執着

■「執着」について
関連項目 釈尊 老子

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3点から生まれます 2014-07-14 11:10:14

釈尊は、「心」「言葉」「行為」がすべてを立て分けていると看破しています。
コノ世は平等では無いと非難する人が多いですが、釈尊は
「いやいや、自分の心・言葉・行為が公平に完全に反射しているだけですよ。
だから、あなたもこの3点を正せば、自分の足跡が必ず付いて来るように正しく成れますよ」
と言っています。

なんと単純な原理でしょうか。でも本当の真理とは、それがアタリマエ過ぎて逆に見えなくなっているものです。
では、人はこの3点が守れるのか?それが難しいのです。
ここで邪魔するのは、「つまらない」「面白く無い」「刺激が無い」という人のサガ(性)なのです。
金銭にしても、恋愛にしても、仕事にしても、このサガが運命を決めている3点を破壊します。

(中略)

私たちは全員が、いつかコノ世を飛び去る鳥であることを忘れては生けません。
必ず飛び去るのですから、逆に慌てないこと、心配しないことです。
そして3点、「心」「言葉」「行為」を守ることの重要さを「知っている」だけでも、運命は違って行きます。
そして禍根(かこん:わざわいの起こるもとや原因)を残さない「良い止め方」を意識していれば、その執着からコノ世に居る間に離れることに成り、大往生は間違い無いのです。

釈尊のすべての教えは、「執着しないこと」を色々なたとえ話でしていただけなのが真実です。
今日も、自分が執着しない生活を意識しましょう。
そして楽しみましょう。
その方が、社会での成果・結果はより良く成るのです。



釈尊は、「執着するな」とは言いましたが、「勉強するな」「努力なんかするな」とは言いませんでした。
「人は常に思いっ切り努力をしなければ生けない。そしてその結果には執着はしない」
が正しいと感じます。

でも、自分が凄く努力をして、「その結果はどうでも良い」という態度が果たして人間に可能なのか?という疑問があることでしょう。
これの答えは、その人が「挑戦する前」「努力がまだ中途半端」の状態の間は、「先に」結果ばかりに執着することに成ります。

しかし、本当に自分が死ぬほど努力した「後」ならば、「もう結果はどちらでも良い」「素直に結果を受け入れる」という心境が初めて理解できるのです。
「行けば分かるさ」「行く前には分からない」ということです。



釈尊が仰ったことは、
「何事にも執着しては生けない」
「人間のすべての苦しみは、執着することから生じる」
このことだけを色々な表現を使って話されました。

これで誤解されますことは、
「では、仕事の内容に拘ったり、懸命に努力することは執着であり不要なのか?」
このような疑問を持たれる人もいます。
これの答えは、「“自分のため”という執着を捨てて」、
「他人や会社や社会への貢献のために、仕事に拘り、懸命に思いっ切り努力をする」
ということが大切です。

(中略)

今が苦しい人は、「自分が何に執着しているか」を静観しましょう。
そこには、自分だけのタメしか無いか?それが本当に他者のために成るのか?
を考えましょう。
もしそれが、自分のタメだけならば、それが嫌な苦しみを生むのは当然なのです。釈尊が言われる通りです。
今日から、自分のタメだけの執着を捨てましょう。



仏教では、物事の成立には「必ず」原因と結果があるという因果論が基本にあります。
悪い結果にも良い結果にも、そこに必ずそうなるべき「原因」が先に存在しているということです。
だから、悪い結果が嫌ならば、悪を生みそうな原因を作らないことが大切です。
つまり、偶然という現象はコノ世には一切無くて、すべてが原因から起こる必然が起こり流れて行くのがコノ世だということです。

この章で老子は、仏教の因果論の本質を別の表現で成しています。
この本質を突いた老子の表現から判断しますと、老子は釈尊と同等か、それ以上の真理を得ていたことが分かります。
老子が言うには、
「人間は、死ぬ理由(原因)を自分が作らなければ、どんな環境に置かれようが死にようが無い。更に言えば、自分が望んでも死ぬことが出来無いのだ」
「人間の人生・幸・不幸に違いが生じるのは、運命が分かれるのは、その人間の物事への執着ぐあいで分かれる」
と表現しています。

上記の様な話は、ラッキーなだけだ、たまたまの偶然だと普通の人は思うものです。
しかし、多くの人間を観察しますと、幸運と不運、生と死、に分かれる事実が存在します。

(中略)

人間は、
(1)自分がした過去の行為を忘れている。
(2)自分がした行為の、その本当の善悪に気付き難い面がある。
という性質が存在します。
この二点を気付き難くしているのは、その人間の「執着心」だと老子は指摘しています。
自分の物事への執着が強ければ強いほど、自分自身の間違いに気付けないのが人間なのです。
冷静に観察している第三者には、他人の行為の善悪は分かるものです。



人間は生きる間、何でも持とうとします。
お金、異性、子供、家、車、宝石、会社、名誉・・・・。
しかし、全員が死という、すべてを「捨て去る」日に向かって毎日歩いています。
最後は全部捨てることに成るのに何かを持とうとする、この矛盾するサガ(性)の本能にも意味があります。
捨て去るには、一度は持たなければ捨てることが出来ません。
だから自分の魂が、捨てる練習(執着を切る)をするために、何かを一度は「持つ」のだという視点を持ちながら人生を生きますと、とても爽やかな生き方が出来ます。
良い意味で、すべてに嫌なコダワリが心(魂)から消えるのです。

だから、欲しいモノがあれば、それに向かって全力で努力をすれば良いのです。
自分が出来る努力が不足するからウジウジと悩むのであって、悩む前に努力を「継続する」自分なりの超努力(やり切ること)が大切です。
結果がダメでも、出来ることをやり切れば、自分の魂は納得して逆に安心します。



釈尊が仰った、人間が苦しみから解放される方法はただ1つであり、それは
1.執着(しゅうちゃく)をしないことです。
執着しないとは、努力しないことではありません。自分が出来る努力をしながら、結果に拘らないことです。
そして、これが出来るように成るためには、
2.物事を公平に中立に正しく見ようとする姿勢と、
3.正しい知識を得ようとする努力が大切なのです。

このようなブログを読もうとするだけでも、すでに3番をクリアした人々です。
あとは知識として、1番と2番を意識して見てみましょう。
そうしますと、この世だけに存在します時間経過というものが、すべてを必ず変えて行きます。嫌でも自動的に変わります。


受信電波を出さないこと 2012-01-08 11:32:50

災難を呼ぶような電波を、自分が発信していないかを反省する気持ちは大切です。悪い誘導電波を自ら出す間は、運気は上がりません。
逆に感謝の思いは、良い縁と機会を引き寄せる誘導電波と成ります。
釈尊が仰った、「人間のすべての苦しみの原因は執着することである」とは、今でも真理です。



釈尊も、人間の苦しみは、物事に「執着する」ことから発生すると伝えています。
自分の「ため」だけの執着は、我良しの執着であり、内在神が隠れる気持ちです。
他人のために成ることに執着するのは、大いなる善行だと思います。
何事にも感謝をしながら、打ち当たって生きたいものです。



釈尊も、すべての人の苦しみの原因は、物事への「執着」から起こると言います。
神道的には、潔(いさぎよ)さと言うものを大変重視します。


覚悟は安心へ繋がる 2009-10-03 10:23:11

釈尊は、人間の苦しみは「執着」してしまう事から生まれると言いました。
そんな事を言えば、大学合格に執着して勉強する事や、会社の売り上げに執念を燃やすのも生けないの?と、思う人も居るでしょう。
でも、これは執着では無く「努力」です。


大いなる決意 2008-12-08 18:41:15

釈尊は人間の心が苦しむ大きな原因は、執着する事だと言いました。
好きな人に執着すれば、失った時に苦しむ。
財産に執着すれば、失う事を恐れ苦しむ。
社会的地位や外見に執着すれば、それを無くす事に苦しむ。
では、これらに執着しない為には、どうすれば良いのか?
持つ間は縁として感謝しながら共に楽しみ、何時でも他人に与える気持ちで居る事だと伝えます。


関連コメント

「執着することほど悪いことはない」
とおっしゃられていたかと思いますが、執着=感謝がないという理由からでしょうか?

。。。執着すれば、自分自身で妨害電波をだして邪魔をしています。
だから、軽く思っている人のほうが実現しやすいです。

お金も執着するほど逃げます。

「だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる」本、「読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典」を出来れば何回も再読してください。

実践が自分に教え、先行きを導きます。
2012-11-25 19:32:23


20141112

  • 最終更新:2014-11-12 16:17:00

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