無知(むち)・無明(むみょう)

■無知(むち)・無明(むみょう)について
関連項目 釈尊
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平凡とは凄いプレゼント 2012-02-26 10:36:36

やはり人間とは、現状の有り難さに気付けない、目にフタを自分でするサガを持つようです。
実際は、自分から不幸に進んだのです。
しかし、これに「も」人間は気付け無いのです。その原因を他人や運命や霊の責任に「見ようとします」。
自分を見ようとはせず、原因にまで他人を見て悩んでいます。自分のことを自覚しない限り、同じような誤ちを人は繰り返します。

釈尊はこれを、無知、無明(むみょう)と言いました。
無明とは、自分の中に明かりが無い、とも言えます。
人間は生きる限り、自分の中に明かりを求めて、その明かりで現状の有り難さ・素晴らしさを見ようとする姿勢が大切なのです。

(中略)

人間とは、現状の有り難さに気付けることが1つの悟りであります。
現状の有り難さが分からない間は、無明へと進みます。
さあ、今日も1回だけでも悟りましょうか。


関連コメント

初期仏教には無我説なるものがあります。
これは輪廻の主体となるアートマン(魂や自我をさす)は実在しない、とする考え方です。
自我は他者との関係、関わり、縁起によって成り立っていて、肉体も一瞬一瞬、新陳代謝を繰り返して時間と伴に変化していき、実体は存在しないとする解釈です。
当時のカースト制度の差別を批判するために、輪廻や魂を否定する考えが採用されたのでしょうか?
あるいは、釈迦の真意は、本当の心は表層的で自己中的な我良し意識ではない。心、魂は生き通しで輪廻するが、階層的な多次元存在で、その奥底は神に繋がっている。究極には神ともいえるから、無我と表現したのでしょうか?

。。。理屈を追っても無明から開けることは無いです。
先祖への感謝を普段の中ですることが大事。これ次第です。先祖への感謝磁気を貯めることが、守護に繋がります。
実践が教えます。与える実践が教えます。言葉では無いのです。
2012-08-20 21:48:27


20140809

  • 最終更新:2015-02-01 17:10:15

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