伊勢~熊野、天河へ(熊野、天河編)

伊勢~熊野、天河へ(熊野、天河編)について
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これから日本の社会に向けて押し寄せようとする、外国からの暗雲の気配を感じていました。これは、古い価値観である自身の地位や富裕な外見に拘る人々にとっての暗雲です。自分の心の内面に価値観を見い出せている人には無関係ではあります。
しかし経済と感染病的な打撃は、初期に多くの人々の心を凄(スサ)ましく荒れさせるものです。親の影響を一番に受ける、国土に住む無抵抗な子供たちの事が心配に成りました。
物質文明から精神文明への転換時には、避けられない初期の軋轢が生じるものです。従来の価値観が転換する場合の脱皮の辛さは、生物の世界での本当の脱皮時の様子を見ても明らかです。
何とか無難でスムーズに、人類の価値観の転換が日本国民から世界へと、心の駒が順番に裏返って行く様に成れば良いなと、私は強く思い立ちました。
この様な思いを抱きながら内在神と共に、日本の古来からの古い精霊たちに感謝の気持ちを奉納して周る決意をしました。

外国からの暗雲を和らげるには、昔から悪魔祓いで有名な玉置神社への挨拶が大事だと感得しました。玉置は、熊野三山の奥の宮です。目には目をでは無いですが、悪い物には鬼神のごとく働く霊性を維持できているのかを確認したかったのです。
もう1つは、奈良の天河神社~玉置神社~那智の大滝が、地図上では一直線に並びます。このラインは、昔から修験道の重要なポイントでもありました。
私が昔に受けた啓示によりますと、この直線ラインをそのまま太平洋に向けて延ばした先に、幻の巨大な大陸が海上に存在したとの事でした。
太平洋に浮かんだ巨大な浮島は、絶滅種である茎の直径が1mにも成る巨大な太古の昆布が密集した上に、鳥の糞などが長年堆積して形成された大地でした。
とても肥沃な大地であり、人類の進化の重要な過程を過ごしたとの事です。
この3点のポイントは、太平洋上の浮島と霊的なパイプで太古時代は結ばれていたのです。今回は、この三箇所の霊的確認もしたかったのです。


伊勢~熊野、天河へ 6 2009-11-30 10:41:02

最初に到着したのが熊野速玉大社でした。
ここは、街中に在る観光地と化していました。神社の由緒書きを見ますと、祭神の本体は近所に存在します神倉(かみくら)神社の巨石の磐座(いわくら、神気が降りる巨石)である「ごとびき岩」だと明記されていました。
朱色に飾られた速玉大社本殿に、私たちが生かされている感謝を捧げ、「ごとびき岩」へと向かいました。

危険な500段以上のガタガタの石段を登った先に御神体としての「ごとびき岩」が在りました。
ここは古事記にも登場している場所であり、神武天皇も磐座から今の新宮市を一望したとのことです。やはり、古い磁気を感じ取りました。神武遠征どころか、縄文人のような人々が祭祀を行なう風景を感じ取りました。
2つの家ほどの巨石は、おおきな二匹のヒキガエルが重なり、交尾の産み出す神事を行なっている様に感じました。その折り重なる巨石の間を見たく思い、家族の心配を無視して駆け上りました。
私が予想した通りに、カエルの卵を象徴する様な丸い小石が、2つの巨石の結合部の真下に、人為的に敷き詰められていました。太古から「産み」に関しては、人口が少なかった為に最も神に祈るべき重要事だった様です。

500段の急な階段は、下りる時が大変でした。最大傾斜は70度を超える様な感じであり、手すりも綱も在りません。もしコケれば、大怪我では済まないかも知れません。足腰の悪い人は、行かない方が良い場所でした。
驚いた事は、近くの中学生が部活のランニングを階段で繰り返していました。あの急な階段を駆け足で降りる様は、小天狗の様でした。
次は、那智の大滝へと行きました。


伊勢~熊野、天河へ 7 2009-12-02 11:32:52

那智の大滝は久しぶりでした。二十歳の頃に来て以来でした。
実は行くまで、ただの観光地に成ってしまっているのかなと思い、あまり期待をしていませんでした。ところが近づくに連れて山並みから神気を感じ始めました。結論を先に言いますと、今回の熊野三山(くまのさんざん、1:熊野本宮大社、2:熊野速玉大社、3:熊野那智大社)の中では、熊野那智大社がマシであり、那智の大滝の目前で間近に在る飛瀧神社(ひろうじんじゃ)が良かったのです。
那智の大滝の参道の一番最初に在る大鳥居の前に立った時、奥に在る大滝から走り来る神気、この場合はオゾンの波を感じ取りました。
300円/人の通行料を払い、飛瀧神社が祭られている滝の間近に立ちますと、祓いを受けているのと同じ感じを覚えました。大滝に向かって参拝をした時に感じた事は、仏教系の霊的存在の現れでした。
黄金色に光る背後の光背(こうはい)を背負う阿弥陀如来=大日如来=観世音菩薩の現れでした。大滝を実際に写真に撮りましても、霊眼に映る光背と同じ位置に黄色い枠が写りました。よく実物を見ますと、岩に生える草が黄色く紅葉して光背と同じ位置に縁取りがされていました。自然の神秘を思いました。

初めは大滝に仏教系の形象で現れる意外性を思いましたが、やはり長年に渡り修験道による崇拝の磁気が堆積しますと、その形式に沿った形象が示現する様です。
もしドラエモンを千年間も真剣に神として崇拝すれば、霊的には現実に形象が現れるでしょう。自然界にも形象の転写が起こるかも知れません。この現実界の磁気法則の一つです。
やはり、人間が作成した像を拝むのでは無く、神道のように大自然そのままを素直に拝むのが正しいと思います。
熊野那智大社の本殿の左側には、3本足のカラスを祭神とする御宮が在りましたが、ここは本当に大ガラスの霊的形象が鎮まっていました。霊眼では、黒い大屋根の大きさと同じくらいの大ガラスが羽を広げていると観じました。
自宅に遊びに来る大きな太い本物カラスと同じ気配を感じました。

この後、玉置山の近場の温泉宿に宿泊しようと思いカーナビを設定しましたが、一旦海側まで戻るコースを指し示しました。
しかし地図を見ますと、細い県道の線が那智の山奥から玉置方面にありました。私は熊野の山奥を見たく思い、家族の反対を押し切って地図を頼りに向かいました。
まあ、とんでもない道でした。崖の淵をタイヤの幅しかないガタガタ道路が長く続きました。家族と私の内在神を危険にさらし、大いに反省をしました。田舎の県道は絶対にダメだと思いました。しかし、山奥に住む人々の厳しい生活を垣間見れたのは良かったです。街の有り難さを再認識しました。

温泉宿の近くに在る、大きな古い有名神社にも参拝をしましたが、とても残念でした。
神域には、禁止事項の看板だらけでした。神域にベタベタと何々禁止と、クドイほどあちらこちらに書かれていました。これを見ただけで、管理者の品位と志が分かります。神社の公に対する任務を忘れています。参拝者を信用していません。本殿を参拝しても、残念でやはりの状態でした。
この背景には、多くの人々から金銭を搾取する魔物の新興宗教からの寄付金の影響を、神社側が強く受けている臭いを感じ取りました。残念ですが神は降りません。

この夜、玉置山への参拝に備えて宿で休んでいましたら、地元のケーブルTVの放送により、この狭い温泉街の真下で群発地震が発生している注意報が流れました。
私の重要な参拝の前には、地域の地龍からの御迎えを受けるのは昔からの事でした。


伊勢~熊野、天河へ 8 2009-12-04 11:00:22

熊野三山の奥の宮であり、大峰山の修験道の奥の院でもあるのが玉置神社です。
奈良、京都に日本の首都が在る時代、陰から霊的に干渉していたのが奈良吉野から熊野に掛けての一帯です。後からこの地帯に空海の真言密教も加わり、まさに日本の加持祈祷・呪詛の発信源の磁場と成っていました。天皇の継承問題から政治事件、暗殺に至るまで歴史の陰で干渉していた時代もありました。
人間が持つ思いの力を倍化させる磁場を持つ場所が、この地帯に数箇所のポイントとして太古から在るのです。その内の重要な場所の1つが、玉置神社の神域なのです。

玉置神社の創建は、歴史資料で追える年代でも紀元前まで遡ることが出来ます。自然信仰の場所としての本当の起源は、数千年では済まない場所です。実際に、この神社の神域だけには、近畿圏最大の巨木が数本も在ります。3千年を超える巨木です。
私が玉置へ参拝していたのは、今から25年以上前のことでした。
今回久しぶりに訪れて、その変わり様に驚きました。参道も整備され、木の枝葉も打たれて明るく成っていたのです。昔は自然のままであり、参道も落ち葉の堆積によりケモノ道の様でした。やはり神域の山頂に電波塔が建てられてから、玉置は変わった様です。
電波塔が発信する電磁波が、精霊達を何処かに追いやった様です。昔は参道に入りますと、天狗さんたちが四方を飛び回りながら私に付いて来ていました。その多さは、私の参拝経験の中では随一でした。もし不敬があれば容赦のない感じでした。
つまり、昔は参道の手入れを神社側がしたくても、出来ない様に導かれていたのだと私は思います。自然霊は、木を切る事を嫌がりますので。
自然霊が減少した御蔭で、人間が自由に手入れが出きるのも時代の流れで仕方が無い事なのでしょう。しかし平成の今に、もしあのモノノケ姫の様な環境が残されていればとは思います。将来に通信手段が変更され、あの電波塔が無くなれば、また玉置の精霊たちは戻るかも知れません。
今回、祈祷所の場所では、勧請された眷属が3体ほど寄っているのを観かけました。このまま未来まで継承される事を思います。

今回、玉置に参拝した目的の一つに、昔に私が修験道の関係者から聞いた、ある石像の御神体に関する伝説の確認がありました。
その御神体とは、・・・続く。


伊勢~熊野、天河へ 9 2009-12-07 10:28:50

神道と修験道の聖地である玉置神社の神域の森には、消えた前時代の文明(2万年以上前)の証拠と成る石仏が存在する話が在ります。この話は、今の玉置神社の関係者は誰も知りません。
これは、過去記事
(【青春の思い出 その2 2007-09-17 09:05:36】)の中で書きました、教祖さんたちとの付き合いの中で耳にしました。
その中の教祖の一人が、奈良大峰山の修験道(しゅげんどう:山岳信仰、古神道、道教、仏教などの教えの中から呪術を強調したもの)から独立した会を持つ人でした。
酒の席で玉置山に関する話をしている時に、集まっているメンバーが特殊な少数者だけだったので、秘中の秘と言うことで話されました。
修験道の中で優れた弟子にだけ礼拝が許される石仏が、玉置山の森奥に隠されていると。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の時に、玉置山の石仏は全部破壊されたそうです。その難を逃れる為に、分からない様に特殊な石仏だけが隠されたのです。

伝えでは、礼拝をしても石仏を絶対に見ては生けないと師匠から厳命されたそうです。後で眼が見えなく成るそうです。
これは石仏の稀有な姿を広めない為の脅しだともとれますが、大峰山系に関る信仰には、眼が実際に欠ける眼欠け(がんかけ、=願掛け)の現象が起こるのは事実です。
その教祖は、森深い藪の中に隠されている石仏への2度目の礼拝の時に、なんと上目使いで石仏を見たと言うのです。。。
その姿は、、、過去に見たどんな石仏とも似たところが無い、異国風だったのです。強いて言えば、太平洋の孤島に在るモアイ像だったそうです。

私はこの話を聞いた時、思い出した事がありました。
当時の私は、一人で高野山に隣接する荒神岳に参拝登山をしていました。ここは、スサノオの分神であるシバ神が、青き姿で踊りながら降臨したとされる伝説の在る山です。
空海が高野山を開こうと準備をしている時に、毎夜、雷雲を伴なって現れ、
「我を祭り拝め。さもなければ十万を超える我の眷属がお主を滅ぼすだろう」と空海を恐喝した神霊の居る山です。これに折れた空海が祭った神社が今でも在ります。
この荒神岳から、ある晴れた日に大峰山系を礼拝した時、私は黄金色に輝くモアイ像を幻視した経験があったのです。この時は、その形象の意味が分かりませんでした。ただ、これが金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん:修験道の最高神仏)の本当の姿だと啓示を受けていました。

この経験と石仏の話が、その時にピタリと一致したのです。
そして、今回の参拝旅行により、太古からのストーリーの全容が見え始めたのでした。 
今思いますのは、平成の今の世だからこそ私に明かされた秘事であり、はたして公開しても良いのか?昭和ならば、私は死んでいるかも知れません。



玉置神社の神域に在る神々の神殿に、日本の安泰への感謝を奉納して周りました。
熊野三山の神社の中では、スサノオまでの神名は登場しますが、地球大陸の創造を行なった創造神、国常立太神(くにとこたちおおかみ)を神社本殿の中心に祭神しているのは玉置神社だけです。
伊勢神宮外宮でも「時代」の為に隠されている神名です。それが山奥の古社では、残存しているのは神意かも知れません。
参拝をして感じた事は、「無の静寂」でした。
神様は無言ですが、今の世を厳粛に観ているのを実感しました。幽界の破壊により、世の中に魑魅魍魎(ちみもうりょう)がばっこしていますが、変わるときは一瞬で変わる啓示を受け取りました。
神域に在る古道を歩き、森の奥へと入って行きました。しかし、この日は帰る日であり、これから天河神社に寄って帰路に着くには400km以上を今から運転しなければ生けませんでした。来年に再び来て、隠された石仏を捜す決意をして、途中で引き上げました。ただ、石仏の置かれている状況は幻視できました。通常のケモノ道から500m以上藪に入らなければ生けないので難しいかなと思いました。実在するのは確かでした。縄文杉に手を振り玉置山を後にして、天河へと向かいました。

25年ぶりの天川村でした。驚いた事は、国道から天川に向かう狭い県道に入ったとたんに、磁場の振動数が上がって行くのが分かりました。県道に沿う小川の美しさは別格でした。キラキラと自然の気が漂うのが観えました。
天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ、天河神社)の駐車場は、入り切れないほど満車でした。車のナンバーは全国各地から来てました。いまだに御蔭信仰のメッカと成っているのには、複雑な思いを持ちました。
ここに来ますと、思い出す人が居ます。
天川村から下った市に生まれ、昭和の時代に活躍された女性の事です。(【昭和の残像 2008-01-15 20:35:36】 参照)
自分の足が腐るまで、大白蛇と人々の為に自分の身を捧げた人でした。 



今回、久しぶりに天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)に参りますと、弁財天の化身と呼ばれた女性教祖を応援した大白蛇が、神殿奥に鎮まっていました。
もう完全に休眠状態でした。昭和の終焉と共に、神界から活動を止められています。大白蛇自体も、人々からの欲深い祈願ばかりで、ほとほと人間には嫌気がさしている感じでした。
大白蛇の「生きる寄り代」と成った女性教祖は、いまだに魂は幽界に縛られたままです。白蛇の恩恵を受けた分の恩返しを、助けた人々に成り代わり尽くさなければ生けないのです。まだまだ解放されるには、年月が必要な様です。

考えてみますと、昭和を代表する経済界の神様と呼ばれたM下氏。昭和の自民党を裏から牛耳り、日本の裏世界のフィクサーと呼ばれたS氏。
昭和を代表する、この表裏の大ボスの2名共に、この女性教祖の信者だと公言していました。これが意味する事は非常に大きいのです。
この二人には、全国の教祖連中からの寄付やタカリの依頼が来ていました。この二人に共通したのは、「金は出してやるが、私の名前は出すな。利用するな。」でした。
数々の特異霊能者とも面会したが、最後まで女性教祖を超える人物は居なかった様です。この二人が素直に女性教祖を慕い、信者だと自ら公言したのでした。また、教祖は新興宗教の代表でありながら、高野山の開山1150年記念大法会の導師を夫婦で委任されると言う、密教界でも異例な待遇を受けた人物でもありました。
私が女性教祖を観て感じる事は、その霊視力のスパンの長いことです。おそらく、30年単位を一瞬で観たと感じます。TVで有名な先生方は、相談者が最近食べた物を言い当てたり、本人の成長には意味しない事ばかり「当てて」喜んでいます。
女性教祖は大金を集金しましたが、最後まで困る人々の相談を聞くために日々半日を座り続け、最後には足が壊疽していた様です。この世の贅沢を享受しないまま若死にされました。
憑依の観点と、昭和の繁栄を陰から支えた人物の一人として、この人懐っこい笑顔の残像が私の霊眼に観える教祖を忘れることは無いでしょう。

この大白蛇は、山の谷間に在る天川村において、太古の昔に生息していた巨大な大蛇だと感じます。この村の地形自体が、とても気持ちよいエナジーが「集積する」ので、太古から蛇が集まった土地だと思います。人々の思念が堆積する天河神社よりも、この天川村の他所の方が神気に満ちていました。霊眼では村全体がエナジーのモヤが掛かっていました。
なぜ、この土地が吉祥なのか?
その理由は、太古の太平洋上に浮かんでいた浮島(うきしま)に原因が在ると感じました。
太古の時代、太平洋の浮島上で集められた霊的なエナジーの流れは、
浮島⇔那智の大滝⇔玉置神社⇔天川村、と地図上で一直線に並びます。
( 外部リンク 読者作成) 天川村が地形的にも子宮の役割を成し、ここでエナジーが停留して折り返し、太平洋の浮島に還流すると言う、大地と海のエナジーが和合する霊的ラインが形成されていたのです。 (続く。いよいよ終わるのか?)



天川村の川辺で、私は意識を集中しました。
この時、2方向からの強い神気の流れを感得しました。エナジーの流れが巨大なトンネルを形成する感じです。
1つの方向は、玉置山から流れて来るのが直ぐに分かりました。2つ目の方向を探って観えて来たのが高野山の方角でした。そして、高野山に隣接するシバ神降臨の山、荒神岳( 外部リンク 読者作成)だと確信しました。
この時、私の意識は日本列島の上空から近畿地方を眺めている錯覚をしました。
そして、太平洋上の浮島⇔那智の大滝⇔玉置神社のラインの先の地帯が、三角形の形象で浮き上がっている様に観えたのです。つまり、玉置神社⇔天川村⇔荒神岳のエナジーのラインが、綺麗な三角形を形成していました。
日本列島は大きな龍の形です。その中心の腹に当たる部分に、三角形の刻印が存在するのです。
この三角形は、銀色に輝いていました。霊眼では、綺麗な銀メタルにコーティングされている様にハッキリとしています。あまりにもハッキリしていたので不思議に思い、意識を強めて分かった事は、水銀でした。
この三角地帯の地下には、巨大な水銀鉱脈が存在する筈です。おそらく地下水にも水銀の影響が在ると感じました。この地区で井戸水を飲んでいる人々には、水銀の影響により老後に神経痛や関節の変形が起こり易いと思います。
この水銀の三角地帯は、人間の意識を強める作用を持つと感じます。やはり、霊的に特殊な磁場を形成している場所には、物理的にも具体的な裏付けが在るものなのです。

空海が四国からわざわざ高野山を選んだのは、この水銀の磁場を利用する術を知っていたからです。また、三角形の結界の中には入らずに、隣接する高野山を選んだのも、「下界」と「意識の世界」との間のONとOFFを使い分ける為だと感じます。結界の中では、縛りが強すぎて逆にダメなのです。このあたりの事は、言語では説明できない物があります。
今回、伊勢から熊野・奈良にかけての古い意識磁場を保有する場所に、多くの読者を意識しながら感謝の参拝をさせて頂きました。
やはり、人類の気持ちを飛翔させる時節が到来し、既に始まっていると感じました。
日本は、地球上でも特に霊的に特殊な国土です。この国土の意識が原型となり、世界に転写して行く仕組みが在ると私は感じます。
これから日本国土に住む人々が、内部から分裂して騒乱して行くのか、古来の伝統を維持しながら「現状への感謝」を強めて、色々な物と和合して行くのかを神々精霊も観ていると感じました。
悠久の世紀から見れば一瞬の時代でしょうが、大きな転換点の時です。来年は、色々な意味で「動」の年と成るでしょう。 (終り) 


関連項目



【掲載順序】本ページは「日付昇順」とします。



  • 最終更新:2020-05-29 20:01:08

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