自我とは(ワレヨシ)

■ 自我とは(ワレヨシ)について  キーワード ワレヨシ 我良し 我れ良し われよし 自分勝手
関連項目 自我
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ワレヨシ・自分勝手

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* 自分が不幸だと感じること
* 怒ること
* 何かを怖がること
* 悩むこと
* 心配すること

このような人が持つ、すべての感情と現象は、
「自分の無知から来る」
「相手の一面しか見ていないから」
「自分の愛情不足から」
「自分のワレヨシな自我から」

発生すると啓示されます。
でも私たちは、アノ人のせいだ・原因だと思い込んでいます。


『自分なくしの旅』 2017-01-28 10:57:22

会っていて気持ちの良い人とは、自我(ワレヨシ)の少ない人です。
相手の気持ちも、自分の気持ちも、お互いに「すっと」通る気がします。

反対に自我の強い人は、良いふうに言えば「個性の有る人」と世間で言われます。
でも自我の強い人と会いますと、その後はまるでステーキを食べた後のような気がします。
霊的にも相手のギラギラとした油を食べたのでしょう。

(中略)

人がコノ世に生まれるのは、
* 今度こそ、自分無くしをするぞ!
と転生して来ます。

「では、自分の自我(ワレヨシ)を薄めて生活してみようか」
、と思って見ることも参考にしてください。
想像以上に、自分自身も周囲の人も、楽に成って行くものなのです。



つまり、
* 簡単に望みが叶わないからこそ、社会で雑巾のように絞られる苦労をして成長が起こり、人類は滅びないのではないでしょうか。
* 自分の望みをゴリ押ししないからこそ、他人との共存が可能に成り、繁栄するのです。

ここで霊的な解析をしますと。
* 「成りたいようにはならない」・・・・これは自我(ワレヨシ)の思いは、コノ世は叶わないように出来ているのです。
一瞬は叶ったと見えましても、継続はまずしません。長い視点で見れば分かります。

* 「成るようになる」・・・・これは自業自得の法則でそうなります。
真我(内在神)が、霊的借金の量、因果の昇華具合を考えて、本人のための最善に成らしめます。
これは自分の自我の希望とは異なる結果が多いわけです。


これからのカギは素直さ 2016-04-04 11:41:19

自我(ワレヨシの欲)の努力では限界は来ます。
素直に成って努力をして行きますと、先が無限に開く世の中の波動が来ています。

天津の神様いわく、
「素直で無い者は、もう通させぬ。
通ってみなさい、通ってみなさい。
これから神の道、細道に成る。
しかし素直に成れば、道は開く」

これから自我(ワレヨシ)が重荷に変わる時代が始まり、誰かが何かをしなくても良いのです。
自動的にその人の素直さが立て分けて行くからです。
困難が有りましても、素直な目で見ながら頑張りましょう。



(感想)
それは自分のモノだ、自分の所有物だ・・・・、という思いが強く成るほど、その人は、

* それを無くす法則がコノ世に有ります。
* それ、が自分の思い通りに成らなく成って行きます。
* それが、自分から離れ始めます。それを無くし始めます。

このような因果の法則が、コノ世に貫徹しています。
ソレ、とは何にでも言えます。
恋人でも、家族でも、財産でも、仕事でも、投資でも・・・・、それは自分のモノだ、と思い始めることで自からの束縛・強要・自我(ワレヨシな思い)が強く成り始め、自分自身が段々とその物事から嫌われて行きます。



釈尊はこの項で、
「ワレヨシ・自我の欲望を無くして正しく生きる人の未来・運命は、
神々でも分からない」
と発言しています。運命が改善されて、未来が変わって行くからです。

これは逆に言いますと、
「ワレヨシな欲望の強い、間違った生活でも平気な人の運命・未来は、
読める。決まって行く。」
とも言えます。
まるで、ロボットのように決まったパターンを進むということです。

言えますことは、未来は白紙だということです。
今の自分の生活次第で、明日からの運命を日々固めて決めて行く・ingということです。
この時に、
* ワレヨシな欲望の強弱・有無
* 良心・道徳の有る生活態度
が明日の運命を決める重大な要素に成るということなのです。


選択とは 2016-01-10 11:22:34

昔から「残り物には福がある」と言います。
他人が、その人の「自我」(ワレヨシな思い)から「我れ先にと」選び取られた後には、自我から離れたモノが残っている訳です。
つまり、それは一見は良くなく見えましても、冷静に自分が判断できる対象です。

必ず、残りモノだけを選べ、という訳でもありません。
人がその対象を冷静に見ることが出来た時、その残りモノがお宝であるのか否かも分かります。
たまに、本物の宝が残りモノに有ることも起こります。

古物商の選択も、残りモノに実際に金銭を賭けている訳です。
就職でも、条件の宣伝が良くて競争率が高いところほど、実は大変な地獄のブラック会社だったことは、よく有る話です。
高い収入には、それに応じたリスクが有るものなのです。

イケメンで高収入な男性と結婚したからと言って、その女性が幸福に成れるとは限りません。それどころか、旦那の異性関係で不幸に成るケースも多々あります。
「良い選択をしたい」という思いが自分の目を曇らせて、想定不足を自分に起こさせることを知って置きましょう。



(感想)
人間は、「それは自分のモノ」という意識を持つ限り、苦しみが生じる法則が有ります。
これはもう完璧な宇宙法則であり、必ずそう成ります。そう向かいます。
異性にしましても、「自分のモノ」という意識を持つ限り、相手への束縛と管理が始まります。
そして喧嘩が始まり、別れるウンヌンの苦しみを持ちます。

自分の子供にしましても、「自分のモノ」という気持ちが有りますと、すべてが心配に成ります。
自分の思い通りに成らないと、心配を通り越して「怒り」に変わってしまいます。
更には、好きすぎて異性や子供への暴力にまで発展します。

これでは人間は、いったい何をしているのでしょうか?

自分が起こした会社にしましても、「自分のモノ」という意識を持つ限り、発展はしません。
自分の自我(じが・ワレヨシ)を超えるものは生じないからです。
自分「が」目が届く範囲など、たかが知れているのです。
会社は社員のモノ、社会のモノ、という意識を持ちますと、無限の可能性が生じます。
自分の自我を超えた、真我(しんが・内在神・良心)が働き、天が助けます。

* 釈尊はこの項で、「自分のモノである」という意識を持つ限りダメだと仰っています。



(感想)
要するに、
* ウソほど広がりやすくて、目立つ。
* 真実(真理)ほど、溶け込んで目立たず、隠れて行く。

この理由は、人の自我(じが:ワレヨシの欲求)がその好奇心を満たすのか、満たさないのかによるのでしょう。
真実(真理)とは、アタリマエ過ぎて好奇心を満たさないようです。
他人の悪い噂などは、まさにウソが多いからこそ面白いのでしょう。
その人の真実の姿では、面白くはないのです。

(中略)

では、今の自分は何を主張しているのか?
これが問題なのです。
ウソ・間違いほど主張するから問題なのです。これを自分で静観します。

仕事を辞めたい、離婚したい、学校を辞めたい、・・・・・と今の自分の思考を占めている物事は、
* それは、本当の自分の主張では無い。
* 自分の中のウソ、間違い、間違った主張、ほど自分の自我が主張する。
という可能性を知って置いてください。

* それが正しくないからこそ悩むのです。悩む時点で、その選択が変なのです。
* 正しいこと、正解の答え、自分の良心(内在神)が指し示すことは、本当に悩まないのです。


人生の秘訣 2014-07-19 10:23:33

(2) 「とにかく自分の努力を継続することです」
心が不安な時ほど、自分がする努力もムダに思えて来るものです。しかし霊的には、これこそは自分の自我(じが:ワレヨシ)から発生する悪魔のささやきなのです。
だから、不安な時ほど自分の努力を淡々と継続しながら、それを自分で静観する視点も持つのです。
努力の継続の中で必ず修正・改善されて行きます。



自分が苦しい時ほど、本当はチャンスなのです。
自分の「今の」本性を見ることが出来ます。
自分の自我(じが:ワレヨシの思い)を静観することが可能に成ります。
これは本当に貴重な機会なのです。

自分が順調な時は、本当の自分が逆に隠れて行くものです。
自分の自我が増大することが良いことだと、ポジティブだ!前向きだ!と思っています。
しかし、これは勘違いです。
もし、順調なことに対して、自分の周囲の人々に対して感謝の思いが無い順調ならば、
それは後により大きな苦悩への蓄積をしているだけなのです。
今生か、来生で償うべき因果を製造している最中に成りがちなのです。


デザインから入るな 2014-03-29 11:02:31

私たちは、自分の思い通りに行かない、成らない、と感じてよく落胆したり心配したりしています。
でも、それは自分が事前に決めた内容に成らないだけの話ではないでしょうか?
自分の思い通りに行くことよりも、「絶えず自分にとっての最善に流れて行く」と考え直すことも大切な視点なのです。

ここで知って置くべきことが在ります。
それはコノ世では、自分に因果が残らないように、悪い因果を自分で昇華して持ち越さないようにと、物事が流れる絶対法則が在ることです。
つまり、どんな結果であっても、自分の因果を昇華する意味では絶対に最善に流れているのです。これは自然法則です。誰も避けることは不可能です。

「いや、今の自分にとっては最悪に嫌なことだから、それが最善だとは絶対に思えない」
と人間は思います。
しかし、そう思っているのは自分の自我(じが:自分勝手な思い)なのです。
自分の過去を反省したり、自分がしてきたことや態度を公平に冷静に思い出しますと、必ず自業自得になっていることに気付きます。
短い期間では言えませんが、長期の視点では因果応報(いんがおうほう:原因と結果)は必ず成立します。

また、自分が事前に決めたデザイン(希望)が正しいことも絶対に無いのです。
しかし、自分の思い通りのデザインにならないからと言って、最悪だと思い込む人が多いのです。
自分にとって深い意味で本当に最善に流れるならば、努力次第で「自分のために」途中でデザインや予定が変わるのも正しいことなのです。



昔から、「人を呪わば穴二つ」と言います。これは、他人を呪って殺そうとしますと、
自分もその報いで殺されることに必ずなるので、墓の穴が二つ必要になる。
他人を陥れようとすれば、自分にも悪いことが起こる。
という例えの言葉です。これは霊的には真実の現象です。

更に正確に言いますと、もし呪われた方の人間が感謝の在る生活をしていて、先祖(遺伝子)にも感謝をしている人間ならば、そして良心(内在神)の視点から見ても正しい場合は、
「人を呪わば穴一つ」に成ります。呪った側の人間の穴が、1つだけ必要に成ります。
自分が他人を呪いましても、良心(内在神)の判定では相手が実際には正しい場合が多々あるのです。本人の幼い自我(じが:ワレヨシの気持ち)が、呪っているだけなのです。



昨日は家族と街に行きましたが、社会で自動車のトラブルが増えると感じました。
運転による事故も増えますが、公共の場での駐車でも因縁を付ける人間が増えると予測します。
昔の日本人ならば他人に土下座など要求しませんが、今の若い人間ほど教育のために違うようです。
抑圧された自分の自我(ワレヨシ)が、他人を下にすることで不満を発散させます。
そんな人間には対峙をせずに、無難に無視して流すか、目の前で直ぐに警察に電話することです。

他人を踏み付けた発散をすれば、それが終われば更なるストレスが自分自身を苦しめます。
本当の自分(真我・内在神)が許してはくれないからです。他人の真我(内在神)をイジメた罪は重いのです。そして、ますます自分の運気が落ちて行き、社会で苦しむことに成ります。最後は刑務所も有り得ます。



しかし、「無欲で物事に挑戦しなさい」とは、自分の自我(じが:ワレヨシの思い)が邪魔をして、現代人には非常に難しいテーマです。

私たちは「挑戦する前から」、結果を望んでいます。先に結果を考えています。
このような思い(自我)が強い人間ほど、未来を気にしたり、占いなどを好みます。
老子は、「それがオカシイのだ」と言っています。
挑戦する前から結果を置く不自然さ、今の目の前の物事を捨てて空白の未来を見ていては、失敗するのが当然だという意味なのです。
しかし、私たちは先に結果を置いていますね。



物事の真実というものは、その中に入ってしまいますと、逆に見えなく成ってしまうことが多いのです。
もし外部から全体を見ることが出来ますと、進むべき方向が分かります。
だから親の言うことには、一理は有るのです。
子供は物事の最中である限りは、自分自身のことが見えなくて分からないことが多いのです。

会社でも中に入ってしまいますと、自社の冷静な評価をすることが出来ません。他社を知らないからです。
自分の霊体(魂)も肉体の中に居る間は、その姿を見たり自覚することが出来ません。
さらに逆に言えば、
自分の心に居る大いなる存在(精気。内在神)に気付くためには、人生での苦労や悩み、相反する自我(ワレヨシ)も必要なのです。


日々、生き直すこと 2012-06-17 11:09:50

霊的には、祈願や呪詛(じゅそ:のろい)の霊的磁気は、大したパワーを根本的に持てません。
その発生源のエナジーが、自我(じが:われ良し)という仮の霊層から生じるからです。一時的な幻影なのです。
しかし、感謝する思いは、心の奥の良心(内在神)からエナジーが無限に来ますから、正しく回路を自分が維持すれば枯れることがありません。すべてに改善作用を起こします。
ただ、この回路の維持も、いつの間にか自分のための先祖供養に成ってしまうことと同様な、途中で接続先が知らずに変わらない配慮が大切なのです。

そのためには日々の、淡々とした感謝の先祖供養、または生活の中で先祖に感謝をする習慣が大切です。
自分の心の良心に存在する内在神に日々の感謝をし、大自然に在る神社に参拝すれば感謝の思いだけを捧げます。
この行為により、回路の接続が修正維持され、日々の自分を原点に引き戻してくれます。


縦割りから並行へ 2011-12-20 11:17:11

私たちも生活の中で、柔軟で臨機応変な考え方をしましょう。
これが防災意識にも役立ちます。
そろそろ自我(我良し。小さな視点)のロボットから脱皮する時節が始まりつつあります。



今の自分の深刻な悩みも、未来の自分(心)が大丈夫だと静観しています。
むしろ、下手な手助けはせずに、「そうそう、もっとガンバレ!」と見ています。
これは神様でも同じです。
せっかく用意された限定時間(人生)の中で、出来るだけ本人の魂が成長し、その人間の自我(じが:我良しの思い)が昇華することを神は思って静観します。正神ほど、個人の悩みや願望に干渉しません。
下位の霊的存在ほど、個人の欲望に加担します。これは正神ではなく、交換条件が有るということです。トータルで精算した場合、これは実は大きな損なのです。



人間は、自分以外の他人の問題点が気になる習性があります。
「自分の問題点は気にならない」のですが、他人の問題点には非常に敏感に反応しているのです。これがストレスの始まりです。
つまり人は、自分自身を見ずに、他人を見ている比重が大きいのです。
自分を見る、省(かえり)みる視点が欠けているのが、今の人類の大きな欠点だと感じます。国家間でも、同じ問題が在ります。
しかし、精神を向上させるには、他人を見ずに、自分自身を内省する視点が不可欠なのです。
他人の欠点が腹立たしく成る自分が居れば、それは自分の自我が大きく成り始めていると思いましょう。
自我(じが:我良し)が大きくなれば、すべてが苦しく感じるように成ります。
注意2.人間は、犯人や問題の原因を、自分以外に探す本能が在るということ。まず、自分自身に問題の原因を探して見ましょう。



今、生きることを苦しいと感じている人は多いです。
でも、想像して欲しいのですが、今のその苦しいと感じていることがクリアされれば、本当に幸福に成れると思いますか?
答えは、NOです。
また違う問題を苦しく感じ始めるからです。それをクリアしても、またまた違う問題を「感じ始めます」。
要は、自分が(我)一人で見出して感じているのです。その苦しみを生み出している正体は、自分の我(が:自我:我良しの心)です。

その証拠に、どんな人間にも生きる間は悩みは在ります。
この世に生きるとは、そういうことであり、それが「成長するため」の本能なのです。
物理の世界でも、安定だけでは永遠に変化が無く、異種間(他人との間)の反応が起こって初めて第三の物が誕生するのです。
この短い人生だけが、嫌な反応を体験出来る唯一の次元です。本当に、神様からの限定タイム・サービスなのです。
短い人生は必ず終わります。肉体を脱いだ後の全人類は、
「なんだ、こういう事か。もっと明るく体験すれば良かった。もっと明るく苦しんでも良かったな。いや、そうすべきだったんだ。ああ、もったいないことをした。貴重な機会を捨てていた。あの人にも、この人にも、申し訳がないな。」
このような事を全員が必ず思います。楽しみにしていてください。



テレビで中年期から起こる早期痴呆症についての特集を、話の途中から見ました。私も中高年に近づき始めましたので、興味深く拝見させて頂きました。

(中略)

脳の萎縮は肉体から運動機能を奪い、男性の動きはロボットのように固くスローでした。作業が終わり、狭いユニット・バスの浴室から汗だくになって出てきた男性は、上司である女性の介護士に聞きました。
「あなたは、私に教えてくださるが、私はあなたの邪魔をしていないだろうか?」
と言う1行の言葉を、脳の萎縮で消えかかる言葉を“捜しながら”、やっとのことで聞いておられました。
上司は、「役に立っていなければ、社長が首にしてくれるから心配しないで」「助かっているから、共に働いているのよ」と答えました。
理解する間をおいた後、男性は小さくうなずいておられました。男性の目には、なぜか涙があふれていました・・・。
その男性の汗と涙を拭く上司の目にも、涙がありました。

この場面に私は非常な感銘を受けました。
消え行きつつある自分の肉体機能、自分の命の心配をせずに、他人に迷惑を掛けていないのかを心配しているのです。
脳の萎縮により不要な自我(じが:われ良しの気持ち)が消えて行きますと、そこに残るのは人間の本性(ほんしょう)である、他人への「思いやり」なのでした。


いつも一緒です  2010-10-06 11:53:02

しかし、自分の自我(じが:我良しの気持ち)が改善されるとは、人は違和感を覚えるものです。むしろストレスを感じるのです。
その魂にとっての改善のための軌道修正を、不幸な現象や不運が自分に起こったと思い込む人が世の中の大半です。
でも真相は、自分の為の軌道修正=不幸なショック、であることが大半なのです。
もっと強く言えば、どんな不幸もムダでは無いのです。内在神が共に体験して味わっています。
人間の幸福・不幸を引き寄せている正体は、実は自分の心の内在神なのです。
要は、この世での人間は24時間、内在神と常に一緒です。生きている限り、離れることが逆に不可能なのです。あなたは、今も神様と共に居ます。

これは逆に言えば畏れ多いことです。
完全に公平な基準とも言える神が、自分のすべてを常に見ているのです。
自分が悪い事をすれば、大きな罪を犯さない間に、早めに気付きの為の「自分・自我にとっての不幸」をプレゼントしてくれるかも知れませんね。


自分自「神」が救います 2010-10-01 12:04:15

人間の人生は、自分の心の良心=内在神、への信心(しんじん:信じる心。信仰心)で大きく変わります。
要は、自分自身以外の組織、人工物・お守り・・・を信じている人は、本当の正しい信心が無いのです。自分を信じられない気の毒な人です。
逆に、形式的な信仰心が無くても、自分を信じて行動出来る人は、ある意味では信仰をしているとも言えます。
ただ、我良(われよし、自我)な自分を信じるのではなく、自分に内在する良心=神を意識して行動ができれば、真の求道者であり信仰者でもあるのです。


関連コメント



  • 最終更新:2017-05-24 01:09:14

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