原始仏典:ダンマパダ(第16章)

■原始仏典:ダンマパダ(第16章)について
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道徳(良心)に反することを好み、
道徳(良心)を守ろうとする人を小ばかにし、
自分がするべき目的(仕事)を捨てて、
自分に心地よいことだけを優先する人が居ます。

しかし後になれば、自分の道徳観に従って生きる人間をうらやましいと思うことに必ず成ります。
(原始仏典 ダンマパダ16章-209番)

(感想)
釈尊のこの章は、老子でも真剣に述べるほどの人間の根本的なサガ・性に触れています。
この二人の聖人の言葉は、

(1) 我慢や節制することをカッコ悪いなどと思うな!
真の美しさや女性美などは、何かを我慢している節制している、それも明るくこなしている、
という状態に表れているのです。そこが光っているのです。
最高のエロティシズムは、ふしだらな女性には無いです。

(2) 人生を短い視点だけで見ては生けないということ。
目的が有れば、どんな我慢や節制にもムダは無いのです。
自分がしなければ生けないことがある時に、遊んでいる他人を見てうらやましいと思うことは大きな間違いなのです。
我慢するべき時は、我慢に没入して見ましょう。
楽しい時は、まだ来ない未来への心配をせずに、今を思いっ切り楽しみましょう。

(3) 何が有っても、自分の良心(道徳観)に従って生きることが最重要であること。
人生は何が有っても、自分の右胸に住まう大いなる存在(良心)への感謝と、
先祖への感謝をしていれば大丈夫であること。
このことをすべての根底に置くことが大切なのです。

今の自分の人生をつまらないと思わずに、「その中で」自分の良心と色々な節制を守ることを挑戦して見ましょう。
その継続が長くなるほど、後で自分が光っていることが分かります。



コノ世で良いことをしてアノ世に帰った人は、

その人間が行った善行がアノ世で先に待ち構えてくれていて歓迎してくれるのです。

まるで、良く知る親族たちが愛する家族が戻って来た時のように、自分のことを歓迎してくれます。

(原始仏典 ダンマパダ16章-220番)

(感想)
自分の過去の行為が、まるで人格を帯びたように待ち構えていると釈尊はこの章で仰っています。
実はこれこそは、チベット密教では「バルドォ」と呼ばれます死後の49日間の様相のことなのです。
要するに人間は、今に生きながらと同時に、アノ世での自分の生活も既に並行して創造している最中なのが霊的な真相なのです。

ー中略ー

映像的には、自分の悪行の再生映像(非常に鮮明なままのソノ時の映像です)を見た後に、その後の自分の人生も見て行きます。
だからこそ今の生活が最重要なのです。日々、上書き修正も新たな創造も、アノ世での状態も創っている最中が今なのです。

この意味でも、日々の神祭りの水交換や、先祖(遺伝子DNA)への感謝の行為も実際に生きて行くのです。
アノ世では、この反射で自分自身が祭られ、自分が供養されて行くのです。自分がコノ世でした行為によってです。自分自身が法則により受け取るのです。
神仏にコノ世で祈願するよりも、アノ世での「その反射」を考えますと、ただ感謝を捧げて置いたほうが本当に良いのです。

私たちはコノ世では、先が分からないように目隠しをされていますが、ここまで法則が貫徹されて管理されているのですから、逆に安心すれば良いです。
誰も逃げ得は一切無いのです。絶対に無理なのです。


【編集者注記】ダンマパダについての記事は「番号昇順」とします。

20150130

  • 最終更新:2015-03-31 21:55:19

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