原始仏典:ダンマパダ(第20章)

■原始仏典:ダンマパダ(第20章)について
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すべてを改善させる道 2015-01-17 11:54:56

人が真から幸福に成れるための道が色々とありますが、
その中でも「八個の正しい道」(八正道:はっしょうどう)が最高です。

また、多くの真理の内でも「四つのあきらめる方法」(四諦:したい)が最重要です。

更には多くの人徳の中でも、欲情のサガの駆け引き抜きに他人と公平に接することが出来ることが最善です。

そして、多くの人間の中でも、心を見詰める眼を持つ人が最高に優れた人です。

(原始仏典 ダンマパダ20章-273番)

(感想)
釈尊が言われます、真に人が幸福に成れるための道とは、

(1) 正しく物事を見ること「正見(しょうけん)」
(2) 正しく物事を考えること「正思(しょうし)」
(3) 正しく語り、正しい言葉を使うこと「正語(しょうご)」
(4) 正しい行為をすること「正行(しょうぎょう)」
(5) 正しい日常生活をすること「正命(しょうみょう)」
(6) 正しく努力し、頑張ること「正精進(しょうしょうじん)」
(7) 正しい願い(感謝)を持つこと「正念(しょうねん)」
(8) 正しく決意すること「正定(しょうじょう)」 

という以上の八つの道「八正道(はっしょうどう)」を説明されました。
特に最初の2つを、自分なりに「公平に」「中道に」意識することが重要だと響きます。
誰もが自分の良心に
「これで本当に良いのか?」
と問い掛けることが大切です。

ー中略ー

そして釈尊は、人間は4つの「あきらめ」を真理として知って置くことが大切だとします。
(1) 人が生きるということには、「苦しいことも初めからセット」であるという真理。
これを明るく受け入れて、人生を思いっ切り生きることが重要なのです。

(2) その苦の原因は人間の「執着」することにあるという真理
(3) この執着を滅した境地が「悟り」であるという真理
(4) その悟りに到達する方法が「八つの道」であるという真理
この4つを四諦(したい)という、正しく明るく前向きに「あきらめる真理」とします。

更に釈尊は、人徳が重要だとします。
人間の深層心理には、どんなに老化して枯れても、その人のサガ・性から来る「選別」を無意識にするとしています。

ー中略ー

そして最後に釈尊は、自分の心と、相手の気持ちを見詰める心を持ちなさいとします。
これは自分が「思いやりの心」を持つことであり、人として完成するために最重要だとします。

以上を自分なりに生活の中で意識することで、運気が変わり、持つ・出会う縁が変わり、運命が変わるのです。


本当の裏話 2015-01-20 11:58:10

「八個の正しい道」(八正道:はっしょうどう)と、
「四つのあきらめる方法」(四諦:したい)こそが、
真の幸福への道です。

何が正しいのかが分かるように成れるためには、この2つの道を歩む以外に方法はありません。
あなた達は、この道を歩きなさい。
この道こそは、悪魔をも打倒します。
(274番)

あなた達がこの2つの道を歩いて行けば、苦しみから離れることが出来ます。
私(釈尊)は、苦しみを去る方法を自分で体験して、この2つの道をあなた達に伝えています。
(275番)

あなた達は、自分で頑張らないといけないのです。
すべての真のブッダ(完成した聖人)たちは、手助けをせずに敢えて教えることしか絶対にしないのです。
覚悟して2つの道を歩む人々は、悪魔が仕掛けるワナから離れることでしょう。
(276番)

(原始仏典 ダンマパダ20章-274・275・276番)

(感想)
コノ世で霊的先生だと自称する人間が、絶対に言わない事をこの項で釈尊は述べています。
それは、真のブッダこそは「表面では」教えを説くだけだということです。
逆に言葉に出して、他人を助けるなどとは絶対に言わないのです。
ましてや、金銭と交換で助けるなどは、天地が逆転しても言いません。
この発言を見ましても、ダンマパダ仏典が釈尊の本当の言葉であることが霊的に分かります。

すべての因果を見通す神眼を本当に持てば、その人が借金(因縁・カルマ)を返すせっかくの貴重な機会を、台無しにすることの罪深さが分かるからです。
自分の過去生からの善悪の帳尻を合わせるために、人は生まれて来る側面が有ります。
そのために生まれているのに、これを帳消しにするようなことを真のブッダはしないのです。その人が、また再びその因果のために生まれ直す転生をしなければ生けなくなるからです。

ー中略ー

今の人生を生きているのは、他人では無くて自分自身なのです。
自分の足で歩くには、自分で足を出す決意と意志と行動しかないのです。
だから釈尊は、自分で覚悟して「この2つの道」を歩いたほうが良いと勧めています。
自分で正しく覚悟すれば、絶対に大丈夫です。
その上では、どんな運命も変えることが可能です。
どんな奇跡でも起こすことが可能に成るのです。


軽く希望して見ましょう 2015-01-30 11:10:38

「コノ世のすべての物事は、必ず絶対に変化します」(諸行無常:しょぎょうむじょう)

「コノ世のすべての物事は、苦しいことも伴います」(一切皆苦:いっさいかいく)

「コノ世のすべての物事は、自分のモノは何1つもありません」(諸法無我:しょほうむが)

このようにコノ世を明るい気持ちで見直した時に、人間は初めて苦しみから離れることが出来ます。
これこそが、人が本当に幸福に成れる手段です。

(原始仏典 ダンマパダ20章-277番・278番・279番)

(感想)
(1) コノ世のすべての物事は必ず変化して行くから、心配するな。慌てるな。
(2) ただし、幸せも変化して変わって行くから、どんな幸福にも別れという苦しみを持つことを忘れるな。
(3) 初めから、コノ世には自分のものは何も無い!と思っていれば気楽だろ?
釈尊がこのように語り掛けるようです。

要するに、
「執着するな」
「執着しないからこそ、それを真から楽しめるのだよ」
「変な執着をしないからこそ、逆に思い切り頑張れるのさ」
「執着しないからこそ、逆に多くのものを得るのさ」(これは投資の極意)

このようにも響いて来ます。
そして再度、以上を読み直しますと、
「アハハ~、なんだ、すべては気楽で良いじゃないかー」
と腑に落ちて来ます。

そうしますと、この項の最後の文章
「このようにコノ世を明るい気持ちで見直した時に、人間は初めて苦しみから離れることが出来ます。これこそが、人が本当に幸福に成れる手段です。」
と釈尊が言われることは、ウソでは無いのです。

ー中略ー

自分なりの最高の努力をしながら、
* 執着しない
* 軽く希望する
* 最終的には何も持てないことを覚悟する
このように生きていますと、コノ世が最高に楽しい世界へと変わって行くことでしょう。
これは真理の法則に合っているからです。



するべき時に何もしない人。
自分が元気な時に怠けている人。
自分の意志も考えも無しに、いい加減な人。
このような人は、本当の真理(幸福)に出会っていても何も感じることがありません。

(原始仏典 ダンマパダ20章-280番)

(感想)
人は、最高のチャンスや幸運に出会ったとしても、普段からの自分の生活の内容によっては、それに気付け無いで素通りして捨ててしまうのです。
釈尊のこの言葉を読みますと、
「人間には、たまたまの偶然の幸運や、棚からぼた餅的なラッキーなことなどは、厳密に言えば無い」
と、この文章の奥から私には聞こえて来ます。
すべてが自分の生活から反射されて来る自業自得なのです。

ー中略ー

もし自分が迷うことがあれば、自分は「それについて」最高の努力を本当にしたのか?と自分自身に対して問えば良いです。
そうすれば、気付くべきことが必ず有ります。

* 自分の生活態度が、最善の選択と幸運を呼ぶという真理。
* 自分が行う選択を、素直に自分が信じられるまで最高の生活努力をすること。
* 自分がした選択が、どんな結果になろうとも、満足出来るまで、その覚悟が出来るまで、自分なりの最善を尽くすこと。燃え切ること。

このようなことを生活の中で参考にして頂ければ幸いです。
幸運とは、思う以上に科学的であり、当然の水の流れであり、自業自得で自然とそう成ることを知っておきましょう。



(1) 発言を慎重にすること。
(2) 心を冷静にして謙虚でいること。
(3) 自分の肉体に悪い行為をさせないこと。

この3つの道を貫徹する人は、仏陀(ブッダ:知恵の化身)が言う道(方法)を知らなくても、
自然と自分自身が仏陀に成る道を行くことになります。

(原始仏典 ダンマパダ20章-281番)

(感想)
釈尊が自ら興味深いことを仰っています。
* 別に偉い人(仏陀)を知らなくても良いのです。偉い人に縁が無くても大丈夫なのです。難しい話を理解出来なくても大丈夫。
* ただ自分自身が、家族や接する他人への発言や態度にも注意し、
* 普段も謙虚で居ることを心掛け、
* 自分の良心に反することはしないこと。
* このようにして暮らして行けば、仏陀(知恵の有る人)ご自身と縁が無くても、誰でも仏陀に成れるのが真実なのです。
このように響いて来ます。

ー中略ー

この項の3つの内容とは、これこそが普通の道徳観です。
日本の良さとは、このようなアタリマエなことを学校生活の中で教えて行くことにありました。
自分の所属する家庭や国を大切にしないことを無意識に誘導する先生が多いことは、道徳を衰退させ、大自然(精霊や先祖霊)を大切にしない人間を量産します。

釈尊のこの3つの言葉は真理ですから、大人になっても重要な内容であり、幸運を生み出す条件でもあります。
悪い因果を自分自身に創らせない意味でも、死後にも影響する内容です。
たまに想い出すように致しましょう。



深く心を安心させることが出来たならば、明るい知恵が生じて来ます。
心が不安定ならば、明るい知恵は生じません。
知恵が生じることと、生じないこと。
この2つの経験をしたならば、明るい知恵が自分に生じるような生活をしましょう。

(原始仏典 ダンマパダ20章-282番)

(感想)
自分の心を深く安心させるような生活努力をしていますと、そこに明るい知恵が湧いて来ると釈尊は言います。
知恵だけを求めて考えましても、良い知恵は浮かばないのが人間なのです。
では、明るい良い知恵とは、いったいどこから来るのでしょうか?
その良い知恵を求める前に、釈尊は自分の心を深く安心させるような生活をしなさいとしています。

自分の心が安心している時に、明るい良い知恵がやって来ます。
では、自分の心を深く安心させるには、どうすれば良いのでしょうか?
それは、自分の生活態度や生活努力から来るのです。
自分なりの最善を尽くして生活努力をしていますと、「やるべきことをしている」という努力が自分自身を安心させて行きます。

ー中略ー

では理論的には、生活努力をしていなくても、瞑想などで心を安心させることが出来ますと、良い知恵が浮かぶのか?
答えはNOです。コノ世の生活努力を伴わない安心感は魔境であり、見せ掛けの知恵しか浮かびません。
瞑想をする前に、まず自分の実現したい希望や逃避したいような現実が有れば、それへの出来る改善努力を自分がしていないと、見せ掛けの安心という魔境に入ります。瞑想により安心を得たと思っても、後で色々な問題を心身と生活環境に引き起こします。瞑想している時間は、何の生活努力も労働もしていないのですから。



1本の我欲の木を切り取るだけではなく、
自分の我欲の森を切り倒しなさい。
本当の危険は、幾つもの我欲が重なり森に成った時に起こります。
我欲の森と、その下に生えかかる芽を刈り取り、
向上したい者は、我欲の森から離れた所に住みなさい。

(原始仏典 ダンマパダ20章-283番)

(感想)
人間の欲望には悪い欲だけではなくて、良い欲望もたくさん有ります。
ただ、自分だけが良くなりたいというワレヨシの欲望ではダメなのです。これは最悪の欲望です。
仏教には、「大欲(たいよく)を持ちなさい」という思想が有ります。
自分だけの小さい欲望(金銭・異性・見栄・・・・)を持つからダメなのです。
自分だけではなくて、社会全体を良くしたいという大きな欲を持つことを重要視します。
そして、多くの人々を助けるために、自分自身が仏様に成りたいという大欲を持つことを仏教の目的とします。

ー中略ー

家族のために、会社全体のために、社会のためにと大きな欲望を持つ者は、本当に輝いてカッコ良く見えるものです。
自分だけの小さい欲望を持つ間は、お金も入らないのです。
自分が大きな視点と大欲を持ち始めた時に、雰囲気が変わり、運命が変わり始めます。その先には、本当に大金を動かす人間に成ることも多々あります。

ただ、社会生活での欲のやり取り、それが大欲でありましても、そろそろ自分自身の心の内在神を発露させるという本当の欲を持つべき世紀に入っています。
もう何度も生まれ変わって色々な欲望のパターンを誰もが経験してきたのですから、そろそろどの魂も、既に自分の右胸に抱えている真の生き神様(良心・内在神)を自覚して明るく生きるべき世紀が来ています。

その時、人から神へと進化する遺伝子の変化が人類に起こります。
そして、今の世界にあるすべての問題が霧散します。
先ずは、自分自身からそのように成りたいと思える大欲を持ちましょう。これが良性ウイルスのように広がり、すべての人類を変えて行きます。



少しでも異性に対する欲望が有る間は、その人の心は自由ではありません。

まるで、母牛の乳を吸う子牛が母親に執着して慕(した)うようにです。

(原始仏典 ダンマパダ20章-284番)

(感想)
男女共に恋愛関係に執着して心が縛られないようにするには、どうすれば良いのでしょうか?

まず、このような男女の欲求のすべてを観て行きますと、そのすべてが人類の本能として、母性への渇望と欲求が心の最奥に有ります。
これはつまり、自分の心の内在神(母性のカタマリです)を追い求める本能が、恋愛に向いているだけなのです。

その証拠に、コノ世のどんな理想の相手を手にしましても、人間は満足することがありません。
なぜならば、自分の本能の最奥が求めるモノとは、実は自分の心の内在神(母性)を求めているのが霊的な真実だからです。
これに気付けるまで、魂は何度でも転生しています。

だから、自分の心の奥の母性神への崇敬と信仰を持てたならば、非常に冷静な恋愛関係を人類は持てます。
人間が恋愛を通じて求めている本当の正体とは、母性神への渇望であることを知って置いてください。これが分からなくても、知っていますと段々と冷静で良い関係を異性とキヅける(気付ける・築ける)ことに成ります。
真に求めるものは、自分の心の奥に内在していることを忘れないでください。

以上のことは、スサノオ神が母親神と生き別れた時に、大地と海を鳴動させて母親神を追い求めて行ったこととして、日本神話に表されています。



雨が降る季節には、この場所に住みたいなあ。
寒い季節と暑い時期は、あそこに住みたいと思う。
進歩の無い人は、このように思うだけであり、そのための行動が一切ありません。
そして、そう思うだけで気付かない内に死が迫って来ます。

(原始仏典 ダンマパダ20章-286番)

(感想)
人生は、あまりにも短いということです。今の日本の平均寿命は80歳ほどですが、当時のインドの平均寿命は、これの半分も無かったと思います。
日本では、30代など直ぐに来ます。そこで人生が終わると想像しますと、あれやこれやと想像する前に、常に行動していませんと何もしないままで終わってしまいます。

この項では、あれこれと希望するだけで行動の無い人を「進歩の無い人」と解釈しましたが、原典ではもっと厳しい「愚か者」「馬鹿な人」と解釈できる表現です。
つまり、想像するだけで「行動」が無いことが、人として生まれたならば「いかに罪深いことか」を示唆しています。

ー中略ー

今の自分の行動の善・悪には、一切の無駄がなくて「その行動が生きる」のです。
自分の良心が許す希望は、とにかく直ぐに何らかの行動をして見ましょう。
それがダメで直ぐ終わっても別に良いのです。
ダメだということを知るだけでも、非常に大切な経験です。これも見えない財産に成るのです。
失敗した体験も、生きているからこその貴重で有り難い体験です。

釈尊は、何もしないで人生を終わるよりも、失敗しても良いから「行動すること」を良しとしています。
ただし、自分の良心に沿った体験と経験を積むべきなのが、人が生きる道なのです。
そのような経験ならば、多ければ多いほど、成功も失敗も関係なく本当に素晴らしいことなのです。
それが多い人ほど、すべての執着と「思い残し」が消えて、大往生は間違いありません。必ず天国に行きます。



自分の子供やペットに心を奪われて執着している人にも、いずれ死は必ず来て生命を持って行きます。

まるで、気持ちよく寝ている夜の村を鉄砲水が襲うようにです。

(原始仏典 ダンマパダ20章-287番)

(感想)
これは釈尊が不吉なことを言って、怖がらせているのではありません。
多くの命との、正しい接し方についての示唆です。
生き物に愛着を持っても良いですが、それが執着(他のことが目に入らないこと)に成りますと、その人はどんな生命も必ず死ぬということを忘れてしまいます。
その死を考えることも拒否し、永遠に自分のモノだと錯覚をしています。

そうなりますと、自分の愛するモノ以外への周囲への迷惑や、自分の子供やペットのためならば常識を外れた行動もしているかも知れません。
愛するがゆえの行動が、逆に自分が大切にしているモノの生命を削る因果を増やしている人が多いのです。

大切なことは、どんな命にも限りがあることを常に忘れないで、子供やペットを大事にすることです。
そのような冷静な視点を持っていますと、自分が先に死んでも困らないようにと、子供やペットの躾(しつけ)や教育も忘れずに行うことが出来ます。
愛するがゆえの盲目的な愛着だけでは、生命を真の意味で幸福にしてあげることは出来ません。

ー中略ー

釈尊は、上記のように常に死を意識することで、よりもっと今の中に幸福を感じられて、感謝することが出来るように成ることを示唆しての今日の言葉でした。
より良く幸福を体感出来るためにも、正しく・明るく・死による別離を認識して生きましょう。


執着する時点で負けています
2015-02-21 10:48:30 | 釈尊の言葉
他人を愛することは良いのですが、
愛に執着をしてはいけません。

まるで、池に咲いた美しい蓮の花を手でちぎり取るように、愛への執着を取り去りなさい。
それよりも、自分の心が安らかに成る道を探しなさい。

仏陀(ぶっだ:知恵の化身)は、とにかく自分の心の安らぎを最優先することを勧めます。

(原始仏典 ダンマパダ20章-285番)

(感想)
恋愛で苦しむ人は多いです。誰もが通る道かも知れません。
でも、愛欲に執着しますと、仕事をしていても、生活していても、遊んでいても、その相手のことばかりを考えてしまい、すべてを中途半端にしてしまいます。
心地よいはずの恋愛が、いつのまにか苦痛に変わって行きます。
体重も落ちるかも知れません、笑。

ここで釈尊は、
「本来は恋愛も、自分の心を安らかにするものではないのかい?
それで苦しむなんて、おかしいのではないか?
恋愛に執着するから、苦しみに変わるんだよ。
人間の幸福は、自分の心を安らかにする道を進むのが、本来の使命なんだよ。

だから、その“美しいように見える”花(恋愛)を、思い切って手で摘み取りなさい。
そして、自分の心が安心する物事を頑張りなさい」
と教えています。

ー中略ー

コノ世のすべてにおいて、自分の心が安らぐ選択と、そのためへの努力が大切です。
これが他人の心も共に安らげるように、自分が邁進できれば最高です。他人も救うことが出来ます。
今日も自分の心が安らげるように、自他を救って行きましょう。


【編集者注記】ダンマパダについての記事は「番号昇順」とします。

20150130

  • 最終更新:2015-03-31 22:00:17

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