老子(言葉)第七十一章〜第八十章

■老子(言葉)第七十一章〜第八十章について
関連項目 老子 老子(言葉)
目次

第七十一章

関連記事

悩みの本質 2012-12-22 11:12:30

老子の言葉 第七十一章

(独自の超訳)

自分が知っている物事であっても、まだ知り足りないと思っていることが最善です。
もし、知らないことでも知っているとするならば、それは心の病気であり欠点です。

しかし、自分の欠点を欠点として認めるならば、それは欠点では無くなるのです。
だから聖人には欠点がありません。それは自分の欠点を欠点として認識することが出来るからであり、だからこそ欠点が無くなるのです。

原文
「知不知上、不知知病。
夫唯病病、是以不病。聖人不病、以其病病、是以不病。」

(感想)
自分の悪い点や欠点に気付けますと、それを改善することが可能に成ります。
悪い点に気付けない限りは、それはそのままです。
人間には色んな悩みが次々と順番に起こるものです。もし悩みが無ければ、退屈という最高にぜいたくな悩みも有りえます。
これはナゼでしょうか?

人生という有限な期間の中で、心をシンカ・進化・深化・神化させるという目的を持つ魂ほど、自分自身に対して悩み(課題)を自分で与えようとすると感じます。
悩むということは、悪い点や欠点、問題に気付いているからこそ悩むわけです。その人間なりの課題をナントカしたいと思うのです。
その課題に対して悩んでいる内は、少しずつでもその問題に対して対処をしていることに成ります。
人間の悩みが発生する原因に、人生時間が有限であることを本能で知っていることが因子に在ると感じます。
もし、時間の概念が消えた世界であれば、悩みも消えて、成長も止まると感じます。

ここで逆説的に、
「自分の心を進化させる目的が根底にあるから悩むのであれば、先に自分の心を進化させる意識を持てば、自動的に現実の悩みも減るのではないか?」
ということを感じます。
心が進化すれば、自動的(カンナガラ)に問題が起きないような生活行動に成って行くと思います。
では、自分の心を進化させるにはどうすれば良いのでしょうか?

それは、この難しい何の保障もない世界の中でも、
慈悲(情け心)、愛情力、感謝の心、・・・・このような気持ちを自分が日常生活の中で持つことを意識することが大切だと思います。
そして、先祖(遺伝子)への感謝心を持つことが、特に大切であり作用すると感じます。

第七十二章

関連記事

自分の心を守る大切さ 2012-12-23 10:18:02

老子の言葉 第七十二章

(独自の超訳)

民衆が追い詰められて支配者の威光を畏れなくなる時は、恐るべき事態に至ることでしょう。
民衆の住む所を強制的に制限してはいけないし、民衆が生きるための仕事を圧迫してはいけません。
そもそも、支配者が民衆を圧迫しなければ、民衆も支配者を嫌がりません。

だから聖人は、自分の立場をわきまえて目立つことをしません。
聖人は、自分自身を大切にしますが、偉ぶることをしません。
つまり聖人は、強制的な支配をすることを捨て去り、控えめで謙虚な態度を取ります。

原文
「民不畏威、則大威至。
無狎其所居、無厭其所生。夫唯不厭、是以不厭。
是以聖人、自知不自見、自愛不自貴。故去彼取此。」

(感想)
老子が生きた時代には
「民衆の住む所を強制的に制限してはいけないし、民衆が生きるための仕事を圧迫してはいけません」
これの真逆の理不尽な物事が横行したのでしょう。
ただ、真の聖人である老子が、ただの政治的な不満の発言を9✕9=81章の宇宙の神聖預言書の中に入れることはありません。
これを自分自身の心の問題に置き換えますと、理解が進みます。

「人間は自分の心が追い詰められて、恥も外聞も気にしなく成る時は、恐るべき事態に至ることでしょう。
自分の心が住む場所を制限しては生けないし、心が生き生きとしようとする働きを心配心で圧迫しては生けません。
そもそも、自分自身が自分の心を圧迫しなければ、心に自分自身を嫌う思いが起こりません。

ー中略ー

人間は、他人には気を使いますが、自分の心には配慮もしません。自分のモノだから、関係ないと思うのでしょう。
しかし、霊的には自分自身の心に神聖なる道(良心・真理・内在神)が、すべての人間に内在するのを私は感じます。
自分の心に「預かっている」「授かっている」のです。

第七十三章

関連記事


老子の言葉 第七十三章

(独自の超訳)

あえて行動するのに勇敢な者ほど殺され、あえて何事にも消極的な者が生かされることがあります。
この両者それぞれにとって、ある意味では利益が有り、ある意味では害が有ります。
天界が何を悪と判断するのかは、誰もその答えを知ることが出来ません。
これは聖人でさえも難しくて知ることが出来ません。

天の道とは、争わないでも上手に勝ち、
言葉を使わずに上手に体験で教え、
招待せずとも自ら自然に来させ、
ゆったりとしていながらも自然に物事を達成させます。

天界が、悪人を捕まえる網の目が大きくて漏れが出るように人間には思えますが、
どんな悪人も絶対に取り逃がすことがありません。

原文
「勇於敢則殺、勇於不敢則活。此兩者、或利或害。天之所惡、孰知其故。是以聖人猶難之。
天之道、不爭而善勝、不言而善應、不召而自來、繟然而善謀。
天網恢恢、疏而不失。」

(感想)
老子の言葉、「あえて行動するのに勇敢な者ほど殺され、あえて何事にも消極的な者が生かされることがあります」
これの意味する内容は、非常に奥深いです。
「善人ほどナゼか早く死に、悪人ほど生き延びることが世の中には起こります」
・・・・とも、この老子の言葉を言い換えることが可能です。
これの本当の意味と善悪は、神のみぞが知り、その正義は完璧に貫徹しているという説明が文章の後半でされています。

これを理解するには、私たちの短い今回の人生だけを「切り取って」見ても判断は出来ないでしょう。
普通ならば、善人ほど長生きをして、この世で報われるのが正義だと考えるのが一般的です。
しかし、悪人が長生きをすることは、それは悪人個人にとっては本当に良い結果をもたらすのでしょうか?
この世だけで、その悪人の心が本当に終わるならばラッキーなのですが、死後の反射が有ると仮定しますと大変です。生きれば生きるほどに悪行を重ねるのですから。このような意味を、
「この両者それぞれにとって、ある意味では利益が有り、ある意味では害が有ります」
という表現で老子は完璧に説明しています。

とにかく言えますことは、この章から分かることは老子が
*天界が存在するということ。
*因果の法則(自分がした事は、違う人生を体験してでも必ず自分に帰ること)。
*人間の魂の転生。
*天界が人間を導く方法。
このような意味と道理を深く理解して示唆していることが良く分かります。

ー中略ー

私が感じますには、人間が行うどんな行動にも「見えない糸(霊線)」が付いているのです。
生きるほどに、自分が行った全ての行動の糸が織物を成すように人間には付いて「来る」のです。
そして死後に、自分が作った織物を天界に献上するわけです。
どんな小さな行為にも糸(霊線)が付いていて、織り込まれて行きます。

「ボロは着てても心の錦」と昔から言いますように、心で虹色の美しい織物を作りたいものです。

第七十四章

関連記事


老子の言葉 第七十四章

(独自の超訳)

もしも民衆が悪政治により圧迫されて死ぬことも恐れなくなれば、どうして死刑によって民衆を脅すことが出来ましょうか。
たとえ民衆が常に死を恐れているとしましても、もし悪事を働く者がいれば、私が捕まえて死刑にすることが可能ですが、誰が自ら進んで他人の死刑を執行することが出来ましょうか。

常に人間の生死を司る大いなる存在がいて、人間に死をもたらすものなのです。
その生死を司る大いなる存在に成り代わって、人間の判断で他人の死刑を執行するということは、
これは熟練した職人に成り代わって素人が木を削ることと同じなのです。
このように熟練工に成り代わって木を削る者は、自分自身の手に傷を負うことに成ります。

原文
「民不畏死、柰何以死懼之。若使民常畏死、而爲奇者、吾得執而殺之、孰敢。
常有司殺者殺。夫代司殺者殺、是代大匠斲。
夫代大匠斲者、希有不傷其手矣。」

(感想)
現代の日本では、法務大臣が死刑執行のサインをするかどうかが常に問題にされています。
この章で老子は、大いなる存在(神)に成り代わって、人間が人間を裁くことの難しさを言っています。
自分が他人を裁く場合、自分自身も同様に傷を負うことに成ると指摘しています。
これは私たちの日常生活におきましても、たとえ小さなことでも同じことが言えると感じます。
だから、自分のことを叱ってくれる人がいますと、その人も心に傷を負うことに成りますから、感謝をするべき人間だということです。

ー中略ー

この章の話の答えは、この世では出ずにアノ世に持ち越す問題だというのが私が感じる答えです。
言えますことは、

*人間が人間を裁く場合、どちらにも傷が発生するということを知っておくこと。
*その上で、自分の良心が納得した行為には、救いが有るということ。
*殺人を命じる人間には、被害者と執行者の両方の苦しみを生んだという2倍の因果が発生するということ。

結局は、この世では、どんな仕事でありましても、自分自身の良心との問答なのです。
自分自身の良心ですから、すべてを見て知っています。ごまかすことは不可能です。
逆に言えば、自分の良心を見詰めて生きて行けば、すべては大丈夫なのです。

第七十五章

関連記事

自然な流れで生きること 2012-12-26 11:19:41

老子の言葉 第七十五章

(独自の超訳)

民衆が飢えるのは、そこの支配者が税金を多く取り過ぎるからです。これこそが飢える原因です。
民衆が平和に治まらないのは、そこの支配者が間違った政策をするからです。これこそが平和に治まらない理由です。
民衆が人の死を軽んじるのは、そこの支配者が自分たちが生き残ることばかりを重視するためです。このために民衆は他人の死を軽視します。

つまり、生きることに執着せずに自然に生きる者の方が、生きることに執着する者よりもより良く生きることが出来ます。

原文
「民之飢、以其上食税之多、是以飢。民之難治、以其上之有爲、是以難治。
民之輕死、以其求生之厚、是以輕死。
夫唯無以生爲者、是賢於貴生。」

(感想)
「生きることに執着せずに自然に生きる者の方が、生きることに執着する者よりもより良く生きることが出来ます」
これは色んな物事にも言える真理だと感じます。

ー中略ー

(1) 考えないこと。
(2) 明るく、あきらめること。
(3) 自然な流れに任せること。
このような心境を自分なりに心掛けること、知識として知っていること、の方が人間には最善だと感じます。

ただ、自分の生活の中で「考えないこと」とは、非常に難しいものです。大げさに言えば、無の境地です。
要は、目の前のするべき仕事に無心で淡々と当たることなのです。
この状態が、自分の願いを一々と思わないでも(脳の記憶に既に在るからです)、自分の無意識が自分自身にとっての最善へと誘導するのです。
これは、ナントナク(カンナガラ)に進むという状態です。
老子は、このような状態を「道に生きる」「道に従う」と表現しています。

第七十六章

関連記事


老子の言葉 第七十六章

(独自の超訳)

人間が生まれた時は、肉体が柔らかくて、しなやかです。
しかし、人が死んだ時には、堅くてこわばっています。
草や木や万物も生まれた時は柔らかくて弱いですが、これが死んだ時は枯れて堅く成ります。

だから、堅くて強がっている者ほど死に近く、柔らかくて弱い者ほど長生きに近いのです。
以上の理由で、強い武器に頼る者ほど相手に勝てず、木も堅く強いほど逆に折れやすく成ります。
つまり、強くて大きな存在ほど下層になり、柔らかくて弱い者ほど上座に居ることに最終的には成ります。

原文
「人之生也柔弱、其死也堅強。萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。
故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。
是以兵強則不勝、木強則折。強大處下、柔弱處上。」

(感想)
「堅くて強がっている者ほど死に近く、柔らかくて弱い者ほど長生きに近いのです」
この老子の言葉は、色んな意味で何にでも言えると思います。

自分が強いと思う者ほど危険を避けず、弱いと認識している者は慎重に成ります。
車の運転に自信を持つ者ほどスピードを出し、運転が下手だと思うものは丁寧に運転します。
自分の健康を過信する者ほど肉体に負担を掛けており、意外にもポックリと逝くこともあります。
自分の体は弱いと思う人ほど普段から養生をしており、意外にも長生きをされます。特に女性に多いです。

このようにして、この世の物事とは「逆に流れる」法則が存在することを、老子は他の章でも何回も指摘しています。
この世は、陰と陽という正反対の性質同士の反射で出現しているという基本が存在するのを感じます。
だから物事の反対が出現しやすいという世界なのです。

ー中略ー

この章での教えは、
(1) 心を堅くするな。心を柔らかく柔軟で居なさい。堅物は損をするということ。
実際にも硬い肉体は、ケガをしやすく、病気にも成りがちです。ガンは細胞が固まるイメージがします。
心身ともに柔軟で居ましょう。

(2) 何事にも謙虚で居れば、大丈夫だということです。

自分が弱いと思っている人も大丈夫です。自分が強いと思える人も、謙虚であれば最高です。
この章は、この世の法則として、自分の生活の中での1つの視点に成れば幸いです。

第七十七章

関連記事


老子の言葉 第七十七章

(独自の超訳)

天界が行う方法(道・真理・法則)とは、弓に弦を張るときと似ています。
高い所は押さえ込み、低い所は持ち上げます。
弦の長さに余りがあれば短くし、弦が短くて足らなければ継ぎ足して補います。

天界の方法とは、このように余ったものを減らして、足らないものを補うのです。
しかし、人間が行う方法はそうではなくて、足らない方を更に減らして、有り余る方に奉納してしまいます。

どんな人物が、自分の有り余るものを社会の困る人々に奉仕するのでしょうか?
それは道徳心を身に付けた者だけが、これを出来ます。

だからこそ聖人は、何かを成し遂げても要求はせず、大きな功績を上げてもそれに安住はせず、
自分の賢さを他人に見せることを嫌がります。

原文
天之道、其猶張弓與。髙者抑之、下者擧之。有餘者損之、不足者補之。
天之道、損有餘而補不足。人之道則不然、損不足以奉有餘。
孰能有餘以奉天下。唯有道者。
是以聖人、爲而不恃、功成而不處、其不欲見賢。

(感想)
「高い所は押さえ込み、低い所は持ち上げます」
「天界の方法とは、このように余ったものを減らして、足らないものを補うのです」
「人間が行う方法はそうではなくて、足らない方を更に減らして、有り余る方に奉納してしまいます」

これはまさに、コノ世での金の流れ、税金の流れを老子が表現しています。
大海の海面とは、海底がどんなに深かろうと浅かろうと、常に高さが一定に調整されています。
これが法則であり、天の意志だということです。
しかし人間界では、金持ちには更に金が集まり、貧乏人からは更にお金が逃げる仕組みに成っています。

しかし、天の意志とは、どこまでも細部にまで貫徹しており、水平を完璧に取ります。
金銭が突出して多ければ、他の物事(健康・寿命・家族関係・・・・)などをもって調整され、
金銭が少なければ、自分が気付かない物事の自由が与えられているものです。
それぞれにおいての一長一短をもって、水平が保たれています。

ー中略ー

人間は短い人生の間に、どんなに何かにおいて突出しようが、最下層に居ようが、すべての人間が平等に死を迎えて裸に剥かれて水平に戻されます。なんと畏れるべきことでしょうか。
長い視点で見れば、やはり完璧に平等なのです。死後の世界も含めれば、一厘まで帳尻も合わされます。
結局は、生きる間はどんな境遇でありましても、その中でも感謝をしていることが最も尊い生き方であり、最善なのです。
そして、原文の最後に有りますように、「謙虚であれ」ば大丈夫なのです。

第七十八章

関連記事

弱くても大丈夫なのです 2012-12-29 11:19:12

老子の言葉 第七十八章

(独自の超訳)

この世に水よりも柔らかで弱々しいものはありません。
しかし、堅くて強いものを攻めるには、水に勝るものは無いのです。
水が持つ本来の性質を変えられる物など、この世には存在しないからです。

弱いものが強いものに勝ち、柔よく剛を制するとは、この世でよく知られることですが、それを行うことが出来る者がなかなか居ません。

以上のことから聖人は、
「国家の汚名を自分の身に引き受ける者、その人こそが国家を代表する神官であります。
国家の災難を自分一人の身に引き受けようとする者、その人こそが国家の真の王様である」
と言います。
本当に正しい言葉とは、普通とは逆の様に聞こえるものなのです。

原文
「天下莫柔弱於水。而攻堅強者、莫之能勝。以其無以易之。
弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。
是以聖人云、受國之垢、是謂社稷主、受國不祥、是謂天下王。
正言若反。」

(感想)
人類の歴史を見ましても、出現したどんな強国でも、それを構成していたのは一人一人では弱い民衆に過ぎません。
一人では弱い人間でも、「思いを1つ」に出来るか否かによって、その国家の強さが変わります。
自然界で水が最強であるのは、水同士は性質が同じだからです。
もし、少しでも性質が違う液体(油など)が水に混ざりますと、分離して棲み分けが自然と起こります。
しかし、棲み分けが出来ない場合は、異質なモノ同士が混ざり合い、全体が別物の濁った液体へと変化してしまいます。
それぞれが持つ本来の個性は低下してしまいます。

これと同じ現象が、一人の人間の心の中でも発生するのです。

ー中略ー

幸運な人物、事業の成功者、強い武道家、・・・・このような人々の中でも特に凄い人、達人ほどに共通することは、
*思いの志(こころざし)が1つでぶれない。
*考え込まない。雑念が湧かない無の心境で生活している。
*無の心境で、目の前の問題を常に見詰めている。
つまり、自分の中で雑念という分離が起こらずに、無心で居るという統合の状態でいる人間です。
分離の無い状態の心とは、本当に強い未知の力を呼び起こします。
自分の中の1つ1つの思いや感情は弱くても、全体で志を1つに統合している心は強い実現力を有するのです。
だから、生かされている感謝の思いを志のカギとして常に持つことは、非常に良いことです。

ー中略ー

自分自身が弱いと思う人間でありましても、良い志を持って、自己責任を持って、自分が出来ることを努力していけば絶対に大丈夫に成るということなのです。

第七十九章

関連記事


老子の言葉 第七十九章

(独自の超訳)

大きな怨みを和解させても、必ず後々も怨みが残るものなのです。
これは決して良い事を成したとは言えないのです。

だからこそ聖人は、御金を貸した借用書を持っていましても、無理に相手から御金を取り立てることをしません。
つまり、徳の有る人間は契約書の紙の管理に関わり、徳の無い人間は厳しい金銭の取り立てに関わります。

天界のやり方とは完全に公平であるので、だからこそ天は常に善人にエコヒイキをします。

原文
「和大怨、必有餘怨。安可以爲善。
是以聖人執左契、而不責於人。有徳司契、無徳司徹。
天道無親、常與善人。」

(感想)
まるで老子が、2500年後の現代の地球を視て書いたような文章です。これを言い換えますと、

「大きな戦争の怨みを無理に和解させましても、後々まで遺恨は残り、更なる悲劇を呼ぶものなのです。
だから無理な和解は、決して良い事では無いのです。
だから聖人の国ならば、戦争の遺恨のツケを相手から返して貰わずに、貸したままにしておきます。
愚かな国は、貸したツケを無理に暴力で取り返そうとします。
しかし、天とは完全に公平なのです。
戦争をした両国を公平に見て、戦中・戦後の行いの善悪を総合的に判断して、徳が勝るほうの国家を天はエコヒイキします」

これは個人の人間関係にも言えることです。
他人とひどく争えば、無理に和解しようとはせずに、静観するのが良いでしょう。自然な付き合いの流れに任せるのです。
自然と両者が歩み寄るならば最高ですし、ダメならば静観です。
そして神が、自然と正しい方にエコヒイキをすることでしょう。この場合、自分の良心(内在神)に恥じない自分自身であることが大事なのです。
だから自分が悪いと思えば、自分から素直に謝ることも大切です。
そのすべてを天が視て判断をします。

第八十章

関連記事


老子の言葉 第八十章

(独自の超訳)

国は小さくして、住民は少ないのが理想の国家です。
さまざまな文明の道具が有っても使わないようにさせ、
住民には生命を大切にさせて、遠くへ移住しないようにさせます。
舟や荷車が有っても乗ることがなく、鎧兜(よろいかぶと)や武器が有りましても、
これを並べるだけで使うことがないようにさせます。
住民には、文字の無い太古のように縄を結んで記号として使わせます。

自分の国の食事を美味しいと思い、自分の国の衣服を美しいと思い、自分の国仕様の家に安住し、
自分の国の習俗を楽しむようにさせます。

隣国がすぐ近くに見えましても、隣国の鶏や犬の鳴き声が聞こえるほどでありましても、
住民が老いて死ぬまで隣国との往来をさせません。

原文
「小國寡民。使有什伯之器而不用、使民重死而不遠徙。
雖有舟輿、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。使人復結繩而用之。
甘其食、美其服、安其居、樂其俗。
鄰國相望、雞犬之聲相聞、民至老死、不相往來。」

(感想)
これまでの章を読めば良く分かりますが、老子の思慮深さや、現代社会にも通じる予言性の正確さは、人知を超えた存在の言葉であることを証明しています。
この真の聖人である老子が言う理想の国家の姿とは、

*小さい国土で、人口が少ないこと。
*最先端の文明の道具や、国家を守るための最新の武器を保有はするが、自ら使うことをしない。
*あえて、原始的な生活をして楽しむ。
*自分の国の食事・衣装・家・習慣を大切にして守ること。
*隣国とは、どんな近距離でも断絶して、一切の交流を禁止する鎖国をすること。

これが老子が示す理想の国家像です。

ー中略ー

民族問題とは、どんなに美辞麗句を使って怨念を解消しましても、第七十九章の指摘のように解決は難しいのかも知れません。
やはり割り切って、お互いを「尊重して」棲み分けをするのが、穏便に世紀が進む人類のサガかも知れません。


20140620

  • 最終更新:2015-01-07 23:46:49

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード