原始仏典:スッタニパータ(第1章6節)

原始仏典:スッタニパータ(第1章6節)について
目次

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伝聞によりますと、ある時に釈尊は、地方に住む富豪が所有する森林の中に在る修行道場に招待されて留まっていました。

すると深夜に、顔が美しく発光して森林全体を明るく照らすほどの輝く精霊が、釈尊の側に静かに立ちました。
そして、釈尊にお辞儀をしてから、古代詩の韻文(いんぶん:聴覚に一定の定まったリズム感と形象を感覚させる言葉の文章)を歌いながら釈尊にたずねました。

「破滅に向かう人々の特徴について、仏陀(ブッダ:完全なる知恵・真理を得た人)である釈尊にお聞きします。

どういう人が、コノ世で破滅に向かうのでしょうか?」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.91)


釈尊は精霊に答えます。

「安定した生活をして、悟りに近付く人々を認識することは容易です。
また、破滅に向かう人々を認識することも簡単です。

安定した完成に向かう人は、正しいこと(真理)を好みます。
破滅に向かう人は、正しいことを毛嫌いします。」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.92)

(感想)
この項では、珍しく精霊が登場します。
興味深いのは、精霊が古代詩の韻文を話すということです。
この場合、この精霊に2つの出自が言えます。

・ 古代に生まれた人霊が、その当時の修行によって精霊にまで昇華した存在である。
・ または、古代の時代にも、古代詩を天から人々に啓示で教えた古い精霊である。

この2通りのパターンが考えられますが、森の全体を明るく照らすほどの精霊ですから、古代詩を人類に啓示した古い精霊をこの項には思います。

生きる人間でありましても、正しい真理に目覚めた人物、または正しい真理を求めたい人々には、
* 精霊は、お辞儀をして礼を尽くしてくれる。
ということを覚えていましょう。

コノ世という雑多な何でも有りの、誘惑に満ちた世界において、
・ 正しいことを求めたい
と思えるだけでも、難しいことであり、精霊でも敬意を尽くすほどのことだと言うことなのです。

釈尊が言われた、
「安定した完成に向かう人は、正しいこと(真理)を好みます」
これが重要な指摘であり、今の自分が何を好んでいるのか?
冷静に静観をして見ることを参考にしてください。



美しく発光する精霊は、更に釈尊に訪ねました。

「確かにそれは、第一番目の破滅に向かう人々の特徴です。

真理の仏陀である釈尊よ、どうか第二番目の破滅に向かう人々の特徴を教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.93)


釈尊は精霊に答えました。

「破滅に向かう人々の特徴は、

・ 不良な人を好む人であり、
・ 真面目な人を好きに成れない人です。

また、悪人がする行為や、悪徳な宗教者の言葉に、なぜか自ら惹かれる縁を持つ人です。

これらが、第二番目の破滅に向かう人々の特徴です」

(原始仏典 釈尊の言葉 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.94)

(感想)
* 第一番目の破滅に向かう人々の特徴は、真理に関して悪い縁に惹かれる人々。
* 第二番目に破滅に向かう人々は、生活行為に関する悪い縁に惹かれる人々。

このように言えそうです。
どうして個人で、明らかに悪いモノへと、悪い方向に行く人と、
「最初から行かない人」「悪いモノに見向きもしない人」に分かれるのでしょうか?

それは頭が悪いからだ、と露骨に言う人もいます。
でも私は、それは違うと思います。
知的で立派な職業の人でも、見事なほど夜のワナに掛かる男性も女性もいます。

頭が悪くても、素直な人は、悪いモノに惹かれないのです。
本人が無意識下で溜めた、
・ ストレス
・ 不満心
・ 感謝の無い習慣

が自ら悪いワナに誘導して行くと感じます。
周囲には、初めから見えていても止めることが出来ません。

本人の自我(ワレヨシな心)が、強力な磁石のように悪い方向に自ら縁を求めて創って行きます。
・ 本人が溜め込んだ不満心こそが、悪い誘導をする原因だと感じます。

本人の問題だから、周囲から見えていても止められないものです。
・ 誰もが、自分自身の不満心に誘導され、復讐されて行きます。

自分が不満心を溜め込むということは、自分の肉体の細胞を、不満心の酸化作用で焼いて行くことに生理現象では成ると感じます。
これが高じますと、ガン細胞の比率が優位に成ると感じます。
(健康な人も、ガン細胞は常に存在し、体内比率の問題のようです)

私たちも、自分が持つ不満心に復讐されないように注意したいものです。
変な方向に自ら、自分自身を誘導します。

逆に言えば、
* 自分を感謝の心で満たせば、自分の良心(内在神)が助けてくれます。
誰もの良心(内在神)は、先の流れが視えているからです。



美しく発光する精霊は、更に更に釈尊に尋ねました。

「それが第二番目の破滅に向かう人々の特徴であることは良く分かりました。

仏陀たる釈尊よ、どうか更に第三番目の破滅に向かう人々の特徴を教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.95)


釈尊は、更に精霊に説明されました。

「もしも人物に、
・ 規則正しく時間を決めない、惰眠の習慣を持つこと。
・ 生活においても常に交友の会を優先する人。
・ 仕事を頑張る事無く、怠惰な生活をする人。
・ 怒りっぽい人と、他者に、家族に認識されてしまう人。

これが自ら破滅に向かおうとする、第三番目の破滅に向かう人々の特徴です」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.96)

(感想)
・ 規則正しく時間を決めない、惰眠の習慣を持つこと。 ⇒ 不規則な生活。
・ 生活においても常に交友の会を優先する人。 ⇒ 〜の為に、と言いながらの遊び優先。
・ 仕事を頑張る事無く、怠惰な生活をする人。 ⇒ 自分の本業を疎かにすること。
・ 怒りっぽい人と、他者に、家族に認識されてしまう人。⇒ これが、その人物のすべてを表しています。その人の普段の発言や生活態度を表しています。

以上の4つを、色々な職種と立場、または自分の家庭環境において、重要な「破滅に向かうことに成る因子」だと事前に知って置くことで、
・ 破滅を避けること
・ 無難にすること
が可能です。

人間が注意するべきことは、大昔から変わらないということです。
人は同じパターン(因果)を繰り返すことを認識し、上記の4つのような因子に注意したいものです。
知ると知らぬでは大違い、認識するか否かで運命が変わる。
やはり人には、知識が大切だと改めて思います。


親孝行という人類の課題 2017-07-31 11:39:29

美しく発光する精霊は、第三番目の破滅に向かう人々の特徴に納得し同意しました。
そして、更に釈尊に尋ねました。

「仏陀たる釈尊よ、どうか第四番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.97)


釈尊は答えました。

「自分に十分な収入があり、楽に暮らす金銭的な余裕があるのにも関わらず、

自分の母親か父親が、老いて働くことが出来ず困窮状態にあるのを放置する人物。

これが自ら破滅に向かおうとする、第四番目の破滅に向かう人々の特徴です」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.98)

(感想)
釈尊は、天啓を受けて、自国民を少しでも助けるために家出したと言えます。
これが歴史家には、「親も自国も捨てた」と見なされる訳です。

つまり親孝行にも、人により千差万別であり、色々な形があります。
親孝行をしていない=破滅する人、では決してありません。
この項で指摘しているのは、

・自分に収入があり、楽に暮らす金銭的な余裕があるにも関わらず、生活が出来ない親を放置する人。

という条件付きです。
では、自分自身も生活がギリギリであり、残念ながら親に何も出来ずに放置する人。
これは、どうなのか?この場合は、

・ すべてを見て知っている自分の良心(内在神)が、判断します。

これにお任せで良いです。生きる誰もが、非難も判断も出来ないことです。
その中でも、自分が出来ることはしたのか? 
親に出来ることが、本当に無かったのか?

自分自身の良心が、すべての画像(リアルな4D)を、内心の思考も含めて記録しているのが、誰もの今の生活なのです。

古代から親孝行は、人類が悩んで来た課題だとも言えます。
自分の魂が肉体を借りた遺伝子の先(親や先祖)への自分自身の態度が、来生に自分が持つ健康や財産、容貌に至るまでを決める、重要な「第四番目の破滅に向かう人の特徴」と成ることだけは、知って置きましょう。

既に亡くなっている両親には、先祖供養が大きな親孝行に成ります。
・ 自分なりの、
・ 自分の良心が「この程度でOK」、
と納得する親孝行をしたいものです。
生きる誰もの課題だと言えます。


社会での注意事項 2017-08-16 11:30:35

美しく発光する精霊は、第四番目の破滅に向かう人々の特徴に「その通りである」と納得し同意しました。
そして、更に釈尊に尋ねました。

「仏陀たる釈尊よ、どうか第五番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.99)


釈尊は答えました。

「・ 正しい信仰を持ちながら、社会の中で働き、それを修行とする人々。
 ・ 信仰を持たなくても、社会の中で苦労しながら働く人々。
 ・ 貧しい人々。

このような人々をバカにしたり、ウソの言葉でダマして詐欺を働いたならば、
その人物は必ず地獄に落ちます。
これが、第五番目の破滅に向かう人々の特徴です」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.100)

(感想)
・ コノ世だけを見ずに。
・ コノ世とアノ世で昼夜の1日、1つの人生の完了。

という視点で人生を観ますと、
・ 完全な公平に成る。
・ 一切の理不尽も、不公平も、帳尻が合わされる。

これが完璧に流れていることが、私にはよく分かります。
だから、自分が社会で真面目に働き、先祖に感謝をしていれば、コノ世のどんな強欲な成功者よりも強い人です。
アノ世では立場が逆転しています。

だから安心しましょう。
・ 自分が理不尽に会社で怒られても。
・ 社会で他人に騙されても。

自分自身がそれでも真面目に働き、先祖や神仏に感謝をしていれば、いずれは帳尻が合わされて行くのです。
・ 途中の姿・状態を見て、悩むな、怒るな、悲しむな。

こういう視点も知って置いて頂ければ幸いです。
このようなことは、社会で働く人だけでなく、学生や、専業主婦にも言えることです。

・ 自分のするべき仕事を真面目にすること。
・ 先祖や神仏に感謝だけをしていること。
これで十分です。
するべきことをしていれば、何を言われても、安心して暮らしましょう。
怒りや非難、理不尽を言う方が、注意が必要だということです。


配ることの難しさ 2017-08-24 11:34:27

美しく発光する精霊は更に尋ねます。
「たしかにその通りです。それは第五番目の破滅に向かう人々の特徴です。
では釈尊、どうか第六番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.101)


釈尊は答えました。
「もし、有り余る財産、金銀財宝、食料が有るにもかかわらず、
一人隠れて陰で美味しい物を食べようとする人物がいれば、
それが第六番目の破滅に向かう人々の特徴です」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.102)

(感想)
釈尊はこの項で、
・ 金銀財宝を貧しい人々に配りなさい、とは言っていません。

もし、お金を持ったことが無い人々が金銭を持ちますと、またそこで争いや不満心、強盗や殺人が発生するかも知れません。
現代でも、米国における高額な宝くじの当選者の顛末の統計データからも明らかです。

そうではなくて、
・ 生命にも直結する「食料」を、多くの人々に分配する意識を持てない人はダメだ。
と仰っています。

(中略)

つまりコノ世では、
・ 何かを分配するにしましても、どう分配するのかが難しい。
・ 無料で配れば良い、というものでは無い。その配り方で争いも起こること。

この項のヒントとしましては、
・ 人の命に関すること、生命を助けることに、もし自分が「直接に」出会う縁があれば、自分が出来る範囲の金銭的な援助をする気持ちを持つことが大切だ。

と響きます。
でもコノ世では、「自分が直接に知らない」動物や人の病気に関する様々な寄付金の募集があります。
これを悪用される想定も大切です。
動物を助ける為の寄付が、反社会的な活動の為に流用されていた・・・・ということが無いことが重要です。

自分が直接に知っている人=自分にとって善悪に関わらず縁ある人です。
これを助けることは、自分の因果にとっても意味を成すことです。
ダマサれたとしても、そこには相殺の意味が有るものです。


家系や財産への戒め 2017-09-01 11:48:40

美しく発光する精霊は更に尋ねます。
「たしかにその通りです。それは第六番目の破滅に向かう人々の特徴です。
では釈尊、どうか第七番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.103)


釈尊は答えました。
「・生まれた家の階級により、傲慢に成っては生けません。

・財産の大きさで、傲慢に成っては生けません。

・家名を自慢し、その親族内でも他の親類を侮辱する気持ちを持っては生けません。

もし、こういうことをする人がいれば、それは破滅に向かう第七番目の人の特徴です。」
 
(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.104)

(感想)
釈尊こそは王室に生まれた王子でした。
途中で家系からドロップアウト(脱け出すこと)した釈尊だからこその、実体験から出た言葉だと言えそうです。

* 生まれた階級により、傲慢になる者は破滅すること。

釈尊のような直系の跡継ぎの家では、どの兄弟も生まれながらの教育を受けて、傲慢になるどころか徹底的な躾(しつけ)と教育が幼少からされる為に、傲慢に成る人は少ないです。
問題は、その周囲にいる関係者たちです。

関係者と言えども、名家の出身です。
そして直系を「知っている」「関わっている」「世話をしている」という特権を自慢し、中にはとんでもないサイドビジネスやワイロを得るのが、どの国、どの時代でもありがちなことです。

(中略)

* 財産の大きさで、傲慢に成る者は破滅する。

私の推測ですが、個人で莫大な貯金を持つ無名な人々が一番に多い都道府県は、京都だと思います。

貯金のケタが違います。東京は派手に見える人が居ましても、実際の「相殺」金額では大したことは無いと思います。
去年も京都の一等地に、10億円〜からというマンションの分譲がありましたが、一瞬で終わりました。地元の人も買ってます。
長く継続するお金持ちに成れる条件は、質素、目立たない、自慢しない、ことだと言えそうです。

(中略)

* 家名を自慢し、その親族内でも他の親類を侮辱する気持ちを持つ人は破滅する。

他家を見下し、大切な自分の家系内でも親族を罵倒する人。
これでは、他者を罵倒するばかりの人です。嫌な人間です。
周囲から人々も家族も離れます。

霊的には、同じ家系に生まれるとは、家系の霊線の共有者です。
・ 遺伝子の共有者
・ 因果による運命共同体
と言えます。

これを罵倒するとは、霊的に自分自身を罵倒する反射を受けます。



美しく発光する精霊は更に尋ねます。
「たしかにその通りです。それは第七番目の破滅に向かう人々の特徴です。
では釈尊、どうか第八番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.105)


釈尊は答えました。
「酒を飲む、バクチを打つ、異性を買い貢ぐ。

こういうことに溺(おぼ)れる者は、自ら破滅に向かう人です。

こういう人は、得た収入のすべてを失くして行く、自分が得る物が身に付かない、ということに成ります。

このような人が、第八番目の破滅に向かう人々の特徴です」

 (原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.106)

(感想)
この項での釈尊の言葉には、

*「飲む打つ買う」のような怠惰な生活をする者は、収入のすべてを失くして行く。
更には、
* 怠惰な生活をする者は、男女に関わらず得たモノ(金銭・人・仕事・幸運・・・)が身に付かないことに必ず成る。
こういう示唆を感じます。

・ 自分が得たモノが身に付かない。残らない。

こういう傾向を感じる人は、
・ そのモノ(金銭・人・仕事・結婚・幸運・・・)を何とかしようとする前に、
・ 普段の自分の生活に問題が有る可能性。
こういう視点も参考にしてください。

(中略)

以上の話から分かります真理は、
* 自分の生活習慣が、すべての運命を形成させて行く。
ということです。

では、どんな習慣が良いのか?
・ 規則正しい生活。バランス良い食事。適度な運動。
・ 掃除の習慣。
・ 更には、先祖へ感謝する習慣。神仏に感謝して行く習慣。

こういう習慣が、まったく関係が無いと見える金運、結婚、健康、他人との良い縁、
・・・・このようなことに関する運命を常に形成させているのが真実だと私は感じています。


いつの時代も 2017-09-21 11:11:12

美しく発光する精霊は更に尋ねます。
「たしかにその通りです。それは第八番目の破滅に向かう人々の特徴です。
では釈尊、どうか第九番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.107)


釈尊は答えました。
「もしも既婚者が、自分の伴侶だけで満足せずに、

金銭で性交の相手を買うような所(風俗、売春、ホストクラブなど)に出入りする人。

他の既婚者や独身者と深い交際を陰で続ける人。

こういう人が、第九番目の破滅に向かう人々の特徴です」

 (原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.108)

(感想)
2500年も前の古代インド社会と、現代の日本は、世界は、まったく同じサガ(性)で人間は破滅を繰り返して来たようです。
笑ってしまうほど、今の生活にも当てはまる釈尊の戒(いまし)めです。
釈尊の貫徹する霊眼は、未来社会も完璧に見据えていたと言えます。

釈尊が言う破滅とは、
・ 大きな因果(霊的な借金)を生むこと。
・ その死後と、来生に大きな影響を与えること。
これを指します。

コノ世での自分の家庭を破壊するだけでは済まないことを、破滅と指しています。
つまり魂にとっての、破滅です。
どうして、不倫の問題が、それほど大きな因果、わざわざ仏典に言い残すほどのことなのでしょうか?

それは、それぞれの家庭の子供たちの運命を大きく変え、親の気持ち・苦労も、根底から破壊することに成るからです。
不倫同士2人の一時の問題では済まないからです。例では、

・ 不倫がバレなくても妊娠すれば、他人の遺伝子の子供を自分の伴侶の子供として育てること、育てさせること。

・ 不倫などをしておれば、自分の家庭を疎かにし、夫婦喧嘩が絶えません。
もし離婚すれば、子供の進学も、人生も変更されます。
子供と言えども一人の人間の人生を変える罪は、大きな因果と成ります。

何も知らずに家族の為、と苦労して働いている伴侶は、すべての光景と真実を死後に見ることに成ります。
その罪を犯した本人たちは、死後にすべてを反省し、苦しみ、来生は逆の立場を体験します。
悪い因果の生まれ変わりは、終わることがありません。

釈尊は、解脱(げだつ)=強制的な因果からの転生の終了、を目的として教えます。
このような大きな因果を生みやすい行為が、不倫には有る訳です。
だからこそ、不倫をする者=破滅に向かう人、と釈尊が断言しています。



美しく発光する精霊は更に尋ねます。
「たしかにその通りです。それは第九番目の破滅に向かう人々の特徴です。
では釈尊、どうか第十番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.109)


釈尊は答えました。

「もしも20歳以上の年の差婚をした者が、

自分の伴侶が他の異性と仲良くするのではないかと常に心配し、

離れている日には心配で夜も眠れない嫉妬と心配を覚えるならば、

第十番目の破滅に向かう人の特徴です」

 (原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.110)

(感想)
この項から感じます啓示は、
* お互いに頂点の「良い時」に始まった、友人、恋人、結婚には、注意すること。
自分が悪い時にも離れない相手であるか?
これを静観すること。

* 自分が悪い時にも離れ無かった、バカにしなかった、出会い、友人、伴侶。
これを大切にすること。

今が苦しい人は、その今の苦しい自分の周囲に居る人を大切にしましょう。
そんな苦しい自分からも離れ無い人、離れられない人々なのです。
非常に深い縁が有る相手なのです。
後は、自分が良くなれば、ますます良い関係に成れることは道理なのです。
相手の良い面しか知らない、見ない、恋愛や結婚とはリスクが隠れています。

年の差の有る恋愛をする場合は、
・ 20年後のお互いを想像しても大丈夫か?
・ 相手が老いて病気に成っても、世話をする覚悟が有るか?
これを良く自覚して判断することを参考にしてください。


繁栄と継続のヒント 2017-10-05 11:32:04

美しく発光する精霊は更に尋ねます。
「たしかにその通りです。それは第十番目の破滅に向かう人々の特徴です。
では釈尊、どうか第十一番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.111)


釈尊は答えました。

「もし、ある権力者が、または民衆が、
異常な贅沢を好む女性を、
または、酒乱の人間を、
または、認知力を失くして保護が必要な人を、

あえて国家の代表に据え付けるならば、
その権力者も、その国家も滅びます」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.112)

(感想)
王室に居た釈尊だからこそ、この言葉には真実味が有りそうです。
数々の周辺国の没落のパターンの趨勢(すうせい:流れのこと)を目撃したことでしょう。
釈迦族の国家も無くなってしまいました。

(中略)

代表に成る人には、
・ 質素でありながら、常識が有り、謙虚さ、誠実、一生懸命な御方。
このような御方を代表に置ける国は、繁栄し、継続すると言えそうです。

この項の戒(いまし)めは、個人でも生活の参考にすれば、静かな幸福感の在る生活を継続されることでしょう。
コノ世で一番に難しいことは、成功することや、繁栄することでは無くて、

・ 「継続」することに有り。

これが家庭生活でも、仕事でも、継続することに人類の最大のテーマが有りそうです。
地球も継続するように、人類は生活を考えるべき時期に来ていると言えそうです。



美しく発光する精霊は更に尋ねます。
「たしかにその通りです。それは第十一番目の破滅に向かう人々の特徴です。
では釈尊、どうか第十二番目の破滅に向かう人々の特徴も教えてください」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.113)


釈尊は答えました。

「先祖代々が由緒ある裕福で高位な家柄だった家に生まれた者が、今は財産が乏しい状態にいるとします。

こういう人が、自分のプライドと欲望に駆られて、国の王位に就こうと策謀するならば、
その人は破滅します」

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.114)


以上のような人々が、コノ世で破滅する人の特徴であることを理解したならば、

賢明な人は、釈尊の叡智を直感で理解し、コノ世でも幸福に暮らすことが出来ます。

(原始仏典 釈尊の言葉 スッタニパータ編 第1章6節-No.115)


(感想)
いよいよ、釈尊と発光する精霊との問答の最終項です。
第1章6節において述べられた、破滅する人間のすべてのパターンを事前に理解して置けば、
・ コノ世では「そうならないように」避けることが可能になる。
そして、その人は幸福に暮らせますよというお話でした。

ここで登場した「発光する精霊」とは、この地域に昔に居た「過去の仏陀(ぶっだ)」の一人だと思って良いです。
仏陀とは、釈尊一人では無いのです。

仏陀=完全に悟った人。
という意味であり、仏典には釈尊が生まれる前時代から数多くの仏陀が誕生したことが明記されています。
精霊へと進化した過去の仏陀は、今に完全な仏陀に成ろうとしている釈尊の知恵を試したと言えそうです。

釈尊が最後に述べた破滅する人間のパターンは、
・ 過去の栄光に捕らわれて、今の状態へのコンプレックスから欲望に駆られる者は破滅する。
という事でした。
これは今の社会でも多々見られます。

(中略)

この第1章6節を通して言えますことは、

・ 破滅するパターンを先に知って置くことは、人生に有効である。

これが言えそうです。
パターンを先に想定することを、釈尊も示唆していたと言えます。
皆さんの参考にして頂ければ幸いです。

関連コメント

この美しく発光する精霊は何故破滅に向かう人がどんな人か知りたかったのですか?精霊なので自分が破滅することはないと思うので色々な人間に注意喚起したかったのでしょうか?

。。。。精霊は、珍しい人が来た、意味で釈尊を試しています。
2017-09-03 15:29:48


【掲載順序】本ページは「日付昇順」とします。



  • 最終更新:2020-10-16 20:50:33

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