原始仏典:ダンマパダ(第3章)

■原始仏典:ダンマパダ(第3章)について

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人の心とは直ぐに動揺し、心配で揺れ、自分自身で守り難く、制御することが難しいです。

しかし知恵の有る人は、これをすぐに真っ直ぐに直します。

まるで、弓矢の達人が緩んだ弓の弦を張り直すようにです。

(原始仏典 ダンマパダ3章-33番)

(感想)
ここで言う知恵とは、法律や理論理屈を知る知恵だけでは無いのです。
理屈や理論だけで、人の心の動揺を抑えることは出来ません。
釈尊の言われる知恵とは、
(1)自分が愛情力を持つことであり、
(2)情け心を持つことであり、
(3)思いやりを持つこと、
(4)母性力を持つこと、
(5)更には、自分がそれに執着することから離れることを指します。

でも、これだけでも完全ではありません。人の心の動揺を抑えることはまだ出来ないかも知れません。
最後に必要なのは、「霊的な知恵」なのです。
心を安定させるには、
「コノ世の法的な知恵と理屈」
「上記の5つの心の在り方を意識すること」

そして、霊的な知恵として、
(6)先祖(遺伝子DNA)への感謝をして行くこと。
「生かして頂いて ありがとう御座います」と先祖に感謝を常に送ります。

(7)人類の右胸に住する良心(真我・内在神)に対しましても、
それでも自分が生かされていることへの感謝の意味で、自分なりの感謝の言葉でも良いですから、
「生かして頂いて ありがとう御座います」と送ります。

この7つの心の在り方が、理屈を超えて変化を起こすと私は感じています。
このようなことを知って置くことも、知恵なのです。人の人生に違いを生じさせます。



自分の心とは、捕まえどころが無いものであり、すぐに動揺し、
自分の欲望のままに思考をします。
このような心を守って落ち着かせることが、人生で一番重要なことなのです。
自分の心を守ることが、幸運をもたらします。
「原始仏典 ダンマパダ 第3章(第3・4節)35・36番」

(感想)
自分の心こそが、コノ世で一番の厄介モノかも知れません。
この場合の心とは、自我(じが:ワレヨシな思い)のことであり、
心の奥の真我(しんが:良心・内在神)とは分けます。

ー中略ー

結局は、相手の問題では無いのです。自分の心の問題なのです。
自分で自分自身の心を安心させない限り、すべての安定は来ないことを釈尊はこの章で仰っています。
自分の最大の敵は、自分自身の自我だったというオチです。
どんなに他人を責めましても苦しめましても、自分の自我を丸く収めない限りは安心は「来ない」のです。

そして、自分の心を安心させた者には、幸運のほうから自ら来てくれるのです。求めなくても。



人の心とは、今のここを離れて常に遠くへと行っており、一人で勝手に動きまわり、
その心の形とは存在せず、胸の奥の洞窟に隠れています。

この自分の心というものを制する者は、コノ世の束縛から離れて自由に成るでしょう。
(原始仏典 ダンマパダ3章-37番)

(感想)
釈尊はこの章で、
「コノ世で本当に自由に楽しく生きたければ、他人を制することを考えずに、自分の心を制することを思いましょう」
そして、その手段とは、
「動き回る自分の心を、今ここに置きなさい」
と示唆されています。

とにかく自分の心を、過去にも、未来にも飛ばさずに、今の自分を冷静に観察するだけで十分です。
これを日々心掛けるだけで、その人のすべてが変わり始めます。
ただし、先祖(遺伝子DNA)への感謝を常に思うことが、必須条件です。
この2点で、必ず自分なりの最善へと進みます。必ずです。


コノ世のエッセンス 2014-08-12 11:26:36

自分の肉体が水を満たして割れやすい素焼きの陶器だということを認識しましょう。
そして、これに宿る自分の心を御城のように固く守りましょう。
そして、知恵を武器として自我(ワレヨシ)という悪魔と戦うのです。
その過程で自分が働いて勝ち得た財産を守りましょう。
ただし、その財産にも執着しないことが、真の勝利者なのです。
(原始仏典 ダンマパダ3章-40番)

(感想)
(1) 自分の肉体が弱いものであることを認識し、よく肉体をいたわり大切にしましょう。
(2) そして、自分の心だけは、何があろうと強く守る決意をしましょう。
(3) 知恵で心を制御しながら、色々な欲望に打ち勝ちながら、よく働きましょう。
(4) そうして得た自分のコノ世の財産は、よく守ることが正しいのです。
(5) でも、その財産にも、心の奥では執着して「いない・ing」ことが、人としての完成なのです。

このように釈尊の御言葉が響いて来ます。
釈尊という御方は、非常にバランス感覚が優れた人でした。ただの堅物では無いのです。
王子として生まれてコノ世の贅沢の栄華を知り、そして極限の最下層の人々の生活にも自ら飛び込まれました。
当時は貴族が最下位のカーストと接触をするだけでも、死罪にも成りかねないことでした。釈尊の場合は元王子だけに、やはり常に危険がありました。

そして、コノ世の最高も最低も経験した上で出ている言葉がこの章です。
人間の一生がこれに表現されています。



他人を憎んでいる人は、その憎い他人に対して、
他人を恨んでいる人が、その恨む他人に対して、
たとえどんな非道いことを行動でしたとしても、
同じようなことを自分もしたいと思っている人の心とは、
その行動以上のことを心中ではしているものだ。

(原始仏典 ダンマパダ3章-42番)

(感想)
上記の内容は、確かに釈尊の御言葉だと感じますが、大切な後半が消えていると感じます。これでは読んだ人が誤解をします。
この内容ですと、心中だけで何とか我慢している人が、実際に犯罪を犯した人間よりも悪いような誤解を受けます。
そんなことはありません。やはりコノ世で悪い行動を実際にすることが、犯罪の確定であり、新たな因果を生み出し、アノ世でも再生リピートすることは間違いが無いです。
コノ世は、行動が主役の次元です。
アノ世は、思いが主役の次元です。

ただ、やはり釈尊の御言葉ですから、人の心中ではそれ以上の欲望を描いているのは真実です。
ここで私が感じます大切な後半の御言葉なのですが、

「だから、罪を犯した人だけを憎むなかれ。
同じようなことを思っている人も、それ以上の罪を心中に描いているのだよ。
だから悪い人を見ても、自分自身も戒(いまし)めなければダメだよ」

このような後半が存在したと感得します。
日本でも「罪を憎んで人を憎まず」と言うものです。
やはり抑えきれない人間のサガ・性とは、悲しいものです。誰にでも内在するものです。
「これと上手く付き合いながら」、人生を進むエネルギーとするのが人間なのではないでしょうか。

ー中略ー

悪い行動はせずに、想像だけで終わらせ、そして行動した場合の最悪の結果も必ず思うことが大切です。
これで昇華して行くのです。悪い行動をするぐらいならば、心中で昇華させねば生けません!
とにかく悪事を思う時は、その最悪のパターンも必ずセットで思いましょう。
そうして人生を歩いて行けば、いつの間にか無難に進んでいるものなのです。
そして美しく枯れて行くのです。



コノ世の父親よりも母親よりも、また他の親族たちよりも、
自分の正しい良心こそが自分自身を本当に育ててくれます。

(原始仏典 ダンマパダ3章-43番)

(感想)
人間が生まれて育つには、両親や縁者からの御世話と金銭がどうしても必要です。これはこれで本当に必要で有り難いことです。
では、家が裕福ならば子供は正しく育つのか?
昨今の社会状況を見ましても、本当に恵まれた日本に生まれて、中流以上の家庭で育ちましても、果たして人間として正しく育ったのか?と疑問になるニュースが後を絶ちません。

どうしてなのでしょうか?
これこそが、釈尊がこの章で言われている内容なのです。
「真に人間を育てているのは、その人自身の良心なのだよ」
ということなのです。
これは個人に宿ります内在神という霊的な視点から見ましても真実であり、正しい真理です。

ー中略ー

日々、自分の遺伝子(先祖霊)と、自分の心の正しい気持ち(良心・真我・内在神)に対して、それでも生かされている感謝をして行くことが大切です。
自分の良心に向き合う人間こそは、コノ世では本当に大きく「活かされる」ことに成って行くのです。歳がいくつになっても。

逆に言えば、自分の今の環境を親や兄弟や配偶者や親族だけの責任にしていてはダメなのです。
本当に今の自分を構成しているのは、自分が自分自身の良心に対する「態度」の反映だということも思い知りましょう。

この法則を知っていれば、勉強でも、仕事でも、商売でも、結婚でも、色々なことに応用して自分自身が本当に育てられて行きます。


関連コメント

今日の記事で言われている「つまらない面白くない」という悟りとはつまらないものとは、初段~究極まで何段階もある悟りの段階全てに言われているのでしょうか?

。。。いいえ、禅の牛十図にもあるように、悟りの高揚などは初期に過ぎません。

最後の究極の大悟の後は、町中に戻る構図で終わっています。
悟りよりも、町中での戯れを取るのです。
悟りが詰まらないからです。
2014-08-10 16:14:18


【編集者注記】ダンマパダについての記事は「番号順」とします。

20141229

  • 最終更新:2015-03-31 21:40:06

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