原始仏典:ダンマパダ(第15章)

■原始仏典:ダンマパダ(第15章)について
目次

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他人への怒りを抱きながら生きる人々の中に住みながらも、
私たちは大きく楽しみながら生きましょう。

他人への怨念を持ちながら生きる人々の間に住みながらも、
私たちは正しく暮らしていきましょう。

(原始仏典 ダンマパダ15章-197番)

(感想)
この章の学びは、どんな環境の中で住もうが自分次第だということです。
どんな状況下でも、人は自分の生き方を最終的には自身で選択「している」のです。
それを逆に周囲の責任にしていましても、何も始まりません。

ー中略ー

因果の法則から観ますと、自分が忘れているだけであり、コノ世のすべての辻褄は正しく合って行くのです。それはもう完璧に離れたピース同士でも引き合って合致して行きます。恐ろしいほどに。
だから、これからも間違った生き方をしないために、
* どんな状況下でも、自分の良心に従う選択をして行くこと。
* 他人の責任ばかりを探さないで、先ず自分の責任と原因を探すこと。

この2点に注意して生きていますと、悪循環のサイクルは必ず良い循環に変わり始めます。
今からでも良い視点(思考・志向)を生活の中に置いて行くのです。
良い視点は、必ず明日の生活を変えて行きます。
自分で良い視点を生み出して置いて行かないことには、未来に発芽することが無いのです。
すべてを今の自分が生み出している現実を直視して生きましょう。



私たちは、本当はコノ世で何物も一切所有していないのが真実なのです。

だからこそ、逆に私たちは大いに楽しんで気楽に生きて行きましょう。

喜びを噛み締めながら発光する神々のように、誰もが生きることが可能なのです。

(原始仏典 ダンマパダ15章-200番)

(感想)
私たちがコノ世でなぜ悩むかと言いますと、
「自分が“それ”を所有していると錯覚するからだ」
と釈尊は示唆されています。

あの人は自分の恋人だ、妻だ、旦那だ、子供だ。
仕事、家、友人。肉体、健康、寿命・・・・・。
どれも一切が、最初から自分のモノでは無いのです。
「それ」は自分のものだと錯覚(執着)をしているから悩むのだということです。

「それ」は自分のモノでは無いと想像してごらん。
ただ、今の自分が預かって「いた」だけなんだよ。
もともと自分のモノなんて、コノ世には何も無いんだ。

だから、気楽じゃないか?
何を悩む必要があるのかい?
ほら、気楽に成ってきただろ?

神々は、何も持ってはいないから輝けるのだよ。
何も持たない気持ちとは、とても軽くなれて自由なんだよ。
だから人間だって、すべてが自分のモノでは無いと思い知れば、
優しい気持ちに成れるだろ?

この章では、このように釈尊が優しく語り掛けて来るように私は感じます。

ー中略ー

釈尊は、「アハハ。お前は裸で生まれたのだよ。死ぬ時も裸のままさ」
「その裸の期間(人生)に、何を深刻ぶっているのだ」
と笑顔で指をさしながら叱ってくれているようです。



物事の勝利からは恨(うら)みが起こります。

負けた人は苦しみ、心身が病みます。

勝ち負けを捨てて、安らぎを常に優先すれば、その人は安らかな世界へと渡ります。

(原始仏典 ダンマパダ15章-201番)

(感想)
勝っても損、負けても損。
だから釈尊は、この章で
「もう勝ち負けを捨てなさい。勝負から離れなさい。
そして、常に心の安らぎを優先する生活を取りなさい。
その人こそが、真の勝者なのです」
と仰っています。

私たちは生活の中で何かの勝負事をしていなくても、心の中での比較・格付けを無意識にしているものです。

ー中略ー

物(金銭・異性・仕事の地位・・・)が欲しいのは、勝ち負けや比較心からではなく、自分や家族の「心の安らぎのため」という視点を自分が維持していますと、
* 新たな因縁を生むような無理はしなくなる。
* 勝負や比較心の執着からは離れ、自分にとっての最善の選択をナントナク取れるようになる。
つまり、自分自身にとって一番お得な選択をして行くことに成ります。
今日も、自分の「心を安らかにするために」自分の仕事を懸命に頑張りましょう。



性欲ほどの苦しい欲の火はコノ世にはありません。

賭け事に負けることよりも、他人を憎むことほど運気を落とすことはコノ世にありません。

天から借りているこの肉体よりも、苦しい存在はコノ世にありません。

心の安心感に勝る楽しみは、コノ世にはありません。

(原始仏典 ダンマパダ15章-202番)

(感想)
(1) 性欲というものは、どんなに追求しても同じ繰り返しであり、その顛末は苦しみであることを知って置くこと。

(2) バクチに負けることは不運とも呼べないほど小さなことであり、本当に運気を落とす行為とは、他人を憎むことだということ。
他人を憎むことが、コノ世で最高に不幸に成る道だということ。

(3) 今に借りている自分の肉体ほど、直ぐに痛みが走ったり、血が飛び出たりと、色々なことに悩む存在はコノ世には無いということ。
だから自分の肉体は、弱くて苦しい存在であるということを自覚して置くこと。

(4) 世の中には色々な楽しいことが有りますが、最終的には自分の心を安心させることほど真に楽しいことは、コノ世には無いことを知って置くこと。

もうこの4つを事前に知って置くだけでも、人生を未体験な若い人であっても、人間としての学びと正解の大半を経験したことに成ります。ただ、自分で体験しないと身にしみないのが、また人間でもあります。
もし、これらのことを素直に信じられた人は、ムダな苦労を人生ですることは減ることでしょう。
まさに近道のエッセンスが、この4つには在ります。



心の寂しさという飢えは、コノ世の最大の病気です。

コノ世に生まれた我が肉体とは、最大の苦しみのカタマリでもあります。

だから、以上のことわり(理)をそのまま冷静に心から自分で思い知ったならば、
「心の安心感」(ニルバーナ)こそが、人が求めるべき最高の目的の境地であることが分かることでしょう。

(原始仏典 ダンマパダ15章-203番)

(感想)
すべてを俯瞰(ふかん:高所から全体を見渡す視点)する釈尊が、
(1) 心の寂しさほど、人にとっての最大の苦しみは無い。
(2) そもそも肉体こそが、喜びのカタマリでもあるが、最大の苦しみを生むカタマリでもある。
以上のことを、本当に心から「思い知りなさい」と仰っています。

ー中略ー

「心の安心感」を人生で何を行うにも初めから自分の目的として置きます。
働くのも、自分の「心の安心感」を持つために働きます。
結婚するのも、家族の「心の安心感」を持つことを目的として頑張ります。
交友関係も、自分の「心の安心感」のために選択して行きます。

物や他人を周囲に置くことを成功や安らぎだと勘違いをせずに、
自分や、周囲の人々の「心の安心感」を主役として懸命に生きるのです。
その行く末は、人が求めるべき最高の境地に達すると釈尊は言われています。



健康であることは、コノ世の最高の利益です。

なんにでも感謝が出来る心とは、最大のお宝です。

他人を信頼することが出来るか否かは、今の自分自身の本性を知る最高の手段です。

「心の安心感」(ニルバーナ)こそは、コノ世での最高の遊び心です。

(原始仏典 ダンマパダ15章-204番)

(感想)
(1) どんなにお金持ちでも病気であれば、その財産を楽しむことも使うことも出来ません。
だから、健康>巨大な財産、なのです。
自分なりに健康を心掛けることは、金運を上げる秘訣でもあるのが霊的な真実です。
自分の健康に感謝をしていない人や、自分の健康よりも金銭を得ることに執着している人は、貧乏神という負の運気に寄られやすくなります。その結果、何をしてもダメに成ります。

もし、今の自分が貧乏だと思うならば、先ず自分や家族の健康を強化することを始めることと、部屋掃除を直ぐに始めることです。
そして大事なのは、先祖(遺伝子DNA)に感謝をすることです。
この継続は、金運を上げる因子に必ず成ります。

(2) コノ世の創造の因子は、感謝の気持ちから起こる初期設定が、宇宙の原初に神によりプログラミングされています。
根源存在が煮詰めて煮詰めた上で初めて発した「有り難い・アリガタイ」という思いが、すべての発生の根源にいまだに「振動」しています。
だから、「なんにでも感謝が出来る心とは、最大のお宝です」とは霊的な真実です。

感謝の気持ちを自分が持つことで、コノ世で自分の好きなモノを創造が出来るはずなのです。感謝の気持ちが財産をも生み出す・呼ぶことから、
感謝の気持ち>巨大な財産、です。

(3) むやみに他人を信用する必要はありません。善悪の本性が混ざったコノ世では、自分の心(内在神)を守るためには、悪い事からは離れる必要が必ずあるものです。
ただ、今の自分の心境を知る手掛かりとして、自分が何を信頼し、何を信頼しないのかを冷静に観察することが、自分自身を知ることに繋がります。

ある人は、人よりも金銭を信用します。
別の人は、金よりも自分自身の信用や愛情を優先するでしょう。
また別の人は、他人への肉欲を最優先して、すべてを捨てるかも知れません。
これは、どちらが良い悪いでは無くて、今の自分の心境を知る手掛かりに、今の自分が何を信用・信頼して優先するのかを観察することは非常に有意義なことなのです。

ただ、愚かなことへの信頼には注意を致しましょう。
後悔先に立たず。つまり、すでに終わったことを、いくら後で悔やんでも取り返しがつかないというのがコノ世なのです。

(4) そして何よりも、どんな人生であっても、自分や他人の「心の安心感」を最優先する人生と選択こそが、真の勝利者なのです。
コノ世でどんな栄華を体験しましても、「心の安心感」無しにアノ世に行きますと、それは不幸な人生だったのです。
どんなに貧乏でも、「心の安心感」を持ってアノ世へ行くことにより、黄金色の輝く世界へと行くことに成ります。
だから安心して、コノ世を生き切りましょう。



一人孤独の味わいを経験すること。

心の安らぎという安心を経験すること。

これらが真に自分の身に沁みたならば、コノ世から自分の怖いものが消え去り、

自分の因果も消え去ります。

なぜならば、これらの経験は真理を知ることに至るからです。

(原始仏典 ダンマパダ15章-205番)

(感想)
人間というものは、自分が本当は孤独であることを認めたくないし、孤独を避けようとして焦ります。
しかし、どんなに大家族で住んでいましても、人は真の意味では誰もが孤独なのです。(天上天下唯我独尊・てんじょうてんげゆいがどくそん)
誰もが自分の心の世界の中で一人で生きており、同時に周囲の雑多な光景の中に居ます。

問題は、人は見える自分の周囲の環境を良くすれば、自分の心が安心出来ると錯覚することです。
しかし深い意味では、それは同じ繰り返しを体験するだけであり、自分の心の深い安心感は別なのです。
自分の心を真に安心させるには、
* 自分が孤独であることを素直に認めて、
* 自分自身を静観することで、自分の心中に「深く安心している存在」に気付くことしか無いのです。

自分の心の奥に、深く安心している存在に気付けたならば、体験したならば、すべての悩みや恐れ、過去の罪悪感までもが救われるのです。自分で深く安心する心境に真から成れるのです。

だから、もし今の自分が現実に孤独な環境だと思えましても、悩み恐れる必要はありません。
逆に言えば、自分の心を見詰めて真の安心を知るチャンスでもあるのです。コノ世での逆転満塁ホームランの機会でもあるのです。
ただし、
* その生活の中「でも」自分の心を安心させる努力と、
* 自分自身を静観することで、自分の心中に深く安心している存在に気付くこと、
が必須条件なのです。


【編集者注記】ダンマパダについての記事は「番号昇順」とします。

20150130

  • 最終更新:2015-03-31 21:54:13

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