日本武尊
日本武尊について
キーワード ヤマトタケル命 ヤマトタケルノミコト 日本武命
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意外な御正体 2023-05-11 12:33:24
父親である天皇から疎(うと)まれて、無理な戦争に少ない手勢だけで何度も行かされて死んだ、日本神話の悲劇の若者が日本武尊です。
邪険にされながらも、最後まで父・天皇を信じて、命じられるままに絶対に死ぬような条件の戦場へ何度も行かされ、最後は疲れ果てて大和へ戻る途中で、武器も持たされずに戦い亡くなります。
でも、たった一人でも敵の部隊を殲滅させるほど強かった武神です。日本武尊は、御神剣・草薙剣
(くさなぎのつるぎ:スサノオ神がヤマタノオロチ・宇宙怪獣キングギドラを倒した時に、その尻尾から取り出した未知の金属剣)
を持った時に、武神へと変身しました。
愛しているのに、裏切られる悲劇 2023-03-13 12:42:45
父親から邪険にされながらも、最後まで父・天皇を信じて、命じられるままに絶対に死ぬ条件の戦場へ何度も行かされて、最後はその疲れ果てた旅の途中で武器も持たされずに戦死する。その側近の中に、偉い人物からの密命を受けて、ヤマトタケルの大切な武器である御神剣を隠した者が居たと夢想します。
叔母である伊勢神宮の祭主だったヤマトヒメは、甥っ子を陰ながら見守り、皇室内の相克のすべてと、タケルの父・天皇から愛されたい思いを知っていた。まるで天照太御神のように愛情でタケルを包み励ましていた。ヤマトタケルは叔母が大好きだった)
中央構造線の終端の、三叉の尻尾の地域に注意 2019-12-03 12:01:12
中央構造線が三叉に分かれる千葉県の地域の神社には、神剣を御神体として祭る神社が多い理由が分かる気がします。
また、この地域には日本武尊(スサノオ神の転生者)の伝説も数多く伝えられています。
伊勢と関東の相似形 2014-12-13 10:54:32
更には、天之日津久神社がある麻賀多神社には、ヤマトタケル命の勾玉伝説が存在します。
関連コメント
今日は、三峯神社に参拝させて頂きました。
ヤマトタケルさんの銅像をデジカメで 5枚ほど 撮りましたが1枚も 写っていなくて前後の画像は 写ってました。
神様の銅像なども撮ってはいけなかったでしょうか?
..........はい。
神霊が宿ると、起こる現象です。
2023-05-07 02:40:37
私の故郷の甲州に酒折宮という小さな神社があります。日本武尊をご祭神としており、東夷征伐の帰りにここで読まれた連歌が日本書紀に掲載されており日本における連歌の発祥の地とされております。
現在はこじんまりとした、掃除の行き届いたすがすがしい神社ですが何かお感じになることがあればお教えください。
.........古代に日本武尊が来たと思いましょう。
2023-03-18 15:14:25
質問ですが、ヤマタノオロチに関して、リーマンさんの過去記事の中で、これは中国大陸からやってきた「オロシュ」族とでもいう人々のことで、これを退治したことと指摘されていたと思います。これと今回のキングギドラ風の宇宙怪獣との整合性はどうなっているのでしょうか?さらには、2015年10月11日の記事「アメノムラクモノツルギに関するよもやま話」の中で、太古地球にやってきた人間には尾があり、金属のインプラントがあったが、その者達を退治したことと、ヤマタノオロチ伝説とが関係している、というような指摘もあります。
従いまして、このあたりのことを整理して頂けると有難いと思っております。
太古の尾のある人間が大陸から日本にやってきて悪さをしていたのを、スサノオが退治した。彼らの尾にあったインプラントの特殊金属から剣を作った・・・とか、あるいは大陸から来た尾のある者たちの兵器が宇宙怪物で、その尾にあった超合金が剣のような形の物体だった・・・
どうなのでしょう?
青い光を発する剣とのことですが、放射線でも出していたのでしょうか?
宜しくお願い致します。
。。。。スサノオが、後世に日本武尊として転生し、人生の物語を歩んだように、
数千年の間に、様々な似たパターンが起こっています。
1度きりでは無く、時代時代の環境に合わせて、
似た内容がリピート再生、起こったということ。
大筋は似ている。
でも、細部は、その時代に合わせて、変わる訳です。
このような俯瞰視点を持たないと、記紀神話の理解は無理です。
2019-10-23 15:17:15
天皇陛下を一目拝見出来たらと思って来たのですが、意外にも、黒田清子祭主様を本当に偶然ですが、外宮と内宮で2度も間近に拝見する事が出来ました。外宮では、内宮に向かうお車に乗って参道を通られる時に。目が合ったと思います(笑)。
。。。ヒミコの再来レベルの御方。
1000年に1度でるか、ぐらい。
会えたことは縁起が良いです。
神界から来た御方です。
倭姫と、甥の日本武尊の再会が、現代で起きます。
2019-04-19 00:02:56
ヤマトタケル尊は深い神縁のある存在だったと思います。
けれど、畏れ多くも申し上げましたら、時代と環境によって多くの命を奪いました。
そうした因果があっても、過酷な環境を自死せずに生き抜いたことと、縁者の強力な供養によって内在神と共に神に戻れたということなのでしょうか。
。。。。そのために、神はからいで、短命になった。
2018-11-25 13:59:48
1、下記の御由緒にある、勾玉の伝えは真実でしょうか?
2、以前のご返答に、日本武尊は一人ではなく、東征で亡くなった多くの皇子の総称だという内容のものがありました。
麻賀多神社に来た日本武尊は無事に大和へ帰ることができたのでしょうか?
それとも東国(もしかして房総)に葬られているのでしょうか?
お分かりになることがありましたら、よろしくお願いいたします。
「麻賀多神社 御由緒」 より
その昔日本武尊東征の折 この地方の五穀の実りが悪いのを知 り 里人を集め大木の虚に鏡を掛け その根本に七つの玉を埋めて 伊勢神宮に祈願いたしましたところ その後は豊年がつゞきました
又三世紀の頃 印旛国造伊都許利命は この御鏡を霊代とし て祀られる 稚日霊命の霊示をうけ 玉を堀り御霊代として 稚産霊命(伊勢外宮の親神)を祀り 麻賀真の大神と崇め 八代 神津の両郷を神領として奉斎しました
。。。1、ありました。
2、。。。帰還して、最後は伊勢の近くで死んでいます。倭姫に会いたかったのでしょう。
2015-03-04 15:57:15
麻賀多神社に伺うと、杜を何か気になりながらゆっくりと歩くのですが
何も感じられないでボーと歩くだけでした。
石碑の塚は木の根の張り方が気になっていましたが、畏れ多い方が首都を守ってくださっていたのですね。大変有り難いことです。
以前この神社は古墳ではという質問をした際に、男版シャーマンに関係するいうお答えを頂きましたが、この眷属神との関係があるのでしょうか。また全く別の方なのでしょうか。
。。。日本武尊も来ています。
眷属神と生きた人間は別です。
2015-03-03 20:27:43
倭姫命が甥の日本武尊に天叢雲剣(他の説では草薙神剣とありましたが)を渡したとありますが、それが8本のうちの1つのだったという事でしょうか?
。。。そうです。
現存しても、鉄は酸化でボロボロになります。
2010-09-05 20:19:50
- 最終更新:2023-05-19 12:58:56