瞑想

■ 瞑想について

関連項目 禅・坐禅ヨガ
目次


瞑想

関連記事


釈尊が自分の食事については良く調べて、自分なりの最善を尽くしなさいと指摘しています。
考えて見ますと、禅宗などは食事を作ること、正しく物を食べることが、重要な修行の要素に入っています。作務(さむ)という、食事が「動の瞑想」に成っています。
私も食べ物の記事やコメントをよく書いてますが、霊的な要素としても欠かせないからです。

無心に成れるためには、
* 執着を持たないこと。
* 食事を大切にすること。
この2点の継続が重要なカギに成ることを覚えて置いてください。



(ラマナ・マハルシ):
複数の修行者が、毛皮類の効果について発見し、そしてそれらの効果についてヨガの本で述べました。

それらの効果は、磁気などの伝導性と絶縁性に相当するということです。

しかし、それは知恵の道を行く者にとっては、そのすべてが取るに足らないものなのです。

真実の座る姿勢とは、真我(内在神)の中に常在し、不動心であることを意味します。

座る姿勢とは、心の中のことなのです。

多くの人々は、肉体の姿勢に注目してしまっています。

(感想)
非常に重要なことが述べられています。
無知な修行者ほど、座る姿勢や、持つ備品にこだわり、規則や戒律にも縛られています。
特に悪徳な有料先生などは、生徒を引き憑けて集金するために、個人ごとに高額な有料の唱える言葉を売りもします。この言葉は、「あなたのためだけの秘密の言葉です」などと言いながらです。そんな言葉は、無尽蔵に捏造が出来ます。ちゃんと納税しているのでしょうか?社会的にも問題が有ります。

ラマナ・マハルシは、そのような行為の一切を否定しています。「取るに足りない」「まったく重要では無い」と断言しています。
そのすべては、真我(内在神)とは関係の無い、肉体次元のコダワリに過ぎないからです。
座る姿勢でさえも、どうでも良いと発言しています。
座る姿勢は、自分の楽な姿勢、リラックスできるポーズならば、それで良いのです。
ましてや、修行のためと言って、苦痛を伴うポーズや行為などは、真我(内在神)を発露させるためには全然意味が無いのです。
むしろ「裸の王様」の物語のように、真実から見れば滑稽(こっけい)なのです。

「座る姿勢とは、心の中のことなのです」(by ラマナ・マハルシ)
まさにこれが真理です。
自分の日常生活の中での「心の姿勢」こそが、真の座る姿勢であり、瞑想であり、ほんとうの修行なのです。



ただ言えますことは、遊園地(コノ世)に来たならば、遊園地の中で机(毛皮)を用意して勉強(瞑想などの修行)することは無いのです。
遊園地も時間限定でしか居られないのです。
短い遊園地(人生)の中に居る間は、思いっ切り遊びます。郷に入っては郷に従えです。
ただし、勉強(修行)と帰宅(死)が必要である、必ず来ることを頭の片隅に置きながらです。

今日も自分の生活の中で、座らずに「動の瞑想」(生活の中で自分の心を見詰めます、静観します)をしましょう。
わざわざ瞑想のために座る時点で、毛皮を用意する間は、自我の海の中なのです。
これを打ち破るには、今の生活の中での愛情と感謝の思いが必須なのです。
そして、その上で、自分自身を静観します。



瞑想も同じ盲点が在ります。座る時点で、すでに目的の在る瞑想であり、カタチにこだわる自我の行と成ります。
真の瞑想とは、“他者のために”懸命に働く中にこそ、誰にでも気付かない内に訪れているのです。
自分から瞑想するのでは無くて、瞑想の方から自分に訪れているのです。
真の瞑想は、座る中に存在するのでは無く、他者のための動(どう)の動きの中にこそ存在しています。
社会の中で真面目に働く人間にこそ、真の悟りと瞑想が何回も訪れています。
これに気付けないだけなのです。



「生活をしながら」自分を見詰めるとは、神様を知る一番の近道です。神様を「思い出す」ことが出来るのです。
これこそが「生きた瞑想」なのです。道元(どうげん:禅を確立した本物)さんが目指したものです。
わざわざ有料で座りに行く瞑想などは、それは死んだ瞑想であり、真の瞑想からは最も遠い行為です。
何かを目指す瞑想などは、真理の視点から大きく外れた道であり、有り得ないのです。


いつもの現実が大切 2010-10-10 12:13:10

願いを叶える方法を教えるとか、色々な自己啓発セミナー、瞑想などの精神的な価値を売りものにする、有料講演会が良くあります。これは、精神的世界の商売による低次元な自我意識を増長させるワナに満ちています。



生きている短い間は、小さな改善をする決意と、反省(自分を静観すること)が必要です。精神世界には、あの世の「時間が止まった次元の習慣」を垣間見て、勘違いをして現実界で断片だけを誤って広めているものが多いのです。瞑想などは、まさにそうです。



老人の生活自体が「禅」であり、働きながら本当の瞑想をしている状態と成るのです。金を徴収して、「わざわざ座る形」の瞑想は、ただのヒマ人の道楽に過ぎません。座ろうと「する」時点で、本当の瞑想から外れています。魔境にしか行けません。


日常の中に答えが在る 2010-07-19 11:12:57

悟りたいと思い、瞑想する時点で悟りから離れています。生活の中で、心が何も考えない状態に成れれば良いのです。労働の合間の、ボーとする休息時が既に瞑想です。坐禅を組まなくても、自然に体がリラックス出来る形が良いのです。つまり、人によりリラックス出来る形は変わります。



信仰や精神世界の業界も、本当は各人が自分自身を見つめるように誘導するのが真理なのです。しかし、これでは集金に成らないのです。各人を自分自身に誘導させるどころか、教団や有料先生や水晶やブレスレットに、われを忘れて目を向けてもらわないと儲かりません。また、自分自身に振り向かせると言う瞑想や禅にしたところで、「他人である」師匠と言う集金システムを悪用しています。



ただ、このような瞑想による魔境を継続していますと、老後がよろしく無いのです。脳内のホルモンバランスを瞑想の為に崩し、だんだんと躁鬱状態を繰り返し始め、鬱病からの自殺をする瞑想先生が多いのです。人体の特徴としては、病的な体重軽減も起こります。ただ、有名な過去の禅僧を見ますと健康で長命な人物が居ますが、彼らは奇異な魔境体験をしていない人なのです。発言を見ても一切出てきません。奇異な悟りの体験をしていない人たちです。たった1回の奇異な体験を売り物にする瞑想先生ほど、無知ゆえに危険です。


簡単なサニワ(判断) 2010-04-22 11:29:36

自分の運気を維持するには、有料のスピリチュアル系の講演会や霊的伝授などに参加するのは厳禁です。自分オリジナル色を破壊もしくは停滞させられます。御金を出してまでして、自分自身を穢しては生けません。最近では瞑想でさえも伝授と称して、5万10万と金儲けに走る輩も居ます。釈尊の真理とは真(魔)逆な汚い行為です。悟りさえも商売にするとは、まさに末法の時代です。


カギは日常の中に 2009-12-16 11:14:30

この25年間、日常生活の中で「現状への感謝」を意識しながら生きて来ました。そうしますと、この世界の奥に広がる段階(=次元)も同時に自然と感じ出し、働きながらでも深くもぐる事が出来ていました。動の中に静寂を経験する事は、幾らでも可能なのです。つまり宗教的な瞑想や行法などは、その型に縛られる負のハンディであり、先生を食わす為の方便に過ぎないのが実態です。余計な手段なのです。



熱心に瞑想を勧めて全国を周る或る人物を観ましても、本人が体験した真我だと錯覚している世界は、若い頃の憑依が原因です。奈良の大峰山系に宿る、幽界の幻の蓮華座に座る大白蛇に属する小さい子分の子蛇が憑依しています。その影響で本人の人生が大きく曲げられています。間違った自称の真我との邂逅体験を1 度だけ経験していますが、それは魔境にすぎません。


「動の瞑想」が大事 2009-10-26 10:34:36

ここで注意するべき事は、「生霊(いきりょう)」の時代でもあります。自分で心に思う事をコントロールできなければ、心身共に「病み出す時代」なのです。
自分の良心に反する内容を思っていたり、他人に執着していますと、肉体から自分の幽体が離脱して他所の思っている所へ行ってしまいます。そして、幽体が離れた隙間に、迷える霊や魔物が入り込みます。いざ自分の幽体が肉体に戻って来ても、戻る場所が占領されていて戻れなく成ります。この現象の結果で起こる事は、短期間での性格の激変、不定愁訴(ふていしゅうそ)、心と肉体の病気です。
逆に、自分の良心に素直に従って、目の前の事に専念し続ければ、これが「動の瞑想」と成り、心と肉体が強靭に成って行きます。


早食いしては駄目 2008-12-13 09:14:05

インド経験のある瞑想家は、大麻の経験が有る人が多いと思います。その時に経験したワンネス体験や神秘体験を元に、日本で瞑想教室の先生様をしている方も多いです。こんな指導者の下での瞑想は、魔境の遊戯にすぎません。実践すれば生徒さんも後年の精神状態がよろしくありません。


感謝生活は瞑想を凌駕 2008-09-17 19:34:50

瞑想家の出す霊的垢は、蛇霊の形象です。抑えて大地へ下降させるべきクンタ゛リーニ磁気をイジる事により発生します。 頭部へ向けてクンタ゛リーニ磁気を上昇させ様とするのは全くの間違いです。 これは、人間の霊性を有限な閉じられた状態にします。


身近に在る鍵 2008-09-15 17:08:27

人類の大半は、瞑想により覚醒を体験したと「思い込む」世界は、確実に魔境を見ていると私は考えます。 その理由は、その方の実生活がよろしく無いからです。色々な社会的な家庭面で、です。しかも本人の健康も病弱に成る人が多いです。 そして、晩年の状態が悪い人が多いです。これは、霊的に干渉した根本先が間違いだからです。ラマナ・マハリシのように、自己の内面への瞑想により、真の覚醒に至るのは極まれな奇跡であり、神の恩寵としか言えません。


他人の色は毒です 2008-06-27 20:23:27

この白い蛇は、瞑想が進んだ人物には、よく現れて来ます。私は昔からこの蛇を、「瞑想蛇」「クンダリーニ蛇」と呼んでいます。 会の主催者や団体の背後存在により、現れる瞑想蛇の大きさや色が違います。昭和の幽界時代には、この瞑想蛇を憑依させていても、それなりに生きる事は出来ていましたが病弱になる瞑想家が多かったです。多くの方が異常な痩せ方へ進行しました。 蛇に生命エネルギーを食われるのです。


目に地球を宿す人 2007-08-18 07:41:40

人とは何か? 私は誰か? との問い掛けをキーに瞑想三昧に入りました。瞑想の方向性が良かったんだと感じます。自己の内面に宿る内在神へと向いていたからです。この人の産土神は、山の精霊でした。内在神の導きを得てその産土の山に辿り着けたのも幸運でした。産土の山での内在神への瞑想が、大きく作用して人には稀
な、人類の共有意識に溶け込むことが出来ました。私は誰か?・・・・人が、自分の個性・個体だと思っている私は結局、何処にも居なく、総ては根源神1つの表情の現れにすぎず、総ては1つだと言うことです。


関連コメント

動の瞑想

いわゆる聖人と言われるような人は瞑想をしてはいなかったのでしょうか?私の本で読んだ記憶が違わなければしてたと思うんですけど、今この時代は必要ないということでしょうか。

。。。釈尊は、死を懸けた瞑想でも悟れないと分かり、菩提樹の下で死を待ちました。
その後に他人の慈悲に救われて悟ります。
禅では、作務を坐禅よりも重視します。
「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を出来れば何度も再読してください。
勘違いが分かります
2013-05-27 19:50:44


やはり、一番は瞑想するのではなく、与える一方の愛情を持ち続けることが、瞑想するより安全かつ自然い恍惚の境地にたどり着けるということなのですね。

。。。座る瞑想ではなく、生活の中にこそ真の瞑想があります。
動の瞑想が大事。


瞑想とは、感謝しながら「今」に懸命に生きることです。禅の作務(さむ)こそが、瞑想の本意です。

とお書きになりました。
大変共感する言葉です。
これと同じことは、禊にも言えるのでしょうか?
日常生活の中で何か努力することで、禊を行ったのと同じ効果は生まれるのでしょうか?

。。。はい、生活が本当の禊です。
生かして頂いて ありがとう御座位ます、の心で頑張ることが最上の魂にとっての禊です。
2010-10-07 11:01:19


瞑想は意味のないことなのでしょうか

。。。動の中で瞑想するのが、不要な憑依を避け、深い本当の瞑想になります。
仕事しながら、その作業に集中し、無に行き着きます。時間の経過も忘れます。
一芸を極めた職人は、良い人生観を話せます。仕事しか知らなくてもです。
それは瞑想の成果です。知る、のです。
瞑想は、座る時点で本道を外れます。形の罠にはまります。
人類が全員座れば、乳児は育ちません。
動の瞑想は、24時間できます。
ただ寝る。ただ歩く。。。。その中に没入するのが瞑想です。
2010-01-11 12:34:38


リーマンさんを知る以前から、神棚に向かって手を合わす時に、座って手を合わせて目をつぶったら、暫くして、脳裏に太陽が浮かび、「アマテラス オホミカミ・・アマテラス オホミカミ」と、ゆっくり呼んでいて、、そしたら、自然と、額の真中上方向に、太陽のような明かるいオレンジを感じたので、そうなると、心地よくなって、そのまま、しばらく、目を閉じたまま、その、太陽を感じていたのですが、、、長くなると、10分ぐらいは経っていました。
そのような行為も、瞑想の部類になるのですか?

。。。その様な観る、事は普通のことであり、真実はあなたの霊性の向上にはなりません。それが嵩じると半日でも続きます。
切り上げて、今の現実を見ることが大切です。
目の前を掃除機かける方が余ほど重要です。
そんな世界のリーラーを楽しんでも何も産みません。
2009-03-10 19:55:00


瞑想と就寝時に眠りに落ちるまでの時間は、状態的に何が違うのですか?
また、瞑想以外の方法で静かに自分を見つめ直す方法はございますか?

。。。瞑想は迷走です。
瞑想は不要です。目を開いたまま、景色を見ながら感謝想起。掃除しながら感謝想起。運転しながら・・・TV見ながら・・うOOしながら感謝想起です。
2009-02-15 14:30:27


目を開けて、動の瞑想というのは、比喩的ではなくて、文字通り目をつむらないで、と考えてよいですか?

。。。そうです。 肉体に作業をさせ集中させると、肉体からの精神への縛りが、緩む隙ができます。
その時間が増えるに従い、霊性への開花が始まります。心を観ることが出来ます。
2008-07-04 19:01:44


静の瞑想(魔境につながる瞑想)

決めていたのですが、以前のようなスピ的瞑想ではなくて、脳のためだったら、してもいいものでしょうか?ぜひ教えてください。

...............動の瞑想以外は、後退に過ぎません。

まだ15分の仮眠のほうが有効。
そんな思考は、弱さ、依存心、に注意。
浄化しない人が瞑想すると、迷走します。憑依の対象。
伊勢白山道 問答集 第1巻【感謝の先祖供養編】 http://amzn.to/2bzu95u
「伊勢白山道問答集 第2巻 人生の悩みへの処方箋編」 http://amzn.to/2bkdQYI
何回読みましたか?

理解不足。
2016-09-30 02:18:25


気になるのは 国民的放送局でストレス解消の方法として「瞑想」を紹介していたことです。
この番組を観て「瞑想」に走り憑依されてしまう日本人が増えてしまうのではないか?懸命に働くことを忘れ あるいは現実から逃げて瞑想に頼る人が多くなってしまうのではないか?

私の受けた瞑想プログラムは高額でしたが 一流企業でも取り入れているという位世界的なものだと説明を受け安心感がありました。 薬に頼らず当時の体調を解決する方法として自分に投資する気持ちでしたが 今は反省しています。勧めてくれた心療内科とは縁が切れています。
瞑想=迷走だと気付いたからです。

............自宅で、自己流でする瞑想は良いです。
睡眠と同じ道理です。

その瞑想に、呪文などがあるとダメ。
それは他人の瞑想をすることに成ります。奇異も見ます。
2016-06-19 09:14:54

ーーーーーーーーーー
瞑想についてのご返答 ありがとうございました。
・・・自宅自己流でする瞑想は良いです。その瞑想に呪文などがあるとダメ。

とお答えをいただきやはりなぁと思いました。さらに質問を増やして申し訳ありませんが、教えてください。
番組で紹介していたように、自分の呼吸に意識を向けるのはよろしいでしょうか?また眠れない人が数を数える(羊が一匹、羊が二匹・・・)ということはいかがでしょうか?
何も考えないでいることの難しさは瞑想で知りました。雑念だらけです。
自分なりの瞑想は 動の瞑想が一番いいですか?

。。。。それで良いです。
2016-06-21 00:45:39


CDはその時録音された磁気的なもの、録音された背景や演奏家の発している思いなどもを記録していて、それが善悪どちらでも流すとそのCDの霊的波動を再生しますか。買うときは気をつけた方がいいでしょうか。

。。。。はい、厳密には悪魔の乗ったCDの作成は可能です。
磁気の不思議です。
とくに瞑想系などは注意。
2016-06-15 16:18:20


。。。有料の特殊なマントラ瞑想をしていて、
幻覚を見るのは注意しましょう。
やはり大きな無知があります。
精神的な物事を止めて、普通の生活を頑張りましょう。
寄り代(短冊や位牌のこと)は挟んで固定し、30~50cmの安定した台でしていると、霊的な意味での問題はないですが、無理に先祖供養も不要です。
まず「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を出来れば何度も再読してください。
目が冷めます。
瞑想については、ワザワザ座る時点で自我の欲求です。
伊勢白山道では、生活の中での動の瞑想・作務を重視します。
道元の禅を尊敬しますが、やはり作務が重視されています。
ラマナ・マハルシは、マントラと瞑想への要注意をハッキリ発言しています。
自分で良く考えて静観し、自己判断してください。
2013-07-18 19:16:23


夜になると、犬が遠吠えするのですが、私の頭の中では、犬の鳴き声が「おかあさ~~~~ん」と誰かが叫んでるように聞こえるのです。瞑想集団の垢でしょうか?

。。。瞑想による憑依です。
寄り代(短冊や位牌のこと)による「先祖の為」の感謝の3本供養をしていけば問題は無いです。
3本目で「家系」の水子を意識しましょう。応援されます。
「だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる」本、「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を何回も再読してください。
2010-12-22 20:38:20


「。。。瞑想による憑依の弊害です。憑依の穴が空き、簡単に霊の代弁をさせられます。という、リーマンさんからのお答えを頂きました。」
背中の肩甲骨の左側の違和感(低温やけどをした時の様なヒリヒリした感覚)は伊勢式供養を始めてからだと思います。確かに、他人に対する悪口や非難をしている際に、客観的に見ているもう一人の自分が居て、私の行動の方が他人から見たら、おかしいのではないか? といつも思っていました。

。。。要は、自分の思いを伝えたい霊は、そこら中に居るのです。
そんな中で、霊的に弱い方が瞑想しますと、寄り代(短冊や位牌のこと)の状態になります。禅宗でも棒を持つ管理者が背中を叩くのは、霊の雲を払うためです。狂死する僧侶がいるのです。
寄り代(短冊や位牌のこと)による「先祖の為」の感謝の3本供養をしていけば問題は無いです。霊的に強くなり、平気になります。
瞑想するかわりに部屋掃除が良いです。
2010-06-08 15:09:54


良くないことを想像すると、それを引き付けてしまうという考え方と、逆に現実にならないために良くないことを想像する・・・という考え方は、どちらが正しいのでしょうか?

。。。明るく想像して対処しておくのが大事。
すべては、生かして頂いて 有り難う御座います、の視点が有ることが大事。
スピ系のデタラメ瞑想で、行き当たりばったりで、人生を壊す人が多いです。
2010-04-21 14:52:56


スピ系の雑誌を見て、セミナーやコースの宣伝がとても多く、費用が高くてびっくりしました。それに数回のコースを受講して、様々なリーディング能力などが本当に身に付くのかな? と疑問に感じました。

。。。セミナーによる霊的免許はデタラメです。
悪霊を憑けられた違和感による感動でしかないです。
不運になります。
その他のセミナーや瞑想会も、自分の運気を穢すだけです。
自宅に真理が落ちています。
2010-02-07 17:04:17


その相手は瞑想の先生ですがラジニーシに傾倒している方です。

。。。ラジを信奉する時点で、その境涯の見せ掛け度合いが分かります。ラマナ・マハリシでは、物足りなく感じる筈です。
ラジ系統の背後存在(豹を使うモノ)に染まる迷走家は、他人に色欲を憑けます。家庭破壊が得意です。
まあ、離れることです。あなた以外にも、その人は沢山の女性を惑わしています。
2009-03-30 19:19:40


催眠療法をどのように思われますか

。。。色々なレベルでの干渉をする催眠療法が色々とあることでしょう。
私は、瞑想にしても、目を開けた動作の中の瞑想しか評価しません。 催眠のような、済んだ事、隠れた意識を刺激することにより起こる、違和感を改善とみるものが多いです。これらは、不要なものです。
最初の見せ掛け改善のあと、霊体と肉体の分離を起こし、体力を弱めるものです。
2008-08-21 20:10:18


その他

瞑想についてのご返答 ありがとうございました。
・・・自宅自己流でする瞑想は良いです。その瞑想に呪文などがあるとダメ。

とお答えをいただきやはりなぁと思いました。さらに質問を増やして申し訳ありませんが、教えてください。
番組で紹介していたように、自分の呼吸に意識を向けるのはよろしいでしょうか?また眠れない人が数を数える(羊が一匹、羊が二匹・・・)ということはいかがでしょうか?
何も考えないでいることの難しさは瞑想で知りました。雑念だらけです。
自分なりの瞑想は 動の瞑想が一番いいですか?

。。。。それで良いです。
2016-06-21 00:45:39


自分なりに悔いなく(良心にそって)人生を全うできたなら、家族を守護できるほどの魂になれるのでしょうか? それともいろんな段階がありなかなかそのような境地にはふつうには達しないのでしょうか?

。。。結局は、観念論ではなく、日々の先祖供養や神祭りの実践が大きく死後に左右します。この世は、行為が生きる次元ですから。
瞑想先生が死後に迷うのは、行動で生きていなかったからです。
偽善でもボランテイアは生きます。
2010-06-09 13:13:09


瞑想をすると脳が若返る、月光を浴びると若返る、とききましたが

。。。まったく反対に成ります。
2010-03-16 14:14:24


有料であれば全てダメなのでしょうか? 学術的な理論に基づいたモチベーションUPやキャリア開発の研修・セミナーなども「お金を使ってセミナーに行く」ということに当てはまってしまいます。線引きが自分の中で整理できません。。。

。。。瞑想、自己実現、精神世界、スピリチュアル系などがダメです。
2010-02-15 16:27:01


人間は自分の思考を選択できるのか?

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自分がする思考とは、「浮かんで来るものであり」「やって来るものであり」
「湧いて来るものであり」「思い憑くものであり」
「自分で思考の選択が実際には出来ないもの」であるのが正体です。
気になる子供のことや、資金繰りや、好きな人のことなどを、考えないでおこうと自分が思いましても、やはりどうしても浮かんで来ることでしょう。

実は自分が思う内容には、自分の行動の正邪のすべて、自分が持つ因縁、今の自分に憑依する存在、過去・現在・未来・・・・色々なすべてが表れています。
だから、刻々と変化する自分の思考を「静観する」ことで、今の自分が何に感応しているかを自分で知ることが可能です。
覚醒していない人間、悟りを見性していない人間、迷いの中の人間は、自分の思考を選択することが出来ません。
人間に真の自由が訪れるのは、自分の思考を選ぶことが自由自在に成ることからです。
心が思考の選択の自由を「取り戻せば」、それは自分の周囲から現実を変化させる力を持ちます。

そして、人間が自由な思考を勝ち取るために必要なことは、思考の前に自分の行動・行為がカギなのです。
自分の正しい生活の行動・行為が自分の思考を創造して行きます。
だから自分の思考を正そうとしましても、現実の生活行動・行為が正しく無ければ無理です。

思考の「執着」というのは、「執着しない!」と考える時点で執着になってしまいます。
瞑想を「する」時点で、それは真の瞑想ではありません。贅沢な自己満足をしようとするだけです。
真の瞑想は、生活行為の中に存在します。無心に目の前の仕事に没入する中に、真の瞑想は「訪れてくれます」。真の瞑想が出来る人間は、稀有です。
人間国宝のような工芸家には、真の瞑想を無意識にしている人物を見かけます。

今の自分の思考には、悪い事しか浮かばない、色情のようなことしか興味が無い、不平不満、未来の心配しか考えられない・・・・・どうすれば良いのでしょうか?
このような時は、無理に思考を正そうとはせず、自分の行動・行為を心配が起こらないように努力します。
無職ならば、就活の行動を努力する最中は、不安を忘れることが可能です。
結婚したければ、ただ思考の中で落胆するよりも、婚活の行為をします。
このように自分の行動・行為が、自分の思考を左右して行きます。

そして大切なことは、悪い自分の思考の中でも、志(こころざし)と夢を持つことです。
志と夢は、意識して持つことが誰でも可能です。これに行動・行為が伴えば、自分の中から浮いてくる思考は変わって行きます。
思考は真の意味では選択が出来なくても、志は持とうと努力することが可能であり、重要です。



皆さんは、自分の思考が何処から湧いて来るのか?と考えたことがありますか?
これは人類だけに特有な、非常に稀有な現象が思考の発生だと思います。
動物は、あるがままの本能で瞬間瞬間を生きています。良い意味ではカンナガラ(神と一体)です。ムダな思考をしていません。

多くの人間は、自分の思考は自分自身で選択していると信じているのでしょうが、多くの人々を観ていますと、これが違うと感じています。
ハッキリ言いますと、99%の人間は自分の思考を選択出来ていません。
自分の自我から訪問して来る思考に縛られており、それから抜け出すことが出来ていないのです。

その証拠に、恋愛問題や借金の心配などは、どんなに違うことを自分で考えようとしましても、やはり気になり悩むことでしょう。頭から離れ無いのです。
また、自分が好きな人間と死別しますと、その苦悩から離れることは難しいでしょう。
自分で思考しているつもりでも、まったく受け身だと思います。
ー中略ー
では、人類が覚醒しますと、どんな良いことがあるのでしょうか?
お金持ちに成ったり、長寿に成ったり、何かに成功することでは無いのです。
覚醒の最大の恩恵は、自分の思考の選択が自由自在に成ることなのです。思考を止めることも選択が出来ます。
そして、思考を選択出来ますと、現実的に何かを「成す」ことも可能に成るのです。

要するに、人間は自分の思考を選択することが出来ていない。
そして、その思考は、自分がする生活の行為・行動から決まって行くのです。
つまり、自分の生活行為が、自分がする思考を決めている犯人です。
自分で考えていると思い込んでいる思考は、実は自分の「行為」が思考していたとも言えるのです。
自分の行為と行動こそが、頭脳なのです。
ー中略ー
禅が作務(さむ。生活行為)を瞑想以上に重視することは、まったく正しい本質を突いています。
今日も、自分の思考よりも、生活行為を重視して暮らしましょう。


心配心の停止 2013-08-30 11:28:26

コノ世は、目に見える「行動」が主役の世界です。
ところが他の次元では、「思い」が主役の次元に成ります。
ということは、コノ世だけが時間限定の非常に稀有な場所なのです。
せっかくの時間限定の「行動が主役」の空間において、アノ世で嫌というほど浸った思いの世界の習慣を引きずることは損なのです。だから瞑想していてもダメなのです。

思いを真から消せるのは瞑想ではなくて、行動なのです。禅でいう作務(さむ)なのです。
最後の最後の一線の自我(思い)を打ち消せるのは、自分からすべての存在に感謝を与える「行動」です。これが神様の真似事を自分が「する」ことに成ります。
この習慣は、真我(内在神)の発露を促進させます。

コノ世という「郷に入っては郷に従え」であり、先ず「行動」を意識して見ましょう。
しかし、勘違いしては生けないことは、心配することを無理に止めるとか、何も考えないということではありません。

関連コメント

会生活の中で「動の瞑想」が伊勢白山道の基本と理解しています。最近の記事では真我への目覚めを促進させることが大事とお書きになっておられますが、今日の「色んなものを見ている自分の心を静観する、24時間、睡眠中も」についての内容は、重要度の順番でいうとどのあたりにありますか?

。。。無理は不要です。
自分の怒りが収まらない時、
それが本当の自分なのか?
怒る心を静観します。
2013-08-07 22:26:11


「テレビを見ているときも、見ている自分を静観する」とは、例えば、バラエティー番組を見て笑っているときは、「今、自分はバラエティー番組を見て笑っている」と心の中で思いながらテレビを見る、ということでしょうか?

。。。喜怒哀楽をするとき、その気持ちは、本当の自分なのか?を静観です。
憑依も含めて、違う場合が大半です。
2013-08-07 22:35:02


「本当の自分は痛みや悩み、欲望に左右されない。とありますが、痛みや悩み、欲望を持つことは悪いことですか?それを感じてこそ、人間らしさが出るし、学び成長するのではないでしょうか?

。。。そのために内在神を自分で痛めている人が大半なのです。
それはよく有りません。死後に後悔する大きなポイントです。
だから、内在神に感謝して、思いっ切り生きることならば良いです。その視点では、不幸は存在しないことになります。
すべてが経験であり、思い出になります。
2013-07-10 13:48:43


20140802

  • 最終更新:2016-09-30 12:47:22

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