正知(せいち)

■正知(せいち)について
関連項目 釈尊
目次

関連記事

正しく知ることが大事 2007-10-14 09:00:01

釈尊は、人間の苦しみを無くする方法は、苦しみから逃げ
ようとすることではなく、
(1)正しく物事を見ること「正見(しょうけん)」
(2)正しく物事を考えること「正思(しょうし)」
(3)正しく語り、正しい言葉を使うこと「正語(しょうご)」
(4)正しい行為をすること「正行(しょうぎょう)」
(5)正しい日常生活をすること「正命(しょうみょう)」
(6)正しく努力し、頑張ること「正精進(しょうしょうじん)」
(7)正しい願い(感謝)を持つこと「正念(しょうねん)」
(8)正しく決意すること「正定(しょうじょう)」 の以上、
八つの道「 八正道 (はっしょうどう)」を説かれました。

八正道の解釈は、それぞれ色々あるでしょうが、私はこの中で、(1)と(2)が最も大事だと感じます。
これが誤れば、(3)以後が全て間違った方向に行くからです。
私のリーディングでは、釈尊は正見と正思を合わせて、”正知”が最も重要だと伝えます。
正知、物事を正しく知る。 正しく知るべき、対象は大変広く多いです。 生活、学問、信仰、・・・人生の全てです。
正しく知る事は、過去生からの縁や運も必要なぐらい難しいことかも知れません。


釈尊の本意 2008-09-24 18:31:37

伊勢白山道の過去発言より :
釈尊の直伝は、 四諦(したい)と、その中の八正道(はっしょうどう)
正しく知ることが大事 2007-10-14 09:00:01】です。
これらのエッセンスは、現状を受け入れ、感謝して生きる事だけだと、感応します。その他全ては、釈尊亡き後、数百年後から始まった、釈尊不在の捻じ曲げた哲学解釈の蓄積です。
本当の釈尊の教えは、明るく、生きる力に溢れたものです。
釈尊を利用した宗教には、誤りが多いです。
解説 :
八正道の霊的エッセンスは、この中に隠れている「正知」(せいち)、人生を正しく知る事だと、私はします。

では、仏教の根本基本である四諦は、
(1)人が生きるということは苦であるという真理
(2)その苦の原因は人間の執着にあるという真理
(3)この苦を滅した境地が悟りであるという真理
(4)その悟りに到達する方法が仏道であるという真理

この中の特に(1)が、釈尊の基本にあります。
そもそも、人生とは苦しいものだと。
苦しい事が当たり前だと。
これを避けようとしたり、逃げようとすること自体が宇宙の真理に逆らう事だとします。
これを人間は避けようとして、神を使おうとしたり、苦しみを無くす事が出来ると「自称」する人間に、金銭を与えて逃げようとします。
これは、苦しみを倍増させる結果に必ず成ります。
宇宙の真理に逆らうからです・・・。


正しく知る 2010-05-22 11:10:50

私が釈尊から感得した言葉に「正知」(せいち:【正しく知ることが大事 2007-10-14 09:00:01】)があります。
要は、物事を正しく知る事が出来れば、人生は変わるのです。
集金宗教に囚われて、家族との時間・金銭・人生を失うのも、経験した後に分かっても遅いのです。やはり常識からの中立な視点を自分が持っていなかったと言うことです。正知が欠けていたのです。
生活の中で、「常識からの中立な視点」を忘れずに判断して行く事が大切です。これは、自分の心に住まう内在神に近づく道でもあります。


求める物は、自分の中に 2010-06-23 10:26:07

「苦しみは、物事の有りようを正しく知らない無知ゆえに生じる」と、ダライ・ラマは日本講演で述べた。その上で、「釈尊(しゃくそん)(釈迦)は、自身の言葉を分析する自由を与えている。私も釈尊の教えに従い、分析したい」と語り、学ぶ姿勢の大切さを強調した。
感想:
サイトを検索していましたら、来日中のダライ・ラマの上記の言葉を知る事ができました。
正しく知る=正知(せいち)(【正しく知ることが大事 2007-10-14 09:00:01】)の大切さを、ダライ・ラマも話された様です。
ただ、その次に続く「自身の言葉を分析する自由」が問題です。ここで言う、
1。自身=釈尊の言葉、なのか?
2。自身=私たち自分自身の言葉、なのか?

1番ならば、そもそも釈尊の言葉とされる物自体が、翻訳過程で加筆修正されております。原本の成立自体が、釈尊死後の数百年後に出来た物です。そんな「死んだ言葉」を100年間分析したところで、人間に目覚めは起こりません。今までと同じです。
しかし、自分の言葉を、自分自身で分析して見る姿勢を持てば、どうなるのか?
やはり、気付きがあります。簡単に言えば、昔の自分が書いた日記や詩などを見れば、「ヤメテくれ~」と顔から火が出る人もいるでしょう、笑。

要は、私たちは、自分自身から学ぶ為に、生まれて来たのではないでしょうか?
だから、各人のバラバラの環境の中で、それぞれの学びと成長が在るのだと思います。
つまり、今が苦しくて、ギリギリの折れそうに成っている人が居ても大丈夫なのです。
他人と比較して、同じ基準に成ろうとするから苦しいのです。


想定して忘れる極意 2011-02-24 11:30:33

私の人生を振り返りましても、事前に「もし、~したならば」と想像「出来た」悪い事は“起こら無いのです”。
もし起こっても、慌てずに淡々と対処をしたでしょう。
そして、悪い想定をできた事は、普段から「そう成らないように」無意識に自分が動いているものです。それへの努力もするものです。
だから、悪い事が実際に起こった人が一様に言うことは、「そんなこと思いもしなかった」と言います。

事前に想定していても現実に悪い事が起きれば、私はきっと「仕方がない」と思うでしょう。
「生かして頂いて ありがとう御座位ます」という生死の視点から問題を見ますと、「生きているだけで十分だ」と覚悟ができますし、むやみに落ち込むことも無いです。
悪いパターンも想像できる“心の余裕”と、仕方がないという執着を離れた覚悟を持てば、「人生は気楽に成ります」。

極意は、悪い事を想定できれば、「それを忘れても良い」です。無意識下に渡して、仕舞って置きます。知って置くことが大切なのです。
正知(せいち:正しく知ること)は、人生を改善させます。
そして、いつまでも心配して執着することが一番ダメです。
悪い心配を忘れて、明るく覚悟をしていれば、災難は去ります。



なかなか他への行動までは出来ないけれども、自分の心の視点を1つぐらい増やすことは誰にでも出来ます。
「知る」だけでも、人間は変わって行くのです。
だから釈尊も、正しく真理を「知る」ことが、人間が成仏(じょうぶつ:真の幸福感に満たされること)するためには絶対に必要だとしました。



どうも神様は待ち切れずに、おん自ら私たちの方に近づいて来られている感じです。各人の心の内面から、来られます。
どんな人も「生きる限りは」、心に神が宿っていますので大丈夫です。悩んで苦しい人も、心の内面の神に気付く時が必ず来ます。
その時、この世の悩みなどは、本当に大した問題では無かったことを知ります。

こういう時になりますと、日常の中でイライラしているのは、本当に損なことを招きますので注意です。皆さんも、損するのは嫌でしょう。
同類が引き合う法則が徹底されて行きますので、心のイライラは嫌なことを引き憑けます。お金を失うことも起こりやすくなります。
私たちは自由に何でも思い、想像(創造)することが出来ます。だから、イライラしてくれば、これを「止めておこう」と思う自由もあるのです。
それでもイライラすれば、やはりそう思うのを止めようと「努力」をしましょう。「イライラに身を任せる」のを止めようと努力さえすれば、イライラが止まらなくても大丈夫です。必ずブレーキが掛かっています。嫌な転写を呼びません。
やはり、これからは正しい知識(正知:せいち)が重要です。(【正しく知ることが大事 2007-10-14 09:00:01】)
素直な心さえあれば、ナントナク良い物事を自分で識別出来ます。



人間とは、生きる限りは「よく見聞きして分かり」という向上心が大切なのです。
釈尊が仰った「正知:正しく知ること」とは、人生を左右するほど重要な視点です。
正しく知るには、自分(自我)のことを感情に入れないで、冷静に静観出来る気持ちが大切です。
静観することで、相手や物事の本質が見え出します。

だから今、苦しくて悩みがある人は、その悩みの中に入り切らないで、大きな視点で静観して見ましょう。
どんなに悩んだところで答えは出ません。しかし、静観する視点からその悩みを見続けますと、必ずある導きに気付くことが出来ます。



無知とは、人間に間違いや・勘違いや・時には犯罪をも起こさせるものです。
釈尊が仰った、正しく知ること正知(せいち)とは、生きる人間にとっていかに大切かと言うことです。
正しく知るには、物事を中立(中道)の視点から静観する必要があります。


生きる意味 2012-10-04 11:49:39

人生と生活の知恵を持てば、人生を正しく・楽しく生きることが出来ます。
人生を正しく生きる人は、公人(こうじん:社会のために尽くす人間)と自然と成ります。
社会に尽くせる人は、人生の本当の意味では王様なのです。
社会に尽くす王様とは、天の太陽と同じです。太陽は、与える一方の奉仕のカタマリです。
人の人生も、太陽と同じなのです。
人間も朝日のように生まれ、高く昇り、そして日没のように消えて行き、永遠の命の元に帰るのです。

(中略)

(感想)
これを訳していまして、途中から文章の意識が釈尊に変わっていました。
が最も大切だとしていました。


すべては最適に流れます 2013-01-06 10:33:16

人間とは絶えず、最善か否かではなくて、今の自分に「最適」の選択を必ず行うと感じます。
今の自分に「合った」選択を、誰もが必ずし続けて「いる」のです。
過去を振り返れば自分が後悔する選択をしたと思いましても、その時の自分には、それが最適の選択だったのです。

(中略)

要するに自分がした選択を、過去世や、他人のせいや、環境に原因を探し求める間はダメなのです。同じようなダメなパターンを繰り返すことでしょう。
そうではなくて、「今の」自分が、明日からを「決めている」ことを知りましょう。
人間は、知ること・知識だけでも運命が変わります。釈尊も、正知の大切さを説いています。
人間は、生きている間は、いつでも変わることが可能です。死ぬまでチャンスがあります。
肉体は消えて逝きますが、心が気付けば、それですべては真の意味で大丈夫に成ります。

関連コメント

悪い事を口に出すだけでなく、心に思っても良くないなら、生きていく事がとても恐ろしくなってしまいました。
息苦しいです。

。。。しかし、良い思いで上書き修正も出来るから大丈夫。

だから、これを「知っている」正知(せいち)が大切。
運命を分けます。
2011-04-21 12:31:30


リーマンさんは常に自分の「良心」に沿って行動しましょう!生きましょう!と述べられます。でも自らの「良心」に従って、心から人助けと信じて、人をよい状態にしてあげようと、安い時給で霊的なことをアドバイスする有料先生も、死後に唯一絶対的な「良心」に照らされ自分の無知に気づき、その罪は深く、猛省するとのことですが、普通の人が、勝手に自分に自信を持ち過ぎていて、周りはみんな自分より劣っている、アホだという認識で日々生活している場合、自分の「良心」に従って自分が「善」「正義」「親切」だと信じて疑わないことを周囲の人に施し、でも実際は、その「善」は自己満足の域を出ない「超独善的」なもので、その「正義」やら「親切」は世間一般の人からは「迷惑」以外の何物にもすぎず、周囲の人が10人いれば10人から、100人いれば100人の人から疎まれ、嫌われる人の場合、つまり良心の基準が世間一般のマジョリティからズレている人の場合、つまり周りの空気を読めないKYの人の場合、こういう人も死後に本当の「良心」に裁かれて自分の行いは実は人に迷惑を与えていたものだったと反省することになるのでしょうか?それとも自分の「良心」に従って思いっきり生きてきたわけですから反省することはないのでしょうか?

。。。正知、で検索してね。
だからこそ、寄り代(短冊や位牌のこと)による「先祖の為」の感謝の3本供養が大事です。これの継続と実践次第です。
「だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる」本、左記のカテゴリーの中の「先祖供養について」の77個の記事を、コメントまで再読してください。
2010-11-04 15:57:20


記事の冒頭、自身の内在神と対話について、また、好きな名前をつけて会話、、、のQ&Aに違和感を感じてしまいました。内在神との対話、これは人によって諸刃の剣の危険性はありませんか?

。。寄り代(短冊や位牌のこと)による「先祖の為」の感謝の3本供養をしていけば問題は無いです。
ただ、正しく認識する正知は大事。
2010-11-04 14:34:53


良い人は損をするし
正直者は馬鹿を見ます
やっぱりこれが現実ではないでしょうか?
生きる事は辛い事

。。。これは間違いです。
この世の短い期間だけを「切り取って」判断してはダメ。
一厘まで帳尻が合わされます。
良い人は得をします。
正直ものは、幸運に恵まれます。
ただし、物事を正しく判断する正知は大事。
正知、で検索。
2010-11-01 19:40:39


正知を実践するには、常にニュートラルでなければならないような気がします。

・・・そうですね。 自分の思考に執着を持てば、
頑固になり、正知から離れますね。
2007-10-14 10:43:16


正知を意識して歩きたいです

・・・大変、良いことです。新たな気付きがあるでしょう。
2007-10-14 10:11:27


【掲載順序】
関連記事は、日付昇順


20141222

  • 最終更新:2015-06-13 01:07:12

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