天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)

■天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)について
関連項目 釈尊
目次

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悪口の声が聞こえるというのも、過去の「自分が発した心の声」を、自分の生霊がリピート再生しているだけです。
もし、自分の悪口が聞こえたならば、それは過去に自分が心中で他人や自分自身を罵倒した心の声です。
時間差を置いて、まさに自業自得が起こっているだけです。

他人の悪口を一切心に思わない人は、自分の心身が疲弊しましても、自分の悪口が聞こえるという幻聴は一切起こりません。元々無い思いの磁気は、自動再生が出来ないからです。
だから、変な幻聴が聞こえたならば、今の自分が忘れている過去の苦しい時の自分の思いが自動再生していると思ってください。時間差が有るために、他人の声だと錯覚しがちです。

すべては自分自身なのです。コノ世の真理は、本当は自分しか存在していないのです。
一人ひとりを通じて、大いなる1つの神様が「自分と共に」示現しているだけなのです。
釈尊がこれを「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいが“独”そん)と断言しています。

過去の自分の声を恐れては生けません。



他人への怒りを抱きながら生きる人々の中に住みながらも、
私たちは大きく楽しみながら生きましょう。

他人への怨念を持ちながら生きる人々の間に住みながらも、
私たちは正しく暮らしていきましょう。

(原始仏典 ダンマパダ15章-197番)

(感想)
この章の学びは、どんな環境の中で住もうが自分次第だということです。
どんな状況下でも、人は自分の生き方を最終的には自身で選択「している」のです。
それを逆に周囲の責任にしていましても、何も始まりません。

ー中略ー

因果の法則から観ますと、自分が忘れているだけであり、コノ世のすべての辻褄は正しく合って行くのです。それはもう完璧に離れたピース同士でも引き合って合致して行きます。恐ろしいほどに。
だから、これからも間違った生き方をしないために、
* どんな状況下でも、自分の良心に従う選択をして行くこと。
* 他人の責任ばかりを探さないで、先ず自分の責任と原因を探すこと。

この2点に注意して生きていますと、悪循環のサイクルは必ず良い循環に変わり始めます。
今からでも良い視点(思考・志向)を生活の中に置いて行くのです。
良い視点は、必ず明日の生活を変えて行きます。
自分で良い視点を生み出して置いて行かないことには、未来に発芽することが無いのです。
すべてを今の自分が生み出している現実を直視して生きましょう。



ここで、もう1つの霊的な視点を紹介しますと、
「はたして、他人とは本当に存在しているのか?」
「本当に実在しているのか?」
という問題があります。
夢の中でも他人は出て来ますが、直ぐに消えて行きます。
コノ世にしても、どんな他人も100年もすれば跡形もなく消えています。

釈尊はこの質問に対して、
「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)
つまり、コノ世にも宇宙にも、自分一人しか存在していないのが真相だと答えています。
これは孤独という寂しい意味では無くて、
「あなたが見ている、その嫌な他人も自分の姿である。同じ1つの霊体である」
「コノ世には1つの大きな霊体しか存在していない」
「この同じ霊体は、宇宙空間をも満たしている」

要するに今の自分とは、大きな1つの霊体のどの部分を担当して「突起」しているのか?
だけの問題であり、時期が来ればその突起(今の自分)は、大きな1つの本体に収まって行きます(帰ります)。


でも、他所を見れば、向こうに変な突起(他人)が居ます。でも、その足元を見ますと自分と同じカタマリに繋がっています。
今は飛び出た突起同士で喧嘩したり、殺したり、愛しあったりとしています。
でも足元は、全員が同じ胴体に吸収されています。
誰も胴体(根源存在・内在神)から離れることは絶対に不可能です。
もう、目くそが鼻くそを笑うのは、止めて置きましょう。



悪事をした人は、コノ世で心配して、アノ世でも心配し、2つの世界で心配ばかりする人と成ります。
この人は、2つの世界で自分がした悪事を繰り返し思い出して、心配し、悩むことと成ります。

善行をした人は、コノ世で安心しており、アノ世でも安心しており、2つの世界で安心する人と成ります。
この人は、2つの世界で自分がした善行を思い出し、それを喜び、楽しむことと成ります。
(原始仏典 ダンマパダ第1章-15・16番)

(感想)
人類が、先が見えない・分からないという状態は、本当は超貴重で稀有な状態であり、他の次元には有り得ない状態だと感じます。
アノ世では、どんな魂でも「リピートするパターン」を思い知っている状態です。
コノ世で「自分からした行為」を、アノ世で無限に再体験しますから、次の展開パターンを既に知っています。
それでも、毎回同じところで悶絶し、あるいは喜び、怒ることを再体験します。

もうこんなリピート体験は嫌だと思えば、自分が貯めた善徳貯金に合わせた生まれ出る環境を自己選択し、コノ世に生まれ出て再レコーディングをするしか無いのです。

ー中略ー

コノ世では多数の他人の中で暮らしていると全員が思い込んでいますが、霊的な真相は違うのです。
コノ世に居るのは、自分の自我(ワレヨシ)と真我(シンガ:良心・内在神)だけなのです。
今の見える多くの他人は、映画館のスクリーンに映る映像です。
その「現れる」映像に向かって、自分が何を思い、何を実行するのかを、レコーディング中です。

だから本当は人類の誰もが寂しがり屋です。
本当の自分は、自分しか存在していない真実を知っているからです。(これが天上天下唯我独尊)
この飢餓感を癒やそうと、コノ世の他人(映像)に愛を求めましても、いつまで経っても安心することは無いのです。
これを癒やすには、本当の自分の中(右胸)に今も存在しています「永遠の母性」(真我・内在神)に自ら求めて近付くしかないのです。

この永遠の母性に触れた時が、悟りの瞬間であり、これが何度も継続しますと、上記の無限に繰り返すリピート現象から卒業することが可能に成ります。



人間は風景を見たり、他人を見たり、物を見たりしていますが、同じ対象を見ていましても、それぞれを見て感じることも、思うことも人によりバラバラです。
ここに大いなるヒントが在ります。
なぜ人により違うのでしょうか?
霊的には、人は何を見ましても、自分自身しか見ることが出来ない、見ていないのが真相だからです。

テレビに映る人物の中に、自分自身を見ています。
どんな風景を見ましても、自分の心象しか見られません。
だから自分の心が暗ければ、どんなに素晴らしい自然の姿を見ても辛いだけです。
どんな物を見ましても、自分の心が好きか嫌いかしか見られ無いのが真相です。

今の地球には70億人が居るとされていますが、では本当には何人いるのでしょうか?
霊的には、自分と内在神しか存在していないと言えます。
つまり、目を閉じれば、自分と、内在する大いなる存在、この2つしか存在していません。

これは釈尊が仰った、
「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)。
「宇宙は、自分自身が存在して“こそ”、そこに初めて存在する」
また、神秘家グルジェフが、
「人生は“私が存在して”初めて真実となり示現する 」
と発言したことの意味なのです。



上記の題名、「生は“私が存在して”初めて真実となる 」(http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html?a=4892032336&at=isehakusandou-22)。
これは、ロシアの神秘家ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフが自分で書いた数少ない自著3冊の内の1冊の題名です。
まさに、釈尊の「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん:【解説-No.6 人間が死後に思う10の内容 2013-12-04 10:43:32】)
と同じ意味を指しています。

(中略)

要は、今日の話で私が言いたいことは、コノ世の見せかけの善悪には誤魔化されるなということなのです。
善悪を超越した、その先が在るのです。
それを、コノ世の絶対真理である「生は“私が存在して”初めて真実となる 」「天上天下唯我独尊」
がダイレクトに指しています。
しかしまだ、どうしても言葉では言い表せない、もどかしさを感じます。

だから、自分の内在を信じて、歩いて行けば大丈夫ということに尽きます。
自分の善悪に絶望するな、そして明るく感謝して今日も生きましょう。



釈尊の教えを、後世の弟子たちが一言で表現した言葉が、
「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)です。
この言葉の解釈を過去記事(http://goo.gl/NCBovG)で何度か書いていますが、また別の表現で説明しますと、
「コノ世は、自分が存在してこそ初めて存在する」、ということです。
自分が存在しなければ、宇宙も存在しないのが真理です。

では自分が死ねば宇宙も消えるのか?
いいえ、自分が死んでも心が存在しますから、裏宇宙がやはり存在しています。ただ、見える宇宙が変わるだけです。
コノ世の借金から逃げましても、自分の心に負債(良心が恥じること)がありますと、やはりアノ世でも利子を付けて返すことに成ります。

そして、人間の自我は、「他人の視線や言葉から」自分自身を知ろう、決めよう、とする習性が在ります。
しかし、「天上天下唯我独尊」の真理法則から説明しますと、それでは「本当の自分」が許してはくれないのです。
「他人の視線や言葉から」自分自身を評価したり、答えを出して納得しようとしましても、本当の自分がNoを出し続けて安心することが出来ないのです。



自分が行う善・悪の行為は、重力のように避けることが出来ない反動として、形を変えてでも必ず来ます。

すべてにムダがありません。
自分がすることが、淡々と明日に反射して来ます。
だから、本当の正しい供養とは、縁ある故人も自分自身も救うことに成ります。
人間は社会と格闘しているような錯覚を起こす人もいますが、
すべては自分自身との対話であり、自分と内在神との面会なのです。
他人は関係無いのです。

人間は真の意味では、コノ世に自分一人しか存在していません。(天上天下唯我独尊)
だから人類全体も、深層では全体で一人の人間なのです。



「真実と永遠なるモノとは、自分が他人へと放射した善意“だけ”だったのです」
短い人生の間に本当に残るモノとは、コノ世の成功や、自分のためだけの経験ではなくて、
自分が「他人に出した善意の思い」だけが、磁気として残り、次の自分の人生に還流すると感じます。

(省略)

神話では、天照太御神は皇室の始祖に鏡(カガミ)を渡しています。
「鏡が私(天照太御神)だと思って、大切にしなさい」と、託しています。
この鏡は、伊勢神宮に実在しています。

釈尊は、
「天上天下唯我独尊」、コノ世・宇宙には、自分一人しか居ない。人類は1つ。
だと言われました。

つまり、私たちは、自分自身(魂)を映す鏡を見ているのが、コノ世での視覚の秘密である可能性を知っておくべきです。
自分が見ている、対峙しているのは鏡だからこそ、上記の
「その中での真実と永遠なるモノとは、自分が他人へと放射した善意だけなのです」
が反射する道理として一致します。

分かりやすく言えば、他人は鏡だから、鏡に映した・出したモノが自分に成って見えるという法則です。



結局は、この世には自分一人しか真には存在していなくて、周りは他人という鏡だらけなのが霊的な実相です。
コノ世=鏡の国(カガミの国:神が我が身の国)なのです。
これを釈尊は、天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)と仰いました。真理を言っています。
要するに、自分の良心を守って大切にしていれば大丈夫ということです。


老子 2012-08-21 10:00:50

老子の言葉

(1) 自分の心がしっかりと落ち着いていれば、どんなことがあっても、
深い谷のように流れる水を、静かに受け入れることができる。

(2) つま先立ちをする者は、長くは立っていられない。
大股で歩く者も、長くは歩けない。

(3) 自分自身に満足することができ、誰とも自分を比べず、誰とも競わなければ、
誰もがあなたを尊敬してくれることだろう。

(4) 誰かを深く愛せば、強さが生まれる。
誰かに深く愛されれば、勇気が生まれる。

(5) 今持っているものに満足し、ありのままの姿を喜びなさい。
自分に何も欠けていないと悟れば、全世界が自分のものとなる。

古代中国の聖人である老子の言葉を少し調べただけでも、このような洗練された内容が出て来ます。

(中略)

(5)などは、まさに釈尊の「天上天下唯我独尊」の意味と解説です。楽しみにして頂ければ幸いです。



敵も味方もすべて、時間が経過すれば消えて行くのです。まるで幻想のようにです。
そして、最期の最後は、人間は自分一人で死んで行きます。だからコノ世には、ほんとうは自分一人しか存在しなかったという証明が成されます。
何をしようと、何があろうと、自分一人で死んで行く事実を人間は直視しなければ生けません。
これは釈尊が、「天上天下唯我独尊」(宇宙には自分一人しか存在していない)と表現したことの意味の1つです。
人類は1つ、世界は1つ、というのはウソの誇張宣伝では無く、ほんとうの霊的真理なのです。



世界に善悪の何が有ろうと起ころうと、それを受け取るのは自分次第なのです。
自分の心が、この宇宙のすべてを「決めている」ことを、釈尊は「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん http://www.lucifer2.jpn.org/index.php?word=%81%9E%81%9F%88%C9%90%A8%94%92%8ER%93%B9+%93V%8F%E3%93V%89%BA%97B%89%E4%93%C6%91%B8&type=and&sort_flg=0&encode=%82%A0
と表現しました。
これは自分の高慢心や独善では無く、自分の心がすべてを「決めている」ということなのです。

だから、何が有ろうと起ころうと、自分の心を大切に守りましょう。
他人からの嫌な刺激を、自分の心に響かせないことが、真の幸福への道です。
他からの嫌な刺激を受け取る、受け取らないは、自分で選択が必ず出来ます。
なぜならば、それを受け取って、心に響かせている犯人は自分だからです。

だから大丈夫なのです。今のこの瞬間に、自分で改善が出来ます。
どう生きたところで、人生の区切り(死)は、すべての人に「公平に」来ます。
生きるならば、自分の「良心(内在神)に基づいて」気楽に生きましょう。



私たちは社会の中で、多くの人々にもまれながら生きていると思っています。
しかし、他人からの刺激を受け取るのは、いつも同じ自分の心なのです。刺激(他人)の種類が変化しても、受け取るのは常に同じ自分の心1つだけなのです。

ここで、本当に他人は存在しているのでしょうか?
受け取る自分が居るからこそ、他人は存在するように見えています。難しいですか?
釈尊は、この内容の真理を、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)と言いました。
この広い宇宙(世界)には、結局は自分一人しかいません。と表現されました。
つまり私たちは、自分・自身(自神)との対話をしているのが真相なのです。

要は、私が言いたかったことは、他人からの刺激(鍛えてくれるオプション)に負けるなと言うことです。
その嫌な他人のために、自分の心(内在神)を痛めるのは本当に損なことです。嫌な刺激には、静観が一番です。
生きる短い間ぐらいは、楽しく生きましょう。


唯我独尊 2009-04-06 09:59:21

てんじょうてんげ‐ゆいがどくそん【天上天下唯我独尊】我は世界のうちで最もすぐれた者であるの意。釈迦が誕生するとすぐに、四方に七歩歩み、右手で天を指し、左手で地を指して唱えたといわれる詩句。誕生偈(げ)。(大辞泉より)

ネット辞書で、天上天下唯我独尊の意味を調べて驚きました。これでは独善的な誤解を生みますし、釈迦は偉いが自分はダメ駄目人間だと頭からの人間の格差を感じさせもします。
これの本意は、全然違うものを私は感じます。
仏教的な考察は知りませんが、これの意味する事は
*天上天下・・・この世界、宇宙には
*唯我独尊・・・人類全体、物質全体、惑星全体、宇宙全体は、たった1つの根源存在の体の一部であり、それが繋がる本体は1つである。だから、たった一つの存在しか宇宙には居ない。
と言う内容を、釈迦の死後の仏教哲学が言い表わしたと感じます。


20141120

  • 最終更新:2015-06-07 18:38:23

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