原始仏典:スッタニパータ(全般)

■原始仏典:スッタニパータ(全般)について
関連項目 釈尊
目次

全般

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ヨミガエル言葉 2014-04-18 10:20:27

インド原始経典「スッタニパータ」は、生前の釈尊の言葉に近いものを感じます。そこには現代社会にも通じる真理を感じます。
参考本としましては、
などは良いです。冷静であり、公平であり、当時の釈尊の言葉に近いものを感じます。

「スッタニパータ」という響きから、私が感じる解釈としましては、

(1) なぜ自分が今生の家柄に生まれたのかを疑問に思ってもムダです。
何かの問題を自分の家柄の責任にしても、それは本当の自分から逃げているだけです。
そんな済んだ終わったことに執着せずに、「今の」自分の行為を見ましょう。
今の自分自身の行為や生活を、家柄や、自分の知らない因果の責任にしていてはダメなのです。
それは今の自分から逃避しているだけです。

真実は、今の自分の正しい「行為」、清潔な「行為」によって、物事は決まって行くのです。
明日の自分を創るのは、今日の自分の行為なのです。
過去の自分が不幸だったならば、その原因の因果を探る労力はムダであり、今の自分を余計に頑張れば良いだけなのです。
良い意味で、前向きな意味で、すべては完璧な自業自得の法則が起こり続けるのが真理なのです。

だから、済んでしまったことを探るよりも、今日を正しく生きた方が、自業自得の法則により幸福に成れるのです。

(2) だからこそ、今日の自分を、自分自身で励まして上げることが人間には大切なのです。
済んだ過去よりも、今現在を注目して、今の自分を応援できるのは、真の意味では本当の自分(良心・内在神)だけなのです。
いつも本当の自分(内在神)が、今の自分を応援してくれていることに気付きましょう。人は、気付いていないだけなのです。本当の自分が常に応援してくれていることを。

このことを信じた人、気付いた人は、本当の自分が必ず助けてくれます。
今までの自分は、他人に助けてもらうしかないのだと、「思い込んでいた」だけなのです。
真の意味では、自分を助けることが出来るのは、本当の自分(内在神)だけなのです。

(3) だからこそ、過去を追っては生けません。
未来を待っていては生けません。
ただ、今、現在の一瞬だけを、自分なりに強く生きようと「実践」すれば、それが答えなのです。
その結果は関係なくて、自分なりに精一杯の「行動」をした実績が最重要なのです。
これが明日と、未来を変えて「行き」ます。



「原始仏典 ダンマパダ」(釈尊の言葉 Ⅰ)を私なりに柔訳させて頂きましたが、更にもう1つの最古の原始仏典とされます「スッタニパータ」を柔訳して御紹介したいと思います。

どちらの仏典も、釈尊の死後から100年以上も経過してから文字に残すことが始められました。
釈尊の死後100年間以上は、弟子間による口伝だったのです。
だから古い仏典は最初に必ず、「如是我聞」(にょぜがもん:私はこう聞きました)から始まります。

この「私は聞きました」とは、釈尊の側にいつも居た十大弟子の一人である阿難(あなん)の言葉を大半が指します。
つまりすべての仏典は、「阿難の言葉だった」とも言える訳です。


721番

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「何か足りないものが有れば自ら音を立てますが、
満ち足りているものは完全に静かなままです。
愚か者とは、水を半分満たしたツボが揺れるごとくであり、
聖者とは、水が満ち足りた不動の池のようなものです」
(原始仏典スッタニパータ 721番)

(感想)
自分の悩みが尽きないと思う人は、
(1) まず、自分が落ち着くことを心掛けることです。
自分がアチラコチラと揺れないように、まず止まって見ることです。休んで見ることです。

(2) 自分の心のツボに空いている場所があるから特に揺れるのです。だから、心の空いているスペースに、
* 先祖への感謝
* それでも生活できる感謝
という感謝の気持ちを置いて行くことです。

今日の大切な言葉は、他人が気になる時は、
「自分自身が揺れてはいないか?」
ということです。生活の中の参考にしてください。


【編集者注記】「スッタニパータ」についての記事は「日付昇順」とします。

20140715

  • 最終更新:2016-04-05 20:41:35

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