原始仏典:ダンマパダ(第2章)

■原始仏典:ダンマパダ(第2章)について

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若返る秘密 2014-07-17 10:14:39

一生懸命に努力する者には不死の境地が訪れて“います”。
自分が出来ることを怠(なま)けている者、しない者は自ら死に近付いて“行きます”。

一生懸命に働く者は、永遠を生きることに成ります。
自分がするべきことを怠ける者は、既に死んでいる。
(原始仏典 ダンマパダ2章-21番)

(感想)
釈尊が、労働と努力を絶賛し、怠ける者には「お前は既に死んでいる」と痛烈なことを仰っています。
これは釈尊が、人が生まれて来る意味、その天命を捨てている、ことへ怒っているのです。
天命とは、その時その時の自分の目の前に既に在るするべき仕事・任務のことです。
病気でありましても、一生懸命に規則を守って養生することが、「その時の」自分の天命の仕事です。

そして人が懸命に働いている瞬間、努力をしている最中は、その人の寿命としての時間経過は心中で停止しており、アノ世に居る時のような不死の状態だという興味深いことを発言されています。

ー中略ー

だから今の自分の生活が苦しくても大丈夫です。ただし、それを苦にして自分の良心(内在神)を痛めては生けません。それは本当に老けることに成ります。
苦しい時は、それを自分を若返らせる刺激だと思いましょう。どんなことにもムダは無いのです。
そして、その上で生かされていることに感謝して、先祖にも感謝が出来る自分の心境ならば最高です。その継続は、必ず運気を起こします。若さも与えてくれます。
人間は、考え方1つで本当にすべてが変わって行きます。



自分の生活に思いを集中し、何でも忍耐強く継続し、
いつも自分自身を強く励まし、周囲への配慮も出来る人は、
悟り(ニルヴァーナ)に達します。
これは人生最大の喜びと成ります。
(原始仏典 ダンマパダ2章-23番)

(感想)
釈尊の言葉をまとめた本当に初期の仏典である「ダンマパダ」のこの章には、明確に短い言葉で悟るための説明が成されているのです。
(1) 自分の生活に集中しなさい。
(2) 何でも我慢強く継続しなさい。
(3) 自分で自分自身を励ましなさい。
(4) 周囲への配慮も忘れるな。
この継続が無上(この上ない)の幸福感(悟り、ニルヴァーナ)へと自分を導きますよ。
これを体験するために人は生まれに来るのですよ。

このように釈尊は明確に悟るための方法を説明されています。
なんと言うことでしょうか。
悟ることとは、普通の生活を継続「している・ing」ことだったのです。


人生の秘訣 2014-07-19 10:23:33

色々と思い悩む人こそは、自分を励まして、よく努力をして、自分の生活を管理することにより、
どんな荒波にも負けない自分が安住する心の島を心中に作りなさい。
(原始仏典 ダンマパダ2章-25番)

(感想)

(1) 「自分で自分自身のことを励ましなさい。自分で奮い立ちなさい」
しかし、多くの人は、苦しい時ほど自分自身から離れて、他人を見始めます。これが更に運気を落とすことに成ります。
だから自分の信念から離れずに、自分自身のことを励ましなさい、苦しい時ほど自分で立ちなさい、と釈尊は言っています。
苦しいかも知れませんが、これがいち早く自分の悩みを昇華し、良い結果を呼ぶのです。

(2) 「とにかく自分の努力を継続することです」
心が不安な時ほど、自分がする努力もムダに思えて来るものです。しかし霊的には、これこそは自分の自我(じが:ワレヨシ)から発生する悪魔のささやきなのです。
だから、不安な時ほど自分の努力を淡々と継続しながら、それを自分で静観する視点も持つのです。
努力の継続の中で必ず修正・改善されて行きます。

(3) 「生活の基本を守ることが、何をするにも必須条件です」
食う・寝る・働く、これのどれを欠いても全体がダメに成るのです。
逆に、食うが過剰でも、睡眠が長すぎても、働くばかりでも、やはり全部がダメに成るのです。
この基本をバランスよく守ってこそ、人は何かを成して行くことが可能に成ります。

(4) 「自分の心中に、何が有っても安心できる心の拠り所を持ちなさい」
多くの人の心の拠り所は、他人や、外の物事に置いている場合が大半です。
しかし、それはいつか必ず亡くなる人であり、消えて行く物事なのです。
そうではなくて、自分の心中に安心する島を持たない限り、人間とは本当に安心する心境には成れないのです。

では、自分の心中に持つべき安心の島とは、それは何なのでしょうか?
それは、「信じること」なのです。
そして、それを自分以外の物事を信じることに置きますと、必ず失敗します。
信じるべきこととは、自分の先祖(太古から切れなかった遺伝子DNA)であり、
自分の右胸に住する自分の良心(真我・内在神)です。
そして、自分自身のことを一番に信じてあげましょう。



真理の言葉を知る努力をして、そして自分の生活の努力を良く励む人は、
自分が努力することに喜びを感じ始め、
聖者たちと同じ心境を楽しむことに成ります。
(原始仏典 ダンマパダ2章-22番)

(感想)
ここで釈尊は、提案をしています。

(1) 聖者が自分の人生から勝ち取った本当の「真理の言葉」に出会う努力をしなさい。
そうしますと、自分が聖者の人生の真似をしなくても、「何が正しいか」は知ることが可能なのです。
この段階で、すでに聖者の人生を費やして得た同じ果実に、自分が触れていることに成るのです。

ただし、どれが本当の真理なのか?を自分が選択する必要はあります。間違った自称の真理も同様に存在するからです。
でも、出会う言葉も自分自身の縁であり自業自得なのです。
自分の人生に応じて、「なんとなく腑に落ちる」「何となく分かる・好き」という内容に人は引き寄せられます。

(2) 真理の言葉に自分が触れたならば、
「その上で、自分の生活を頑張りなさい」
と釈尊は言っています。ここが重要なのです。
釈尊は、聖者の言葉を知りましても、聖者の人生をトレースするのではなくて、
「自分の人生を生きなさい」
と断言されています。

(3) そうしますと、人は自分の人生に努力する喜びが分かり始めると、釈尊は示唆しています。
真理の言葉を知った上で、自分の人生を生きることが、個人の魂には最重要なのです。

(4) 以上の継続は、聖者と同じ心境に誰もが今生の内に到達し、そして人生を真から楽しむことが可能に成ると示唆されています。



想像力が足りない愚かな人々は、堕落した生活を好みおちいります。
その一方で、良心のある人々は、絶えず自分の理想のために努力することを維持します。

堕落した生活にふけるな。
欲望と快楽だけに囚われるな。
絶え間なく良く考える人は、本当の大いなる快楽に達します。
(原始仏典 ダンマパダ2章-26~27番)

(感想)
人間の幸福と不幸を立て分けている原因、安心と災難を決定付けしている原因とは、上記のような
「想像力の不足」
「自分自身に原因を見ようとしない姿勢」
「堕落した生活を好むこと」
「自分の理想への努力を諦めてしまうこと」
このようなことが言えます。

ー中略ー

人間同士の人生に違いを生じさせる原因とは、真実は初期の単純な考え方の違いに過ぎないのです。
だから逆に言えば、自分の些細な生活姿勢と視点を変えるだけで、誰でも生きてさえいれば、釈尊が言われる
「本当の大いなる快楽に達します」
が誰にでも「起こる」のです。
諦めずに、自分の良心だけは守って生きましょう。



勤勉な生活を楽しみ、堕落した生活に恐れを抱く者が、
堕落して行くことは有り得ません。

その者は、“それが”すなわち既に涅槃(ねはん:ニルヴァーナ・絶対安心の心境)の「手前」に居るのです。
(原始仏典 ダンマパダ2章-32番)

(感想)
コノ世は何かを節制し、我慢をしている状態こそが、一番良い状態であることを知って置いてください。
何かを我慢することをカッコ悪いとか、自己嫌悪することを止めましょう。
その最中・ingこそが、実は既に悟りに隣接しているのです。
悟れば、実は面白く無いのが真相です。
最高の境地は、その「手前の今に」在るのです。

今悩んでいる人が多いです。でも、それこそはコノ世の貴重な期間限定の最中のことであり、大神の視点から観ますと、本当に可愛い人々なのです。
だから自分をカッコ悪いと思わずに、「大いに」悩み悲しみ怒り・・・・そして我慢して、
それでも「生かされていること」「体験できることに」感謝を致しましょう。

そうすれば、これこそが悟りの手前に居る最中であり、
その継続は、行け行け、進め進め、と涅槃(大いなる喜び)の中に自然と入って行くのです。


【編集者注記】ダンマパダについての記事は「日付昇順」とします。

20141229

  • 最終更新:2015-03-31 21:38:47

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