武士道

武士道について
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大病にしても、仕事にしても、試験にしても、恋愛にしましても奇跡が起こる場合が有るのです。
なぜ奇跡が起きるのでしょうか?

それは、このような状態の時は、先祖霊も、縁ある精霊も、本当の自分(真我・内在神)も、
“やっと”干渉できるからです。
つまり、援助を断り続けていたのは、自分の自我(じが・ワレヨシな思い)だったのです。
「何が何でも」という自分の自我は、周囲に迷惑を掛けるだけでは無くて、本当の自分をも押し込めていたのです。
どんな人も、本当は「そんなもんじゃない!」のが真実なのです。

本当の自分(真我・内在神・無限の発電機)を拘束しているから、パワーが出ないのです。
本当の自分を解き放つヒントが、
「明るく諦めること」
「前向きに諦めること」
「余計な力みを抜くこと」
「努力をしている上で、すべてお任せする覚悟をすること」
なのです。

これに「生死への感謝をしていること」が加わりますと、これが武士道の本質と成るわけです。


仕方がない、は明るく 2011-02-10 10:52:00

「仕方がない」とは、あきらめの言葉だとか、絶望を意味する言葉とは、私は感じません。
むしろ逆に、「明るく覚悟をする」「腹をククル」のような、武士道の言葉だと感じるのです。
時代劇で多用されます「かたじけない」(有り難とうの意味)に比類するような、良い言葉だと思います。
「窮鼠猫を噛む」(きゅうそねこをかむ)のような、大きな猫に追い詰められたネズミが、身を捨てて猫をカムような心境を、仕方がないの言葉にも感じます。
戦争に動員された先人たちも、「家族と国のために」仕方がないと思ったと感じます。

いくら悩んだところで、答えなどは無いです。むしろ、その悩みの「過程を体験」する目的で生誕しているからです。
それよりも、状況を確認して認識する心配(しんぱい:心を配る)を、ある程度したならば「仕方がない」とすべてを“受け入れて”、淡々と進んで行くことが最善の結果を呼びます。
分からないことを悩んで漏電するのは、色んな意味で損です。


底辺は強いです 2009-07-12 11:11:45

私は1日が終わろうとする時、今日も生きる事が出来て良かったなと「生かして頂いて ありがとう御座位ます」と思い、朝に目覚めると、今日も生きている事への感謝の気持ちを思います。
常に生死を意識して生活していると言えます。
私は今、とても健康体であります。
健康体であるにも関らず、日々生死を明るく自覚できる事が私の財産であり、強みかも知れません。
これが武士道の本質です。
格闘技や殺傷技を追求する事が武士道の精神ではありません。本当の武士道は、貴重な生に気付く事です。
大切な魂=心を運んでいる自分の肉体の健康に務め、肉体を守る生き方が武士道です。

日々の生活に感謝し、交通事故に自他共に遭わない様に配慮しながら運転する人は、武士道の実践者です。


関連コメント

「自分には残された時間が無い」
→「死を忘れない」事が武士道?それがよく生きる事につながる、
という話じゃなかったでしょうか?でも、たしかに焦りますよね。「あとどれ位生きられるだろう?」とか考えると。。。でも、死を忘れるのもダメ。この辺が混乱します。

。。。肉体を借りている時間は、有限である認識が大事。
だから努力は大事。
心は永遠であることを知ること。
だから、慌てることは不要です。
この陰陽の認識が大事。
「だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる」本、「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を出来れば何回も再読してください。
実践が自分に教え、先行きを導きます。実践なき者は迷います。
2013-05-18 15:09:58


幕末の異常に強かった日本人の「死を恐れない狂気」とは、どういう信仰から生まれたものでしょうか?

。。。武士道からです。
2012-12-04 14:28:45



  • 最終更新:2019-03-20 21:39:02

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