老子(言葉)第一章〜第十章

■老子(言葉)第一章〜第十章について
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目次

老子の言葉

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老子 2012-08-21 10:00:50

老子の言葉

(1) 自分の心がしっかりと落ち着いていれば、どんなことがあっても、
深い谷のように流れる水を、静かに受け入れることができる。

(2) つま先立ちをする者は、長くは立っていられない。
大股で歩く者も、長くは歩けない。

(3) 自分自身に満足することができ、誰とも自分を比べず、誰とも競わなければ、
誰もがあなたを尊敬してくれることだろう。

(4) 誰かを深く愛せば、強さが生まれる。
誰かに深く愛されれば、勇気が生まれる。

(5) 今持っているものに満足し、ありのままの姿を喜びなさい。
自分に何も欠けていないと悟れば、全世界が自分のものとなる。

ー中略ー

順番に老子の言葉を味わう記事カテゴリーを新たに設けます。
(5)などは、まさに釈尊の「天上天下唯我独尊」の意味と解説です。楽しみにして頂ければ幸いです。

第一章

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老子の言葉 第一章

(独自の超訳)

これが正しい人生(道)だと言い表せる様な人生(道)は、本当に正しい偉大な人生(道)などではない。

これが本当の「名前」だと呼べる様な名前は、真実の名前ではない。
天地が創られた時には名前などは存在せず、万物が生み出された後にそれらは勝手に名づけられたのだ。
だから無欲な心をもって見れば、“名前に左右されない”物事の本当の姿を人は見る事ができるだろう。
欲望の心のままでは、人は物事の上辺の姿しか見る事ができない。名前(人の地位)に左右されてしまう。

この世は、すべてが1つの同じ根源存在から創られたのに、陰と陽という2つの別々の名前を持っている。
その1つなる根源存在を「深遠なる神秘」と私は名づけたが、その神秘(玄)もやはり別の神秘からこの世の全ては生み出されている。これが、この世の万物が生まれ出る門(仕組み)です。

原文
「道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。」

(感想)
どんな人間の人生も“意味が有り”、それぞれ非常に大切な人生だと言うことです。
コノ世で偉い人物の人生が正しい訳では無く、どんな人生でも二度と無い大切でかけがえのない人生なのです。
人は、自分の人生は失敗だったとよく言います。
でも、生み出した存在(親)からすれば、わが子たち(人間)がコノ世で色んな経験をして七転八倒していても、それが輝いて美しく見えるのです。
親は、自分の子供が学校で悪い点数を取ってくれば将来を心配して怒りますが、祖父母は孫が取る点数よりも孫が存在するだけで十分なのです。
だから生み出した根源存在からすれば、どんな人間の人生も素晴らしいのです。


関連コメント

>その1つなる根源存在を「深遠なる神秘」と私は名づけたが、その神秘(玄)もやはり別の神秘からこの世の全ては生み出されている
とは、根源存在さえも別の根源存在から生まれているという意味ですか?

。。。根源存在にも陰陽があるということ。
1=2、分けることが出来ない。
2012-08-23 15:55:36

第二章

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老子の言葉 第二章

(独自の超訳)

世の人々は全員が、美しいものは美しいと認識している“つもり”だが、これは正しくは無いのです。
世の全員が、善は良いものだと思っているが、これも正しくは無いのです。
その理由は、善と悪、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、金持ちと貧乏、美人と不美人、
・・・・このように全てを「他人と比較する」心から人は認識しているからです。
これが正しいことなのでしょうか?
犠牲者が居るような人の認識は、本当に正しい気持ちなのでしょうか?
そうではなくて、全てがお互いに調和して存在することを知って初めて、人は正しく物事を認識することが出来るのです。

だから真理(道)を知った聖人は、このような「比較する」区別をせずに、無言のままで自分の生活態度により正しいことを実行して人々に見せます。
聖人は、名声や評価を求めずに、善いことをしても見返りを求めません。その必要が無いのです。
なぜならば、他人も含めて、コノ世のすべての物事が聖人の「持ち物」であることを知っているからです。

原文
「天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。」

(感想)
第二章では、老子が珍しくも御自身のことを説明しています。
しかし、この原文から老子の言いたい真理に気付く人が、どれほどいるのかが疑問です。それほど超高度なことを老子は言っています。

人間が自分は知っていると思い込んでいる程度などは、すべてが弱者との比較から成り立っているのです。
人間は比較することでしか、物事の認識が出来ない程度だと示唆しています。
そうでは無くて、すべてが善も悪も、敵も味方も一体であることを知らなければ生けません。

老子は、コノ世の全てが自分自身の持ち物だから、名声も・金も・見返りも不要だと言っています。自分で自分をホメること(=他人からホメられること)は不要であり、良いことも悪いことも、すべてが自分自身に対してすることに成る真理を知っているのです。
これは、すべてを支配する王様という独裁者の意味などではなく、究極の下からの視点なのです。
コノ世の全てを持つと言うこと=何も持たない、ことに成るのです。これは想像してみれば分かります。
これは、老子だけに言えるのではなく、私たち全員も同じ法則の下(もと)で生きています。


関連コメント

今日の後半
老子の宇宙スケールの視点は
「天上天下唯我独尊」の視点と同じと思っても良いのでしょうか?
同じようなちょっと違うような・・・・違う角度からですか?
只今、この場で学ばせて頂いている事は
あの世では学べない事なのでしょうか?
つまり、この世でないと森羅万象も老子も読めないし理解する努力が必要で
理解できた分はあの世に持って行けるのでしょうか。

。。。共通点があります。

先祖への感謝を普段の中でしていけば大丈夫です。先祖への感謝磁気を貯めることが、物事を改善させる力となります。

これが出来るのも、本人が創った縁です。
すべては完全に公平です。

「だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる」本、「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を出来れば何回も再読してください。

衣食住のするべきことが分かります。実践が教え導きます。
2012-08-25 19:51:43


この世には自分のモノなどなにも無いということと、他人も含めて全ては聖人の持ち物であるということは、別の真理ですよね?
それとも、同じ真理ですか?

。。。同じ真理です。

すべてが自分のものならば、それを使うことが無いのです。
使わないのならば、何も持たないことと同じです。
2012-08-25 15:52:14

第三章

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老子の言葉 第三章

(独自の超訳)

国家や会社の経営者が、試験による資格を持つ者ばかりを採用することが無ければ、人々が互いに卑怯な競争をしたり、他人を蹴落としたり、弱者をイジメる事もなくなるだろう。
金銭が有れば何でも出来る・許されるという風潮を社会の経営者が造らなければ、民衆が泥棒や詐欺を行うことはありません。
また、マスコミや報道が、人々の欲望を刺激する様な情報を流すのを絶てば、人々の心は落ち着くでしょう。
だから「人が生きる道」を知っている真の聖人が行う政治と経営というものは、民衆にムダな競争をさせることを止めさせて、その代わりに心身を健康に保つ行事・習慣を社会に持たせます。
民衆が互いに競う・比較し合う気持ちから発生するストレスを少なくして、その分は心身を強く保っていれば、間違った知識や野心を持つ一部の人間に民衆がダマされることが無くなります。間違った経営者が、社会に生まれなくなるのです。
このようにして世の中を自然と安泰に治めることが、聖人には可能なのです。

原文
「不尚賢、使民不爭。不貴難得之貨、使民不爲盗。不見可欲、使民心不亂。是以聖人治、虚其心、實其腹、弱其志、強其骨。常使民無知無欲、使夫知者不敢爲也。爲無爲、則無不治。」

(感想)
この文章で老子は、あえてわざと現実社会への嫌味・逆説を述べています。
私は老子ご自身が、古代中国における難関中の難関のいわゆる官僚試験を勝ち抜いた超エリート役人だったと感じています。

(中略)

老子が示唆する会社経営では、資格や学歴重視ばかりの会社は伸びないことに成ります。
それよりも社員の心身の健康を重視した、偏った思想を持たない素直な人間を採用する会社が継続することに成ります。
また、社会競争を勝ち抜いた策略に長じた社員ばかりを集めますと、最終的には経営者が追放されるのが世の常なのです。
一時の栄華を見た後に追放された経営者、成長の後に破滅した国家を見て、お前たちは何のために経営をしていたのか?人間は楽しみながら、安心して長く生きることが大切では無かったのか?と老子が笑っているように思えます。

人間が欲望を追求していますと、間違った指導者が登場しても簡単に人間は誘導されると老子が文中で示唆しています。もしそうなれば、その社会と国家は破滅するのが繰り返されて来た人類のパターンなのです。
今の日本は、適度に欲望が枯れつつあると思います。繁栄一辺倒の社会から冷めつつあるのではないでしょうか。
お金を持っていても、心身が病んでいれば楽しめないこと、その意味がないことに気付き始めたのかも知れません。
これは個人も社会も長生きするためには、良い感じかも知れません。
要するに、他人を見て比較して「慌てるな」ということです。

第四章

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人の心は武器を制します 2012-08-27 10:32:00

老子の言葉 第四章

(独自の超訳)

人間の心(道でもある)は、まるで空の容器でもあるかのように、何の力も無いように人は思っています。
しかし、心の大きさと働きは、何をいくら注ぎ込んでも一杯にならないほど広大無辺であり、無限の力を持つものなのです。
人の心の深さとは、底(限界)が見えない淵のように奥深くて、万物を生み出す大もとが心に存在するらしい。

人の心は(道)は、万物の鋭さを丸く収めることが出来ます。つまり、刺々しい人間関係や、国家間の刃物(武器)の先端をも人の心は丸くすることが可能なのです。
心は、物事のもつれや誤解を解きほぐし、強い怒りの光をもやわらげることが出来ます。
そして、コノ世の人の汚い部分や悲しみにも、人の心は同情して他人と共有することが出来ます。

本来の人の心(道)とは、深々とたたえた水のように静まりかえり、心中に何かが存在しているらしい。
私は、この人間の心(道)が、一体何者の子どもなのかを知りませんが、
どうやら万物を生み出した天帝のさらに上の親であるらしい。

原文
「道冲、而用之或不盈。淵乎似萬物之宗。挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。湛兮似或存。吾不知誰之子。象帝之先。」

(感想)
この文章には驚きました。学者ならば、文中の最初の「道」の解釈でつまずき、老子の真意がサッパリ分からないのが第四章だと思います。
しかし私には、これほど自身に響く言葉はありません。
老子こそが、人の心に存在する良心(内在神)の正体を知っていたということです。
しかも、大いなる存在(神)を生み出した親が、実は人の心に住んでいると言うのです。“灯台もと暗し”だったのです。

第五章

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老子の言葉 第五章

(独自の超訳)

天地自然(神)の働きに対して、人間だけに都合の良い愛情を期待してもムダです。人間も家畜も平等に扱うのが天地(神)なのです。
真理「道」を知った聖人の行いに対しても、個人へのエコヒイキを期待してもダメです。聖人は、どんな偉い人間も家畜も平等に扱うでしょう。

天と地の間の空間(今の住む世界)とは、大自然(神)の働きが空気を送り出す鞴(ふいご)の様なものです。
空っぽの中から尽きることなく万物が生み出され、大自然が動けば動くほどに新たな生命が溢れ出て来ます。

大自然(神)の正体を、どんなに言葉で言い表そうとしても表現に詰まることでしょう。
だから言葉で説明出来ない大いなる存在に対しては、黙って“お任せ”でいるのが一番にお得なのです。

原文
「天地不仁、以萬物爲芻狗。聖人不仁、以百姓爲芻狗。天地之間、其猶槖籥乎。虚而不屈、動而愈出。多言數窮。不如守中。」

(感想)
超訳の最初の四行の原文は、より露骨で厳しい表現がされています。
「以萬物爲芻狗」とは、ワラで造った犬の置物の意味が含まれています。
つまり、大自然(神)も聖人も、自分の身勝手な欲望ばかりを天地(神)に期待しているような人間は、ワラ人形の犬のようにケチョンケチョンに取り扱うだろうと老子は言います。
ワラの意味は、最後は燃やされて消滅する意味も含んでいます。

第六章

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老子の言葉 第六章

(独自の超訳)
万物を構成する陰陽において、陰の深い谷の割れ目に住む神は、不老不死なのです。
この不可思議な神を、私は女性神と呼びます。
この女性神の割れ目の入り口(谷の門)から、この世の全てが生まれます。
何歳に成っても、この門の働きだけは青春を維持して、枯れることがありません。

原文
「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。」

(感想)
この第六章においては老子が、
「まあ君たちに、難しい事ばかりを説明しても疲れるだけだろう。
ところで、私も含めて全員が女性“だけ”から生まれることを、君たちは不思議に思わないのか?」
と、語り掛けるように感じます。

ー中略ー

「コノ世で物事(仕事・家庭・勉強・・・・)を成すには、
まだ形に成らない、見えない段階において、
自分が希望する物事に対して母性的な“愛情”を持つことが大切であり、それが“始まり”を生み出すのです。
男性も含めて全員が、自分の希望に対して他者に願うよりも、まず自分の愛情を向けて見ることが大事ですよ。
これが、それを現実化させるエナジーと成ります。」
このように浮かんで来ます。

第七章

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老子の言葉 第七章

(独自の超訳)
天は永遠であり、大地も永遠です。
天地が永遠であるのは、自分の意志で永遠であろうとは思わないからです。
これが、長く物事が継続する秘密なのです。

だから真理(道)を知った聖人は、自分のことを他者のために後回しにしていても、
自然と周囲の人たちが聖人を押し出して先頭に立たせます。
また、聖人が遠慮をして他の人たちの輪の外側に居ても、周囲の人たちが自然と聖人を取り囲んで、
聖人を輪の中心に置きます。

これは聖人が、無私無欲だからこそ自然とそう「成る」のです。
これは人が、物事を自然と達成するための秘訣なのです。

原文
「天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪、故能成其私。」

(感想)
これは、老子がカンナガラ(自然体)の極意について説明しています。
また、「慌てる◎◎は貰いが少ない」「急いては事を仕損じる」という、戒めを示唆しています。
更にもっと言えば、老子が
「脱力しなさい」「ムダな力を抜いて、淡々と挑戦しなさい」
と、言っているようにも感じます。

ー中略ー

人間は、その過程を大切にしていれば、結果は自然と良いモノが付いて来るとも響いて来ます。
今日から1日1日の過程を大切にして生きて見ましょう。
必ず良い方向に向かいます。

第八章

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老子の言葉 第八章

(独自の超訳)
最良の人物とは、水のような人のことです。
水(=聖人)は、万物に恵みを与えますが決して万物と争うことがなく、与える一方なのです。
そして水(聖人)は、誰もが嫌がる自然に水が集まる低い場所(社会的に低い地位)に存在します。
そここそが、本当は聖地(道)なのです。

聖人は,低い地位を善しとして、そこに安住しています。
人間の心は、奥深い人が良いです。
そして、情け深い行動をよく行い、
そして、その人の言葉には信用が在り、
何事にも良心をもって対処し、
善意をもって物事を良く治めていき、
これらを迷うことなく適時に行動します。

水のように争うことをしなければ、
人は人生を間違うこともありません。

原文
「上善若水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。」

(感想)
老子は、この章において個人でも国家においても、長く生き残るための知恵を示唆しています。
老子の生きた時代にも、戦争や争いが数多く有ったのでしょう。生きるだけでも一生懸命だったのです。
老子は、ここで極端なことを言っています。
「与える一方でいなさい。そして、争っては生けません。
低い環境でも、自分の善意に忠実にして生きなさい。
そうすれば、必ず生かされます。」
このように示唆しています。

ー中略ー

人生の極意とは、
(1)時間が経過した後のことも考えて、自分の生き方を考えること。
(2)自分から他者を責めることを絶対にしないこと。
(3)自分を守りながら努力して善意で生きていれば、それを皆んなが見ていますし、必ず改善することが出来ること。



老子は、人間の理想を、「上善若水」(じょうぜんじゃくすい)でありなさいと言います。
(老子の言葉 第八章【水の様な生き方は最強です 2012-09-06 11:42:28】)
「流れる水のように生きなさい」
「常に“若い”新鮮な水のように自分を意識しなさい」
「常に悩んで、自分を濁った水(霊体)にしていてはダメですよ」
と、人間の理想を表現しています。

この「若」を辞書で見ますと、
【意味】(字通の辞書より)
1. したがう、神意を求めしたがう。
2.よい、神意がよしとする。諾(うべ)の初文。
3.かくのごとく、しかく、神意のままに、そのまま。
4.わかい、若い巫女。弱と通用する。

つまり、「上善若水」には、
「流れを神様に任せなさい。そして素直に従いなさい」
「神意に従うという謙虚さを常に持っていなさい」
という意味が、その奥に在るのです。

老子も常に天(大いなる存在・内在神)を意識して生活していました。
私たちも「若い水であること」、「執着の無い水のような流れ」を意識して、今日も生きましょう。

第九章

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足るを知れ 2012-09-11 11:25:27

老子の言葉 第九章

(独自の超訳)
お腹を、いつまでも満腹にし続けようとするのは止めたほうが良いです。
逆に短命に成ります。

心身を、鋭く尖らせ続ければ、逆にそのぶん何事も継続しません。
焦らずに気楽にしているのがお得です。

金銭財宝を持てば持つほど、それを守るための悩みと身の危険度が増し、殺されかねません。
いったい何のための財産なのでしょうか?

人間は、富裕を手に入れて傲慢になれば、逆に多くの罪も犯すものです。
これが自分の寿命を削り、子孫に悪い因縁を残すことにも成ります。

だから人間は、他人のために成る仕事をやり遂げたならば、営利をいつまでも貪らずにさっさと隠居するのが天の道なのです。


原文
「持而盈之、不如其已。揣而鋭之、不可長保。金玉滿堂、莫之能守。富貴而驕、自遺其咎。功遂身退、天之道。」

(感想)
人間は満腹に成るよりも、腹八分目が健康に良いのです。消化のための心臓の負担が違います。

人間は幸福に成りたいと思って多くの人がお金持ちを目指しますが、成れば成るほど身の危険度が増して行きます。
それならば人並みの生活をしながら、気楽にしている方が人生は楽しいのです。

神経を張り詰めて心配をしながら出世をしましても、それで病気に成れば立場を楽しむ前に人生が終わるのです。
それならば平社員であっても、人生を気楽に長く楽しむ方が、本当の勝利者なのです。

さらに老子が鋭いのは、社会の成功者になって傲慢に成れば、多くの人間が知らずに罪を犯すことを指摘しています。
多くの金を持てば、周囲の異性に手を付けて、その人の結婚も含めた人生を破壊している富者はいつの時代でも居ます。

ー中略ー

人間は、自分が生きている間に執着(しゅうちゃく:変なこだわり)を手放すことが出来るのか?が、大切な人生の目的だと私は感じています。
だからこそ、何かを与えられて、それを手放す練習を大なり小なり色んな物事で人間が経験して行くのが人生だと感じます。

第十章

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老子の言葉 第十章

(独自の超訳)
日々の生活の中で汚れる肉体を持ちながら、自分の良心(人の道)をまじめに守って生活することが出来ますか。

自分の生活の中で精神を集中することが出来て、それでも身心は柔軟にして、赤子のように居られますか。

良心の鏡に恥じないような生活を、自分はしていますか。

他人や国のためにカゲで良いことを自分がしていても、これをあえて他人に知られないように出来ますか。

万物の生死に面しても女性の母性のように、これを受け入れることが自分に出来ますか。

コノ世のすべての知識を自分が持っていても、これを他人に自慢せずに控えめに居られますか。

自分が開発し大切に守り育てた色々な物事を自分の物とはせずに、

これを自慢せずに、自分が取り仕切ろうとしないことが出来ますか。

これらのことが出来ることが、聖人の徳なのです。

原文
「載營魄抱一、能無離乎。專氣致柔、能嬰兒乎。滌除玄覽、能無疵乎。愛民治國、能無以智乎。天門開闔、能爲雌乎。明白四達、能無以爲乎。生之畜之、生而不有、爲而不恃、長而不宰。是謂玄徳。」

(感想)
これは珍しく老子が、自分自身の日々の生活で心掛けていることを説明しています。
更に言えば、老子とはこのような人物だったのです。
老子の人物像を垣間見られるのが、この第十章だと思います。


【編集者注記】老子の言葉についての記事は「日付昇順」とします。


20140625


  • 最終更新:2015-06-14 22:58:38

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