無(む)・空(くう)

無(む)・空(くう)について
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人間の良心に宿る内在神とは、大自然の精霊を生み出した「親神」でもあります。
内在神とは、元々の究極的な存在であり、キリストが天の父と呼び、釈尊が「無」と表現し、老子が「無為自然」「大いなる母」と表現した存在です。
この尊い究極的な存在が、すべての人間の右胸3cmに宿っています。



神社において一番神聖な場所として、本殿の中の密封された空間を「神の間」として祭ります。
「空間が御神体」であることが、古神道の奥義に在ります。
神道とは、何も無い「空・くう」を神様として祭ります。
「空」を祭ることが出来るのか?
ここに森羅万象の秘密が在ります。

「空を祭る」という思想は、釈尊が悟られた「無」、空海が達した「空」の心境、ラマナ・マハルシが言う「真我」と同じことを指しています。
神社に参拝したり自宅で神祭りをすることで、日本人はその意味を知らずに、「空を祭る」という究極を日々しているのです。
上記の偉人たちの、更に上を行く究極が、何もない「空を祭る」という「行為」に存在します。

言葉では説明が難しいのですが、私たち人間も「頭を空にする」ということが奥義なのです。
多くの人々は、自我から発生する思考のために、「頭を空にする」ことが出来ません。思考を停止することが出来ないのです。
私たちの肉体が御宮であり、その中に「空を祭る」ことが、悟りであり覚醒を意味します。
老子も指摘していますが、すべては「空」から無限に生まれて「来る」のです。


ブルース・リー 2013-09-13 11:19:26

彼の発言の中から、心に残るものを紹介します。

(1) 「考えるな 感じろ。 増やすな 捨てろ」

“頭で考えるな。感じるんだ! 思考を増やすな。思考を捨てろ!”
このように響きます。まさに、心の「空」の重要さを知っています。

(2) 「状況など気にするな。 チャンスは作り出せ!」

“状況に縛られるな。チャンスは自分で創るものなんだ”
人間は、生きる限り、何かに挑戦することが大切です。

(3)  「常に自分自身であれ 自分を表現せよ 自分の中に信念を持て」

他人を見ずに、自分のオリジナルが最善だということです。
他人との比較心を捨てれば、そこには愛すべき自分が残ります。

(4)  「モノが入るように、あなたのコップを空にしておこう」

心が「空・カラ」ならば、あとは自然に何でも入って「来ます」。
自分の悩む思いで心を満たせば、良い知恵も入ることが出来ません。

(5) 「行動に裏打ちされた現実的な夢追い人であれ」

人間は、考えたまま止まるよりも、目の前のことに努力をすれば道は開くのです。
ただの夢を思うのではなくて、自分が現実に努力できる夢を追うべきだということです。
自分が努力することも出来ない夢は、捨てれば良いのです。

(6) 「成功とは、真心を込めた真摯な態度で何かを“する”ことである」

人間の成功とは結果では無いということです。
誠意を持って何かを「する・ing」行為が出来ることが、成功して「いる」人間なのです。

(7) 「正しいか、間違えているか、などを分けるな!」

人間は、白黒を判定することを考えますが、それは答えでは無いのです。
真理の視点では、どれもが大正解に成るからです。ムダな人生など存在しません。
日々の生活の中に在る、自分が感謝するべき歓喜に気付けないだけです。

(8) 「他人から感じろ。自分を知るとはそういう事なんだ」

本当の自分を知りたければ、自分が他人に対して何を感じているか?何を思うのか?
それを見なさいと言うことです。
他人の鏡(内在神)に映る、本当の自分がそこに見えます。

(9) 「お前は考えたように、変わる」

コノ世は、自分の意志・志向性が大事なのです。他人の意志は、自分には合いません。
自分の良心に基づいた、希望を持ちましょう。

(10)  「ある人物のことを知りたければ、
     他の誰かと一緒に行動している時の様子を観察すればよい」

その人が持つ、他人への思いやり、配慮深さ、サービス精神を観察します。
その人の本性を知ることが出来ます。
婚約者が、自分の親に対する態度・発言・行為を観察すれば、将来の自分に対して相手が取る態度を事前に知ることが出来ます。

以上のブルース・リーの発言には、まさに老子が背景に見え隠れする言葉が多いです。



ブルース・リーの発言を、NO.10で終わらせるつもりでした。しかし、彼の発言を調べた中で、どうしても読み捨てることが出来ない、今の時代に光を当てておく必要がある言葉が在りました。

(11) 「何かについて考えすぎると、それを成し遂げることは到底不可能になる」

自分の願望に対して、自我(ワレヨシ)の思いが強すぎますと、逆にそれが離れて行く法則です。(過去記事:「1と9の法則」【1と9の法則 2010-04-16 11:10:50】)
まさに、「考えるな!先に努力をしろ」です。
努力をしない人間ほど、考え過ぎるだけで終わって行きます。
考え過ぎる人間ほど、動きが停止して行きます。

(12) 「人間はいつも成長している。
     しかし、人間はパターン化された思考や行動によって行動を制限されると、
     成長を止めるものだ」

コノ世のすべてに、繰り返すパターンが存在します。
最近では、10代の女性が一人で出産しますと、育児放棄して赤子を殺してしまうパターンが継続しています。
これも生む前に、女性がそのようなパターンが社会に存在することを、自分で認識出来ていれば、親子の運命は変わります。
自分で危ないと思えば、養護施設に赤子を預けるなどの対策が事前にできます。
これは自分が可能性のパターンを認識することで、運命は本当に変わるのです。
会社を簡単に辞めれば、その後のパターンがどうなるかを想定するだけでも、今の運命は変わります。

つまり、「人間はパターン化された思考や行動によって行動を制限されると・・・」
この制限を解除する方法は、「パターンの存在を事前に“認識する”こと」で避けることが可能に成ります。

(13)  「この世で最大の勝利は、自分自身に勝つことである」

まさにこれが、人生の目的であり、人間が生まれて来る理由です。
人間は、本当の自分(真我・内在神)と和解ができるまで、コノ世に生まれて来ます。

(14) 「知るだけでは不十分だ。 実際に応用しなければならない。
     意志があるだけでは不十分だ。 実行しなければならない」

コノ世では、行動と行為が最重要である真理です。コノ世だけの特徴であり、奇跡です。
思考は、アノ世では嫌というほど出来ます。アノ世での行為は、過去生からの反射のパターンが繰り返すだけに成ります。そこで、自分が過去にした行為の反射を受けて、完璧な帳尻が一厘まで合わされます。
コノ世だけが、善悪の新規の行為が自由に出来る、時間限定(寿命)の奇跡の空間です。

(15) 「生き物である人間、また創造する人間は、
      できあがった型やシステムよりも重要である」

コノ世で生きる人間だけが、宇宙の法則を超えることが可能です。(覚醒・悟り・解脱)
アノ世では、悟ることは不可能なのです。アノ世では、過去生からの反射の「型・システム」により、重力のようにパターンに縛られます。
生きている今が、貴重なチャンスなのです。苦しい生活ほど、逆にチャンスは増えています。

(16) 「私は“できると思うからできる”という古くからの格言を重視し始めている・・・」

私も、この言葉に清々しさを覚えます。

(17) 「皆が皆、勝つ方法を学びたがる。
      しかし、決して負ける方法は学ぼうとはしない」

この言葉に、まさに老子の逆説の真理が存在しています。
負ける方法の全部を「認識」できた人間は、必ず勝てます。
これは、社会で成功する人間の特徴でもあります。自分の弱点を、素直に認識する人間は、それをカバーすることが可能に成り、自然と勝ち始めます。


(18) 「負けを受け入れること、即ち死を学ぶことは、逆に死から解放されることに
     なるんだ。
     このことが理解できれば、自由に流れ、調和していくことができる。
     流れることは、無心への道だ。明日からは、野心を抱かずに良い意味での
     死の芸術を学ぶべきだ」

まさに老子の言葉が在ります。明るく前向きに、人生の残りの日数を認識する人間は、今の時を明るく楽しむことが「逆に」可能に成ります。他人と争うこともアホらしくなり、小さいことを心配した自分を笑うことも出来ます。
明るく死を認識することで、すべての執着が消えて行きます。
誰もが必ず死ぬのですから、怖がることはありません。

(19) 「人生は絶えず関係を持つことである。
      人は関係の中で生き、関係の中で成長する」

コノ世では、人間関係が嫌で嫌で悩みましても、アノ世に行きますと、それが宝だったことが誰もが良く分かります。
アノ世では、「自分に関わってくれて有り難う」と、嫌な他人にも心から言える心境に戻ります。
すべては、海岸の中で隣り合う砂粒同士のように、深い理由が在るから出会っているのです。ほんとうに奇跡の出会いなのです。

(20) 「誰かからの助けを期待するのではなく“自分からの助けが肝心だ”
      と、思わなくてはならない」

「神は自らを助けるものを助ける」・・・・これは本当のことです。
神に我欲を祈願している人間は、落第生を自ら申告して、霊体に刻印しているのが真相です。
アノ世に戻れば、「神をもパシリにした刑」「神様を奴隷のように酷使した魂」として、一目で分かる印が付きます。
生きる間に気が付ければ、印は消えます。神様には感謝だけをすることが最大事です。
細事を神に言い付けなくても、すべてが救われます。

(21) 「心を空にしろ ・・・・形をなくせ、形をはっきりさせるな水のように。
     ボトルに水を入れたらボトルに変形し、ティーポットに水を入れたらティーポットに
     変形する。水は流れ、水は壊すこともできる。水になれ、友よ」

これは「老子の言葉」の引用そのままです。
老子の言葉は、ブルース・リーの命令口調に置き換えましてもカッコイイですね。
魂に響くものが在ります。
これも現代に蘇る老子の言葉として、大いに認めることが出来ました。


神様には主語が無い 2014-06-15 09:45:16

“自我は他人を区別するが、真我(内在神)は他人を区別「することが出来ない」”
これは真理です。見性(けんしょう)、覚醒、悟る、カンナガラ(内在神との一体感)を体験しますと、理屈抜きに分かることです。
でもこのように書きますと、いきなり難しいというか、自分には理解が出来ないことだとあきらめてしまうでしょう。ここで、

「悟りとは、自分の脳から主語が消えること」
「内在神とは、主語のない活動をする存在」
「神界とは、主語の無い状態を指す」
このように言い変えますと、何となく分かる気がしませんか?

「考えてごらん。主語の無い世界を」(byジョン・レノン)と言いそうな気がしませんか?
神様と言いますと、そこで理解が停止しますから、
「神=主語が無い」
と表現しても、霊的には決して間違いではありません。

(中略)

これからは、瞑想などのワザワザ座る自我の行為をしなくても、生活の中で
「主語の無い生活」をすることで悟ることが可能です。
なぜならば、「主語が無い」とは究極の核心を突いていると私は感じるからです。
釈尊が仰った「無」という概念も、「主語が無い」「主語は存在しない」を理解しますと、まったく同じ境地であることが私に響きます。
「見ている者」と「見られている者」、この両者が消え去り「全体の1つ」しか存在していない核心が響いて来ます。


心をカラにする秘訣 2017-02-19 11:52:24

では、頭を空(くう・カラ)にするには、どうすれば良いのでしょうか?
これに関して、老子が面白いことを言っています。

* 家の中にゴミが天井まで詰まっていれば、人が住めますか? 
家の中の空間が無い家は、家としての用を成すことが出来ません。

* 空間が有るからこそ、人が家の中に入って来て暮らせます。

* 人の脳も同じであり、カラの状態であればこそ、良い知恵も湧いて来るし、知識も入って「来る」のです。

これは重要なヒントです。
私たちは、心を空にする理由も分からず、ただ無思考に成ろうとするから「出来ない」のです。
思考を消すという、何か消極的な意味から空を目指すから出来無いのです。

そうでは無くて、
* 知恵・真理という美味しい「鳥」を捕まえる為に、「心をカラにして待つ」という能動的な前向きな、ワナを仕掛けるような意味で無思考の空を心掛けますと、その実践が自分に教え、心が空の習慣が形成されると感じます。

(中略)

心を心配で埋めていては生けません。
心をカラにしていれば、最善の方向が考えなくても見えて来るのです。

囲碁にしても、思考で読むのは限界があります。
でも、何となくの雰囲気が最善の一手を教えてくれます。
無思考からの一手を出せるか否かが、勝敗を決めます。

心が空・カラであることが大切です。
心に「空」を心掛ける人、この道理を知っている人は、良い知恵が湧き自由自在に生きられます。

先ずは、心をカラにして部屋掃除をしてみましょう。
釈尊の弟子である周利槃特(しゅり・はんどく)は、頭が悪い奴だとイジメに遭っていました。
でも、無心で掃除をする内に悟って、叡智を得て聖人と成りました。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E5%88%A9%E6%A7%83%E7%89%B9

人は、心をカラにして掃除に専念するだけでも、作務(さむ)を伴った大いなる修行となり、瞑想を超える心のカラに行き着くわけです。



私の好きな言葉に、「身心脱落」(しんじんだつらく)が有ります。
私の中での好きな読み方は、「しんしん だつらく」です。「し」を濁らせないほうが好きです。

・ 身も心も、脱落するとは何ぞや?
・ どこから、肉体や心が落ちると言うのか?

と思われるかも知れません。
でも、確かに、自分の肉体でありながら、自分の身が、自分の心だと思っているモノが、「スコーン!」と落ちる体感・体験をすることが人には起こるのです。

では、身も心もスコーン!と脱落した後には、いったい何が残るのか?
・ 見えるすべての景色が、自分だったことが分かる。
・ 言葉では表現出来ない、「空」というものを体験します。



悩み過ぎたり、心配をしていますと、心が重くなって行きます。
これが行動にも影響して、注意不足となり、事故や怪我にも注意です。

心に何かを溜めるよりも、心を常に空(から)にしているのが理想なのです。
心が空ならば、自分に有益な情報にも気付きやすいのです。
心がストレスで埋まっていれば、大切なことも見逃しています。

(中略)

心を空にするだけで、大切なことが気付きとして、自然と知恵が入って来ます。
心を空にしていれば、いつも初心で物事を見られます。
心を空にするだけで、「生まれ直し」が起こると私は感じます。

過去を心配する間は、まだその過去に生きています。
未来を心配する間は、大切な今を一生懸命に生きていない証拠です。
心を空にすれば、今の見ること触れることのすべてに、嬉々とすることが出来ます。 コドモカーーッ

心を空にする=禅です。

禅では、難しい問題や心配事、どうでも良いことに心が囚(とら)われた時は、師は相手に対して、
「喫茶去」(きっさこ)
「まあ、すべてを忘れて、お茶でもお飲みなさい」
と言われました。

今日も、自分がダラダラと心にストレスを感じれば、「すべてを忘れて」熱いものでも飲んでください。
下手に考え続けるよりも、
1度真剣に考えたならば、すべてを忘れて見るほうが、解決が起こりやすいのです。
人間の無意識下の力が働きます。
現代人は、無意識下の力の出し方を忘れているだけなのです。

そのカギは、「心を空(から)にすること」。
これが、前文明の秘密です。



自分が死ぬ時には、そのすべてが不要なモノであり、必ず捨てることに成るモノばかりです。
そこで浮かぶ言葉は、

・ 人間、本来無一物。(ほんらいむいちぶつ)

禅の言葉であり、存在する物は、本来すべてが空(くう)であること。
だから、自分の物として執着するべきものは何一つもないこと。
一切のものから自由になった心境を指します。

だから、
・ 何も持てない自分を、ダメな人間だと思わないこと。
・ 自分の心は、常に白紙を心掛けること。

でも、これでは、生活することも出来ないのでは? と心配することでしょう。
そこで次に大切なことは、
・ 自分の良心が喜ぶことを、探すこと。
・ 自分の良心が良しとすることに、全力で生きること。



「空」というのは、モノが一時的に「空」に入ることは出来る。一時的には、存在するかのように見えます。
でも継続が出来ない空間・次元なのです。
釈尊は、
・ コノ世の一切、すべてが、みんな空である。
と断言されています。
コレは、真実の真理だと、私は体験から知っています。

この「一切皆空」という空の理論で、嫌なことを消すことが可能なのです。

(中略)

「一切皆空」を、私の場合は「いっさい みな くう」と思い込んで心に落とし込みます。そして、
・ 腹式呼吸をしていることが、すべての必須条件です。
自分が「空」であることを、心からこの真理が腑に落ちますと、家族の痛みも消すことが可能に成りました。

これが、今からの時節は、誰もが自分で出来るように成れると夢想します。 ヤッター!
でも、医師の治療を受ける努力をしながらです。

自分が悪口を言われていると心配することも、そういうことは永遠には続かないという道理を理解し、
「いっさい みな くう」
「本当は存在していない」
「無い」
と思って欲しいのです。

まずは、自分の痛みを、病気を、自分で消すことへの挑戦を、
「いっさい みな くう」
という言霊で、自分自身を「納得」させることから試して頂ければ幸いです。



「本当のことを言いましょう。
本当は、何も起こってはいないのだ。
それ、に対して喜怒哀楽という色を自分が着色しているだけなんだ。
自分は可哀想な人だとか、自分は勝者だと思うのも、自分が着色しているだけのこと。
本当は、一切皆空である。(いっさいみなくう、と私は読む)」

(中略)

今日も、自分がする行動と行為を大切にしましょう。
それが良いことならば、嫌でもいつか、幸福な境遇に空は変化します。
「空」(くう)とは、どんな色も付けることが出来るし、変わる、ということも意味することを覚えて頂けますと幸いです。



私達は、自分の中に、宇宙の空間が存在しています。
それを、「空」(くう)と呼びます。

自分の中に、無限の空が存在することを知らないから、
・ ストレスを溜め込んでしまいます。

自分の中に在る空を、信じられないから、
・ 不安感が消えません。

自分の中に在る空には、誰にも絶対安心の天国が実在すると思ってください。
誰もが死ねば、自分の中に在る空に帰って行きます。



「素直」「何も考えていない」「心が空」とは、古神道ではこれを「随神」(カンナガラ:神の意志のままに存在するさま)の状態と言います。
その時々に適した神様が、その人の中に降りて来て力を発揮する状態を指します。

(中略)

普段から、素直な心で、もし心が空に成ることが出来れば、
・ 事前の察知力が増す。
・ なんとなくの勘や、雰囲気を感じる力が出る。
・ 臨機応変な対応が出来る。
このような現象が起こることでしょう。



他のために動くことは、自分を忘れています。
これが自分を無限の空(くう)に近付けて行きます。
そして、自分の中に眠る無限の意識が目覚め始めます。



釈尊にしても、老子にしても、すべての求道の答えの最後は「無心」の心境を悟りとして指摘しています。
祈願は、無心では無いのです。欲心が有り有りです。だから、余計に叶い難く成ります。

(中略)

「無心」とは、厳しい修行をして何も考えない境地に成ることではありません。
無心を求めて厳しい修行をするほど、無心には成れずに、苦しい自分の自我が増大することでしょう。
上記の祈願の理論と同じことです。

無心とは、厳しい修行の先にたどりつける境地では無くて、その修行もムダだったと心から分かった時に、放心状態でやっと分かる境地です。

・ 心は、自然が一番と心から本当に思い知り、
・ まるで赤ん坊のように、何も心配せずに、無邪気で、天真爛漫になることが無心だった。
・ 無心とは、何も考えない空白状態のことではない。
・ あれこれと作為したり、何かを選んだり、悟りたいという願望も捨てて、すべての計画を捨てることが無心だった。



般若心経は、
・ 何も無い = 全てがそこに在る。
・「何もないところにこそ、全てがある」ということ。
これを指摘しています。

これは、般若心経の「色即是空」の「空」の意味を指します。
「空」は、何もない空っぽという意味ではなく、何もないところにこそ、「既に全てのものが在る」という指摘です。

関連コメント

まだとても「空」に至る状況ではありませんので、こんな質問となることをお許し下さい。
意識的に考えることを無くして無想念の状態になるのは短時間ながらできます。

。。。。まだ、それは自我の苦しい、無理な空です。
思いやり、慈悲心、感謝を出すことで、空は到来します。
行為が自分に教えます。
2013-09-12 17:08:24


マハルシシリーズで、想念を払い続けていくとそれ以上は行けない限界にたどり着き(知性の限界、努力の限界、後はお任せにするしかない所)、これは空とまでは行かずとも近い所だと思いますが、本日の空を祭るとは、ここで、もしくはここに、感謝を思う事かと思います。このような解釈で良いでしょうか。もっと深い意味もあるかと思いますが、よろしければお願いいたします。

。。。はい。自分から感謝を出すことがカギです。
2013-09-12 18:31:59


過去多くの修行者が「空」を実践しようと試み、失敗し続けてきました。このことについてはもう言い尽くされ、研究し尽されているようにも思うのですが、リーマンさんから見て、それは一般人にも可能なのでしょうか?

.。。。感謝の思いを出す。善行をする。
ことがカギです。
実践が自分に教え、先行きを導きます。
2013-09-12 23:22:12


今日の記事で「心に空を実現することが出来れば、祭ることが出来れば、コノ世での実現力が自在に成ります。」と、さらりと書いておられますが。出来るかどうかは置いといて、感謝想起やフトノリトを心の中で繰り返したり、頭を空っぽにするように心掛けることで、少しずつ自在に成っていくものでしょうか?

。。。自分から感謝の気持ちを出すことで、逆に空に至ります。
2013-09-13 01:22:20


しかし今日はブルース・リーですか。
いいですね。
彼を取り上げたのは何か理由、きっかけがあったと思うのですがさしつかえなければお教えください。

。。。空、の説明のために浮かびました。ヒントがあります。
2013-09-13 19:48:43


釈尊は何故、「空」についてわざと説明不足にされたのですか?

............あなたは存在しない。

と言っても、初期の当時は理解されないから。
700年後の仏教の広がりまで、待つために。
2017-08-09 15:28:50


無と空の違いがわかりません。

。。。。同じ意味です。

自我が消えた時に、体験することです。
2021-04-20 02:38:48


ラマナ・マハリシの腹式呼吸の吸う時、呼吸を止める時、吐く時のそれぞれのタイミングで、いっさいみなくうの言霊を想う場合、どのタイミングが良いでしょうか。

。。。。。吐く息
2021-05-14 00:24:47


私にも空(くう)が備わっているならば使えるようになりたいと思います。
自分の中にある空の存在を知っているだけでは自動的に作用が起こるわけではなく、助けを求める意思表示が必要なんでしょうか?
たとえば、ざわついた、揺れる精神に気づいたらその処理を、空に向けて「一切皆空」と発すれば強制的にリセットされ、安心感に向けて方向転換が始まると思っていいでしょうか?

。。。。まだ、願望実現、自分を守りたい、自己利益、
があります。

そうでは無くて、既に満たされている感謝の心。
これを感じて行くか否かが、
空に関係します。
2021-09-29 13:38:45


「自分の中に在る、無限の空の海」2021-09-22の記事を読み直しておりまして、
これは内在神、創造神、愛の海、ワンネス、11次元の話かと思っていたのですが、
そうではなくて、ワンネスすら発生する以前の「文字通り本当に何にもない空=無」が存在するのでしょうか?
自分の中に在る、無限の空の海 2021-09-22 12:13:56】

。。。。そうです。
2021-11-02 21:34:42


関連項目



【掲載順序】本ページは「日付昇順」とします。



  • 最終更新:2023-10-28 16:34:18

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