原始仏典:ダンマパダ(第5章)

■原始仏典:ダンマパダ(第5章)について

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眠れない人は、夜を異常に長く感じます。
疲れている人は、少しの道のりも非常に遠く感じます。
正しい真理を知らない幼き人々は、人生の道のりも異常に長く感じます。
(原始仏典 ダンマパダ第5章-60番)

(感想)
これは、釈尊がアタリマエのことを言っているだけだと思われるかも知れません。しかし、逆の言い方に変えますと、

* よく眠れる人には、夜は一瞬だ。
* 元気な人には、少しの道のりは本当に近い。
* 正しい真理を知る人には、人生は夢のごとく一瞬かも知れません。

つまり、同じ人間でありながらも、同じ環境に居ましても、感じますことは真逆だということです。
コノ世は、自分次第で本当に「変わる」世界だということです。
しかし私たちは、自分次第で変わるとは思えないし、それが信じられないのです。
でも、上記の比較の事実は、客観的な真実を表現しています。

ー中略ー

人間は、自分の良心(真我・内在神)にだけ恥じなければ、どんな苦境でも逆に楽しむ誠(まこと・真実)の人に成れるのです。
自分の良心に対して少しでも恥じることがあれば、真からの苦しみを感じ始めます。
すべてを決めているのは環境では無かったのです。
自分の良心だったのです。

誰もが、自分の良心に認められる人間、自分の良心に叶う人に成ることが理想です。
自分の良心(内在神)を納得させることが出来た人は、コノ世の希望は本当に叶えられます。プレゼントされます。



「私には家族がいる。私には財産がある」
と思い込んで、人はそれに関して色々なことに悩みます。
しかし、本当は自分の肉体でさえも自分の所有物ではありません。
更には家族も自分の所有物ではありません。
ましてや消えて行く財産などが自分のものであるはずは無いのです。
(原始仏典 ダンマパダ第5章-62番)

(感想)
自分がするべきことは「した」上で、それへの執着を持たなければ、
その人は真の意味でコノ世の勝利者なのです。貧富の差も関係ありません。
魔物からの誘惑に負けなかった数少ない人と成れます。
与える一方の人に成れるのです。
アノ世でも、与える一方の人々ばかりが居る世界へと引かれることに成ります。

だから、家族も肉体も財産も、「自分が預かっているだけ」という思考に自分が切り替えることが出来ますと、明るい日差しを浴び始めます。
霊的な視点から観ましても、「自分は今預かっているだけ」という思考は、すべての苦悩を切断して行き、今の自分に最善を尽くさせます。



幼き人が、自分はまだまだ精神的に子どもだと思えたならば、その人はもう大人である。
幼き人でありながらも、自分はもう大人だと自分自身で思い込む人こそ、周囲からは幼いと言われます。
(原始仏典 ダンマパダ第5章-63番)

(感想)
人間は自分のことを一番に「知りませんし」、自分自身のことが一番「分からない」のです。
では、自分のことを一番知っているのは誰か?と言いますと、周囲の人間の方が自分の本質をまだ正確に知っています。

とくに赤子の時から見ている親は、自分の良い所も悪い所もよく分かっています。でも、自分のことが分からない「私」は、親に反発します。さらには、誰も自分のことを分かってはくれないと思い、グレてしまったりします。

ー中略ー

この章で釈尊が仰りたいことは、「謙虚になれ」とか「控えめに考えろ」とか言っているのではないと感じます。そうではなく、
「人間は自分自身のことが分かっていないことを、知って置きなさい」
「その前提で、人生を生きていけば大丈夫ですよ」
という教えを感じます。

今日も自分というアホの子を育てましょう。
「自分自身を育てる意識」を持つ人間は、必ず幸福に成って行きます。
これは霊的にも正しいのです。内在神という創造神を右胸に宿す人類は、
自分の心を自分が育てる、良い景色を見せてあげる、良い思考を持つようにしてあげる。
更には、少しでも体に良い物を食べさせてあげる、寝かし付けてあげる、・・・・と自分を自分自身で育てる気持ちが大切です。



本当の愚か者とは、自分自身に対して敵討(かたきう)ちをするような生活をしています。
これは悪行となり、悪い因果の木の実を結実させて行きます。
(原始仏典 ダンマパダ第5章-66番)

(感想)
「本当にアホな奴とは、自分自身を大切にせずに、自分を目の敵(かたき)にするような生活をしています」
このように釈尊は仰っています。

ー中略ー

自分の先祖(遺伝子DNA)と、右胸に住する内在神(良心)は、死ぬ最後まで裏切りません。常に共に体験をしており、待っていてくれます。
この2点への感謝をして行くことで、荒んだ生活の大人も必ず救われて行きます。
段々と自分を大切にする生活を始めます。

人間は子供も大人も性別も関係なく、何か分からない「母性」をなんとなく求めることが本能として在ります。
これは思う以上に深い心の奥に在る思いであり、人類の起源や宇宙にも関する根源的な本能なのです。
そしてこの母性とは、他人に求めて探す内は飢餓感が消えることがありません。
自分自身が母性を「出す」ことで、自分も母性に包まれるという法則が在るのです。



自分がした行動に対して、後から自分が後悔をして、泣きたく成るという影響を受けるならば、
その行動は間違いだったと言えます。

自分がした行動に対して、後になっても後悔をしないで、それで良かったという気持ちを持てるならば、
その行動は正しかったと言えます。

(原始仏典 ダンマパダ5章-67番・68番)

(感想)
この章を読みまして、その行動の「結果」しだいで、後から自分が持つ気持ちは違うだろうと思われる人もいるかも知れません。
悪い結果ならば、後から後悔をする。
良い結果ならば、後から後悔しない。

しかし私は、それは違うと感じます。
悪い結果でも、自分の良心(内在神)が納得していれば、後からも後悔をしない。
良い結果でも、自分の良心(内在神)に反した行為の上の成功ならば、生涯にわたり後悔をする。
このように感じます。

コノ世の結果などは、数年も経ちますと環境が変わり、前の結果などは「どうでも良い」のが現実です。
それよりも、自分の良心に反した上での成功は、死ぬまで気にすることに成り、更には死後に本当の報いを受けるのが霊的な真相なのです。
コノ世で直ぐに過ぎ去る結果のために、自分はなんて酷いことをしたのかと、アノ世でも後悔をすることほどの地獄はありません。

むしろ、自分の良心に反した行動ならば、「コノ世で失敗しているほうが」後から後悔をしません。それは当然の報いだと思い、自分の気持ちが逆に安まります。

ー中略ー

コノ世の「結果」よりも、その「過程」が大切なのが真理です。
人生こそは、「過程」と「経験」が最大事なのです。
過ぎ去る結果よりも、その過程に一喜一憂をして行きましょう。
そして、時間限定の人生を思いっ切り生きるのです。


愚か者の段階 2014-07-30 10:55:36

本当の愚か者とは、自分が悪いことを行っても、それの悪い報いが現れ無い間は、その悪い行いを本当に美味しいことだと思っています。
そして、その罪の悪い報いが自分に現れたときに初めて気付き、苦悩をするのが本当の愚か者なのです。
(原始仏典 ダンマパダ第5章-69番)

(感想)
人間のサガ(性)とは、自分の良心がそれは悪い事だと知っていましても、それが
* バレない間は、
* 自分が罰を受け無い間は、
極端な自己正当化をするものです。本当は自分が正しいから、
「今の自分が楽しいのは自分が正しい証拠」
「被害者が苦しんでいるのは、それは被害者が過去に悪い事をした罰であり、自分は悪く無い」
などなどと極端な自己弁護を心中でしながら、自分の良心(内在神)を心の奥へと押し込んで行きます。

ー中略ー

すべては自分の良心(内在神)が判断を致します。
困ったことに、いつも共にすべてを観ていますから、ウソもお世辞も誤魔化しも通じない相手です。
自分自身の行為・行動でしか説得・納得させることが出来ない相手が自分の良心(内在神)です。
死を超越した永遠の存在であり、誰もの右胸に住んで居ます。宇宙にも通じている存在です。



愚かな苦行を守る修行者は、毎月の絶食期間を真面目に守っていましても、
その苦行の恩恵とは道徳をわきまえた普通の人々の十六分の一にも及びません。
(原始仏典 ダンマパダ第5章-70番)

(感想)
苦行で悟れなかった釈尊を悟らせたものは、道端で餓死しつつある釈尊を見捨てることが出来なかった、働く女性から差し出された「乳がゆ」でした。
女性からの「情け」と「愛情」と「思いやり」を受けた時に、釈尊は初めて悟りました。
普通の女性が、釈尊に悟りの引導を渡したのです。

だから、普通の私たちも、他人に「情け」「愛情」「思いやり」を掛けたいものです。
その影響を受けた他人は、社会に何かをしてくれるかも知れません。
その恩恵が回りまわって、いつかは自分も社会から救われるのが因果の法則です。
このようなことは、動物にも言えるのです。
過去生で自分が助けた猫が、今生で自分が他人から助けられる因果を創っていることも有るのです。

「お前はアノ時の猫君か!」という感動の因果の認識は生きる「最中は」人間にはありませんが、この世のすべてに因果の「ヒモ付け」が起こっていることを知って置いてください。
神様は、動物や他人や色々な材料を使用されて、私たちが因果の「織物」を織ることをさせています。
出来れば、見栄えがカッコ悪くても良いから、愛情の有る織物を織りたいものです。



間違いを起こす人は、悪い計画を思うだけでも、自分の運気が悪く成って行きます。

その悪い計画の思いは、その人の幸運を無くして行き、その人の思考全体を破壊するまでに至ります。

(原始仏典 ダンマパダ5章-72番)

(感想)
釈尊が厳しいことを言っています。
「自分の良心に背く計画を思うだけでも、その人の幸運は減って行きます」
そして最終的には、悪い思考の「継続」は
「その人の思考全体を破壊します」
ということです。

そして、もし悪い計画を実際に「実行」・「行動」しますと、次は
「その因果が宇宙に確定する」
と霊的には言えます。因果が確定しますと、今生だけではなく、死後もその次の転生も含めて、必ず因果の帳尻が相殺(そうさい:打ち消し)されるまで再現する現象が起こります。

今日の章で言えますことは、コノ世の幸運と不運とは、自分自身の思考が左右することを、2500年も前の釈尊が「既に」発言している意味は大きいです。
ということは、逆の視点では、もし自分に嫌なことが起こりましても、

「ああ、これで因果の昇華が起こっているのか。仕方がないけど我慢しようかな」

「そうか。この悪い事を良い機会にして、キッチリと受けて昇華してやるぞ。
むしろ、因果を後に残さないように行動しよう」

このように苦しい中でも思えれば幸いです。
ただ注意することは、上記の釈尊の言葉は、
「自分が意識的に悪い計画をする場合の思考」です。自分からの能動的な悪意の思考です。
そうではなくて、「自分が他人から受けるかも知れない悪い想定を思考すること」は大切だと思います。自分が受け身の悪意の思考です。


関連コメント

慈悲深い釈尊が情けを受け悟ったというのは、知恵と知識を持つ釈尊にしてはお粗末な感じがするのですが。

。。その解釈が幼いです。
慈悲深いからこそ、他人の慈悲がよく分かります。
仏典でスジャータを調べれば良いです。
どんな伝授よりも、人類の基本の「情け」「愛情」「思いやり」が勝ります。
2014-08-02 20:29:04


【編集者注記】ダンマパダについての記事は「番号昇順」とします。

20141229

  • 最終更新:2015-03-31 21:42:31

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