老子の人生論語(第一章〜第十章)

■老子の人生論語(第一章〜第十章)について
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参考記事:老子の言葉 第一章「ネームバリューにダマされずに本質を見る大切さ」

「老子の人生論語」第一章

*「これが正しい人生(道)だと言い表せる様な人生(道)は、本当に正しい偉大な人生(道)などではない。」

(感想)
日本には、清貧(せいひん:貧しくても清く正しく生きること)を美しいと感じる文化がありました。
清く正しく「生きたい」と思えることが重要に感じます。
でも人生は厳しくて、そう思いながらも、その結果は清く正しく無いことも人生でしてしまうかも知れません。

でも老子は、
* 「それで良いのだ」
* 「正しい人生など無い」
という全肯定をしているのが、この「第一章」の趣旨に感じます。

要するに、正しい人生とは、
* 正しく生きたいと「思えること」
* 正しく生きようと「すること」
* そう思えた人生は、どんな結果でも正しい人生だった。

人生の結果は関係なくて、人の志(こころざし)にこそ、それは正しい人生だと言えるモノを感じます。
私は、誰のどんな人生も素晴らしいと思います。
どんな結果でも、悩みながら、悲しみながら、怒りながら、心配しながら誰もが生きています。

そもそもが人が、こういう生きる経験が出来ることが、地球という惑星にとっての奇跡であり、見渡す宇宙の範囲内でも無いことなのです。
誰もが大いなる奇跡の中で生きています。生かされています。
だから、どんな人生でも奇跡であり、素晴らしい。



参考記事:老子の言葉 第二章「比較心の上での認識は間違いである」

「老子の人生論」第二章

* 善と悪、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、金持ちと貧乏、美人と不美人、健康と病気、白と黒などなど。

このように全てを「比較する気持ち」から人は、物事や他人を見て認識しています。

はたして、これが正しい認識なのでしょうか?

陰と陽は、2つで1つなのです。(老子思想の中心)
比較でする認識は間違いです。お互いにセットで全体で1つであり、これに気付いて初めて人は正しく物事を認識することが出来ます。

真理(道)を知った聖人は、このような「比較する」区別と認識をせずに、

無言のままで自分の生活態度により、正しいことを実行して人々に見せます。

つまり、比較により自分が判断する側では無くて、自分が正しい「行動を見せる側」に「徹するのです」。

(感想)
人類は、陰だけを見て悲観するか、または陽だけを見て欲しがります。
でも真理の真相は、陰陽2つセットが離すことが出来ない実体だったのです。

今の自分の環境は、陰だけしか見えない。
隣人を見れば、陽ばかり集まっている。
片方だけを見れば、苦しいという認識が継続します。

でも、両方で1セットだから、それでも楽しい。
幸福な人が存在するのを見れば、自分も楽しい。

・・・・でも若い内は、「そんなこと出来るかい!! アホか〜」
「平等で無いのはオカシイ!」
と成るのが今の人類です。
これでは、闘争が止むことはありません。

でも、清貧な老人は、元気なよその子供たちを見るだけでも嬉しそうにします。
なぜでしょうか?
ここに真理の断片が在ります。

ー中略ー

更にこの項で老子は、
* 会社でも、家庭でも、他人の仕事や行動の粗ばかりが気になる間は、自分自身がダメなんだ。
* 自分が、「正しい行動を見せて行く」ということに没頭が出来るように成ることが最大事だ。
とも示唆しています。

・ 他人と比較する前に、自分の行動に重きを置いて暮らしたいものです。

人間は、自分の思考の判断の基準が、ただの比較心から起こっていないか?
に注意し、
常に全体で1つ、という視点から生活をしたいものです。
ここに人生の答えが在りそうです。



参考記事:老子の言葉 第三章「競争して病むことよりも健康第一」

「老子の人生論」第三章

(1)国家や会社の経営者が、試験による資格を持つ者ばかりを採用することを禁止すること。
⇒ 手段を選ばない不正な競争や、イジメが無くなる。

(2)金銭が有れば何でも出来る・許されるという風潮を社会的な重い恥、犯罪行為に格上げすること。
⇒ 社会から犯罪が減るであろう。

(3)マスコミや報道が、人々の攻撃心や欲望を刺激する様なデマ情報を流すことを刑法に触れる犯罪にすること。
⇒ 人々の生活は安定するだろう。

(4)だからこそ、すべてを知る真の聖人が行う政治と経営というものは、
・ 民衆にムダな競争をさせることを止めさせて、
・ その代わりに心身を健康に保つ仕事・習慣を社会に普及させる人間を高給取りにします。

(5)人間の心身が健全であれば、
・ 社会から不正競争が無くなり、
・ 犯罪を無くすことも出来る。

(感想)
老子は、
*犯罪や *捏造報道や 
*人間性よりも試験重視で年収が増える社会、
このような事が金に成る社会よりも、国家は平和に安定する。
という示唆をしています。

犯罪を犯せば、すべての財産を没収する。
捏造報道すれば、刑法に触れ、巨額な罰金を課する。
つまり、そういう行為が金銭に合わない社会仕組みにする意味です。

社会で収入を得る仕組みを変えてしまうことは、やはり根底から社会を動かす可能性があります。
・ 人間は、どんなキレイごとを言っても、年収アリキの理論で動く。
・ だったら、年収増加になる分野・内容を変えれば良いだけだ。税金を投入してでも。

でも、病気の人や、老人や、障がいの有る人は、どうなるのか?
・ その中での、自分が出来る改善努力をしたことに対して報酬を出す。つまり銭に成る。
このようなことも、言えそうです。

やはり老子はただの青臭い中学生のような理想論者どころか、ドロドロした清濁併せ呑む、偉大な夢への投資家であり巨人です。

でも以上は、現実には無理があると思いますが、
・ 今の社会の仕組みへの、強烈な嫌味。
・ 誰も、仕組みに疑問を持たないことへの、謎掛け。
が老子の本音だと感じます。



参考記事:老子の言葉 第四章「人の心は武器を制します」

「老子の人生論」第四章

(1)人間は自分の心が持つ、無限の大きさを知らない。
すべてを生み出す無限の力を、自分の心が持つことを知りません。
自分の心は無力だと思い込むのは止めましょう。

(2)人間は他を恐れ、争いで自分が滅ぶことを、いつの時代の人でも恐れます。
でも、争いのほこ先を丸く変えることが出来るのは、自分の心だけなのです。

(3)人の心こそは、未知なる存在であり、神様をも生んだその親であるらしい。

(感想)
老子の原文では、私が「心」と解釈した文字は「道」となっています。
・道=生き方=人生
とも言えます。

そうしますと、
* 人の生き方こそは、無限の道が在る。
* 自分の生き方で、争いも丸く収めることが出来る。
* 人の生き方が、神秘を生み出す。

このように、より人生に近い視点に解釈も可能です。
でも、この項の全体は、
・ 宇宙的な巨大なモノ。
・ 神々をも生んだ、その先に居る存在。

について言及していますから、「人の生き方」よりも、「人が持つ心の神秘」についての話と解釈します。

この項は老子が、
・ 君たちは、自分の心の巨大さが分かっているのかね?
・ まさか、自分の心は小さいものだと思って、最初から諦めていないかい?

・ 人の心には、宇宙でも入るのだ。
・ 人の心=宇宙、では無い。
・ 宇宙よりも巨大であり、宇宙をも呑み込んでしまう巨大さが人の心なのだ。

まさに、いつも金銭や、他人の悪口や、色情で悩む自分の心が、このような巨大な存在だと人は思っても見ません。
でも、本当に巨大だからこそ、人の心は小さな事(生〈性〉・老・病・死)にも真剣に遊んでいるとも言えそうです。

コノ世で成功したければ、幸福に成りたければ、
・ 他人に幸福を探さずに、他人に幸福を期待せずに、
・ 自分の心の無限さと神秘に気付くことが、一番の近道。
だとも解釈が出来ます。

もっと自分の心を信じて、頑張って見ましょう。


降参して、お任せ 2017-08-12 10:57:40

参考記事:老子の言葉 第五章「老子からの戒(いまし)め」

「老子の人生論」第五章

天地自然の神様の前では、人間も動物も同じ扱い、平等であることを忘れては生けません。
人間だけが、エコヒイキされることはありません。

従って、人間同士の間でも、「自分だけはナントカ」と神様に祈願する人ほど、ダメに成って行くことに成るから注意しましょう。

他人との競争である受験、就職、結婚、・・・・こういうことに神様を利用しようとすれば、真に平等な正神の前では逆に成ります。

すべてを生み出す神様は、言葉で説明することは決して出来ない存在です。
だからもう神様に降参して、
「お任せします」

と思える正しい自分の生活をしていれば、すべては大丈夫に成ります。
これが神様というものなのです。

(感想)
人間というものは、
・ 神様の前では、すべてが平等である。
ということを忘れています。

大自然を破壊したり、動物を殺したりと、いつのまにか人間だけは特別という視点が前提の上で、今の社会が成り立っています。
これは決して正常な状態では無くて、いつでも人類が誕生する前の太古の大自然に戻される可能性が有ることを忘れては生けません。

ー中略ー

思い通りに成らないと、
・ 不平等だ
・ おかしい
・ 神などいない
・ こんな信仰はムダだ
このような意識をたどる傾向が、人類には在るかも知れません。

しかし老子は、
・ 何かをしたからと言って、エコヒイキを期待しては生けない。

そうでは無くて、
・ 努力をした上で、「お任せします!」
こういう態度が、最善・最良・最高を呼ぶと示唆しています。

人間が神様(大自然)を取り仕切ろうと(コントロール)しては生けません。
でも誰もが、「これだけ努力をしたから」という思いから、何かのエコヒイキを期待しているものです。
実はこの思いこそが、自分の思い通りに成らない遠因かも知れないのです。

* だから、努力をした上で、お任せでいること。
* 努力をした上で、ギブアップ、降参していること。

このような心境こそが、幸運を呼ぶ最善な態度なのです。
これからの自分の生活に試すことをお勧めします。

・天地自然の神様は、エコヒイキをしない。完全に平等な存在であることを忘れないこと。
・だから逆に言えば、努力をすれば、公平だからこそ成長が起こる。
・でも、それを期待せずに、「常に降参していること」。

こういう謙虚な態度を参考にして頂ければ幸いです。
自分自身が変わる、最高の秘訣です。



参考記事:老子の言葉 第六章「老子は、ただの堅物ではなく柔軟である」

「老子の人生論」第六章

万物を生み出す所は、深い谷間の奥にこそ在ります。
つまり宇宙は、陰陽という2つの違う方向から流れて来たモノ同士が交わる交点に出来る、奥深い穴からコノ世のすべてが生まれ出続けています。

その穴からは、常に若い常若(とこわか)なる神秘な気が流れ出ています。
それはまるで、静かな母性のような気なのです。
母性の気は永遠に尽きることが無く、万物を生み続けています。今でも。

(感想)
ここで大切なキーワードは、

* 「違う斜面同士が、違う方向から流れて来て、下方で交わり接点を持つこと」

これが重要に感じます。

・ 違う生まれの男女同士が、違う地方から都会に出て来て出会う。そして結婚し、子供が生まれる。

・ 社内で、違う意見同士を戦わせて、妥協点からヒット作品が生まれる。

このように陰陽の相克(そうこく:対立・矛盾する二つのモノ同士が、 互いに競い合うこと)から、神秘なる新しいモノが生まれます。

これを逆に言いますと、
* 同じ方向に流れる斜面同士は、いつまで経っても接点が生まれず、谷間が出来ずに、平行して流れて行くだけです。何も新規のものが生まれないのです。

ー中略ー

つまり、本当の真理とは、宇宙の姿から、人間の姿に至るまで、すべてに統一性があり、矛盾しない訳です。本当に凄いことです。
人体の外部も内部も、まさに宇宙の姿を表現していると言え、人体を研究することで宇宙のことが分かる時代が来ることでしょう。

・ 大を知りたければ、小を知ることで分かる。
・ 嫌いな者同士こそ、何かが生まれるかも知れない。
・ 違う意見同士が有っても良い。その方が良いモノが生まれる。

老子が明記した「谷間」から、違う斜面同士で谷間が出来ることに気付くことで、宇宙の新たな一面に気付けたと思います。
・ 違う方向性同士でも交点を持てることで、新規の穴が開き、何かが生まれる。
このようなことを参考にして頂ければ幸いです。


無私と自然 2017-08-20 11:51:56

参考記事:老子の言葉 第七章「先に結果を思わないのが極意」

「老子の人生論」第七章

こうでなければ生けない、と思わない事こそ継続する。
私には、これが無いから出来ない、と思わないからこそ達成ができる。

長生きしなければ生けない、と思い詰めるほど結果は良くない。
自然にお任せする、という態度こそが物事が、全てが継続する秘訣です。

自分の為、の物事は伸びません。
他人の為、の物事は継続し発展します。

無私、自分を無くして行くほど、周囲の中で逆に目立ち始めます。
自分ありき、に成るほど周囲は離れて行き、忘れ去られます。何も成すことが出来ません。

聖人は、他人のためだけに生きるからこそ、逆に何かを自然と成すことが可能です。
聖人が聖人と呼ばれる秘密がここに有ります。

(感想)
「今の自分に有る範囲」でしか探さない、見ない、とすれば、目を半分閉じたままで探している状態かも知れません。
そうでは無くて、
・ 自分の思い込みに注意しましょう。
・ もっと自分の素直な思いを見詰めてみましょう。
・ 他人の意見も素直に聞いて行くこと。でも、自分の自然な思いを優先しながら。

ー中略ー

他人の為に生きる人は、
・ 輝き始める。
・ 物事の中心に自然と成る。(家庭でも、組織でも自然と中心の存在。経営者にも)
・ 幸福に成る。

更には、「無私」(むし)に成ること。
「自分が無い」、とは何と崇高なことでしょうか。
・ 自分が無い=悟り
です。

人は、自分という「我」を無くする為に誰もが生まれて来ています。
これが人類の人生修行の目的です。
自分の我(ワレヨシ心)が無くなるまで、転生は継続します。これでもかと。

無私に成れる最善の方法が、
* 「他人の為に生きること」
* 「自分のためだけに生きるな」
これを老子が提案されています。

これを社会の中で貫徹した人は、聖人であり、自然と何かを成して行き、
自然と社会の中心に置かれると老子は言っています。
これは、どんな宗教的な修行にも勝る、最善・最良の方法だと思います。



参考記事:老子の言葉 第八章「水の様な生き方は最強です」

「老子の人生論」第八章

・ コノ世で最高の生き方とは、水のように生きることです。

・ 人の心が病むのは、自分の心を高い位置に置くからです。

・ 流れる水のように自分の心を下方へと流し、自分の心を低い位置に集めて置けば、そこに深みが出て心が安定します。まさに水のようにです。

・ 自分の心を低い下から目線に置けば、他人から罵倒されても、「そうだね」と明るく言って誰とも争うことに成りません。 

・ 水を四角の容器に入れれば、水は四角に成ります。
水を丸い容器に入れれば、水は丸の形に成り切ります。
水は、どこでも順応し、周囲に合わせて馴染みます。
自分の心も成り切る順応性が有れば、どこに居ても天国です。
ストレスを感じることがありません。

・ 低い位置に流れようとする水は、どんな山でも崩すことも出来ます。
つまり、自分の心を低く置いて、周囲に合わせることが出来る人。
こういう人こそは、本当に強い人なのです。

更に、その強さに愛情や情け心も備わっていれば、その人は周囲からすべてを信頼されます。
心を低く保ちながら、逆にその人の環境は最高へと自然と持ち上げられます。

(感想)
人の心を病ませて行くのは、
・ 自分の心を高慢な位置に置き、上から目線で他人を見る癖。
・ こうであらねば生けない、という高い位置からの先入観。
・ 自分を少しでも高く、大きく、賢く周囲に見せたい思い。

このような間違ったプライドが自分に少しでもある限り、
・ 他人の言葉に傷付きやすい。
・ 他人を過剰に気にして観察をするが、自分自身の態度や言葉を見ていない。
・ 理想と自分の現実が離れているストレスをまともに受ける。

このようなことに注意をするべきだと思います。

ー中略ー

苦しい時は、自分の心を
・ 低く、楽に置き。
・ 周囲に合わせて見ること。

このようなことも参考にして頂ければ幸いです。
下から目線で気楽に生きて見ましょう。



参考記事:老子の言葉 第九章「足るを知れ」

「老子の人生論」第九章

肉体が満足するように満腹に成るまで食べ続けることを繰り返せば、逆に肉体は早死にします。
つまりコノ世では、過ぎたることは毒に変わることを知って置きましょう。

仕事も度が過ぎれば、過労死に成ります。
恋愛も相手に執着するほど、相手は重く感じて嫌がり破局します。

「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」(過ぎたことは、ダメと同じこと)
過剰なことは、不足状態と同じに戻るということです。

過食症=常に飢餓状態と同じです。
金持ちも更に欲を出せば、心が貧しくなります。常に不足を思う、その生活の内容は貧乏と同じです。

だから、心を神経過敏に尖らせては生けません。何でも過剰にしてしまうからです。
過剰なことは、何でも短命となり継続がしません。
「これで良い」というお気楽で居ることが、何でも長続きします。

ほどほどで止めることを知っていることが、天の法則に合う最善の生き方です。

(感想)
人間とは、肉体では無くて心の存在であることが、このような逆転が起こる不思議の真相です。
でもコノ世に居る間は、肉体=自分という錯覚の上で誰もが生きています。
肉体という必ず消えて行く物の為に、決して死ぬことが出来ない自分の心が右往左往しています。

・ 肉体は必ずいずれ消えて行くから、過剰な心配も執着もしなくても大丈夫なこと。
・ 自分の心は、決して死なないから安心すること。
・ だから、肉体にとっても心にとっても、ほどほどの中間を探りながら生きることが、天の法則に合うこと。
・ 天の法則に合った生活を継続すれば、その人は最善の生活に向かうということです。死後も天国に進みます。

では極端な金持ちはダメなことなのか?
決してそうではありません。
その反対の振り幅、善行をたくさんしてバランスを取っていれば問題はないのです。
1(善行)=1(恨まれる悪因)ならばゼロとなり、心は平静・平安です。

貧乏では、どうなのか?
小さい財布の中でも、感謝を持って楽しく生きることが出来れば、
小さい振り幅の中で、1=1を達成し、ゼロ(悟り)に成れます。

この両者は、同じ結果の心の世界に行き着きます。
金持ちも貧乏人も、正しく生きれば行き着く世界は同じなのです。
ただむしろ、貧乏な小さい環境のほうが、人生をコントロールしやすくゼロを達成しやすいかも知れません。



参考記事:老子の言葉 第十章「人間が理想を持つことは大切」

「老子の人生論」第十章

・ 誘惑の多い社会の中で、自分の良心に沿って生きる勇気を持つこと。
自分の良心に恥じない生活を淡々と行うこと。

・ 自分のするべき仕事を懸命にしながら、それでも赤子のような純真さを失わないこと。

・ 自分が他人や社会に対して行った善行を、最後まで秘密に出来ること。

・ 人や動物の死に直面しても、ただ逃げずに大きな母性をもって供養する気持ちを持つこと。

・ 自分の知識が多いことを、他人に誇る気持ちを持たないこと。

・ 自分が大切に育てたモノ(人・会社・研究成果・記録など)を、自分のモノとしない態度が取れること。

聖人が持つ徳とは、以上のようなことを普通のこととして実行します。

(感想)
どの言葉も、耳が痛いような教訓に満ちたものばかりです。

東日本大震災が発生した時、有名人が大きな金額を公言して寄付宣言をよくしていました。
しかし、老子が言われる戒(いまし)めは、

・ 寄付をすることを公言するのは変なこと。
・ ましてや金額まで公言するとは、有り得ないこと。
* 「自分が行った善行を、最後まで秘密にすること」
このように示唆がされています。

ー中略ー

* 「社会でどんな苦労をしても、赤子のような純真さを失わないこと」
苦労をしても、
・ 顔に出るようではダメ。苦労に呑まれてしまっている。
・ 荒(すさ)んだ心に成るようではダメだ。
・ 純真さを失わない人は、苦労に負けておらず強い人です。

年齢は関係なく、心だけは純真さを失わなければ、本当に素敵な人に見えます。
コノ世の富裕・貧乏にも負けない、真の勝利者だと言えそうです。

* 「大きな母性の心をもって、供養することを怖がらないこと」
自分が大事の心では、他の生命の死を供養することも、
・ 自分が影響を受けないか心配だ。
・ 自分にマイナスなことは、したくない。

このように思う人が多いかも知れません。
無理に供養は不要ですが、「大きな母性のような心」には、こういう心配は起こりません。
大きな母性のような心=慈悲。
人間が目指すべき姿だと感じます。

* 「能ある鷹は爪を隠す」
本当に賢い人は、どんどん謙虚になり、自分の知識を自慢することが無いということです。
つまり、真に賢い人は隠れているから、自分の周囲の人を侮って見ては生けないとも言えそうです。

* 「自分が苦労して育てた事を、自分のモノだとしないこと」
自分の子供でも、伴侶でも、恋人でも、自分のモノだと思っては生けないとは、人間のサガの嫌な部分を指摘しています。

自分が苦労して創ったモノに、執着をしては生けないという示唆です。
執着を手放すことは、苦しい転生(生まれ変わり)を終わらせるには欠かせない大きな関門です。

自分の執着心を終わらせるには、どんな事も「自分のモノとしないこと」が一番の練習と修行に成りそうです。

そして、この項の最初に有ります言葉、
* 「自分の良心に沿って生きること」
これが最も大切に感じます。

これを自分が本当に実行して行けば、他の戒めは自動的に達成して行くと感じます。
欲望に満ちたコノ世の中でも、自分の良心に背かない人、良心に沿って生きる人は、本当に立派な人です。
泥の中に咲く蓮華の花へと、自分自身を昇華させることでしょう。


【編集者注記】老子の言葉についての記事は「日付昇順」とします。



  • 最終更新:2017-09-04 21:08:46

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