忌部

■忌部について
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織田信長の正体 2016-07-05 12:06:58

剣神社の創建の由緒書きには、
* 第11代垂仁天皇の御代に伊部(いべ)の臣という人が、劔をもって素盞鳴尊の御神体として祀り、劔大神と称することになったと伝えられています。

実は、伊部とは、忌部(いんべ)という古代の祭祀階級であり、ある特殊な氏族の隠し名なのです。
この忌部氏族こそが、古代イスラエルからのモーゼの渡来も含めて、日本の今の文明の根幹に影響した氏族です。
つまり、織田信長は、古代朝廷における祭祀を担った氏族の子孫であり、越前の忌部氏族の代表者でした。

この忌部こそは、今でも天皇陛下が即位される大嘗祭(だいじょうさい)の時に着用が必須である装束を、四国の地で大麻から「織」ることがゆるされている家系でもあります。
この装束が無いと、天皇の即位は出来無い、という国家を左右する衣装でもあります。

つまり、忌部が装束を織ることが可能な時代の間は、逆の視点では天が即位を認めた天皇・皇室だとも言えます。
忌部氏の家系が断絶しないことが天の意志であり、皇室の継続には大切なのです。

そして、忌部氏族は全国に散らばって、古代から秘密裏に存在しています。

・阿波忌部 大麻比古神社(徳島県鳴門市)

・讃岐忌部 粟井神社(香川県観音寺市)

この2つは、剱山が御神体であり、意味あり。
空海も忌部氏。

・紀伊忌部 鳴神社(和歌山県和歌山市)

・出雲忌部 忌部神社(島根県松江市)

・筑紫忌部 筑紫神社(福岡県)

・関東忌部の拠点の1つ 安房神社(千葉県館山市)

江戸幕府と、今の東京の形成に関係します。
明智光秀と織田信長は、千葉地域に定期で行き、会った。と推測します。

・伊勢忌部 伊勢神宮・外宮の度会家(わたらいけ)を中心として強力な祭祀集団を地域に持つ。

今でも継続中。

・京都忌部 すべての忌部の中枢。上賀茂神社が重要。

京都は、すべての歴史の中枢。




モーゼをヨリシロとして日本に帰国したスサノオ神は、天照太御神への気遣いとして、
「自分は、決して表に出ない陰の神として、黄泉(ヨミ:冥界・霊界・地獄界・魔界)がおとなしく鎮まるように陰の支配者として、大人しく四国(死国)に忌部(いんべ:陰の者)として鎮まります。
そして、表に見える形では、出雲に高層の神殿に別名(大国主大神)で居ます」
と、スサノオ神は天照太御神との間で契約します。



古記伝承によりますと、フトダマ命の子孫は、四国の忌部(いんべ)氏へと通じます。
天皇陛下が即位される大嘗祭(だいじょうさい)のときに着用される衣装は、大正天皇の時から忌部氏の子孫が機織りで布地を作成しています。
私の感応では、忌部家の布地の使用に変えさせたのは、明治天皇です。ここでも、明治天皇が登場しますね。
私の予想では、忌部家(今の場合は親戚の三木家)が織る機織りには、古代ユダヤのガド族の特徴が含まれているはずです。
天皇の地位の呼称でもある「ミカド」とは、ガドに丁寧の「御」を付けたとも言えます。
大昔のロマンを感じます。


関連コメント

忌部氏の末裔は日本各地におられると
想いますが、彼等は伊勢神道以外に独自の信仰とかあるのですか?

。。。。。物部神道も関係します。
2016-07-06 15:46:25


岡山の伊部(いんべ、と読みます)もそうですか?
焼き物の地です、子どもの頃は伊部焼き、と言っていました。いつ頃からか最近は備前焼といいますが。いんべ、焼きと読んだ方が良い気がしました。

。。。。言えます。
2016-07-06 15:40:32


空海さんは高野山の水銀の存在を知っていたようですが。そこにも忌部氏の鉱脈知識がバックグランドとしてあったようにも夢想するのです。そして、なぜ無名のお大師さんが正規の遣唐使の留学僧として唐に渡る事が出来たのか。その点が現在でも不明で種説あるようですが、朝廷で中臣氏との勢力争いに負けて衰退して行った忌部氏との兼ね合いを妄想してしまいます。お大師さんは衰退して行く忌部氏の支援を受けていたのではないのか??

。。。これは親戚同士です。血縁の交流在ります。
2010-10-21 19:59:57



  • 最終更新:2016-07-06 17:24:13

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