悟り(全般:関連記事2)

■悟り(全般 関連記事)について
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愛情力は運命を変える 2017-02-07 10:06:45

今日は詩人・教師だった宮沢賢治(菩薩の転生者)さんのことを思い出していました。
彼の短い生涯は、植物への愛情、土への愛情、大地への愛情、生徒たちへの愛情・・・・とにかく「深い愛情」から「知恵」と「悟り」を得た御方だと感じます。

彼を観ましても悟りとは、どんな道から入っても、行き着く心境は同じだと分かります。
* 主婦道も愛情を持って極めれば、必ず悟ります。

* アルバイト一筋の不安定な人生であっても、「板子一枚下は地獄」(いたごいちまいしたはじごく :船底の一枚下は、落ちれば死につながる恐ろしい海であること。ギリギリの境界を指す)
の中でも愛情を最後まで無くさずに仕事を極めれば、やはり人は悟るのです。
宗教的な修行など不要です。


悟りと願望達成について 2016-09-12 11:16:50

もし人間が、過去や未来に意識を飛ばさずに、今の現状の中に100%生きることが出来たとしたら、その時に起こる現象が「悟り」です。
これはカンナガラ(神人合一。内在神との完全同化現象)でもあります。
しかし、これが難しいのです。大半の人が目の前の作業から気が散っています。

この理論を証明するのは、一心不乱に作業に打ち込む工芸作家や職人、芸術家にも悟りの現象が「起こる」ことです。悟る「為に」と、瞑想する人には悟りは絶対に「起こりません」。

目の前の作業に無思考で集中する生活をしていますと、ある日に悟りの恩寵(おんちょう:プレゼント)が到来します。

ロシアの神秘家・グルジェフは、悟りのことを「結晶化する」と表現していました。
これは西洋からの視点であり、悟りの真相・中身・「過程」を表現する重要な表現です。
(日本ではこれを、「霊化する」と呼ぶ人もいました)



人間の真相・秘密を言いますと、誰もが既に最高の心境を持っています、内在しています。
何事にも影響されない高い心境が自分には無くて、他から与えられなければいけないモノでは決して無いのです。
人間は、自分自身の高い心境に気付けないだけなのです。
「既に自分に在るモノに気付くこと」
これが悟りなのです。



ところで「悟る」ということも、まったく新たな視点に気付くことに過ぎません。
だから、悟りは一瞬で到来します。一瞬で自分の視野も視点も根底から変わります。
要するに、今日の私が言いたいことは、
* 自分は、ずっとこのまま。苦しいまま。
などと諦めては生けないということなのです。

人は同じ環境に居ましても、「自分の視点の違いだけで」天国にも地獄にもソコが成るということを私は言いたいのです。
* 何だ、ツマラナイことが原因だったのか。
* 自分が変わるのは簡単かも。
ということを知って置いてください。

自分の視点だけで、人生は本当に変わるのです。
目が覚める=視点が変わる
今の自分が何を観ようとするのかが肝心なのです。



悟りというものの正体も、ただの「気付き」であるのが真相です。
悟ったとしても、スーパーマンに成れる訳がありません。ただの普通の人間です。
ただ、本当の素の普通人に戻るとも言えます。

つまり、出ている「サイン」に気付いて行くことは、悟りへの道でもあるのです。
自分と他人という違いの垣根が有ったものが、細かなサインの「気持ち」が分かりだしますと、自分と周囲という違いの垣根も段々と消えて行き、そのような垣根も違いも元々「無かった」「1つなる存在だった」ことが分かりだします。
これは「原初のサイン」「根源神のサイン」に気付いたのです。
悟り=出ているサインに気付くこと、もともと在るサインに気付くこと、と言えます。



すべての幸運は、本当の自分自身(真我・内在神)に認められるか?褒められるか?、
許されるか?に懸かっています。
貧富の環境は一切関係なく、誰もが自分自身と勝負をしていることを知りません。意識していません。

自分の良心に従った生き方の「継続」は、自然と本当の自分に許されて行きます。
本当の自分に「許される事とは」、なんと気持ちが良いことなのでしょうか。
悟りや覚醒体験なども、その真実は、「本当の自分自身に許される事なのです」。
では、どうすれば本当の自分に許されるのでしょうか?
これが、

* 自分の良心が納得するまで、懸命に努力すること、自分の仕事を頑張ること、最後まで生きようと努力すること。

* すべての物事、人々に、感謝をすること。
それでも・・・・感謝をして行くこと。

* 今の機会(大いなるチャンス・人生)を与えてくれた、家系(遺伝子DNA)に感謝をすること。
色々な悪条件も有りますが、それでも今生に誕生の機会をやっとのことで誰もが与えられています。

このような継続は、本当の自分から許される人と成って行きます。
そうなれば、本当にすべてが自由に感じられます。環境も現実に本当に自由に変わって行くのです。



エンジン君がエンジン君として、よそ見をせずに懸命にエンジンの機能に成り切り、その躍動感に入った(落ちた)時に、
*自分がエンジンだという部品の意識が消えます。
*自分はエンジンでは無くて、全体で1台の自動車だと分かります。

この例えを人間に戻しますと、
*人が他人を見ずに、自分の生活に没入して自分で自分を静観し続けた時、
*自分(自我)だと思っていた存在は、それは成長過程で身についた先入観であり、思い込みだということが分かり始めます。
*ダメな自分も、成功した自分も、本当は存在しないことが分かります。
* 大いなる同じたった1つの命・存在(神様)が、水戸黄門のように身分を隠して、それぞれの個人という出現(肉体)の中に入って「体験している」ことを直感で、理屈ではなくて、思い知ります。
これが、悟りの瞬間です。



1つの事でも、11段階の視点、11次元がすべてに内在することを知って置いてください。

(中略)

私は常に11段階の視点を意識しますが、普通の人は1点だけを見て追求する癖が有ることが大きな違いだと思います。

神様の視点では、悟った人の視点では、どんな答えにも、どんな生き方にも、自殺以外はすべて◎二重丸・花丸印なのです。
どんな人生でも、犯罪以外は「それで良いから」「問題はない」と成ります。
今に生きる多くの人が苦しんでいますが、高次元からの視点では誰もが既に救われているし、問題は無いのです。答えは大丈夫なのです。

ただし、その中に感謝の思いが有れば最高です。歓喜や感動も有れば、なおさら意味が増します。
今日も自分の人生を良心の中で、思いっ切り生きましょう。



未来に幸福に成る、のでは無くて今のこの瞬間でも本当は誰もが内在神と共に生きている稀有で幸福な時間に居ることに「気付くこと」にカギが在ります。
誰の右胸にも、「生かそうとする情熱の海」=「情熱のカタマリ」=内在神、が隠れています。
自分の内在・内面へと救いを求めずに、外在するモノに救いを求めるほど、「情熱の海」は心の奥へと隠れてしまい、何をするにも不安と不満が付きまとい満足も納得も絶対にしないのが人間なのです。

人間とは、
* 自分自身を満足・納得させるために生きているのであり、
* 自分で自分自身を供養している最中が今であり、
* 自分自身を成仏させるためにコノ世に来たのです。

自分で自分を成仏させる。何と壮大なことでしょうか。
自分自身を成仏させることが可能なのは、絶対に他人では無くて、
* 自分が生きた過程と経験と生活努力の継続と、
* 自分自身が多くの他人(今生きている人も、故人も)を成仏させてあげること、
で「起こります」。

自分自身を成仏させる=悟り、でもあります。


誰もが挑戦中ですよ 2015-03-26 11:24:24

コノ世だけの短い栄華よりも、心の目覚めを神様は最優先します。
なぜならば、それは永遠性(宇宙)に影響することだからです。

厳しい条件の最中ほど、自分の本性が出やすく成り、もしその中でも「感謝の出来る心境」に目覚めることが出来れば、それは非常に真の価値を持ちます。死後にも持ち越せるお宝と成ります。
悪条件の中ほど、目覚めのための臨界点はより低くなります。

1人でも心が感謝で目覚めれば、これは本当に自分のための、家族や縁者のための、宇宙のための、良い影響を与える核と成ります。
1人が目覚めれば、その人に繋がる先祖の数世代の魂が救われ、今に生きる縁者にも幸運が来ます。
もし、今の自分が良い条件の最中でも、謙虚であり真から感謝が出来る人は、さらに心の進化が同様に起こります。



釈尊の教えの重要なテーマに、「明るく死を自覚して生きること」が何度も出て来ます。
これが死神・不幸を遠ざけることに成るからです。
今日も明るく、自分がいつか死ぬ存在であることを忘れずに、少しでもより良く生きて見ましょう。
時間限定ですから、死を前にすれば、どんなことも本当は大した問題では無いのです。皆さん自我(じが:ワレヨシの思い)にダマされています。
これに気付くことが、悟りとも言えます。



悟る時は、家事道でも、リーマン稼業でも、子どもでも、病院の中でも悟るのです。
それは、今に在る有り難みに真から気付くことなのです。
物事に対して真から感謝をしている時は、その人は悟り中です。
でも、また自我の「目の前を見ない病」により引き戻されます。これを誰もが繰り返しています。

真実は誰もが今直ぐにでも、このままでも、どこにも行かなくても、既に神仏の姿を自分にも他人にも観ているのです。
人は神仏の姿・容姿という偶像崇拝の影響のために、形を期待していますが、そんな形や容姿は本当は無いのです。


神様には主語が無い 2014-06-15 09:45:16

これからは、瞑想などのワザワザ座る自我の行為をしなくても、生活の中で
「主語の無い生活」をすることで悟ることが可能です。
なぜならば、「主語が無い」とは究極の核心を突いていると私は感じるからです。
釈尊が仰った「無」という概念も、「主語が無い」「主語は存在しない」を理解しますと、まったく同じ境地であることが私に響きます。
「見ている者」と「見られている者」、この両者が消え去り「全体の1つ」しか存在していない核心が響いて来ます。



ただダラダラと歩くのではなく、若返るための有効手段として真剣に「明るい」気持ちで歩くことが大切です。これを通勤でも、意識します。
そして、バランス良い食事をして、生かされていることへの感謝想起をします。
このようなことでも意識して継続しますと、人間は悟ることが「突然に」「起こり」ます。
そのように人間はプログラミングされています。

問題は、このようなことを最初は意識して実行しないと、悟りは「起こりません」。
意識して継続しますと、それが無意識となり、忘れても実行している時にカンナガラ(内在神の自動運転)モードに入り、その内に悟り、見性、意識の無限性、すべては1つなる存在、というものが腑に落ちるように飛び込んで「来ます」。
近代インドの聖者ラーマクリシュナも、外を歩いている最中に、飛んでいる鳥を見た瞬間に大悟しています。一休さんも似たような瞬間に悟りに落ちています。

そして、その来たもの・「起きたこと」が正しいか否か、憑依や魔境では無いかを判断(サニワ)する特徴としましては、そのような経験を感じましても、
* それは大した事では無いこと、
* 今まで気付かなかっただけのこと、
* それよりも「何気ない今の日常生活」が二度と無い貴重なお宝であり、
* それが「神様の正体」であり、「神の姿」だったことを、
* 言語と理屈を超えて真から思い知ること。
このような特徴が言えます。


動き出している 2014-04-13 08:43:48

誰もが最後は一人で裸になって、地球の大地へと帰って行きます。
その時には、コノ世で経験したことは、どんなことも思い出に成っています。
あれが叶えば満足した、こうなっていれば良かったのに、・・・・などはまったく関係無いのです。
本当は、今がどんな状態でも満足しても良いのです。
本当は、今、満足できるはずなのです。明日でも、来年でも無いのです。
今すぐに真から感謝が出来るはずなのです。

だから、悟りや目覚め、真からの気付きとは、今誰もがそのチャンスに直面しているのです。
「何時か」では無く、今のこの瞬間に誰もが悟っても変ではありません。
今日も、先祖(遺伝子)に感謝して、自分の生活を楽しみましょう。
思いっ切り生きましょう。
ただ、悟っても、明日からも生活費のために働くのが、コノ世だけの時間限定の醍醐味なのです、笑。


悟りの真相 2014-03-24 10:14:05

自分の手にカギを握り締めていたという気付きの、更に次の気付きとは何だと思いますか?
その答えは、これが傑作であり、とても愉快なのです。
それはなんと、「自分が家の中に居たことに気付くことなのです」。
だからカギを探す必要は無かったのです。カギは当然ですが、家の中に在ります。



「空を祭る」という思想は、釈尊が悟られた「無」、空海が達した「空」の心境、ラマナ・マハルシが言う「真我」と同じことを指しています。
神社に参拝したり自宅で神祭りをすることで、日本人はその意味を知らずに、「空を祭る」という究極を日々しているのです。
上記の偉人たちの、更に上を行く究極が、何もない「空を祭る」という「行為」に存在します。

言葉では説明が難しいのですが、私たち人間も「頭を空にする」ということが奥義なのです。
多くの人々は、自我から発生する思考のために、「頭を空にする」ことが出来ません。思考を停止することが出来ないのです。
私たちの肉体が御宮であり、その中に「空を祭る」ことが、悟りであり覚醒を意味します。
老子も指摘していますが、すべては「空」から無限に生まれて「来る」のです。



結局は、悟っても、忘れ去られた先祖に感謝を向けたり、他人に喜ばれることをしたい、という普通の生活と成り、これが最重要である認識に常在します。
一周して戻って来るのです。
生活は悟る前と全く同じですが、その心は生き通し(いきとおし)の永遠の中を過ごします。



自分自身を冷静に見詰める人は、コノ世で成功し、悟ることも可能に成ります。
内在神(真我)は創造神ですから、それぐらいは簡単なのです。
今日から、色んな光景を見ている自分自身の心を静観する練習をしましょう。

これを睡眠中もするのです。24時間です。これを参考にしてください。
これは自分の心の分離ではなくて、内在する存在と自分が
「一体である」「同じである」「まったく1つである」
ことに気付くことなのです。これが悟りの正体です。


不滅の言葉 NO.1 2013-07-08 10:39:00

古代からの、あらゆる聖典に
「この世界自体が神である」「世界は神の因子だけで構成されている」
という記述が見られます。
この修行者は、これを証明するために、真から知る(悟る)ために、色んな所を放浪して探して来たと言います。

私が感じますことは、
彼は、放浪するから、それが分からないのです。
彼は、それを探すから、知ることが無いのです。
彼は、そのための苦行(瞑想)をわざわざするために、理解が出来ないのです。
これが答えなのです。


灯台もと暗し 2013-06-24 00:55:00

要するに、自分自身のことを一番知らないのは、自分なのです。
周りに居る人間の方が、自分のことを正確に・公正に知っていることでしょう。

更に言いますと、悟り=自分を知る、なのです。これは、どんな道から登り詰めましても、必ず言えることです。
自分はダメな人間だと、人はよく言うものです。
しかし、決してそんなことは無いのです。「本当の」自分のことを知らないだけです。


大安心=悟り 2013-05-19 11:11:07

鈴木大拙(すずき・だいせつ1870年―1966年) は、日本とアメリカを行き来して、日本の禅を世界的に広めた人物です。

(中略)

(感想)
大拙いわく、
「悟りとは、人間の中に神が入り来たりて、そこで神自身が自己を意識することが悟りである。
この意識は、すべての人間の意識の底に絶えず存在する、超意識とも称する意識である。」

この中の、「悟りとは、人間の中に神が入り来たりて~」の部分は、どこか他所から神が「来る」のでは無くて、
「人間の意識の底に絶えず存在する」ということです。「既に存在している」ということです。
生きる自分と切り離すことが不可能な、不二(ふじ)な存在が神(超意識・内在神)です。

(中略)

ほんとうは、どんな経験も稀有な限定のことだと「受け入れる」ことが出来れば最高です。
悟るとは、どんな喜怒哀楽にも感謝が出来て、「楽しむ」心の状態です。
人間は、明るく前向きに「仕方がない」と思うこと・覚悟することも、コノ世では大切なのです。



今の自分は、ほんとうに今の現実を「正しく」見ているのでしょうか?
多くの人間が、「自分の思い込み」の中で暮らし、そして幻想の中で苦悩している、という可能性を思いましょう。
本当は悩むことなど一切無いのに、自分が創りだした想像の中で人間は苦悩していることを知りましょう。

実は、これこそが、人間が古来から求道して来た覚醒・目覚め・悟り・・・・などという問題と大きくリンクするのです。
今の現実を見る、実相を見る、ことが人間は無く、思い込み(これが迷い・幻想)の中で暮らしていると多くの聖者が指摘して来ました。
では、正しく現実を見る、目覚める、悟れば、その人はどんな光景を見るのでしょうか?
ここで、奇異な光景を見ると思っては生けないのです。

目覚めれば、見えるすべてに「その有り難さ」を覚えるのです。
どんな苦難の中でも、生活の問題がありましても、大いなる存在の実在と有り難さを感じます。
自分も含めた、見えるすべてに生命の歓喜を感じるのが、覚醒です。
そして、今の現実を冷静に正しく見ることが可能に成ります。


20141003

  • 最終更新:2017-02-07 20:03:07

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