原始仏典:ダンマパダ(第6章)

原始仏典:ダンマパダ(第6章)について
目次

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もし、自分の悪い点を指摘してくれて、それが引き起こす間違いを教えてくれるような賢い人に出会ったならば、その人との接触を維持しなさい。

それはまるで、真のお宝が在る場所を教えてくれるような貴重な御方なのです。

そのような御方に縁を持つ限り、善いことがあっても悪い事は絶対にありません。

(原始仏典 ダンマパダ6章-76番)

(感想)
釈尊が、
「耳の痛いことを自分に言ってくれる人ほど、大切にしなさい」
と言っています。
身近な例では、第一に親の存在です。
親は子どもに、小言と指摘と注意をするものです。結婚するまでの子どもは、それが本当に嫌でうんざりしていることもあります。
しかし自分が人の親に成りますと、子どものことが心配で思わず同様に叱っているものです。
自分の親との関係が、同じように我が子に対してもリピート再生していることが分かります。

(中略)

この章で大切なことは、同じように叱ってくれる他人でも、その人が「賢者」であることが条件だと釈尊が指摘しています。
「俺も人のことは言えないが・・・」と怒ってくる相手ではダメなのです。それは、ただの自己都合の強要かも知れません。

自分に後ろめたいことなく、
「私は言いたい、キリッ!」
「私と結婚する人は幸せだ」
と口にはしなくても、そう思える自分自身でありたいものです。それは心が潔白です。

他人を叱る、指摘する、一言だけでも言ってあげたい、・・・・これらが怒りからではなく自分の愛情と思いやりから起こることが大切です。
今は他人に言えない自分であっても、堂々と愛情から叱ることが出来る人間を目指しましょう。



知人に悪い点があれば戒(いまし)めてあげなさい。
物事の善悪を教えてあげなさい。
悪いことから知人が離れるようにしてあげなさい。
そうすることで、その知人は良い人から好まれ、悪人からは嫌われる人に成れます。(77番)

悪い人と交友を持ってはいけません。
心が醜い人と遊んではいけません。
心が善い人と交友しなさい。
そして、心が高貴な人と親しくしなさい。(78番)

(原始仏典 ダンマパダ6章-77番・78番)

(感想)
この章は、教育の大切さを釈尊が教えてもいます。
もう分かりきった、ベタでありふれた内容でも、やはり「誰かが」口に出して行かないと、人間が堕落するのは本当に簡単なのです。

「朱に交(まじ)われば赤くなる」、つまり人間は交わる友人、その環境によって、良くも悪くもなるのが現実です。
生まれと貧富の違いで人を差別せずに、
表面では分からない、隠すことも可能な自分の心の善悪を「恐れる」人間でありましょう。
本当に、現実に全部を救いたい時は、大切な一部だけを区別して残す発想も大切なのです。心を鬼にしてね。



正しいことを喜ぶ人は、心が清く透き通り、常に安心しています。
聖人が言う真理を、「賢い人」は楽しむことが出来ます。(79番)

水路を造る人は水流をもたらし、弓矢を作る人は弓矢を作り出し、大工さんは木材を生かし、
そして「賢い人」は自分自身を創っていくことが出来ます。(80番)

(原始仏典 ダンマパダ6章-79番・80番)

(感想)
この章では、釈尊が人間として本当に「賢い人」とはどんな人間なのかを説明しています。

「賢い人とは、本当に正しいことを楽しむことが可能な人」

「普通の人は、自分以外の物事や仕事に熱中して人生を終えるのが普通であるが、
本当に賢い人は、“その仕事の中でも”自分自身も併せて成長させることに熱中します」
と釈尊が指摘しています。

(中略)

やはり人間は、自分で自分自身のことを「育てる意識」を持たなければダメなのです。
定時に寝かし、良い食事を与え、入浴して雑菌から守り、
そして良いモノを読み聞かせたり、良いモノを見せたりと、
このような配慮を自分自身に対して持つべきなのです。

そうでないと、自分が大切な時に、大事なチャンスの時に、本当の自分が助けてくれずに、
なぜか病気に成ったり、チャンスを逃す選択を自分自身にさせるのです。
こんな事が続きますと、その人は自分以外に原因を探そうとしますが、真実は自分自身の生霊(いきりょう)に復讐されている人が本当に多いのです。

その証拠に、成功する人間は本当に自己管理が出来ており、自分のことを大切にしています。自分自身に良いことを読み聞かせて、育てている人です。



大きな岩石は、風が吹いても揺れることがありません。
本当に賢い人も同様に、他人からの非難する言葉と、褒め言葉に動かされることがありません。(81番)

深淵なる静かな湖は、よく澄んで透き通っています。
賢い人は、正しい真理を聞きましても、それに反発することがなく同様に心が澄んで清らかに成ります。(82番)

(原始仏典 ダンマパダ6章-81番・82番)

(感想)
他人からの一言が、その日、一日中の気分を左右させ、あるいはその人と会うたびに思い出し、更には10年後も思い出しているかも知れません。
自分の人生に、他人からの一言を大きく心に響かせていることがあります。

しかし、それを言った人は、その場で忘れていることのほうが多いのです。
忘れるどころか、他人が気にしているとは思いも及ばないのが真相です。
でも、言われた人は、自分の生活と人生に大きな影響を受けているものです。
このことに、大きなムダと自分への損失を感じないでしょうか?

(中略)

他人の言葉に一喜一憂させることを止めると、今すぐに誓いましょう。
自分の心に宣言をするのです。

次に82番は、自分の心を腐らせている時とは、どんな良い言葉にも反発心が起きることです。
中学生の頃を思い出しますと、荒れている生徒の心には、どんな先生の良い言葉も通じませんでした。側で聞いていましても、まるでオオカミのように先生に噛み付いている生徒がいました、笑。その時の生徒の心は、本当にオオカミだったのでしょう。

だから、良い話を聞いて、素直に同意ができたり感動ができたりすることは素晴らしいことなのです。
更には、真理を聞いて、それを聞くだけでも自分の心が安心したり、清らかな気分に成れる人は、その真理を語った聖人と既に同じ心境だと思っても良いです。

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「底深き淵の澄みて
静かなる如く
心あるものは 道をききて
こころ安泰(やすらか)なり」

(関連記事:原始仏典ダンマパダ6章-82番【「他人とのお付き合いで本当に大切なこと 2014-08-23 10:58:16】」)

(解釈)
底が深い未知の世界に自分が居るとしても、
心を澄まして、静かな心で居れば、
そこを抜ける道と、その行き先を聞けば、
それを素直に信じることが出来て安心します。

もし、間違った道(教え)を聞いたとしても、
心を澄まして、静かな心で居れば、
その善悪が分かり、難を逃れます。



心境が高くなりますと、どんな場所に居ましても、物事に嫌な執着をすることがありません。

高い心境は、ストレスを発散させるための無駄口を話すことがありません。

本当に賢い人とは、嬉しいことが有りましても、苦しく嫌なことがありましても、
いつも安定しています。

(原始仏典 ダンマパダ6章-83番)

(感想)
人間とは、自分が今居る場所の影響を受けるものです。
音がうるさい、臭いが嫌だ、あの人が居る部屋には居たくない。
または、気持ちの良い場所、自分が一番好きな部屋、どうしても好きなレストラン。
このような場所により自分の心が動かされることは、それも場所に執着していると言えます。

これが心境が高くなりますと、自分の心が安定しているために、どんな場所でも楽しむことが可能に成ります。いつも自分の心に、安心の場所を持つと言えます。
つまり、場所の影響を受けないのです。釈尊が、
「常に自分の心中に安心の場所を持ち、どんな外の場所にも執着をしなさんな」
と言われているようです。

次に、人間とは自分にストレスが有ったり、心に苦しい秘密がありますと、それを他人に話すことで昇華しようとする傾向があります。

(中略)

悩みが尽きない人は、他人を変えようとすること、他人に頼ることを止めて、
立ち止まって自分の心境を高める意識を持つことが、すべての悩みを解決するカギに成ること知って置いてください。
問題は自分自身なのです。

私も、自分の思い通りに成らないことが有ります。でも、そんな時は秘訣が有ります。
「それも仕方が無いことだ」、と明るく認めるのです。明るい気持ちで静観をします。
すると、最初の計画よりもより良い結果に成っていることに、後で気が付くことがあります。

どんな良いことも、嫌なことも、所詮はコノ世だけのことなのです。
平均寿命までの自分の残りの年数を忘れないことです。この思いのクスリは良く効きます。
すべての嫌な執着を解いてくれます。
悩んでいたことも、「アハハ」と笑えるようになります。

もう慌てないで生きましょう。
本当に「生かされていることへの感謝」が有れば、もうそれだけで満腹に成れる時が、誰にでも必ず来ます。
この章の最後の節は、釈尊もそう仰っていると私は感じます。



自分自身のためにも、世間のためにも、自分の子供に期待をしてはいけません。

自分の財産にも、国家にも、期待をしてはいけません。

したたかで自己中心の野望を持って、自分だけの繁栄を思ってはいけません。

道徳にかなう自分の生活行為を持ち、正しい知恵を持ち、

そして真理に沿った生活を致しましょう。

(このような人こそが、人生の本当の勝利者なのです)

(原始仏典 ダンマパダ6章-84番)

(感想)
とにかく言えますことは、子供を潰すのは「親の期待」だということです。
世間に迷惑を掛けるような子供にしないためにも、子供に期待をせずに、「子供への愛情を持って」自立させる教育をしていくのが大切だと言えそうです。

今の日本人は、自分の金銭(財産)を頼り、国家に期待しすぎているのかも知れません。
しかし、冷静な視線で見ましても、日本の政治家が一千億円もの財産を得ることは有り得ません。
でも、近年の淘汰された海外の独裁者の財産を見ますと、一千億円どころか、一兆円を超えているケースが多々あります。平等をうたう国家ほど、その傾向があります。
老子いわく、「平等を言う者ほど、その本質は平等では無い」という趣旨の発言が有りますが、やはりさすがに真の聖人が言うことに間違いが無いようです。

つまり、最後まで絶対に自分のことを裏切らない思いとは、やはり道徳観(自分の良心からの思い)に基づく生活への行為と思いなのです。
我が子にも他人にも期待をせずに、自分の良心(内在神)と先祖(継続する力)を信じて、現状への感謝をして行くことが、すべてを自分の中での最善へと「必ず」向かわせます。
これを信じて、今日も楽しく生活をしましょう。



人の数は多いのですが、因果の川を渡り切って向こう岸(彼岸・ひがん)にたどり着く人のなんと少ないことでしょうか。
多くの人々は、こちらの岸(きし)側で迷い続けています。(85番)


正しい真理が説かれるという稀有な時に、その機会(縁)を逃さずに素直にその真理に従う人々とは、渡ることが困難な因果の川を渡り切り、向こう岸(彼岸)に必ず到ります。(86番)
(これだ!とその真理が好きになれる時点で、その人自身の縁により既に救われる時節に来ている魂だということ)

(原始仏典 ダンマパダ6章-85番・86番)

(感想)
釈尊が霊界の真相の一部を表現されています。
仏教学者の場合は、この章を比喩や例え話だと解釈することでしょう。
しかし、そうでは無くて実際のアノ世の写実表現と、因果の法則が表現されています。

医学博士によります臨死体験者の発言の統計にも、「流れる川」を見たという報告が東洋人にも西洋人にも人種を問わずに頻出しています。
つまり、文化や風習、学歴や言語の違いに関わらずに、医学的データで「死」の状態で見る夢に「流れる川」が登場するのです。
日本でも古来から「三途の川」(さんずのかわ)という表現で伝承されています。

仏典では、彼岸(ひがん)を「理想の境地」などの解釈がされています。
しかし、それは学問としての解釈であり、彼岸=向こうの岸(きし)であり、向こう岸とコチラ側の間には「流れる川」が在るのが自然の道理です。
いつの間にか、「流れる川」という写実が消えたと私は解釈しています。

そして、更に正しく解釈するならば、向こう岸の理想の世界に行くことが、人としての理想の「悲願」だと解釈します。
つまり、彼岸=悲願という言霊にまで真理が反映していると感じます。

(中略)

86番では、その人が好むこと、その人間が理解出来ること、なんとなく引かれること、それ自体が「既に」縁であり、その人の今までの生き方から「来る」ことなのです。
もう、それは理屈では無いのです。従って、真理を「素直に」聞ける時点で、更に聞きたい時点で、その人なりに人生から色々と学び、経験し、ある意味で悟りの熟成の段階に来ていると言えるのです。



自分がいつか悟ることを、自分の心の頼りとして、自分の心を正して行こうと努力し、

自分の欲望を果たすことに執着しないことを自分の喜びと感じ、
自分の欲望を我慢しても心を明るく振る舞える人は、

その継続は、コノ世に居る間から全ての束縛から自由に成ります。

(原始仏典 ダンマパダ6章-89番)

(感想)
この章には、言語で表現が出来ない悟りの真相が説明されています。
先に答えを言いますと、コノ世の何でもが
「それを目指している最中が最高・最善だった」
ということなのです。

(中略)

このようなことが、コノ世の色々な分野でも言えるのです。
「何かの中に居る間は、その中の世界を正しく知ることは無い。
そこから離れてから、その中の本当の姿が分かる」
ということなのです。

更に言いますと、私たちは今コノ世で生きています。
コノ世に居る間は、人はコノ世の貴重さや本当の大切さが分からないのです。
でも、アノ世に帰りますと、コノ世の貴重さに気付き愕然とし、自分は何て勿体無いことをしたのかと後悔する人が大半です。

要するに、この章から私が言いたいことは、今の自分が辛くても大丈夫だということです。
辛さの中に居る今は、たしかに辛くて苦しいでしょう。
でも、それもこの世に生きている間だけの期間限定なのです。
後から分かることは、今のその辛いことも決してムダではなくて、大いなる善徳貯金(あの世で本当に価値がある宝)のチャンスだったということです。

関連コメント

気づかないでいる欠点などを指摘してくれる人は、ほんとうに貴重なのは分かりますが、なかには、相手を弱気にさせて、自分を有利な立場に置くために、事実でない事を、あたかも気づかずにいる欠点の如くに言ってくる輩が昨今は多いように思います。 そのような輩の方が、確率的に多いので、耳の痛い事は無視したほうが、賢いのでは。真に自分のために、耳の痛い事を言ってくれる方とそうでない者との見極めは何でしょうか?

。。。記事にあるように、賢者からの、指摘が大事。
必ず身の回りにいます。おばあちゃんや、色んな形で。
2014-08-19 23:07:02


誰も好きでそんな家に生まれたく無かった…。って、承知の上でこの世界にみんな生まれてくるのではないのですか?
それとも、カルマの解消で強制的に生まれる場合の事でしょうか?

。。。生まれ出ると、今は記憶を無くしていることからです。
2014-08-25 12:07:06


【掲載順序】本ページは「日付昇順」とします。



  • 最終更新:2022-01-07 18:14:02

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