祈り

■祈りについて  キーワード「いのり」
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人間は祈るよりも、「思う」ほうが実現力が増します。
祈りには自我が入り、霊的には漏電が多いのです。しかも、祈りの時間も短いものです。
しかし「思うこと」は、長く継続が可能であり、繰り返し普段の中で思うことが可能です。
総合で視ますと、「思う」磁気のほうが強力です。



これからは、地球が味方する大地か否かが、問われ始めると感じます。
人類は、地球が太古から主役であったことを忘れています。
要するに、どんな信仰でも地球に感謝の祈りをする信仰になっていけば、宗教を超えて母なる地球の下(もと)に、人類は協調できると思います。
地球のためにも、信仰による区別をせずに、平和が継続することが大切です。



今の社会の間違いは、幸運は祈りで来ると愚かなカン違いをしています。
祈りで「来る」のは、高利貸しの悪魔だけです。交換条件で、大切な物事が「後から」イケニエにされます。(家族に関係する命、寿命、健康、仕事、自分の子供がする悪い行為で親が困るなど・・・・)
幸運は、自分が陰でした「善行の磁気」に吸い憑いて来ます。
幸運は、祈りでは無くて、自分の「感謝の思い」と「生活行為」で決まります。



自分が生かされていることへの感謝を無しに個人欲を願うことは、自分の自我(じが:ワレヨシの思い)を増大させます。
自分の自我は、実際には自分の希望の反対を起こす、妨害する原動力として霊的に働いています。
自分の足を引っ張る犯人は、他人では無くて自分自身の自我なのが霊的な真相です。
だから素直な人間の方が、自分の思いが叶えられます。

多くの人間が、知らずに自我を増大させる魔逆の祈りをしています。
祈れば祈るほどに、自分の自我が増大して段々と余計に不幸に成って行きます。貧乏にも成ります。
素直に生かされていることへの感謝をする人間は、本当にお徳(得)な人です。
個々の物事を祈らなくても、すべてに良い運気が自然と起こります。



問題点に自分が気付ければ、あとは「努力をする」のです。
間違ったスピリチュアルには、コノ世の生活努力が欠落しています。
本当の「祈り」とは、思うだけではなく「行為」のことなのです。



祈願する信仰を熱心にしている家ほど、家運衰退、病気、不幸、貧乏・・・・という真逆(魔逆)の方向に向かう傾向があります。
先祖霊は陰で懸命に子孫を支えようとしますが、人間は自分がダメになるほど余計に「祈る」という魔逆をしてしまいます。そして先祖霊にはまったく見向きもせずに、ナントカ大神と自称する動物形象に祈り・捕獲されていきます。
ここに霊的な無知ゆえの悲劇が存在しています。

本当の「祈る」という言葉には、願掛けなどの意味は一切無いのです。
「自分の意志に“乗って”頑張りますから、神様は見ていて下さい」
「神様の意志に乗ります(カンナガラ)」
そして本質は、「祈り=神への感謝」これだけなのです。

だから神社でも、祈願を「奉納する」、祈りの言葉を「奉納する」、という人間自身が頑張る気持ちを神に納めるのが霊的真実なのです。
神社での祈願=自分自身の決意表明を神様に宣誓することです。自分が努力することを神様に誓うのが本当の祈願です。
このような態度の祈願・祈祷は、本当の神様に良く通じます。そして物事が霊的に動くのです。

世の中には、知らずに間違った祈りをして損をしている人が多いです。
しかし、本当に素直な人間ならば、神をコキ使おうとはせずに、知らずに感謝だけをしている人もいます。それがカンナガラです。
正しく神様に祈って(宣誓して)生きましょう。


祈りの本質 2011-07-26 10:40:57

私たちは全員が、すでに内在する神との対話を知らずに日々しているのです。
自分が苦しいのは、内在する神の思いに素直で無いか、真逆の方向に自分が進んでいるからです。
内在する神様の気持ちに「乗れば」、貧乏ならば貧乏を楽しみ、ぜい沢にはぜい沢の有り難さに気付きながら楽しむことが出来ます。
自分に内在する神の「意志に乗る」ことが、イノリ・祈り、の本質です。
祈ると言うことは、他に委託することでは無く、「自分が行動することなのです」。内在する神と共に動くことです。
自分の良心(内在神)に沿って動きましょう。



今までの世界と言いますのは、祈りだとか、祈祷(きとう)、祈願、などのような神様に対して「訴え」掛ける形のものが中心でした。
まるで神様(を)に起訴(きそ)するような、自分の満たされない感情を神様に「ぶつける」ような形になってしまっていました。
これが根本的な間違いであり、正神(せいしん:人の精神でもある)を奥へ奥へと「押し込めていた」ことに成ったのです。
正神(精神)を押し込めた結果、世の中では悪が勝り、人間の精神も曲がった人が増えてしまったのです。
これを素直(すなお)に戻す過程が、自然界からの慟哭(どうこく:叫び)で始まっています。


関連コメント

どうしたら「素直」な祈りが出来ますか? 垢磁気ばかり…正直うんざりしています。感謝の祈りで「神様、見ていてください!」は駄目ですか? 締めとして…。やはり、駄目ですか…。

。。。祈りなど不要です。
それより感謝することが大事。これが祈りを超えます。
2014-06-05 14:38:32


人の悪口はもちろんダメですが、あの人凄いよね~とかあんな人ななりたいな~とか人を褒めたりする内容であってもとにかくその場に居ない人のことを話をするのは全てダメなんでしょうか?

。。。問題は無いです。
良い生霊が行きます。これが祈りの正体。
2013-01-27 23:14:38


いつもブログを拝読しているキリスト教会の牧師をしている者です。
リーマンさんの「祈り」についての考えを伺ってから長い間、いわゆる伝統的なキリスト教の祈りができなくなりました。
なぜならキリスト教の祈りは、神への賛美、感謝とともに「祈願」(執り成し)を求めることが大きく占めているからです。
私個人の普段の祈りは、賛美と感謝、そして自分自身が「○○します」という祈りになっていますが、教会の礼拝などにおいても祈らなければならないとき、
「○○してください」
「守ってください」
「祝福してください」
というような語を多用するのです。
私のように公の場で祈らなければならないとき、どのように祈ればよいかお教えください。

。。。各人の心に内在するキリストへの感謝と愛を捧げることに徹します。
2011-07-26 21:14:14


聖書でイエス様が私たちに3つのことを要求されていますが、
1.絶えず感謝しなさい
2.絶えず祈りなさい
3.絶えず喜んでいなさい
本当に的を得ていますね。ただ1,2はできても絶えず喜んでいる、というのが一番難しいのですが、日々直面する出来事の良し悪しに関係なくということでしょう。

この喜びというのは生命本来の姿だからですか?。。。これです。
2011-05-13 19:24:02

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このキリストの「祈る」ですが、どのようなもので意識でしたでしょうか。

。。。祈り=感謝しなさい、というのがキリストの本意。
2011-05-14 15:10:56


今教会では被災地のかたがたを哀れんでください、といった祈りがされていますが、祈り言葉として~「してください」は、愛から出たものでも要求の形にり、空回りしているような気がしてしまいます。

。。。だめです。運気が落ちるし、相手にマイナスです。
感謝を捧げるのが効果します。
2011-04-10 19:02:25


年賀状に皆さまのご多幸を祈ります~等々の慣用句があります。印刷された年賀状は頻繁にのってます。この祈りはOKですか?
リーマンさんの年賀状に祈りの慣用句はのってますか。

。。。やはり慣例で良いですよ。そこまで拘らなくても大丈夫です。
2010-12-26 15:09:07


20140711

  • 最終更新:2015-04-30 11:58:38

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