原始仏典:ダンマパダ(第14章)

■原始仏典:ダンマパダ(第14章)について
目次

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人間としてコノ世に生まれ出ることは、非常に難しいことなのです。

そして、人間が必ず死ぬという現象も、コノ世だけの稀有なることです。

そして、コノ世で本当に正しい真理の言葉に出合う縁を持つことも難しいことです。

そして、コノ世で目覚めた人に成れることも難しいです。

(原始仏典 ダンマパダ14章-182番)

(感想)
多くの人が、生きることが苦痛だと思っています。
釈尊も、人は「生(性)・老・病・死という苦悩を避けることは出来ない」と仰っています。
そして、これを避けることが絶対に誰も出来ないのだから、だからこそ逆に
* それを明るく受け入れること。
* それを眺(なが)めること。静観すること。
* 思いっ切り体験すること。
を示唆されています。

その理由が、この章の最初に有ります2行の言葉です。
(1) まず、コノ世に人として生まれて苦悩を体験出来ること自体が、とても貴重で稀有な現象であり、有り得ない機会を人は体験しているのです。

ー中略ー

(2) そして、このようなゲーム(人生)をしているのも、期間限定であり必ず区切り(死)があるのです。
釈尊は、「必ず死ぬという現象も、コノ世だけの稀有なることです」
という今までに無い斬新な視点を指摘されています。

ー中略ー

(3) だからこそ、このような難しいコノ世で、更に自分が真理の言葉に興味を持てること自体が珍しいことであり、更にその自称の真理の言葉が、本当の真理であることは実に難しいのです。コノ世には、間違った自称の真理の言葉が多すぎます。

ー中略ー

(4) そして、
* コノ世にナントカ生まれ出て。
* 「生(性)・老・病・死」の苦悩の中で。
* 本当の真理の言葉に出合うことが出来て。
* ゲームから、目覚めた人に成ること。
つまり、目覚めた人に成れることは、本当に難しいと釈尊も認めています。
アノ世からの過程を思いますと、本当に気の遠くなるような道程です。


今がすべて 2014-10-16 11:01:47

かりに金貨の雨を降らせたとしましても、人の欲望が満足することは決して無いのです。

また、どんな快楽の刺激も一瞬で終わり、それは続かず、逆に苦痛に変わります。

賢い人とは、物事の初めから、このことを知っている人のことです。

(原始仏典 ダンマパダ14章-186番)

(感想)
今の自分がどんな環境でありましても、今のその状態の中でも幸福感や満足感をもし持てなければ、そこを抜け出しても同じことなのです。

ー中略ー

今の現状の中で、愛情と感謝を持てる人に成りましょう。
これが答えであり、もしこのように成れれば必ず安心感と幸福感のほうから自分の所に訪れて来ます。

「どんな快楽の刺激も一瞬で終わり、それは続かず、逆に苦痛に変わります」
刺激が大きければ大きいほど、それを維持することは困難です。もしそれが切れた時に、それを無くした時に、大きな反射の苦痛に襲われます。
どんな刺激も、総計では+-のバランスが計られるのがコノ世の法則なのです。
この法則は、人間関係、仕事、恋愛、金銭、薬物、・・・・コノ世のすべての物事に貫徹しています。

ここで釈尊は、何かを始める場合でも、以上のような「冷静な視点」を自分が持っていれば、物事に無理な深追いをせずに、むだな執着をせずに、最善の道を自分が歩むことが可能だと示唆されています。
自分の目にフタがされずに、冷静な最善の選択をすることが可能に成れるのです。
釈尊は、このような人を真に賢い人だと仰っています。



アノ世の凄い快楽さえも本当は楽しくは無いのです。

正しい真理によりコノ世で目覚めて行く途中の人こそが、

執着が離れるごとに最高の快楽を覚えることに成ります。

(原始仏典 ダンマパダ14章-187番)

(感想)
聖人は、コノ世の体験とアノ世の快楽を自らの転生により何回も経験した結果、やはりコノ世という何重にも苦難に巻かれた中で、先も見えない分からない中で、その中でもナントカ自分の執着を無くして行く「過程」ほど、尊くて最高の快楽と達成感は無いと断言出来るのです。
私が思いますにも、コノ世ほど危険で難しく、また色々な喜びが在る世界は、宇宙のどこにも無いのです。

だからこそ、カネ仕掛け、エロ恋仕掛け、自我のワナ、「その中でも」自分の執着を解くという過程(人生)は最高に崇高なのです。
「なし難きを成す、耐え難きを耐える」という簡単では無いからこそ、そこに最高の快楽が生じるのです。

コノ世で苦労している人は、実は最高の登山に挑戦中であるのが霊的な真相です。
これにより自分の心を腐らせて、新たな借金を作っていては生けません。
その中でこそ、感謝し、愛情を発揮し、多くの執着を自分で解いて行くのです。
これをコノ世で成し遂げた時、天界の方からお迎えが来てくれます。それはそれは荘厳で崇高な光がお迎えに来ます。そして、コノ世の10倍以上の快楽の「海」に帰って行くのです。



それは正しい心のよりどころではありません。

あれも最高の心のよりどころでは無いのです。

つまり、人は心のよりどころを間違いますと、永遠に悩みから解放されることは無いのです。

(原始仏典 ダンマパダ14章-189番)

(感想)
「心のよりどころを間違わないこと」。
これが人生で最重要であり、自分の幸福と今生の意味を決めることに成ります。
最高の心のよりどころは、自分自身の良心(内在神)であり、自分の先祖(遺伝子DNAの集合体)であるべきなのです。
これは絶対に間違いが御座いません。自分が死ぬまで絶対に裏切ることがありませんし、いつも一緒に居る存在であり、自分と共に同じ体験をしてくれている存在なのです。

ー中略ー

(1) 素直に自分の右胸に対して日々感謝をして見ることです。
大いなる実在は、誰もの右胸、中央から3cm右側に内在しています。これは根源存在という究極の神の分神です。とても崇高な実在です。

(2) 日々、自分の先祖に感謝の気持ちを送って見ることです。
「ありがとう御座います」でも良いですし、出来れば
「生かして頂いて ありがとう御座います」が最善です。

これを日々の生活の最中に、働きながら、勉強しながら、思って行くことです。
この継続で、ナントナク自分自身に大いなる内在を感じ始めますし、中には「ストン」と一体感に気付ける人も出て来ます。

このような感覚を持てなくても、自分の内在を素直に信じる人は絶対に大丈夫です。
自分の中での最善の人生に成ります。自分の外側によりどころを求めた人とは、大きな違いが後年ほど出ます。
本当の信心とは、自分自身の大いなる内在を素直に信じることなのです。


【編集者注記】ダンマパダについての記事は「番号昇順」とします。

20150130

  • 最終更新:2015-03-31 21:53:17

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