自我とは(比較)
自我とは(比較)について
テーマ元へ 自我
目次
関連記事
ダメな自分でも許して行けば、恐れは消えます 2020-05-29 11:36:15
・ 私達は、同僚や家族、近所から、嫌がらせを受けている。受けるだろうと、心配すること。
・ 他人ばかりに、自分の苦しみの原因を探そうとすること。
・ 外部要因ばかりを心配している。
でも、自分の苦しみや、不安感の本当の原因は、
・ 自分の内面の問題だった。
・ 自分を苦しめているのは、他人を過剰に気にする自分の心だった。
・ 自分と他人を比較しては、ダメな自分を罵倒している自分の自我(自分中心の意識)が原因だった。
これを感じます。
これから、12月25日のクリスマスが過ぎれば、
・ 個人も国も、内部崩壊に注意をしなければ生けない。
・ クリスマスまでに、自分自身を許せる心に成ることが大事。
・ 自分自身が嫌いな間は、何をしてもダメ。
これが運命を分けて行くことに成ると感じます。
どうせ、ただの観念論だろ? と思わないほうが良いと思います。
・ 具体的に、クリスマス以後に、免疫力がその個人への判決を下すことに成る。
・ 具体的な区切りを、免疫力のほうから示されるだろう。
・ だから、クリスマスまでに、自分自身との和解が大事。
できるかな? できるかな? 自分自身との和解。
できるかな? ダメな自分を許すこと。
すべては、自分自身の内面の問題であるのが真理なのです。
同じ1つの景色を見ているのに、個人で見える内容が違う。
それは見える景色の問題では無くて、見る側の自分の問題だった。
錯覚から来る「自信」や「劣等感」にダマされないこと 2018-01-17 11:29:23
人間とは、
・ 限られた自分の周囲との比較で自信を持ったり、失くしたりする。
・ 幸福感の大半は、他人を通して見る自分であり、それは真の心の幸福感では無い。
・ 自信や幸福感を持つには、比較する他人が必要だ。
・ これは真の正しい自信や幸福では無い。
つまり、今の自分が持つ幸福感や自信や劣等感とは、非常に怪しい錯覚である可能性に気付いて欲しい訳です。
霊的に真に大切な「自信」や「幸福感」とは、以上の話とはまったく「別物」であり、
・ 他人を見ては生けない。他人を通しては絶対に得られないもの。
・ 自分の心の奥に、生まれた時から内在する源泉(内在神)に触れ始めた時に、
・ 理由の無い淡々とした「絶対的な自信」「絶対的な幸福感」を持ち始めます。
今の自分が持つ自信や劣等感とは、
・ 他人との比較を通して持つ⇒ 左脳の判断の領域⇒ 自我の干渉=幻想・錯覚が正体です。
・ 他人を見ずに持つ場合⇒ 右脳の直感で得られる⇒ 真我・内在神の領域=正しい感応です。
要するに注意をして欲しいことは、
・ 自分自身を見ずに、他人ばかり観察して喜怒哀楽をする人は、これから病む傾向が加速するから注意をして欲しいということです。
自分を見詰めて、それでも生かされている有り難さに気付き、
・ それでも、ええじゃないか。
という絶対的な自己の肯定感、不動の自信(自分を信じること)を持ち、
そこから絶対的な幸福感に気付いて欲しいものです。
「継続」の秘密 3。失敗体験や、思い通りに成らないことこそが、大難を無難にしていた 2017-04-02 11:10:09
「* 人は、勝つ体験ばかりを知って、負ける体験を知らなければ、逆に深刻な害が自分に及びやすいことになるから注意しましょう。」
(中略)
「でも、自分は負ける体験ばかりであり、勝つ体験もして見たい」
「自分の人生は、すべて負け続けだ」
と思うのも人情です。
では、その「負け」とは何でしょうか?
他人との比較心に過ぎません。自我の思いです。
霊的視点では、「生かされているだけでも有り難い」という原点への「感謝心」を忘れますと、負けを苦にすることに成ります。
これが、霊的な目覚めをしますと、自分の負けにでさえも「絶対的な歓喜」が起こり、最初に涙を流し、
「これで良いのだ〜〜」 「人生は芸術なんだ!!」
と真から思えるように成ります。国宝級のアホ、いえ聖者の心境です。
すべては生かされている上での神様からの恩寵(おんちょう:プレゼント)であることが、失敗にも、成功にも、ダメな事態にも言えます。
神様に愛された人ほど、実際にはコノ世で苦労しています。
これは過去の真の聖人たちや、天才的な芸術家を見ても言えることです。
誰もが命を削るほどの人生の責め苦に遭っています。体験しています。
この苦労が大きければ大きい人ほど、自我(ワレヨシ)の破壊が起こり、目覚めがより深く成ります。
大きい小さい 2017-03-14 11:14:34
コノ世では、物事の大小で喜怒哀楽を人はします。
何でも大小で序列を作る先入観の中で人は暮らしています。
学歴の高低、貯金の多い少ない、身長、容姿、家の大小、ケーキの大小、子供の数、自動車のランク、男は仕事の大小か。
だから自分はダメなんだ、これが変わらない限り幸福に成れない、親のせいだ、あの人のせいだ、
と男女共に大小に囚われて喜怒哀楽をしています。
しかし、宇宙的な視野からの視点では、
* そのようなことは、今だけの錯覚。幻(まぼろし)、必ず消えて無くなること。
* 大小感覚は、自我(ワレヨシの思い)の産物。迷いの元凶。
そして重要な視点は、
* その小さい中での、精一杯を自分は生きたのか?
大きい中でも、自分は精一杯に生きたのか?
「〜だから幸福に成れない」は間違いであり、
「〜の中でも、幸福感に気付けること。幸福が在ることが、分かる人に成ること」
が人が生きる目標であり、死後の世界を分けると伝わります。
(中略)
多くの大人は、ニコニコとしながら堂々と歩く3歳児にも、心の段階では負けます。
コノ世の知識の量は関係なく、小さな世界の中での「精一杯」「め一杯」を生きれば、それは大を超えるのです。
宇宙の尺度(神様の視点)は、今の世界観とはまったく違うということを、今日は言いたかったのです。
自分の生活・環境・世界の中で、出来る最大の努力をしながら突き進んで見ましょう。
これが最高だということなのです。
他との比較心こそが、悪魔のささやきです。
これに注意しながら、明るく頑張りましょう。誰もが今から幸福に成って行きます。
今の生活を地獄と思うか、天国だと思うのか、自分次第 2017-02-06 11:30:20
人は、自分がどんな環境の中に居ましても、自分の心の中に天国を観ることが可能であり、これが真実なのです。
他人の生活という幻想を見せて、自分が地獄に居ると思わせるのが悪魔のささやきだったのです。
悪魔は絶えず、代表人物という「他人」を拝ませ、物資の栄華を見せます。
それは、自分の心を観ることを妨害させる為の意図からです。
(中略)
今日も現実の中に暮らしながら、「自分の生活の中で」天国を観る意識を持ちましょう。
日本という恵まれた中に居ましても、地獄だと言う人は、やはり世界の現実から離れた「比較する自我」(ワレヨシ)の中に居ます。
これでは、いつまで経っても幸福は来ないのです。
私たちはコノ世で、確かにある意味では、誰もが何時でも死んでしまうという「地獄」の中に住んでいます。
でも、その中であっても、天国を自分で見ることが大切な人生の目的なのです。自分次第です。
地獄の中でも笑顔で居られる人が本当に強い人です。
コノ世の生死を覚悟し、これを乗り越えて行かれます。
「小さな」豆電球 2016-08-05 11:01:57
人間の悩みとは、すべて比較心(自我の産物)から苦しみが生まれるようです。
日本が嫌いな日本人も、比較心の苦労から反発が発生したのかも知れません。
人間が、大きい・小さい、有る・無しという比較心から解放された時、物事の本質・真理が見え出すと感じます。
神様の視点には、人間が思うような比較心がまったくありません。
大きい、小さいで人を観ませんし、人を分けないし、比較は眼中にもありません。それよりも、
* 生かされている原点への感謝の有無。
で人を分けます。
今の自分がアタリマエにしてしまっている物事に、気付けて感謝が出来る人ほど幸運を無くしません。
小さなアタリマエも見逃さずに、感謝が出来る人は、自然と色々なモノが与えられて行きます。
見る者と、見られる者は、同一人物 2016-05-26 10:50:31
昨日の釈尊の言葉の記事「【消え行くものに対して一生懸命な姿が美しい 2016-05-25 10:00:57】」は、
* 誰もが自分だけの幻想の中で生きていること。
* 幻想だけれど、その幻想に成り切って、一生懸命に生きることが大切であること。
でした。
そして、その先には更に、
* 自分自身が設定して、コノ世に生まれて来た幻想(役者)であること。
* 今回(コノ世)の自分の任務(役者)を、放棄(自殺・なげやりに)するのか?
完遂(かんすい:やりとげる)するのか?
という内実が有ります。
そうしますと、ここで自分自身と他人の幻想(生まれる国・性別・条件・宿命・・・)同士を比較しますと、
* 初めて自分の幻想(その善悪や、他人との矛盾点、などなど)を冷静に見ることが出来ます。(上記の若者の話など)
* でも、他人の幻想(設定条件:貧富や優劣)を見ても、他人の幻想に合わせて自分が生きようとするから苦しみや、嫌な自我の優越感(転生することに成る悪い因子)が生じます。
つまり、たまには他人の幻想を冷静に見て比較も良いが、あくまでも自分には自分の幻想が最善・最高(因果の昇華のために必要)だと、感謝して生きることが重要なのです。
この部分に成りますと、言語表現の限界を感じます。
やはりこれは、一生懸命に生きる実践が自分に教え、先行きを導くことに成ります。
自我=他人との違いを意識すること=苦しみ=不運 2015-07-04 11:10:36
アダムとイブは、それぞれに自分が(我)、という区別と違いを意識する「自我」が生じてから、その住む世界に分離と相克(争い)が始まったと感じます。
区別する自我の発生こそが、コノ世の苦しみの始まりなのです。
だから今の社会でも、他人との違い(コンプレックス)を意識し始めますと、自分に苦しみが始まります。
そして、「他人が自分の悪口を言っている」、さらには「自分は他人から監視されている」という被害妄想が始まります。
これこそは、初めに自分自身が、他人との違いに心を傷めたことが原因なのです。
自分が他人との生活の違いを意識することで、心の病が始まります。
(中略)
自我=違いの意識、とも言えます。
先ず、自分の生活の中から「他との違いを意識すること」を止めて行きましょう。
これが進めば、自我の代わりに自由自在な真我(内在神)が表れ始めます。
自分の不満の原因を静観することが大切です 2014-11-26 11:20:08
(感想)
人は、なぜ不満心を持つのでしょうか?
それは、自分が他の何かと「比較」をするから、不満心が生じるのではないでしょうか?
もし、生まれながらに地獄しか知らなければ、それがアタリマエだと思い、不満心が生じないかも知れません。
しかし、一度でも他者の生活を知りますと、ショックと不満心を抱くことでしょう。
(中略)
しかし何がありましても人間は、
* 自分は不満心を持たない
* 比較心を持たない
と自分自身に誓うことが大切です。
これにより人間の心は安定して行くと、釈尊はこの項で仰っています。
自分が知らない内に、他人との比較をしていないか、静観をして行きましょう。
自分自身を静観することで、すべての煩悩(ぼんのう:自我・我欲)は消えて行きます。
職人気質(しょくにんかたぎ) 2013-09-06 00:45:06
日本の若者も大人も、仕事を辞めて病んで行く人が日々増加しています。
これは日本人特有の真面目な「職人気質」が、「自分自身を許せない」人が増えているのではないか?ということです。自分で勝手に自壊するのです。
でも、その人間の多くは、他人の誰々のせいだと自我では思っています。
しかし、本当の原因は、自分の奥に潜む職人気質の「本心」と、自分の自我との相違なのです。
では、どうすれば良いのか?
その職人気質の「本心」は、他人との優劣を求めているのでは無いのです。自我は、他人ばかり気にして、その違いに傷ついていますが。
自分の「本心」は、自分なりの最善を尽くしたならば、必ず満足します。そして、自分は安心することに成ります。
皆んな、自分自身との勝負をしているのが真相なのです。
もし病んだならば、自分自身に対して感謝の気持ちを出してみることは非常に有効です。
比較心を捨てること 2013-09-01 10:43:01
極端な例ですが、小学生と大人では、その持ち物も貯金額も内容が全然違います。冷静ならば、これを比較して苦しむ小学生はいません。
それぞれに相応しい、自分の立場と環境がハッキリ認識できるからです。
小学生でも、その年齢の中で立派に頑張っていますと、心の内在神からの視点では、他の大人以上の評価をします。持ち物や、社会での立場などは、まったく関係ないのです。
しかし、これが大人同士、子供同士、となりますと、「他人との比較心」というものが起こって来ます。
でも、内在神の視点は、宿っているその個人だけを見詰めています。どんなに他人から劣る環境でも、どんなに他人から劣る能力でも、その個人だけを見詰めて応援してくれています。
他人と比較して苦しんでいるのは、それが自分の自我です。
自我は、輪廻転生(生まれ変わりの修行)を起こさせる原因であり、すべての苦しい思いを生み出す元に成ります。
人間は、自我を小さく「静か」にした者から、コノ世での実現力や、希望が叶うことが起こり始めます。
邪魔をしていたのは、他人との比較をする自分の自我なのです。これが小さくなるほど、公(おおやけ)への心、感謝の気持ち、良心が発露を始めます。
自分を大切にすれば再生します 2013-05-07 11:00:33
(感想)
他人と比較して、自分勝手に病んで行く人を視て思いますことは、
先ず、「自分自身に謝るべきだ」ということなのです。
本当の自分(内在神)に対して、申し訳ないのです。
他人と比較して、自分自身をイジメては生けません。
生きている間は、表面だけの見せ掛けの自分(自我)の眼(芽)が強くて自覚が出来ませんが、どれほどの奇跡(内在神)の実体を預かって、今の状態が出現しているかを人は認識できないのです。
親鸞さんは、これと同じ意味を、「阿弥陀様を人間は預かっている」と表現されました。
ダメなのは、自分の自我というワレヨシ・自分勝手な我であり、それは本当の自分(魂)では無いのです。
比較心が自分を苦しめます 2012-03-14 10:00:41
自分を傷付けるのもダメにするのも、自分自身の思いと行為からだということを自覚しましょう。
これを他人のせいにしたり霊のせいにして、自分自身を静観しない限りは、何をしても改善は難しくリピートを繰り返します。
一番の強敵は、自分の自我(じが:我良し。他と比較する思い。)なのです。
他人と比較する気持ちは、自分を苦しめ、家族をも苦しめます。比較する思いは、差別する気持ちも自分に在るということです。
この世の戦争にしても、社会の苦しみにしても、すべての悪事の根源には比較心(差別する気持ち)が在るのではないでしょうか。
霊的には、比較・差別するとは悪魔の思いなのです。色んな闘争・悪影響を起動させます。
だから、自分自身を他と比較すること、他人を差別する視点を、今のこの瞬間に捨て去ることを誓うことが大切です。自分の先祖と良心(内在神)に対して誓うのです。必ず改善が、その瞬間から始まります。
自分の出来ることに成り切れば悟ります 2011-12-01 11:11:35
自分のことが嫌いな間は、自分に内在する神性(内在神)を信じられないですし、先祖のことも嫌いなものです。
自分のような人間に、ほんとうに神様が内在するならば、こんなダメな人間では無いはずだと思うのでしょうか?
でも、自分でダメだと思っている内容とは、この世だけで消える内容なのです。
金銭、能力、健康、容姿・・・にしろ、ただ他人と比較して、自分の消え行く自我(じが:我良しの心)が感じていることにすぎません。
今を価値ある経験に変えられます 2010-11-03 11:56:16
人間は自我(じが:我れよしの心)が成長するにつれて、だんだんと自分の本心(内在神)から気持ちが離れ、他人との比較、「他人の視点を気にする中」で生きることをします。
これは、内在神(母性のカタマリ)から離れる事に成りますので、満たされない飢餓感・不安感を生活の中で感じだします。この世の何を手に入れても、安心することは出来ません。
今が不満な人は、他人と比較することを止めて、現状の中でも感謝するべき事に気付きましょう。
その不満な生活でさえも、「生きられなかった」人が多いことに気付くべきなのです。
自我が苦しみを呼びます 2010-08-21 11:27:16
人間とは、隣の芝生(となりのしばふ:他人の持ち物が良く見えて、欲しく成ること)が良く見える自我を持つのです。これは本人が持つ飢餓感(きがかん)が、そのような自我を増幅させます。
だから、現状に満足している人、感謝ができる人には、他人の芝生はただの庭にしか見えません。
恋愛なども、まさに隣の芝生です。他人が大切にしている人が、素晴らしく見える幻想を持つのです。いざ奪ってみると、あれ?と直ぐに飽きるものです。
(中略)
この世の真の幸福に気付かせ、あの世にも持参できる気持ちは、生かして頂いて ありがとう御座います、の精神で現実界を泳ぐことです。最善・最短で、あなたを本当の安心へと導きます。
この言葉が、自我(じが)を真我(しんが:本当の自分)へと戻させます。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
関連コメント
【正しく死を忘れないということ 2020-11-03 12:02:28】の記事で
「心の成長がおこらないムダな悩みが多い」とありましたが、逆に心の成長に必要な悩みとはどういったことでしょうか?
。。。。他人との比較心や競争心からの悩みは、心の成長は起こりません。
自我の増長の中での悩みに過ぎない。
愛情や、慈悲心、不甲斐なさ、などからの悩みは貴重。
2020-11-06 20:51:16
他の次元では全く無意味な「比較の尺度」が、この世でこれほど浸透し、まかり通っているのはなぜですか。
。。。自我が大きいからです。
2015-10-04 00:53:52
先祖供養してくれる子孫と子孫繁栄してくれる子孫は、どちらがお喜びになりますか?子孫繁栄の出来る可能性があるのに、子孫繁栄しないのは良心が知ってるから後悔しますか?静観しても答えが出ません。産める時期を超えそうです。誰にも相談出来ません。
。。。そんな自我の条件は関係なく、
生活努力と、先祖への感謝を普段の中ですることが大事。これ次第です。先祖への感謝磁気を貯めることが、守護に繋がります。
家系の水子にも感謝をしましょう。応援されます。
実践が自分に教え、先行きを導きます。実践なき者は迷います。
「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を出来れば何度も再読してください。
2014-01-24 19:36:58
今日記事を読ませて頂いて私の今の心境にドンピシャだなって思いました。泣きたくなりました。
【自分自身を見詰めることが大切 2013-10-15 11:15:39】
いつもさびしいのは私自身、自分を見つめていないからですよね。手があけばだれそれ構わずメールしたりします。返事はきたりしますが忘れたころにきたり、と。毎日新鮮な気持ちも保つのが難しいです。もともと友達が少ない私です。さらに、その友達たちは、みんな、幸せな家庭をもっています。みんな明るいし自由です。わたしにはないものをたくさんもっています。私は旦那はいませんしお金もありませんし子どもだけは宝なので、がんばって働いています。
私はいつもさびしい気持ちでいっぱいなのは、他人をみているからですよね。明るい太陽のようにならなければ、子どもの母として申し訳ないですよね。さびしい気持ちをなくすには、他人は意識しないことですよね。そして、友達をもっとたくさんつくるには、何か習い事をしたりするのはいいことでしょうか。
。。。。自分なりに頑張れば問題は無いです。
比較する心が自我です。
2013-10-15 17:10:57
今日の記事【比較心を捨てること 2013-09-01 10:43:01】で、「他人」とは自我が産み出した「理想の自分、こうなりたい自分、こうあるべき自分」なども含まれますか?
。。。他人を鏡にして、自分の自我が写ります。
それで認識が可能になります。
みんな、自分自身の自我に怒っています。他人が問題ではないのです。
2013-09-01 19:15:14
姉妹気持ち良く関係してないと、両親を始め先祖が心配する事は解って居るつもりも、文武両道である子供自慢をされるとしょぼくれる、気持ちが、腐る。優秀な母は一子目の姉を可愛いがり勉強のやり方を、姉が邪魔だと言う下の子を部屋の外に出してマンツーマンで教え恋愛の相談にものり幼児の頃はピクニックに連れて行きぬいぐるみも手縫いで作って可愛がった。2子目は勉強の仕方解らなく孤独感強く、運動も遊びもろくにせずそれでも育ち生かせて頂いて今に至るけど、仕事を覚えるのに子育ての余裕無く、我が子も勉強の仕方が解らないらしく、幼児期に私に毒舌吐かれたトラウマから脱却出来ず、苦しんでいる。伊勢白山道ブログを意識する様になり本当しばらくこの気持ち忘れてた。信頼しているスタッフの"なんじゃこりゃ"発言で少し参って居た時、姉の立て続きに来る自慢メールを何通も読んでから、姉とのしがらみが、ぶわぁっと、湧いて来ました。これは昇華ですか?
。。。気にするのは自分の自我です。
相手を祝福すれば良いです。
自分が祝福されて「いる」ことに成ります。
「だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる」本、「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を出来れば何回も再読してください。
実践が自分に教え、先行きを導きます。実践なき者は迷います。
2013-07-20 13:06:18
- 最終更新:2022-03-29 15:33:13