怒り

怒りについて
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・ 「腹立つのは慢心からぞ」
と書いて有りました。笑

慢心が有る人ほど、色んなことに怒っているという指摘です。
確かにドラマでも、偉い人ほど怒ってばかりいるものです。
自宅でニュースを見ながらでも怒ってばかりいる人は、その家庭の王様です。家では慢心のカタマリです。
怒りの次に出て来る言葉は、自慢話というパターンの人も多いです。

でも、
・ むだに腹を立てる内は、天国には入れないのです。 ガ~~ン

やはり、自分に慢心が有るからこそ、むだに怒るのです。
では、慢心が無い人は、怒らないのか?

慢心が無い人が怒る時は、
それは「悲しみからの怒り」であり、
「心配」するからこその怒りであり、
「愛情から」怒るのです。

怒る時は、それは「何のための怒りなのか?」と冷静に自身を観ている自分を意識して欲しいです。
自分のための怒りならば、慢心に注意です。
社会や他のための怒りならば、それは天の怒りでもあります。



哲学者・ニーチェの言葉に、

"およそこの世の中で、怒りという激情ほど、男性の精カをあれっ? と思うほど急速に消耗させるものはない。"

という発言があります。
「精力」とは活動する力や意欲を意味しますが、ひょっとしますと、

・ いつも怒っている男性は、力も健康も弱って行く。
(強い格闘家は怒りません。よく笑っている人が多いです)

・ 怒りっぽい男性は、精子の数が減少し、不妊と関係するかも。

(中略)

仏典では「怒り」「怒ること」への戒(いまし)めを半端ないほど厳しく釈尊が指摘しています。
・ 怒りの感情とは、自身を焼き殺す炎だと思え。
という感じで、様々なたとえ話が有ります。

例えば、凶悪な強盗たちに捕まり、強盗たちがノコギリの両側に持ち手が付いた道具で、あなたの手足を切断しようとしても、
・ あなたは、決して怒っては生けない。
・ もし、それで怒るならば、あなたは釈尊の弟子では無い。失格だ。

と、いう感じの極端なたとえ話が仏典にあります。まさに「え〜〜っ?」と思える内容です。
でも、それほど怒りという感情は、自分の魂を毒して焼くほどの害が有るから、まだ肉体を切り刻まれたほうがマシだという釈尊の指摘です。

私達は怒りの感情の害を甘く低く見ていますが、釈尊は怒ることに対して、私達の想像をはるかに超える害悪を認識していたことが分かります。

(中略)

また、仏典では、
・ 怒りの根っこにあるのは、自分の妄想である。
・ 人は、怒るべき事案が有れば、自分の妄想という風を送って種火を巨大化させている。
という指摘も有ります。

怒るべき事実に対して、自分の妄想が一回りも二回りも事実を巨大化させて、怒りの感情を生み出していることに注意です。



善意からの、または神意に沿った、正しい怒りや心配は、いくらしても病気には成らないのです。
自分の良心に沿った内容での怒りは、問題はないです。
むしろ、天が味方をしてくれます。

でも、自分の自我(ワレ良しの思い)からの、怒りや、心配や不満は、
・ 悪い自分の生霊を生み。
・ それが、自分の霊体を傷付け。
・ 肉体に病気として現れる。



働いて生活をしていれば、
・ ほとんどの物事は、簡単には上手く行かないし、ストレスを受けることでしょう。
・ それを、止めよう、変えようとするほど、苦労してストレスを受けます。

だから逆に、
・ 自分が出来る努力を淡々と行いさえすれば、後は、お任せの心境で居ること。
・ もう無理に変えようとはしないで、あるがままの中で楽しむこと。
・ とにかく怒らないことが、自分の命を助けると思っていること。
・ 静かに笑って、ささやかに楽しんで暮らす気持ちが、自分を助けて長生きをさせます。
このように夢想します。

怒らない、怒らない。
焦らない、焦らない。
一休み、一休み。


怒りを流す方法 2021-01-29 12:03:33

私に関しては、怒りが持続することは無いです。直ぐに、
言葉1: 「それも仕方がないさ」 
で、様々なことに関しての怒りが消えて行きます。

・ 怒りが持続する人とは、意外にも真面目な人が多いのではないでしょうか?

更に怒りを鎮める別の言葉は、
言葉2: 「アホに成れ〜〜」 「アホでも良い、バカに成れ〜」 

・ つまり、怒りとは、自分を良く見せたい、正しく見せたい自我のプライドが、自分の怒りを呼んでいないか?
自分の自我のプライドのために、怒っていないか?
これを静観します。

(中略)

禅的には、怒りが湧いた時は、流れる水面に怒りを描くような気持ちでいなさい。
・ 心の中に、流れる川の水面を思い出して、そこに自分の怒りの気持ちを流しましょう。

ブルース・リーが言った言葉も、
・ Be water.
「水になれ!」

禅的には、怒りを、水に流す心境を重視しています。

また、宇宙から飛来した仏教史上でも有数の大天才だった龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)も、

「怒りの罪は最も深くて重いものだ。三毒の中で、怒り以上に重くて恐ろしいものはない」
「人類は、怒りへの制御を間違うと、絶滅するだろう」

このように蛇型の宇宙人の龍樹さんが言い残しています。 ヤバイネー



人間とは、ある1点だけを見て、激怒したり、安心したり、侮(あなど)ったりとします。
生活が思い通りにならない人は、
・ 自分が今、見ているのは「ある1点だけ」なんだろうな。
・ きっと、全体像は、正確な事は、異なるかも知れない。
という前提で生活をすれば、真の近道、改善点、正解、が自分なりに見え始めるかも知れません。

どうしても、腹が立つことが有れば、
・ 相手の立場から、今の自分を見てみること。
これだけでも、参考にして欲しいものです。



・ 強い言葉では、人は何も変わらない。
・ 逆に、反発しか生まない。

これは、会社でも、恋人にも、家族にも言えることです。
強い怒りでは、他人を変えることは出来ずに、自分の心身を傷付けるだけに終わりそうです。

(中略)

怒りの生霊は、相手に影響せずに、先に自分自身を焼いている可能性を知ることは大切な原理です。
怒りの気持ちは、自分自身への悪影響だけで終わっている人が多いです。
でも、他人を傷付けないことは、幸運だったとも言えます。

霊的にも、強い怒りの言葉は、相手のためにも自分のためにも成らないという結論です。



「怒りを持ってはダメ」と書きますと、
「犯罪を受けても泣き寝入りですか?」
「子供に怒ると因縁になりますか?」
と返って来る。

その記事全体の意味と霊的示唆を汲み取ろうとはせず、「怒ってはダメ」というキーワードだけを取り出して、犯罪の場合や、教育にも当てはめてしまう人もいます。
ただの音声認識ロボットのように成っては生けません。
やはり常識での判断、思いやり、情緒で物事を受け取ろうとする「素直な」思考が大切です。

大切なことは、
* 愛情を持って怒ることは、因果には成らない
ということです。
問題は、
* 相手を「恨んで怒ること」は、因果に成ります。 

正義の場合の「怒り」は必要ですが、「恨む」のはどの場合も自分自身を削り、因果を残します。では、今の自分の怒りは、
正しい怒りなのか? 恨みの怒りなのか?
これは自分の良心(内在神)が知っています。本当の自分自身が、分かっています。



怒りをよく持つ者が、再び転生(来生も苦しい世界に生まれ出ること)しなければいけなく成る理由を説明します。
まず人が怒るということは、

* 怒りの対象(他人)へ悪いマイナス磁気を与えて、他人に見えない傷を与えることに成ります(生霊の意味でも)。

* このことは、その自分が嫌いな相手との間に、霊的な貸し借りの借金を増やして行くことに成ります。

* 死後は、その借金を帳消しにするために因果(貸し借り)を消すような組み合わせに出会う縁の者同士が、自動的に組まれて生まれ出る法則が存在します。

* つまり、自分が嫌いな相手ほど、再び来生でも縁ある者同士(または家族)として出会います。

* 激しく憎み合って、肉体的にも傷つけ合った者同士ほど、更に深い因縁のために近い身内、または家族・伴侶と成りやすいのです。

* 金銭も含めて、大きな貸し借りを残したまま今生を終わった者同士ほど、来生は違う形でも(下の処理を含めた介護をするなど)縁者となり転生します。

* つまり、本当に嫌いな相手、二度と絶対に出会いたく無い相手には、自分は怒るべきでは無いのです。再び出会わないために。

* 自分が怒りますと、その人との間の貸し借りの縁が強化されて行き、再び来生も出会う磁石同士に成ってしまいます。

* だから、本当に怒るべき相手には、逆に冷めるべきなのです。
わざわざ露骨に無視をすることも不要です。それも縁が生じます。

* もう良いからと、その相手を逆に許す・赦すべきなのです。

以上の因果の法則が完璧に言えます。
イエス・キリストが、磔(はりつけ)にされて処刑されている最中、自分の手のひらに大釘を打ち込む相手に向かって、
「あなたを赦します」
と言いました。これは、来生でも二度とこういう関係の縁を生じさせない為だったのです。
良い意味での最高の呪縛を掛けたことに成ります。

以上の因果の法則は、逆に良い面に利用も出来ます。自分が成功するための大切なヒントが有ります。
* 他人に喜ばれることをすれば、どんな縁が生じるのでしょうか?
* 他人を許し、祝福して行けば、自分自身がどうなるのでしょうか?

非常に楽しいことに成って行くのです。これも物理法則でそう「成る」のです。
既に決まった運命など存在しません。自分の努力で変わります。
すべては自分自身の行動の反射が、誤差なく、間違いなく、自分に還って・返って・帰っているだけなのです。

自動反射を運命と勘違いしている人が多いです。
どんな悪因でも、今からの善因で上書き修正が死ぬまで可能です。
今日も怒らずに、「正しい意味での」許すべきことは許して見ましょう。
相手を憎い間は、コノ世でも来生でも更に近寄ることに成りますから注意しましょう。



* 人が怒るということは、蛇の毒が全身に回るように死に至らしめるということです。
自分が怒るごとに、じわじわと寿命を削り、運気を落とし、自分の運命を変えて行くことを知って置きましょう。

* 怒りで起こる毒は、今回の人生だけでは無くて、何度も自分が色々な苦しい世界に生まれ出る要因にも成るということです。

この項で釈尊は、
* 怒りを制する者は、輪廻転生(りんねてんしょう:生まれ変わり)をも終わらせる、悟りに導く。
と明示されています。

しかもそれが、蛇が脱皮するがごとく、簡単に出来てしまう可能性をも示唆しています。
つまり、人間が悟る時とは、あれっ?というぐらいに呆気無く、突然に訪れることを意味しています。

* 自分の怒りを「明るく」抑制する者は、人生を制し、死後をも制するということです。

ただ、怒りを制すると言いましても、無理に我慢して怒りを溜め込んでいるようでは生けません。
その間は、危険な蛇の毒を体内に溜め込んでいると思いましょう。しかも致死性の毒です。

人間は、会社や仕事のこと、家族のこと、知人や趣味のことで嫌なことが有れば簡単に怒っているものです。
しかし、何気ないその怒りこそは、自分の運気・運命を落とす原因に成ることを知って置きましょう。

釈尊は更に、自分の怒りの感情が輪廻転生をも左右することを示しています。
これは逆に言えば、怒りを持たずに感謝の心を持つ者は、人生を自由に制することが可能になり、輪廻転生をも自由に出来る可能性でもあります。

怒りを制する者は、悟りに至る。
これは非常に希望が持てることです。何も難しい修行や、長い瞑想や、無理に善徳を積むことを意識しないでも悟れるのです。

自分の怒りを制することが、全身全霊に非常に影響するということです。
今日からは、「簡単に怒る」「むやみにイライラする」ということを止めることから意識して見ましょう。
この継続が、自分自身を真から変えて行くのです。

怒りを昇華させるには、
* 規則正しい生活。バランス良い食事。無理なく歩く運動。無理なく出来るストレッチ。
日常生活こそが、自分の怒りを起こさない重要な因子と成ります。

* 生活努力と、先祖への感謝を普段の中ですることが大切です。
(理想は、ヨリシロ霊位による先祖への感謝の供養が影響します。この「継続」が物理的に怒りの磁気を放電させることに関係します。左記のブックマークの先祖供養に関するところを読んでください。http://pori.starfree.jp/worship.htm

参考にして頂ければ幸いです。
実践の継続が自分に教え、先行きを導きます。



生きていますと誰にも、嫌な人、腹が立つ他人が居るものです。
でも、その嫌な他人も

「いずれ、この人も死んでしまう儚(はかな)い存在なのだなあ」

と自分自身が思えた時に、なぜが相手への怒りが収まって行くのです。
生死の視点を思い出すことで、不要な怒りならば終息して行きます。

だから常に、
「明るく生死の視点を忘れない」
ことは、自分を色々な意味で「正す」ことを感じます。
また、これが武士道の本質にも感じます。
武士道とは、人が簡単に死んでしまう存在だからこそ、命を大切にする道だと感じます。

釈尊こそは、「他人の生死を常に思いやる人」だったと思います。
だからこそ、大きな「慈悲」「情け深い」御方でした。

人間は、自分が必ず死ぬことを忘れているから、他人をイジメることが出来るのかも知れません。
自分も他人も必ずいずれ死ぬ存在であることを常に忘れなければ、
* もっと他人に優しく成れるかも知れません。
* 期間限定だと思い、嫌なことも今より我慢出来るかも知れません。
* もっと精一杯に明るく生きることが可能に成るかも知れません。

今日も、誰もが必ずいずれ死ぬ儚い存在であることを忘れずに、だからこそ精一杯に「明るく」生きて見ましょう。


支配されては駄目 2008-11-13 18:57:32

私は以前から「怒りの頂点に達したとき」非常に大事で可愛い存在にもかかわらず、私が尋常でないすさまじい怒り方をしてしまいます。怒りが怒りを呼ぶと、人格も変わって悪魔の思考になりますす。怒り、憎しみなどで身体がいっぱいになり、人を殺しかねない、取り返しのつかないことをしでかしてもおかしく無い状態になります。ケガをさせたことも何度も。「生かして頂いて~」なんて吹っ飛びます。生かしての「い」の字すら出すことができません。こういうときって、やはり何か憑依のようなことになっているんでしょうか?自分では、対人恐怖が怒りを引き起こしている部分もあると思います。人に嫌われたくない、孤立したくないという気持ちは人間誰でもありましょうが、その度合いが強すぎるのです。

(中略)

読者は、他人の目を意識し過ぎて、心=内在神が萎縮してしまっています。ある意味、プライドが高く、恥をかく事を非常に恐れる気持ちが強いです。 武士の様に・・・。
旦那家苗字での供養も、まだ中途半端です。
従って、先祖霊からの加護も薄いので、他の萎縮し屈折した性根の迷える霊からの干渉を受けてしまいます。
これは、覚悟して旦那家先祖供養を自分で行い、あなた自身の魂と家系に関係する、「その他有縁の諸々の霊」への3本目の感謝の線香供養が効果します。
子供に暴力などの影響を与えてしまう場合は、家系への恨みを持つ霊による親への憑依が関与している事が多いです。 明るい心で、先祖供養を実行する事が大事です。

どうしても、読者の顔からは表情が消える癖があります。
この様な突然の自分自身で制御出来ないくらいの感情に支配される人の特徴でもあります。強い憑依体質です。
憤怒の思いが自分の中で沸き起こる気配を、自分でも分かるはずです。それを観察しながら、制御出来ない自分がいるわけです。
怒りの感情が「あー、来そうだ」と感じ始めた時、自分で気合を掛ければ良いです。
首を縦に振り下ろす様に「エイッ!」とすれば良いです。
発声を伴えば、より効果が増します。
周りに人がいるならば、首を小さく縦に振り、心中で「エイッ」と切れば良いです。
修験道では色々な気合の掛け方がありますが、言霊的にも「エイッ」は良いです。
自分自身で瞬間だけの祓いが出来ます。
先祖供養が進み、内在神が発露するに従い、この「エイッ」の気合の作用が強く成って行きます。
霊眼では、初期には小刀だったものが段々と進化して行き、包丁になり、刀になり、神剣・・・と強く成って行きます。
私のは、飛んで行く大きなオノに成っています、笑。
読者も試してみて下さい。
気合を掛けた後、この言葉を思えば強く作用します。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

関連コメント

どうしたら、思いやりのある優しい人間になれますか。
いつも怒りの感情が先に出てきてしまい、嫌な言葉を発しては、あとになって自分自身がイヤな気持ちになってしまいます。

。。。。。相手の身になること。
自分自身を好きになること。

自分の心を守りましょう
2022-08-25 00:11:08


素朴な疑問なんですが、自分が動けない状態で、手足を切断されようとしている状況で普通の人間が抱く感情は「怒り」では無く「恐怖」でしか無いと思うのですが…【怒りの感情を持つことは厳禁です 2022-07-27 01:07:34】

。。。。それほど怒りの害が大きい比喩。

ノコギリが破壊するのは肉体だけ。
怒りは、魂まで破壊する。

釈尊は、ノコギリよりも、怒ることの害に恐怖しなさい。
と真顔でいったわけです。
2022-07-27 14:41:07


リーマンさんは過去に、怒りを神棚に捧げてしまっても祓ってもらうために納めた、祓ってくれたと思いましょうとのご返答もありました。毎日そのようではいけないと思いますし、もし納めてしまったら反省して出さない努力をしようと思いますが、その、「反省をして出さない努力」そのものが無理をしているという場合はどうすべきでしょうか?
無理というのは、どこからどこまでを指しているのでしょうか?
1:ちょっと嫌なことがあってイライラしてしまっているけど、供養は日課だからしよう
2:あ、供養できる時間帯が日没に重なってしまう!でもその時間帯でないと今日は供養できない・・・でもたまになら日没の供養でもいいかな
3:供養時、感謝の割合が8割でもマイナスの感情が2割あるなら供養をしない方がむしろ当人にとって良い
4:感謝が100%でないと、感謝以外の悪感情が5%でもあるとそれは正しい先祖供養とは言えない、パーセンテージは少なくても悪感情をわずかでも捧げてしまうと運気は下がる(運気のためにやっているわけではないからと言い聞かせながらも、運気のためにも良いからとも思ってしている自分が居ます)
5:精神病に掛かっている人は基本的に供養も神祭りもすべきではない、精神病が更に悪化する恐れがある
6:リーマンさんから「無理は不要」と返答をいただいた場合は、運気を下げる供養をしている恐れがあるため、毎日供養をせずにやりたいと思えた時だけにしたほうがいい

。。。。6
先祖に怒りの感情を納めてはダメです。
先祖を苦しめます。
それが自分に反射する悪循環。

供養の時は、嫌なことは忘れるほうが善いです。

いつまでも怒りの感情が持続するのはダメです。
自分が損しています。

嫌な相手のためには、意地でも怒らない。
これも大事。
2021-04-22 20:28:27


怒りを抑えても発散させてもすっきりしません。前にもこんなことがあった気がします。攻撃するのが最善ですか?攻撃されるのも最善ですか?反射すると知っていても怒りは消えず、我慢せずに攻撃しても反射すると知っているだけに気分は悪いままです。

。。。。怒りは切がなく、自分の幸運を削るから注意。
意地でも怒らない、のも有り。

「リーマン祓い体操」自分自身の浄化と、足腰の鍛錬になります。 https://www.youtube.com/watch?v=4m3Mzr_-8f4
2019-03-24 23:48:34


怒りの感情をコントロールするのが苦手です。悪口や嫌味を言われたりすると怒りがわいて恨んでしまいます。愚痴を言わないは、何とか実践していますが、怒りという感情はなかなか消えてくれません。何度も記事やコメント返答を読んでいるのにすみません。
怒りや恨む感情は損だとリーマンさんは常々書かれています。具体的にどのくらいダメなことなのか、教えていただけないでしょうか?未熟で申し訳ないです。

。。。自分の運気を削ります。老化も、シワも増やす。
「自分を大切に育てましょう」
2019-03-09 02:49:43


本日のブログ【強い怒りの言葉では、何も生み出せない 2019-02-02 11:05:09】を読ませて頂きました。
…しかし100%ではなくても、自分に正当性のある怒りの場合は?…どうしても怒りを捨てられなかったら?…どうすれば宜しいのですか?

。。。。言うべきことを言う。
被害あれば公的な対応もする。

でも、心中は平静にして、明日を見ること。

運の良い人=悩まずに行動で対応。
運の悪い人=いつまでも過去に怒り悩む。
2019-02-03 15:44:14


今、釈尊の教え第1巻を読んでいるのですが、その中で、『心の中でも怒りをもたないこと』というところで疑問が湧きました。私はまだまだ未熟なもので、生きているとイラッとくることがどうしてもあります。
自然と沸き起こるのです。イラッとしたときは、まぁ、この子はまだ若いからしょうがないかと自分に言い聞かせたり、他のことをしたり考えたりしてそのことを考えないようにしています。あとは、何でイラッときたのかなと考えたりもします。
今できることはそれくらいなのですが、それでいいのでしょうか。それとも心の中に怒りをもたない方法ってあるのでしょうか。

。。。。。それでOK
怒りを持つ=自分の幸運を焼く
これだけを知っておれば、変わって行く。
2018-05-05 12:17:42



  • 最終更新:2024-02-06 23:37:18

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