自我とは(ワレヨシ)

■ 自我とは(ワレヨシ)について  キーワード ワレヨシ ワレ良し 我良し 我れ良し われよし 自分勝手
関連項目 自我
目次

ワレヨシ・自分勝手

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多くの人が、「自分が」とか、「自分はダメだ」「他人から見られる自分」「恥ずかしい自分」などなど、
自分という存在を意識しています。

自分を意識するほど(自我)、自分の思い通りに成らないことを感じ始めることに成ります。
すると、これと並行して、自分が嫌だと感じる他人も増え始めます。
つまり、

・ 自分の自我(ワレ良しの思い)の増大
= 嫌な他人の増加、欲しい物の増加、更にエッチな色情が、憎悪が、増加する可能性。

・ 自分を意識しすぎるほど、不満が増える法則。

今日の言いたいことは、これの逆のことなのです。
・ 「自分が」という思いを消せば、嫌な他人も、欲しい物も減って行く可能性。
・ 自分という主語を無くした生活は、全体意識(神様)に近付いて行く可能性。
(参考記事「【神様には主語が無い 2014-06-15 09:45:16】」)



大事なことは、
・ 悪い筋書きは、事前に想定することによって、変わる。
・ 未然に防ぐことに成る。
・ だから、悪い予言は外れる。

これが、思考の『量子力学』
(りょうしりきがく:多数が1つの現象を気にすることで、粒子の動きが変わり、検査結果のデータが変わる物理現象)
から言えることなのです。

悪い事を事前に想像すると、悪い未来を「引き寄せる」というのは間違いです。逆なのです。
「自我」(人のワレ良しの思い)を霊的に解析しますと、

・ 悪い予想= 事前に想定することによって、改善する。改善が可能。

・ 良い予想・希望= そのための「努力」と「行為」を、「思い」よりも優先するならば、叶う。無心が最強。

これが、コノ世という物質次元の流れの法則から言えます。



「心の貧しい人々は、幸いである」
"Blessed are the poor in spirit"
(『新約聖書』-マタイ伝 第5章3節)

(中略)

・ 霊的に渇望までしている人は、神様の救いが必ず降りる。
・ 霊体が無に成れば、後は神様の息吹がかってに入って来る。
・ 自我(じが:ワレよしの心)の無い人は、幸いである。
・ 心を無にすれば、救われます。

という霊的には、かなり高度で正しい世界観・実体験を語っていることが分かります。
これは霊力の無い学者が訳しますと、非常に陳腐な誤訳に成りそうです。

でも、ここまで分かってから再度、
「心の貧しい人々は、幸いである」
という日本語訳を観ますと、これも奥深いものだと分かります。
これはまさに、親鸞(しんらん)聖人が仰った、

・「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」
(歎異抄 第3章)

「善人が救われるぐらいならば、悪人はもっと、必ず救われるだろう」
これも上記の聖書の言葉と同じで、非常に誤解を招く言葉です。
でも、

・ 善人だと自分で思い込んで、神仏を軽視する人間よりも、
・ 自分は悪人だと深く深く反省をする人は、自分の行動を改めて、真剣に神仏を求めるから、死後の救いは「自称の善人」よりも起こるのは間違いが無い。
これも霊的には、真実の言葉です。

イエス:「心の貧しい人々は、幸いである」
親鸞 :「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」

本当の真理とは、時代を超えて、国境を超えて、共通することを指摘していることが良く分かる事例です。
今日も、反省するべきことが有れば反省をして、
心を無にして、明るく生きたいものです。



肉体意識>精神意識
肉体>霊体

こういうタイプの人に、上記のような「分かっちゃいるけど止められない」が起こります。
このような状態の人は、
・ 希望を叶える力が弱い
・ 運が悪い

という状態にも成ります。
その理由は、肉体のサガ(欲望)が、霊体を上回るために、「思いの力」が自我(ワレよしの気持ち)により抑えられてしまうからです。

では、どうすれば良いのでしょうか?
肉体のサガが優位な状態の人は、
・ 行動と習慣を変えること。

これが無理ならば、
・ 悪い行動を、物理的に、強制的に、止めること。

肉体>精神の状態では、思いの次元の作用では効きません。
肉体次元に対しては、肉体的な対応、習慣の改善が不可欠です。
これ無しにして、思いの力だけで改善を望むのもワレよしの思いです。自我が優先した思考です。
我慢することも嫌がる、本当にダメな人に成っているということです。



私達は、〜が欲しい、〜に成りたい、と思うことは大切なのですが、それで苦しみます。
やはり、自分の希望で、苦しんではダメなのです。
希望を持つこと、希望がなかなか叶わないことも、逆にこれを楽しむことが大切です。

(中略)

何も悩むことでは無い。
希望が叶わないことを苦しんでは生けない。
ダメならばダメを、その中でも楽しんで見せましょう。
これが自分が負けていない印に成ります。

え、何に負けてないか?
すべては、自分の自我(ワレよしの心)の思いとの、葛藤で誰もが苦しんでいます。
嫌な他人が原因では無いのです。

その証拠に、自分の自我が薄くなるほどに、すべてを心温く眺めることが出来ます。
嫌いな他人も消えて行きます。
すべてを「愛おしく」見ることが出来ます。



仕事の事(人間関係、給与、昇進、配置、・・・)で、どうして自分は不満を持つのだろうか?
それは、やはり会社や仕事に対して、自分なりの理想や希望を誰でも持つからです。
それ自体は、良いことです。
でも、他人も同様に自分の希望や欲求を持っています。

そうなりますと、お互いに自我(ワレよしの心)の衝突と成るのは明らかです。
国家同士が今でも殺し合いをするほど争うように、小さな会社内でも同じなのです。
この、自分の希望同士のぶつけ合いは、エンドレスであり、終わりはありません。

だから、多数の人間が集まれば、誰もが不満を持つのはアタリマエであり、逆に自然なことなのです。
だから、そういうものだ、と思うこと。
初めから期待はしない。

(中略)

もし、今の現状に不満が有れば、「明るく生きながら」期待はしない。
でも、その中でも、自分の人生を楽しんで見せるぞ!
最善を尽くして見せるぞ。
こう成れれば幸いです。
自我(ワレよしの心)が鎮まるほどに、身近にある幸運の芽に気付き始めることでしょう。



・ 神界の三大神器である、「八尺の勾玉」(やさかのまがたま)、「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)、そして「八咫鏡」(やたのカガミ)を手渡し、

『この鏡を、私、天照太御神だと思って、鏡を見るたびに思い出して欲しい。
そして、この「カガミ」を見た時に、民衆・他人を苦しめる「我・ガ」が自神に無いか? を自省して、
もし悪い「ガ」が自分に有ると思えば、その「ガ」を取り除いて、「カミ」の心に戻って欲しい』

このように天照太御神は、天孫であるニニギノミコトにお願いをされました。
「ガ」とは、まさに自我(ワレヨシの心)のことであり、自我を取り除けばカガミに映る自分は「カミ」に成るということです。

私達は、何度も生まれ直し、「これでもかっ!」というほど何度も同じような経験をしながら、「ガ」を取るための旅をしている最中です。
カガミに映る自分の顔から、「嫌なガ」が消えていることが望ましいものです。
カガミに映すことで、自分を冷静に見ることが出来ます。


降伏と幸福の関係とは 2018-09-27 10:15:51

押してもダメな時は、逆に抵抗せずに受け入れること。
これが次の良いカードを、自分に呼び込むための準備期間と成ります。
何とかしたいと押す一方では、より大きな抵抗を生んで、苦しく成るばかりです。

そうでは無くて、すべてに対してサレンダー (surrender:降伏すること)を自分の中でしてみることです。
「抵抗しません」、と自分の中で誓って見ることです。
これが運気を変える気を呼びやすくします。

考えて見ますと、正しい参拝ほど、まさに心からのサレンダーなのです。
素直になって、すべてを神様にお任せしますという、覚悟なのです。

その時に人は、死も超えることに成ります。
深刻な病気でも、気にならなく成ります。
このサレンダーが深い人ほど、奇跡、問題が霧散する現象、が起こることに成ります。

自分の自我(ワレよしの心)が、この世の問題に抵抗している犯人です。
悩みを創っています。
無抵抗でいること、降伏することは、その自我を破壊することに成ります。

ただし注意点は、無抵抗や降伏をして、何も努力をしないということでは無いのです。
無抵抗の降伏の心境でいながら、出来る最大の努力をしていること。
これが重要です。



神話でも、「見て欲しくない」というものを無理に見たために、大きな争いが起こった訳です。
でも今の私達は、テレビにしても週刊誌にしましても、他人の秘密、他人の噂話、は大好きな訳です。
ネタにされた人の怒りには、深刻なものが有るということです。

でも、それでも、「面白いじゃないか」という自我の欲求を人は持ちます。
見るべきものは、他人の秘密では無くて、それを見たがる自分の自我こそを、観察するべきなのです。

他人の秘密よりも、自分の自我(ワレヨシの気持ち)こそを、これは面白いじゃないか、と想える人が増えれば、新しい世が近いことでしょう。
これは今の自分の心の段階を、次元を、冷静に自己判断することが出来る1つの要素だと言えそうです。



今朝に感じますことは、
・ 人間とは、悩むことには、不思議なほど凄く一生懸命だ。

・ 勤務を継続する思いよりも、辞めたい思いには一生懸命。
・ 生きる思いよりも、死にたい思いの時は、取り憑かれたように一生懸命に執着する。
・ 他人を褒める時よりも、他人を罵倒・怒る時のほうが、一生懸命に思い続ける。
・ バクチや不倫には、怖いほど一生懸命に成れる。

とにかく人は、面白いほど「悪い方向」には一生懸命に成ります。成れます。
冷静に見れば、これは変で損な事です。

こういう「最中の」人々を視ますと、
・ 自分自身の生霊に憑依されています。
自分の生霊とは、自我のカタマリであり、ワレヨシな思いの「生きる霊」です。

(中略)

もし今の自分が、悪い方向の物事に一生懸命だ、と思えたならば、
・ こんなことは続かないよ!
・ いずれ、冷める時が来るぞ。
と、自分自身に言い聞かせる瞬間瞬間を挟んで行ければ幸いです。

どんなに強いワレヨシの自我でも、瞬間だけ、冷静に成れる瞬間が有るものです。
直ぐに盛り返すにしても。



人は、自我(じが:ワレヨシな思い)が強く成りますと、
・ 無意識に、何事も自分から、先ず自分ありき、自分が中心、の視点に成ります。
そうしますと、勘違いした視点から物事を始めます。

例では、
・ 神様に祈願すること。
自分の欲の為には、神様でも使おうとすることに、使っていることに、気付けません。

(中略)

更に自我の強い人間が勘違いしていることは、幸運を引き寄せる、幸運を呼ぶ、という発想です。
まるで、自分自身に幸運を左右する選択権が有って、その為の行為・所作、が有るような視点しか持ちません。

真実は、
・ 幸運さんのほうに、人を選ぶ選択権が有る。
・ 人間は、幸運側から選ばれるか、否か、という評価対象であること。
ということです。つまり、

・ 人は、幸運さんに選ばれるような生活態度、努力をしていることが必須条件です。



本人の自我(ワレヨシな心)が、強力な磁石のように悪い方向に自ら縁を求めて創って行きます。
・ 本人が溜め込んだ不満心こそが、悪い誘導をする原因だと感じます。

本人の問題だから、周囲から見えていても止められないものです。
・ 誰もが、自分自身の不満心に誘導され、復讐されて行きます。

自分が不満心を溜め込むということは、自分の肉体の細胞を、不満心の酸化作用で焼いて行くことに生理現象では成ると感じます。
これが高じますと、ガン細胞の比率が優位に成ると感じます。
(健康な人も、ガン細胞は常に存在し、体内比率の問題のようです)

私たちも、自分が持つ不満心に復讐されないように注意したいものです。
変な方向に自ら、自分自身を誘導します。

逆に言えば、
* 自分を感謝の心で満たせば、自分の良心(内在神)が助けてくれます。
誰もの良心(内在神)は、先の流れが視えているからです。



* 自分が不幸だと感じること
* 怒ること
* 何かを怖がること
* 悩むこと
* 心配すること

このような人が持つ、すべての感情と現象は、
「自分の無知から来る」
「相手の一面しか見ていないから」
「自分の愛情不足から」
「自分のワレヨシな自我から」

発生すると啓示されます。
でも私たちは、アノ人のせいだ・原因だと思い込んでいます。


『自分なくしの旅』 2017-01-28 10:57:22

会っていて気持ちの良い人とは、自我(ワレヨシ)の少ない人です。
相手の気持ちも、自分の気持ちも、お互いに「すっと」通る気がします。

反対に自我の強い人は、良いふうに言えば「個性の有る人」と世間で言われます。
でも自我の強い人と会いますと、その後はまるでステーキを食べた後のような気がします。
霊的にも相手のギラギラとした油を食べたのでしょう。

(中略)

人がコノ世に生まれるのは、
* 今度こそ、自分無くしをするぞ!
と転生して来ます。

「では、自分の自我(ワレヨシ)を薄めて生活してみようか」
、と思って見ることも参考にしてください。
想像以上に、自分自身も周囲の人も、楽に成って行くものなのです。



つまり、
* 簡単に望みが叶わないからこそ、社会で雑巾のように絞られる苦労をして成長が起こり、人類は滅びないのではないでしょうか。
* 自分の望みをゴリ押ししないからこそ、他人との共存が可能に成り、繁栄するのです。

ここで霊的な解析をしますと。
* 「成りたいようにはならない」・・・・これは自我(ワレヨシ)の思いは、コノ世は叶わないように出来ているのです。
一瞬は叶ったと見えましても、継続はまずしません。長い視点で見れば分かります。

* 「成るようになる」・・・・これは自業自得の法則でそうなります。
真我(内在神)が、霊的借金の量、因果の昇華具合を考えて、本人のための最善に成らしめます。
これは自分の自我の希望とは異なる結果が多いわけです。


これからのカギは素直さ 2016-04-04 11:41:19

自我(ワレヨシの欲)の努力では限界は来ます。
素直に成って努力をして行きますと、先が無限に開く世の中の波動が来ています。

天津の神様いわく、
「素直で無い者は、もう通させぬ。
通ってみなさい、通ってみなさい。
これから神の道、細道に成る。
しかし素直に成れば、道は開く」

これから自我(ワレヨシ)が重荷に変わる時代が始まり、誰かが何かをしなくても良いのです。
自動的にその人の素直さが立て分けて行くからです。
困難が有りましても、素直な目で見ながら頑張りましょう。



(感想)
それは自分のモノだ、自分の所有物だ・・・・、という思いが強く成るほど、その人は、

* それを無くす法則がコノ世に有ります。
* それ、が自分の思い通りに成らなく成って行きます。
* それが、自分から離れ始めます。それを無くし始めます。

このような因果の法則が、コノ世に貫徹しています。
ソレ、とは何にでも言えます。
恋人でも、家族でも、財産でも、仕事でも、投資でも・・・・、それは自分のモノだ、と思い始めることで自からの束縛・強要・自我(ワレヨシな思い)が強く成り始め、自分自身が段々とその物事から嫌われて行きます。



釈尊はこの項で、
「ワレヨシ・自我の欲望を無くして正しく生きる人の未来・運命は、
神々でも分からない」
と発言しています。運命が改善されて、未来が変わって行くからです。

これは逆に言いますと、
「ワレヨシな欲望の強い、間違った生活でも平気な人の運命・未来は、
読める。決まって行く。」
とも言えます。
まるで、ロボットのように決まったパターンを進むということです。

言えますことは、未来は白紙だということです。
今の自分の生活次第で、明日からの運命を日々固めて決めて行く・ingということです。
この時に、
* ワレヨシな欲望の強弱・有無
* 良心・道徳の有る生活態度
が明日の運命を決める重大な要素に成るということなのです。


選択とは 2016-01-10 11:22:34

昔から「残り物には福がある」と言います。
他人が、その人の「自我」(ワレヨシな思い)から「我れ先にと」選び取られた後には、自我から離れたモノが残っている訳です。
つまり、それは一見は良くなく見えましても、冷静に自分が判断できる対象です。

必ず、残りモノだけを選べ、という訳でもありません。
人がその対象を冷静に見ることが出来た時、その残りモノがお宝であるのか否かも分かります。
たまに、本物の宝が残りモノに有ることも起こります。

古物商の選択も、残りモノに実際に金銭を賭けている訳です。
就職でも、条件の宣伝が良くて競争率が高いところほど、実は大変な地獄のブラック会社だったことは、よく有る話です。
高い収入には、それに応じたリスクが有るものなのです。

イケメンで高収入な男性と結婚したからと言って、その女性が幸福に成れるとは限りません。それどころか、旦那の異性関係で不幸に成るケースも多々あります。
「良い選択をしたい」という思いが自分の目を曇らせて、想定不足を自分に起こさせることを知って置きましょう。



(感想)
人間は、「それは自分のモノ」という意識を持つ限り、苦しみが生じる法則が有ります。
これはもう完璧な宇宙法則であり、必ずそう成ります。そう向かいます。
異性にしましても、「自分のモノ」という意識を持つ限り、相手への束縛と管理が始まります。
そして喧嘩が始まり、別れるウンヌンの苦しみを持ちます。

自分の子供にしましても、「自分のモノ」という気持ちが有りますと、すべてが心配に成ります。
自分の思い通りに成らないと、心配を通り越して「怒り」に変わってしまいます。
更には、好きすぎて異性や子供への暴力にまで発展します。

これでは人間は、いったい何をしているのでしょうか?

自分が起こした会社にしましても、「自分のモノ」という意識を持つ限り、発展はしません。
自分の自我(じが・ワレヨシ)を超えるものは生じないからです。
自分「が」目が届く範囲など、たかが知れているのです。
会社は社員のモノ、社会のモノ、という意識を持ちますと、無限の可能性が生じます。
自分の自我を超えた、真我(しんが・内在神・良心)が働き、天が助けます。

* 釈尊はこの項で、「自分のモノである」という意識を持つ限りダメだと仰っています。



(感想)
要するに、
* ウソほど広がりやすくて、目立つ。
* 真実(真理)ほど、溶け込んで目立たず、隠れて行く。

この理由は、人の自我(じが:ワレヨシの欲求)がその好奇心を満たすのか、満たさないのかによるのでしょう。
真実(真理)とは、アタリマエ過ぎて好奇心を満たさないようです。
他人の悪い噂などは、まさにウソが多いからこそ面白いのでしょう。
その人の真実の姿では、面白くはないのです。

(中略)

では、今の自分は何を主張しているのか?
これが問題なのです。
ウソ・間違いほど主張するから問題なのです。これを自分で静観します。

仕事を辞めたい、離婚したい、学校を辞めたい、・・・・・と今の自分の思考を占めている物事は、
* それは、本当の自分の主張では無い。
* 自分の中のウソ、間違い、間違った主張、ほど自分の自我が主張する。
という可能性を知って置いてください。

* それが正しくないからこそ悩むのです。悩む時点で、その選択が変なのです。
* 正しいこと、正解の答え、自分の良心(内在神)が指し示すことは、本当に悩まないのです。


人生の秘訣 2014-07-19 10:23:33

(2) 「とにかく自分の努力を継続することです」
心が不安な時ほど、自分がする努力もムダに思えて来るものです。しかし霊的には、これこそは自分の自我(じが:ワレヨシ)から発生する悪魔のささやきなのです。
だから、不安な時ほど自分の努力を淡々と継続しながら、それを自分で静観する視点も持つのです。
努力の継続の中で必ず修正・改善されて行きます。



自分が苦しい時ほど、本当はチャンスなのです。
自分の「今の」本性を見ることが出来ます。
自分の自我(じが:ワレヨシの思い)を静観することが可能に成ります。
これは本当に貴重な機会なのです。

自分が順調な時は、本当の自分が逆に隠れて行くものです。
自分の自我が増大することが良いことだと、ポジティブだ!前向きだ!と思っています。
しかし、これは勘違いです。
もし、順調なことに対して、自分の周囲の人々に対して感謝の思いが無い順調ならば、
それは後により大きな苦悩への蓄積をしているだけなのです。
今生か、来生で償うべき因果を製造している最中に成りがちなのです。


デザインから入るな 2014-03-29 11:02:31

私たちは、自分の思い通りに行かない、成らない、と感じてよく落胆したり心配したりしています。
でも、それは自分が事前に決めた内容に成らないだけの話ではないでしょうか?
自分の思い通りに行くことよりも、「絶えず自分にとっての最善に流れて行く」と考え直すことも大切な視点なのです。

ここで知って置くべきことが在ります。
それはコノ世では、自分に因果が残らないように、悪い因果を自分で昇華して持ち越さないようにと、物事が流れる絶対法則が在ることです。
つまり、どんな結果であっても、自分の因果を昇華する意味では絶対に最善に流れているのです。これは自然法則です。誰も避けることは不可能です。

「いや、今の自分にとっては最悪に嫌なことだから、それが最善だとは絶対に思えない」
と人間は思います。
しかし、そう思っているのは自分の自我(じが:自分勝手な思い)なのです。
自分の過去を反省したり、自分がしてきたことや態度を公平に冷静に思い出しますと、必ず自業自得になっていることに気付きます。
短い期間では言えませんが、長期の視点では因果応報(いんがおうほう:原因と結果)は必ず成立します。

また、自分が事前に決めたデザイン(希望)が正しいことも絶対に無いのです。
しかし、自分の思い通りのデザインにならないからと言って、最悪だと思い込む人が多いのです。
自分にとって深い意味で本当に最善に流れるならば、努力次第で「自分のために」途中でデザインや予定が変わるのも正しいことなのです。



昔から、「人を呪わば穴二つ」と言います。これは、他人を呪って殺そうとしますと、
自分もその報いで殺されることに必ずなるので、墓の穴が二つ必要になる。
他人を陥れようとすれば、自分にも悪いことが起こる。
という例えの言葉です。これは霊的には真実の現象です。

更に正確に言いますと、もし呪われた方の人間が感謝の在る生活をしていて、先祖(遺伝子)にも感謝をしている人間ならば、そして良心(内在神)の視点から見ても正しい場合は、
「人を呪わば穴一つ」に成ります。呪った側の人間の穴が、1つだけ必要に成ります。
自分が他人を呪いましても、良心(内在神)の判定では相手が実際には正しい場合が多々あるのです。本人の幼い自我(じが:ワレヨシの気持ち)が、呪っているだけなのです。



昨日は家族と街に行きましたが、社会で自動車のトラブルが増えると感じました。
運転による事故も増えますが、公共の場での駐車でも因縁を付ける人間が増えると予測します。
昔の日本人ならば他人に土下座など要求しませんが、今の若い人間ほど教育のために違うようです。
抑圧された自分の自我(ワレヨシ)が、他人を下にすることで不満を発散させます。
そんな人間には対峙をせずに、無難に無視して流すか、目の前で直ぐに警察に電話することです。

他人を踏み付けた発散をすれば、それが終われば更なるストレスが自分自身を苦しめます。
本当の自分(真我・内在神)が許してはくれないからです。他人の真我(内在神)をイジメた罪は重いのです。そして、ますます自分の運気が落ちて行き、社会で苦しむことに成ります。最後は刑務所も有り得ます。



しかし、「無欲で物事に挑戦しなさい」とは、自分の自我(じが:ワレヨシの思い)が邪魔をして、現代人には非常に難しいテーマです。

私たちは「挑戦する前から」、結果を望んでいます。先に結果を考えています。
このような思い(自我)が強い人間ほど、未来を気にしたり、占いなどを好みます。
老子は、「それがオカシイのだ」と言っています。
挑戦する前から結果を置く不自然さ、今の目の前の物事を捨てて空白の未来を見ていては、失敗するのが当然だという意味なのです。
しかし、私たちは先に結果を置いていますね。



物事の真実というものは、その中に入ってしまいますと、逆に見えなく成ってしまうことが多いのです。
もし外部から全体を見ることが出来ますと、進むべき方向が分かります。
だから親の言うことには、一理は有るのです。
子供は物事の最中である限りは、自分自身のことが見えなくて分からないことが多いのです。

会社でも中に入ってしまいますと、自社の冷静な評価をすることが出来ません。他社を知らないからです。
自分の霊体(魂)も肉体の中に居る間は、その姿を見たり自覚することが出来ません。
さらに逆に言えば、
自分の心に居る大いなる存在(精気。内在神)に気付くためには、人生での苦労や悩み、相反する自我(ワレヨシ)も必要なのです。


日々、生き直すこと 2012-06-17 11:09:50

霊的には、祈願や呪詛(じゅそ:のろい)の霊的磁気は、大したパワーを根本的に持てません。
その発生源のエナジーが、自我(じが:われ良し)という仮の霊層から生じるからです。一時的な幻影なのです。
しかし、感謝する思いは、心の奥の良心(内在神)からエナジーが無限に来ますから、正しく回路を自分が維持すれば枯れることがありません。すべてに改善作用を起こします。
ただ、この回路の維持も、いつの間にか自分のための先祖供養に成ってしまうことと同様な、途中で接続先が知らずに変わらない配慮が大切なのです。

そのためには日々の、淡々とした感謝の先祖供養、または生活の中で先祖に感謝をする習慣が大切です。
自分の心の良心に存在する内在神に日々の感謝をし、大自然に在る神社に参拝すれば感謝の思いだけを捧げます。
この行為により、回路の接続が修正維持され、日々の自分を原点に引き戻してくれます。


縦割りから並行へ 2011-12-20 11:17:11

私たちも生活の中で、柔軟で臨機応変な考え方をしましょう。
これが防災意識にも役立ちます。
そろそろ自我(我良し。小さな視点)のロボットから脱皮する時節が始まりつつあります。



今の自分の深刻な悩みも、未来の自分(心)が大丈夫だと静観しています。
むしろ、下手な手助けはせずに、「そうそう、もっとガンバレ!」と見ています。
これは神様でも同じです。
せっかく用意された限定時間(人生)の中で、出来るだけ本人の魂が成長し、その人間の自我(じが:我良しの思い)が昇華することを神は思って静観します。正神ほど、個人の悩みや願望に干渉しません。
下位の霊的存在ほど、個人の欲望に加担します。これは正神ではなく、交換条件が有るということです。トータルで精算した場合、これは実は大きな損なのです。



人間は、自分以外の他人の問題点が気になる習性があります。
「自分の問題点は気にならない」のですが、他人の問題点には非常に敏感に反応しているのです。これがストレスの始まりです。
つまり人は、自分自身を見ずに、他人を見ている比重が大きいのです。
自分を見る、省(かえり)みる視点が欠けているのが、今の人類の大きな欠点だと感じます。国家間でも、同じ問題が在ります。
しかし、精神を向上させるには、他人を見ずに、自分自身を内省する視点が不可欠なのです。
他人の欠点が腹立たしく成る自分が居れば、それは自分の自我が大きく成り始めていると思いましょう。
自我(じが:我良し)が大きくなれば、すべてが苦しく感じるように成ります。
注意2.人間は、犯人や問題の原因を、自分以外に探す本能が在るということ。まず、自分自身に問題の原因を探して見ましょう。



今、生きることを苦しいと感じている人は多いです。
でも、想像して欲しいのですが、今のその苦しいと感じていることがクリアされれば、本当に幸福に成れると思いますか?
答えは、NOです。
また違う問題を苦しく感じ始めるからです。それをクリアしても、またまた違う問題を「感じ始めます」。
要は、自分が(我)一人で見出して感じているのです。その苦しみを生み出している正体は、自分の我(が:自我:我良しの心)です。

その証拠に、どんな人間にも生きる間は悩みは在ります。
この世に生きるとは、そういうことであり、それが「成長するため」の本能なのです。
物理の世界でも、安定だけでは永遠に変化が無く、異種間(他人との間)の反応が起こって初めて第三の物が誕生するのです。
この短い人生だけが、嫌な反応を体験出来る唯一の次元です。本当に、神様からの限定タイム・サービスなのです。
短い人生は必ず終わります。肉体を脱いだ後の全人類は、
「なんだ、こういう事か。もっと明るく体験すれば良かった。もっと明るく苦しんでも良かったな。いや、そうすべきだったんだ。ああ、もったいないことをした。貴重な機会を捨てていた。あの人にも、この人にも、申し訳がないな。」
このような事を全員が必ず思います。楽しみにしていてください。



テレビで中年期から起こる早期痴呆症についての特集を、話の途中から見ました。私も中高年に近づき始めましたので、興味深く拝見させて頂きました。

(中略)

脳の萎縮は肉体から運動機能を奪い、男性の動きはロボットのように固くスローでした。作業が終わり、狭いユニット・バスの浴室から汗だくになって出てきた男性は、上司である女性の介護士に聞きました。
「あなたは、私に教えてくださるが、私はあなたの邪魔をしていないだろうか?」
と言う1行の言葉を、脳の萎縮で消えかかる言葉を“捜しながら”、やっとのことで聞いておられました。
上司は、「役に立っていなければ、社長が首にしてくれるから心配しないで」「助かっているから、共に働いているのよ」と答えました。
理解する間をおいた後、男性は小さくうなずいておられました。男性の目には、なぜか涙があふれていました・・・。
その男性の汗と涙を拭く上司の目にも、涙がありました。

この場面に私は非常な感銘を受けました。
消え行きつつある自分の肉体機能、自分の命の心配をせずに、他人に迷惑を掛けていないのかを心配しているのです。
脳の萎縮により不要な自我(じが:われ良しの気持ち)が消えて行きますと、そこに残るのは人間の本性(ほんしょう)である、他人への「思いやり」なのでした。


いつも一緒です 2010-10-06 11:53:02

しかし、自分の自我(じが:我良しの気持ち)が改善されるとは、人は違和感を覚えるものです。むしろストレスを感じるのです。
その魂にとっての改善のための軌道修正を、不幸な現象や不運が自分に起こったと思い込む人が世の中の大半です。
でも真相は、自分の為の軌道修正=不幸なショック、であることが大半なのです。
もっと強く言えば、どんな不幸もムダでは無いのです。内在神が共に体験して味わっています。
人間の幸福・不幸を引き寄せている正体は、実は自分の心の内在神なのです。
要は、この世での人間は24時間、内在神と常に一緒です。生きている限り、離れることが逆に不可能なのです。あなたは、今も神様と共に居ます。

これは逆に言えば畏れ多いことです。
完全に公平な基準とも言える神が、自分のすべてを常に見ているのです。
自分が悪い事をすれば、大きな罪を犯さない間に、早めに気付きの為の「自分・自我にとっての不幸」をプレゼントしてくれるかも知れませんね。


自分自「神」が救います 2010-10-01 12:04:15

人間の人生は、自分の心の良心=内在神、への信心(しんじん:信じる心。信仰心)で大きく変わります。
要は、自分自身以外の組織、人工物・お守り・・・を信じている人は、本当の正しい信心が無いのです。自分を信じられない気の毒な人です。
逆に、形式的な信仰心が無くても、自分を信じて行動出来る人は、ある意味では信仰をしているとも言えます。
ただ、我良(われよし、自我)な自分を信じるのではなく、自分に内在する良心=神を意識して行動ができれば、真の求道者であり信仰者でもあるのです。


関連コメント

嫌な自分とは、、どんなことでしょうか?【嫌な自分は消えて行くから大丈夫です 2018-07-16 11:19:40】

。。。。自我の自分。

ワレ良しだった自分。

後で、思い出すだけで、顔から火が出る女性は多い。
そういう過去の自分も、成長すれば消えて行く。
2018-07-17 14:47:08



  • 最終更新:2020-01-23 23:55:11

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