未来は、なほ未だ来らず
現在は、またとどまらず」

・ 過去は、自分には過ぎ去ったことだ。



禅僧だった良寛さんの座右の銘(ざゆうのめい:自分が生きていく上で大切にしている言葉のこと)は、

「一生成香」(いっしょうせいこう)

でした。意味は、
・ 一生(いっしょう)香(こう)を成(な)せ。
・ 生涯にわたり、良い香りを発しながら生きましょう。

自分から良い香りを出すならば、香水でも良いのでしょうか?
それが違うのです。
花粉症の鼻詰まりで、匂いが分からなくても、それも関係ないのです。

つまり、この世には、
・ 鼻から嗅ぐ匂いと、
・ その雰囲気から、離れていても「見える香り」が有るのです。

更に言えば、良寛さんが指した「香」(かおり)とは、
・ 善行から出る、香りと匂い。
・ 生活行為から出ている、まるで見えるかのような香り。
・ 見えない霊的な良い香り。
これを指していると感じます。


冷静に成れる言葉 2022-02-09 12:07:27

永平寺が大本山である曹洞宗の禅僧でもある良寛さんの言葉に、

「散る桜 残る桜も 散る桜」

というものが有ります。この意味は、
・ 散って行く桜を見ている、残る桜たちも、いつかは同様に散る桜であること。
・ 故人たちを見送った残る家族も、いつかは同じく亡くなって行く存在であること。

生きている間は、他人が悪いとか、腹が立つとか、様々なことで怒り、人は悩んでいます。
子供のことで悩む親も多いです。

でも、誰もが「散って行く桜」であることは既に確定しています。
結局は、この世に勝者という者は、誰もいないのです。

今は良さそうに見える他人でも、それが良いほど、それを手放して行く過程はなお更に辛いことでしょう。
今が本当に苦しい人は、それが辛ければ辛いほど、自然と散る時期が来れば、逆に安心するかも知れません。何の未練もありません。成仏します。

だから、この世は、本当に何が幸いへと化けるのかは未知なのです。

(中略)

・ 良いことは、謙虚に楽しみ、それを「今は自分が預かっているだけ」を忘れ無いこと。
・ 自分に起こるどんな悪いことも、自分の執着や霊的借金(因果)を消してくれる機会(チャンス)であること。

これが皆様の参考に成れば幸いです。
これは霊的な真実です。



ある年の正月に、幼児を連れた浮浪者の母子が、雪の中を歩いて良寛の住む家まで食事を求めてやって来たそうです。
良寛が貧乏で、その日の食事もままならないことを、母子も知っていたはずでした。
でも、最後に頼れるのは、町の中では良寛しかいないと母親は思ったのでした。

良寛は、「私を頼ってくれて、有り難う」と言い、大層に喜んだというのです。
良寛なら救ってくれると思ってもらえたことが、喜びだったということでした。

(中略)

ただ、他人から頼ってもらえたことを、喜べる今の自分なのか?
それとも、もし他人から頼られれば、また利用されると心配して怒る自分なのか?
でも、他人の善意を悪用する人も中には居ますから、拒否しても悪いことではありません。

大切なことは、ダマされる可能性もありますが、
・ 他人から頼られる人は、とにかく素晴らしいです。
そして、
・ それに対して、「自分を頼ってくれて有り難う」と素直に思える人は、稀な御方であり、菩薩かも知れません。

もし神様が、他人から頼られるような人に成ることを、善徳ポイントして陰から計上していれば面白いことでしょう。

・ 大半の人は、他人を頼らずに、プラスマイナスゼロです。これで良いと思います。

・ もし国の制度を詐欺で悪用する人がいれば、マイナスポイントを溜めながら、来生に行くことでしょう。すべて金利を付けて、来生の自分が生まれる環境で返すことに成ります。公金の不正受給は、無数の他人に頼り、悪用したことに成ります。

・ 他人から頼られれば、自分が出来る範囲で施しをした人の善徳ポイントは、厳しい環境下でも行った人ほど、溜まる善徳ポイントは高いです。
来生に生まれ出る環境で、その人自身に還元されます。

(中略)

今はそうでは無くても、いつか自分もそう成りたいと素直に思える人も、同様に素晴らしい人です。



禅僧である良寛(りょうかん)さんが良く言っていた言葉に、
・ それが自分には、ちょうど良い。
があります。

良寛さんの生活の根底に在ったのは、どんな善悪が自分に起こっても、災難に遭っても、
・ 自分には、ちょうど良い。
という思い方が、良寛さんの基本でした。
だから、慌てたり、悲観したり、過剰に喜ぶことも無く、いつもニコニコとされていました。

物事の因果関係をどこまでも追求しても、やはり今の自分に現実に起こった善悪は、
・ それが、自分の因果の相殺(差し引き)をしてくれる良い意味である。
・ 今の内に、昇華したほうがお得なことである。
・ 自分の修行のために、来てくれたことである。
・ 悪いことも、それを昇華することで善徳貯金に変わる可能性。
これが、釈尊の因果論から言えます。

良寛さんは、これが正しいと腑に落ちていたので、何が有っても、
・ それが、自分にはちょうど良い。
と心から思われていました。


12月11日、21日について 2021-12-09 12:27:27

禅僧である良寛さんは、
「ちょうど良い」
「そのすべてが、自分にはちょうど良い」
とよく仰っていたようです。

自分に起こることは、
・ 幾千の過去生に有った出来事からの結果が、今の自分に来ただけさ。
・ 避けても来るものは、それは、自分にはちょうど良いからだ。
・ その嫌なことも、因果の昇華となり、自分がキレイに成れるために役立つ。
このように良寛さんは、達観されていたようです。



禅僧だった良寛さんは、
・ 徳を積むことは厚くして 自分に受ける利益は薄くして。

という意味の言葉を好んで、漢詩で書いていたそうです。
そういう生き方をしていたために、良い着物を頂いても、直ぐに他人に与えてしまう御方でした。

(中略)

良寛さんは、優しい見掛けによらず、常に「死」を考えている御方でもありました。
そのために、死ぬような目に遭わされても、逆に「やっと来たか」というのが良寛さんの心境だったと思われます。

でも、死を身近に考え過ぎるために、偉い人から何か書いて欲しいと紙をわたされますと、紙一面に「死 死 死」と書いてみたり、死に関することを漢詩で書いたようです。
その死を書いた意味を問われますと、

・ 生きていく場合、死を忘れなければ、自分の過ちを少なくして過ごせることに成るから。
・ 人は、自分が必ず死ぬ存在であることを忘れなければ、悪事をしないから。
・ 死を忘れなければ、他人からの有り難い物事に気付きやすいから。
・ 人は、必ず死ぬことを忘れなければ、正しく生きられる。
という意味のことを、良寛さんは答えられました。



良寛さんは、若い頃から論語(ろんご:孔子と弟子たちとの問答集)を良く学び、その中の言葉を好んで頻繁に書いておられました。

ちなみに論語の入門書の参考に。
「声に出して、わかって、おぼえる! 小学生のための論語」
大人の入門書にも最適です。

良寛さんが書いた言葉に、
「行じ難きをよく行じ 忍び難きをよく忍ぶ」
というものがあります。
この言葉は、中国禅宗の開祖とされている達磨大師の言葉とも伝えられています。

これは座禅にしても、親から頂いた肉体を痛めつけるような、実際に危険な目に遭わせるような修行は本当の修行では無くて意味が無いとし、そうではなくて、
・ 質素な生活の中でも窮乏に負けない忍耐力を身に付けること。
これが、長期にわたる真の修行だと良寛さんは説明しています。


光り出す人 2021-11-04 11:58:45

禅僧である良寛さんの言葉に、

・ 欲無ければ一切足り 求むる有れば万事窮まる。
というものが有ります。

「欲が無ければ、一切が事足りる。
欲しがる心が有れば、すべてに満足ができずに行き詰まる。」
という意味です。

欲もなくて、欲しがる心も無ければ、成長もしないのではないか?
貧乏になるのではないか?
と思われるかも知れません。

でも、お金が貯まりやすく、金運も来やすい人は、
・ 欲が無くて、現状に満足と感謝をしながら、努力をする人です。

人間の人生の経過を観れば、
・ 欲が深く、
・ 欲しがる気持ちが強く、現状に感謝の気持ちも無い人は、
・ 失敗をしやすい。人が離れやすい。
これが言えます。

(中略)

これから大切なことは、
・ 余計な欲は無くて、
・ 現状への感謝の気持ちを持ちながら、
・ 自分に与えられた仕事を努力する人。
こういう人が、天使へと変化が始まる時代が来ていると感じます。



良寛さんの優しい人柄は、当時の大名や藩主にも伝わり、良寛さんが書いた書を持つことが、当時のステイタス(社会的な地位)にも成っていました。
でも、近所に住む子供たちのほうが、自分のオモチャに良寛さんが書いた字を普通に入れてもらって所有していました。笑。

そんなある日、長岡藩主が良寛さんの人柄を慕い、新潟巡視の折りにわざわざ寄り道をして、良寛さんが住む家に訪ねて来ることになりました。
多数の随行者が列を組んで来ることでしょう。

その報せを事前に聞いた村人たちは、「こりゃ一大事!」となり、良寛さんが遊びに出掛けて留守の家に来て、草がぼうぼうの庭の草引きをキレイにしました。
そこへ帰って来た良寛さんは、すっかり綺麗に掃除されて雑草が消えた庭を見て、

「このように全部の雑草をかってに抜かれては、昨夜まで鳴いていた友達の虫たちも、すっかり逃げてしまって、もう鳴いてはくれないだろう」
と泣きました。

そこへ、しばらくして藩主が来られましたが、良寛さんは下を向いたまま一言も物を言いませんでした。
藩主は、良寛さんを藩が用意した城下の立派な寺に住んで欲しいと、丁重にお誘いをしましたが、良寛さんは黙って筆を執り、
「たくほどは 風がもてくる 落葉かな」
と書いて答えました。

つまり、
「家の台所で燃やして炊事するくらいは、吹く風が運んでくれる落ち葉だけで十分私には間に合う。 だから私にとっては、この粗末な家で十分過ぎるほど既に満足しています。城下の立派な寺には、行きたくないです。」
という意味でした。

それを見た藩主は、敢えて強制することもせずに、厚く良寛さんをいたわって帰って行かれました。
でも、良寛さんは、虫たちが消えた庭を、いつまでも呆然と見詰めて悲しんでいました。

(中略)

良寛さんは、村人にとっては気にもしなかった虫たちを駆除されたために、悲しんで藩主と会話することも出来ませんでした。
一人暮らしの良寛さんには、虫たちは大切な友達だったわけです。

すべては、「人間万事塞翁が馬」(にんげんばんじさいおうがうま)。
・ いったい何が幸いするのかは、未知であること。



不安定な心に成りやすい時期に思い出す言葉は、古代中国の聖人・老子の道徳経(第10章)からヒントを得たと思われる良寛さんが残した言葉です。

「花無心招蝶 蝶無心尋花」
(はなはむしんにして ちょうをまねき ちょうは むしんにして はなをたずね)

・ 咲く花は、蝶を呼びたいとはべつに思っていません。
・ 蝶も、花を求めてはいません。
・ でも、お互いの無心は、お互いに本当に必要なことならば、出会うように成る。

「花開時蝶来 蝶来時花開」

・ 花が開く時に、蝶が自然と来る。
・ 蝶が来る時期になれば、花は自然と開く。
これは、お互いが出会う時期を指摘しています。

そうしますと、私達の転勤や、移動、引っ越す場所も、結婚も、入学も、最終的には
「無心(むしん)という縁」
で結論が出るという示唆です。



すべては、自分の自我(ワレよしの心)の思いとの、葛藤で誰もが苦しんでいます。
嫌な他人が原因では無いのです。

その証拠に、自分の自我が薄くなるほどに、すべてを心温く眺めることが出来ます。
嫌いな他人も消えて行きます。
すべてを「愛おしく」見ることが出来ます。

この上で、良寛さんは、何を言ったか?

・ 顔も 身体も 名前も 姓も お前にそれは丁度良い。

・ 息子の嫁も その孫も それはお前に丁度良い。

・ 幸も 不幸も 喜びも 悲しみさえも 丁度良い。

・ 歩いたお前の人生は、悪くもなければ 良くもない お前にとって 丁度良い。

・ 地獄へ行こうと 極楽へ行こうと 行ったところが丁度良い。

・ 死ぬ月日さえも丁度良い。      (以上)



一休さんも、良寛さんも、コノ世を去る最後の言葉は、
「まだ死にとうない」

良寛さんは、父親からダメな奴だと烙印を押され、そのオドオドした態度は大人になっても子供たちから虐められました。
貧乏の極限を生きた生涯でした。



良寛さんも強盗に遭えば、「強盗さんの家族が飢えて大変なんだ!」と勝手に思い込み、自分が持つ物をアレもコレもと順番に強盗に差し出し、最後は着ている着物まで脱いで差し出し、そして更に自分の汚れたフンドシを見つめて「これも脱ぐ?」と強盗に目で聞いた時に、強盗が「もういいわ!」と言い捨てて逃げて行くパターンも多々ありました。

心境の高い人は、アホウの極地とも言えそうです。
強盗に、殺人という「大罪を犯させない誘導」を自然とする訳です。



「花は、無心にして蝶を招き、
蝶は、無心にして花を訪れる」 (良寛)

これは、自然の姿の核心を言い当てています、良寛さんの詩の一節を解釈したものです。
まさに動植物の心境とは、これなのです。
絶えず、今という点を懸命に生きているだけなのです。
死に対しましても、死後を心配することがなく、今を生きながら死の川を渡って行きます。

その一方で、愛するペットの死を悲しむのが人間です。これは仕方がないことです。愛情を掛けた分、ペットが死んだ時の喪失感とは大きいものです。
でも、死んだペットの心境とは、この詩とまったく同じなのです。
「死ぬ時が来たから、無心に死んで行く」
というのが動物の心境です。心配をしないのです。



生まれ出るだけでも超難関で偉大な奇跡のプレゼントであることが、死のトンネルをくぐった魂には真から良く分かり、その生まれ出た奇跡の上では、どんな人生の悩みも「大した問題では無かった」ことが真から自分で分かります。
人間は裸で生まれ出て、そして「全てを置いて」裸でたった一人で死んで行きます。
コノ世の「捨て去る物事」のために、あれほど死ぬほど悩んでいた自分に後悔します。
今朝出した生ゴミのために、一日中も悩んでいたことと同じだったのです。
それよりも、今日の人生に感謝することがもっと大切なのです。

しかし、私たちが「死んでから」今生の貴重さを認識した時はもう遅いのです。
一休さん、良寛さんという覚者は、「生きている間に」既に生死の境界を心境で渡ることが出来ていましたので、生きている間に「死にとうない」とわざわざ発言を残しています。
これは自我の執着からの「死にとうない」では無くて、アノ世の視点からコノ世への賛歌と御礼の「死にとうない」だったのです。


愛語(あいご) 2011-09-26 11:31:00

禅僧である良寛(りょうかん)さんの心中には、禅宗の開祖・道元(どうげん)が示された愛語(あいご)の精神が生きていました。
良寛さんは、まじめに、不器用に、愛語の精神で生きることを生涯守り、実行されました。
愛語とは、要するに自分の生活の中で、
1.他人に対しては、「良い言葉」「愛情の在る言葉」しか発しないことを、自分の修行の柱とするのです。
2.言葉にしない時は、黙って心中で他人へ「愛情のある言葉」を思うのです。
3.言葉に出来ない時は、黙って「愛情のある行動」を他人にします。
人間とは、生活の中でこれを実践するだけでも悟りが開けます。

(中略)

不器用な良寛の愛語のエピソードがあります。
良寛の親類には、不良の生活に進みつつある甥っ子(良寛の弟の息子)が一人いました。
良寛は、子供に何かを言って欲しいと弟から頼まれて、家に一週間ほど滞在しました。
しかし、良寛は甥の生活ぶりを黙って見ているだけで、甥に一言も何も言いませんでした。
無理も無いです。口下手で不器用な良寛は、甥に何か言いたかったのですが、ほんとうに言葉が出なかったのです。

そして、何も言えないまま弟の家の滞在が一週間も過ぎましたので、良寛は甥がいる時に帰る身支度を始めました。
玄関先で良寛は、甥に自分のワラジのヒモを結ぶのを頼みました。
甥が屈み込んで、ワラジを結んでくれる後頭部を見詰めていた良寛には、
1.この子の先行きを思う心配な気持ち。
2.何も言うことも、正すことも出来ない良寛自身の不甲斐なさ。
3.良寛には子供がいませんので、甥に期待する先祖の気持ち。
4.甥への愛情の気持ち。
などなどの気持ちが、沸き起こりました。

この時に良寛の目から涙がこぼれ、かがむ甥の首筋へと落ちました。
良寛は、泣きながら甥の前から無言でトボトボと去って行かれました。
この日から、甥の生活はガラリと変わり、親孝行な息子に成りました。
愛情から湧き出る涙は、100の言葉以上に甥には効きました。

やはりただの涙では無かったのです。
甥のためを思うと、色んな思いが愛情から起こり、愛語が凝縮された聖なる涙でした。



良寛は、村の多くの住民から愛されていました。その訳は、良寛は良い言葉しか口にしなかったからです。良寛と会えば、ほめられて感謝されるばかりの言葉を掛けてもらえるので、心が辛い住民には特に嬉しかったのです。
良寛は、「良い言葉しか発しない」誓いを立てていた人物でした。誓うというよりも、良寛が持つ自然な本能(内在神)だったのです。



皆さんは、自分が世に「生まれた」という事実に、もっと誇りを持たなければ生けません。これは本当に稀有な事なのです。
有名な覚者である一休さんや良寛さんも、最後の言葉は「まだ、死にたくない」でした。生きている時は、この世の栄華どころか清貧な人生を送っていた二人です。しかし、この世の実相を知れば知るほど、この地獄も極楽も共存する世界は、去りがたいほどの稀有な世界だったのです。


カギは日常の中に 2009-12-16 11:14:30

この世界は、とても有り難い稀有な次元です。全ての次元が波の様に押し寄せて、今に現れて居るのです。
心の道を極めたとされる一休や良寛でさえも、死の前には「まだ、死にとうない」と言わしめた世界が、今の次元なのです。

現状への感謝を通じて到達した世界は、11の段階=次元が存在すると感じます。私の感じる宇宙は、11の様相で構成されています。11の先は、また元の位置に戻るループと成ります。
十一面観世音菩薩とは、本当に上手く表現したものです。


自分で実践する大切さ 2009-11-05 10:33:48

自分が預かる聖なる意識に目覚め出しますと、自分に本当に「必要な物」は必ず与えられます。お金でも健康でも何でもです。
内在する御仏に気付いていた良寛さんは、全国を放浪しました。とても風采の上がらない貧相な姿をしていたので、何度も盗人に間違われもしました。しかし、まったくの無名の僧侶でありながら、人々の情けにより必ず食べ物と着る物は与えられたのです。


霊障も肥やしに出来る 2009-10-19 10:48:38

有名な禅僧は、書や水墨画を数多く残しているものです。しかし、禅僧として評価の高い白隠(はくいん)の書でも、功名心や野心を感じる物が中には有ります。その点、近年でも人気の高い良寛(りょうかん)の作品は、心の垢が確かに少ないと感じます。
良寛の様な「世捨て人」に憧れる人は多いですが、勘違いをしている人間が多いと思います。もし、良寛の立場で出生していれば、普通の魂ならば自殺していると思います。出生した家系の霊線の詰まりから来る霊障に、非常に苦しんだ人物でした。

(中略)

無邪気な子供の様なエピソードに満ちた人物ですが、その心象背景は、挫折と悲哀と無常観を乗り越えてのものでした。
自由奔放を心底から演じながら、自らは九十項目にも上る戒律を設けている人でもありました。良寛に戒律とは、最も似合わない感じがしますが、そこが唯の放浪者では無いところです。
*人の話に割って入るな *自説を無理強いするな *人を軽く見るな *酒に酔って屁理屈を言うな *間違いを隠すな *知識を誇るな *簡単に約束するな *後悔を口に出すな *愛想笑いをするな *立場の高さを誇るな *憎い心で他人を叱るな・・・などなど九十条も意識していたのです。
良寛は、努力の人でもあったのです。


今日の寄道日記 良寛 2008-01-11 20:23:13

今朝、営業車で移動中にラジオで、良寛について話されていました。面白かったです。
良寛が新潟で大地震に被災した時、それを心配した方からの手紙への返事が、災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
この解釈は、
「災難や死からは、逃げ出さずに立ち向う事が、災難や死を乗り越える一番の方法です」 が、文意でしょう。
霊感読みでは、
「人間は、嫌な事から、逃げよう、避けようとする限りは、逆に災難に遭うものです。」 と、私は感じます。

(中略)

良寛は、間違いなく覚者です。 座りながら、息を引き取りました。意識を有したまま、現実界を去ったのです。これは、覚醒者の特徴です。
良寛は、素晴らしい歌を沢山残しています。深い味があります。
良寛が死ぬ前の、辞世の言葉は「死にたくない」でした。
やはり、凄い人です。 この言葉は、人間に勇気を与えます。
あの、良寛でさえ、死にたくない。 
これは、彼の人間への愛情の言葉です。

関連コメント

良寛さんは何にでも真面目に取り組む人だったと思いますが、感謝の人でもありましたか?

...........そうです。
2024-01-21 02:40:52


良寛さんの和歌でお聞きしてみたく質問です。
「つきてみよ 一二三四五六七八(ひふみよいむなや)九の十(ここのとお)十(とお)とをさめて またはじまるを」
子供達と鞠つきをするのが大好きだった良寛さんへの問いの答えの様なものなのですが、この言葉のリズムが心地よく好きなのですが、これで良寛さんが本当に言いたかったのはなんだとお感じになられますか?

...........人生の循環
2023-07-22 02:26:39


良寛さんも周りにそれだけいじめられたと言うことは前世悪いことをした自業自得からですか?

。。。。それは普通の次元の発想。

良い世界から来た魂は、民衆に教えを残すことを重視で、イジメられることもある。

キリストも磔の刑に遭ったように。
2018-04-24 23:47:42


良寛さんは転生されていますか?

。。。。転生していません。
仏界の良い次元に居ます。
2018-04-23 13:40:26


良寛さまと日蓮さまは、雨乞いを競うほど仲が悪かったと聞きましたが、本当ですか?

。。。。それは無いです。
良寛が他人を嫌うことは生涯ないです。

二人の時代も離れています。
2013-05-14 15:27:44

関連項目




  • 最終更新:2024-03-05 13:38:31

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