ラマナ・マハルシの言葉

■ラマナ・マハルシの言葉について
目次

目に地球を宿す人

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目に地球を宿す人 2007-08-18 07:41:40

私が本物だと観じた一人に、ラマナ・マハリシがいます。
近代インドに生まれた伝説の聖者です。
ラマナ・マハリシを紹介する本を手に取り開くと、最初に白黒写真で、顔を接写したものが有りました。この記事の写真では無いですが、その写真の目を見た瞬間、地球の姿を霊視しました。
なんと、瞳の中に地球が有るのです。黒目が地球でした。 こんな、人物は初めてでした。
この人は、数少ない人類の共有意識に溶け込んでいる人です。
近代200年間では、たった一人かも知れません。

両方の情熱で成り立つ世界なのです

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ラマナの興味深い発言に、
「瞑想は、自分の想念(自我)が遠ざけられるという消極的な効果しか持っていない。
自分が瞑想しているという感覚を持つ間は、それは真の瞑想では無い。
わざわざ瞑想のために座る間は、自我のリーラ(幻想)から出ることは無い。
真の瞑想とは、自分が瞑想しているという感覚などないままに、生活の中で真我(内在神)にとどまることである」

つまり、自分の生活の中で、「自分を静観すること」が既に「真の瞑想」をしていることに誰もが成ります。
そして、

「人は、神への深い帰依・お任せ・信頼の感覚なしに、ただ機械的に表面的に神の御名・マントラを使ってはならない。
神の御名を使うためには、人は神への熱望と「情熱」、率直な自己放棄をもって神を求めねばならない。
その放棄の後にのみ、神の御名(真我、内在する神、真の私)がその人とともに“既に在った”ことに気付く」

本当の真理は共通する同じものを指します

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私たちは、やがては真我を達成するとか、神様に到達するとか話します。
しかし真実は、達成するものなどは何もないのです。

なぜならば、私たちは「今すでに」真我(内在神)として存在しているからです。
だから、今よりも神様にいっそう近づいている時などは決してないし、来ないでしょう。

本当の自分とは、常に喜びに満ちており、真我(神)として今も存在しており、無限の今なのです。
私たちの意識は途切れることなく、連続的で、永遠なのです。

(感想)
つまり、現状への感謝をすることで、コノ世の時が経てば勝手に果実を手にします。
その成功の果実の因子は、過去の苦しい時代に自分が創造して「既に在った」のです。
これを運命だとか、決まっていた、という解釈は間違いです。それでは時間の錯覚を抜けていません。
貧乏な時代の中に、成功のパターンも同時に存在していました。
それを「現状への感謝」により、自分で「選んだ」のです。

現状への感謝が無い人間は、自ら不幸のパターンを「選んでいます」。
その前に、幸福のパターンも同時に実在していたのにです。

考えるな。悩むな。それ、で良いのだ。

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あなたは、「その」仕事を続ける以外にないのです。あるがままのあなたで在りなさい。

天から降りてくるような物など何もないのです。

人生で必要なのは、自我(ワレヨシ)を失うことだけだ。

あなたは、何を「ただ待つ」というのか?

「私はまだ何も見ていない」という考え、「何かを見たいという期待」、

「何かを得ようとする欲望」は、すべて自我の作用である。

考えること(思考)は、あなたの真の本性ではないのだ。

それゆえに、より高い力(内在神)にそのことを任せなさい(カンナガラで在れ)。

(感想)
コノ世の「見える物事」には、勉強でも仕事でも考えること、悩むこと、が大切なカギです。
そして、「見え無い物事」、心の悩み、願望、欲望、将来の不安、恋愛問題・・・・考えても答えが無い物事は、考えない、悩まない、執着しない、ことが非常に大切だと感じます。

私が感じますには、ただ考えるよりも、思考するよりも、自分の「行為」に任せるのです。
自分自身は考えずに、自分の努力という「行為」に考えさせるのです。
そうしますと、自分がした行為が考えて誘導してくれます。

輪廻転生の完璧解説

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輪廻転生の完璧解説 2013-07-04 10:40:47

(1:質問者):人が輪廻転生(生まれ変わり)するのは真実なのでしょうか?

(2:マハルシ):心の無知が存在するかぎり、輪廻転生は存在します。

しかし、本当は、輪廻転生などまったく存在しません。今も、今までも、そしてこれからも。
これが本当の真理なのです。

(3:質問者):修行者は、修行が進めば過去生を知ることが可能なのでしょうか?

(4:マハルシ):あなたは過去生を知りたがっているが、ところで今現在の自分の人生を知っているのですか? 

今現在を見いだしなさい。今の人生を知りなさい。そうすれば、すべてのことは明らかになるでしょう。

今現在のその限られた短い人生にあってさえ、そんなにも悩み苦しんでいるというのに、
なぜより多くの過去の人生の重荷(カルマ・因果)を、今の自分に背負わせようとするのか? もっと苦しみたいのですか?

(感想)
もし、今の現実も、人類全体で見る集団の夢だとすれば?
そうです、だから「目覚めれば」本当に真から安心します。
本当の自分は、今の今でも絶対安心の布団(内在神)の中に居る「最中」なのですよ。


関連コメント

所詮夢の出来事であるならば、5%運動の意義を教えて下さい。

。。。夢だからこそ、限定時間の中で、汝の欲することを成す。
5%を目覚めさせなければ、夢が見れる舞台が終わります。
それは私の大きな悔いと成ります。死んでも死に切れません。
2013-07-04 18:59:24

自我の産物に注意

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自我の産物に注意 2013-07-05 11:12:31

超能力・霊力は、自我(エゴ)があるときだけ現れる。
真我(内在神)は、自我(エゴ)を超えており、自我が廃止された後に実現(出現)される。
つまり、二つの種類の霊力(シッディ)が存在します。

その一つとは、真我(内在神)の実現へ向けての「障害となります」。
マントラ(呪文)によって、
魔術的な効果を持った何かの薬によって、
何かの厳しい苦行によって、
ある種の瞑想・サマーディ(恍惚の境地)によって、
その霊力は獲得されると言われています。

しかし、そのような霊力は、真我(内在神)の実現の助けには一切ならないのです。
たとえそれらの霊力を得たとしても、あなたは無知のままにとどまるであろう。

もう一つの種類の霊力とは、正しいものであります。
それは、あなたが真我(内在神)を実現したときに「自然と現れる」生命力と知恵です。
それは真我に到達した人が行う自然な霊的修練から発生した真の霊力(シッディ)なのです。

それは独りでに現れ、神から与えられたものだ。
それは、その人の運命(生き方)に従ってやって来るものなのです。

(感想)
この文章でラマナは、自我を売り物にするパワーを持つ人間は、真我(内在神)に目覚めることは無いと断言しています。
そのような奇異(きい:普通では無い物事)を起こさせる霊力こそが、真我(内在神)の発露を「邪魔」しており、人々の無知(苦しみ・煩悩)を継続させるのです。
これは憑依を含めた霊的世界の視点から観ましても、完全に正しいことだと感じます。
自我の売り物は、必ず交換条件とイケニエも求めて「来ます」。

本当の自分に好かれる人に成ることが最重要です

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近代の地球に生まれた最高のインドの聖者・ラマナ・マハルシいわく、

* 「誕生」も「死」も本当は存在しないということを知っておくこと。

* 死ぬのは肉体=今の思考=自我であり、自分の心(真我)は絶対に死ねない不滅の存在であること。

* 生まれ変わるのは魂(心・真我)ではなく、あたかも転生するかのように見える個人の思考=自我にすぎないこと。今の自分の思考の「癖」が、転生するということ。

以上は、私が感じることとまったく同じです。つまり、今の自分が思っている思考こそが、次の自分の転生(てんせい:生まれ変わり)を構築中です。
だからいかに今の生活の中の「思考」と「行為」が重要であるかを、生きている人間は知って置いたほうが良いです。

(中略)

今がどんな環境でも絶対に大丈夫なのです。すべてが100%消えて行く風景(肉体)に過ぎません。
でも、その中で自分が思う内容こそが、最高に大切なのです。どんな環境でも、
* それでも生かされていることへの感謝
* 自分の先祖(遺伝子集合体)への感謝
* 自分の右胸に住まう内在神への感謝
が出来れば最高です。すべての今の課題からの卒業を、本当の自分(良心・真我・内在神)が許してくれます。

本当の自分に「許されること」が、キリストが指し示した死後の「復活」と「再生」の真意です。
ラマナ・マハルシも、「死ぬのは誰か?」を静観するべきとします。
死ぬのは、本当の自分に許されない思考の癖=肉体であり、自分の良心(真我)は死後も生き続けると断言しています。

今の自分の生活が、どんな内容でも大丈夫です。ただし、本当の自分自身(良心・内在神)が許す・認める生活をしなければ生けません。貧乏でも金持ちでも関係ないのです。
自分の良心に嫌われますと、本当にすべてがダメに成って行きます。これが死後にも影響し、次の転生も出現させます。


他人への思いやりの行動は、自分自身を救っていたのです

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近代インドの聖者、ラマナ・マハルシの発言に、
(1) 自分が苦しみを感じた時こそ、他人への奉仕、社会的な奉仕を行い、自分の苦しみを解くことが可能に成る。

(2) その時に、
* 自分は相手よりも上位者であると思っては生けない。
* 自分は神様の手先に過ぎず、「させて頂いている」と思うべきである。

(3) 実際には、奉仕をする側の自分こそが、相手の内在神に対して、SOS救助を求めることに霊的に成ります。

(4) そして、他人への奉仕の行為は、自分の内在神に対しても最高の供物を捧げることに成ります。

(5) 結局は、自分の他人への奉仕行為は、相手以上に自分自身を助けているのが霊的真相だ。
自分で自分自身を救って行くことに成るのです。

このような内容の示唆が有ります。
「他人に対してすること、言うことは、結局は自分自身に対する行為に成る」
ということです。これは本当です。


本当の近道

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本当の近道 2015-11-10 11:49:24

その生涯を、アルナチャラというシバ神=スサノオ神を祭る聖山で裸のままで過ごし、
ラマナ・マハルシの右胸には、スサノオの躍動が今も鼓動しています。
その発言の示唆は、全人類に共通のものです。

(1)すべての人の不幸は、自分の自我(ワレヨシな欲望)のために起こります。
その自分の自我に合わせて、全ての困難が引き寄せられてやって来ます。

(2)あなたの本当の不幸の原因は、あなたの内側に既に有るのです。
それを人生の偶然の出来事としたり、他人のせいにしたところで、いったい何の改善があるというのでしょうか。

(3)もし、あなたがワレヨシな自我を反省し、それを無視することで焼き尽くすならば、あなたは本当に自由になれることでしょう。

もし、ワレヨシな自我を受け入れる(許容する)ならば、それはあなたに色々な制限のシバリを押しつけ、
それを何とかしたいと、叶えることで超えようとする虚しい悪あがきの中にあなたを投げ入れるでしょう。

(4)そうではなくて、本当の自分である真 我(内在神)として自分は在りたいと思えることが、
あなたを冷静な中立(中道)に戻し、
既にあなたの中に在る永遠の幸福感を実現する唯一の方法なのです。

以上は、ラマナ・マハルシの発言を英文から自己解釈しましたが、訳していても非常に気持ちが良いです。
言葉の端々に神気が発散しています。
本当の真理とは、難しいものでは無くて、気持ちが良いものなのです。

この発言の要点は、
* ワレヨシな自分の欲望の内容に合わせて、それに引き合う不幸がやって来ること。

* 自分の不幸の原因は、他所からやって来るのでは無くて、自分の中に既に在ったこと。

* だから、不幸が起こる前に、自分のワレヨシの自我とは何か?
それは何か? 自分は本当に公平なのか? 自分は中道を維持しているのか?
を生活の中で静観して行くこと。

* 今の自分がどんなにダメな人間だと思えても、
自分の中に内在する神様と自分は共に在りたい、
と思って行くことが、不変で永遠な本当の幸福に自分を導いて行く本当の手段であること。

このようなことを発言されています。

ー中略ー

とにかく誰にでも言えますことは、
「自分の中に内在する神様と自分は共に在りたい」
と思えることが、自分の魂にとって最重要なのです。


20150112

  • 最終更新:2015-11-10 20:18:22

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