自我とは(欲望)

自我とは(欲望)について
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目次

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自分の自我(自分の願望の味方です)は、巨大な無意識領域の表面を包んでいる膜に過ぎず、
・ 自分の願望を叶えるには、心の中身を占めている無意識領域の良心の同意が必要です。

逆に言えば、自分の願望を叶えるヒントが、ここに在ります。
・ 自分の良心に対して、自分が努力する姿を見せ続けることです。
他人に自分の努力を見せる必要は無いのです。

自分の努力と、
自分の公平な無意識領域の同意。
この2つが重なれば、その願望は叶いやすいことでしょう。



今朝に感じましたことは、
・ 多くを持っても良いが、「所有感」を無くすこと。
・ 人類の全ての悩みと、不幸感は、所有感を持つことから始まり、不幸の原因となる。
このように啓示されます。

(中略)

所有感こそは、自我(ワレよしの気持ち)の満足感なのです。
所有感=自我の満足
これを満たそうとする限り、その人間に心配が生じて行きます。
自分が所有するモノの中の1つを無くすだけで、多くを持つ人も不幸感に襲われます。

その一方で、何も持たない人も、将来への心配と不幸感を常に持ちます。
それは、自分が何も持てないことが、心配であり不幸だと思い込んでいます。

だから、富裕な人も、何も持たない人も、
・ 自分の所有したい「欲」を、捨てて行くこと。
・ 家族へも、自分の所有感を捨てて、大切に預かっているだけと感じて見ること。



その上で、更に言えますことは、人の「自我」(ワレ良しの思い)の性質を理解しますと、霊的には以下のことが言えます。

* 自分だけの個人的な、希望や祈願は、
・ 強く思わないほど、叶いやすく成る。
・ 祈願したことは、実はブレーキが掛かっています。

そうでは無くて、
・ 自分の希望のための行為・行動に没入することが最大事であり必須条件。
・ 出来れば、無思考でただ、希望を実現するための行為・行動に当たることが、自分の願望を叶えます。

更には、本当に正神が居る神社や、聖地では、
・ 自我の「自分だけの願望」「個人欲」を願うことは、非常に不敬であり、それが叶わないという逆効果に成ることが多い。
・ もし、自分の希望が祈願で叶ったとしても、それは霊的にはブレーキが掛かっていたのが真相。
・ ブレーキが無ければ、もっと良い結果に叶っていた。

・ 正神は、自分だけが助かりたい人を助けることは無い。
・ 全体を、助けたい人が参拝をすれば、正神はそういう人を黙って助け生かします。



「それを求めて行き着く先を、事前に深く理解することによって」
「このまま進めば、どうなるのか?」
これを経験する前に冷静に判断することは、動物には出来ないのです。
動物は、行き当たりばったりに対応します。

事前に判断することが出来るのは、人間だけが持つ能力です。
でも、すべての人間が、この能力を使っているわけでは無いという指摘です。
自分の自我(われよし)の欲望に対して、何が何でもという執着が消え去った者が、冷静な聖者です。
こういう聖者は、輪廻からの卒業が近いという内容です。

(中略)

生まれた時点で、個人によって心境の段階が、過去生の生き方により違います。

今生の自分は、まだまだ「何が何でも欲しい」段階か?
もうそろそろ、パターン(輪廻)を卒業したいのか?
さあ、どちらなのでしょうか?

どちらも、謙虚に、一生懸命に生きるならば、美しい人生です。
ただ、自分次第なのです。
出来れば、事前に想像して、ムダな時間を浪費しないようにしたいものです。



肉体意識>精神意識
肉体>霊体

こういうタイプの人に、上記のような「分かっちゃいるけど止められない」が起こります。
このような状態の人は、
・ 希望を叶える力が弱い
・ 運が悪い

という状態にも成ります。
その理由は、肉体のサガ(欲望)が、霊体を上回るために、「思いの力」が自我(ワレよしの気持ち)により抑えられてしまうからです。

では、どうすれば良いのでしょうか?
肉体のサガが優位な状態の人は、
・ 行動と習慣を変えること。

これが無理ならば、
・ 悪い行動を、物理的に、強制的に、止めること。

肉体>精神の状態では、思いの次元の作用では効きません。
肉体次元に対しては、肉体的な対応、習慣の改善が不可欠です。
これ無しにして、思いの力だけで改善を望むのもワレよしの思いです。自我が優先した思考です。
我慢することも嫌がる、本当にダメな人に成っているということです。

(中略)

自分で節制しないならば、ギャンブルや不倫を止めないならば、自我の欲望からの行動優先の肉体意識の人間のままで、今生を老いて行きます。
肉体意識の我良しからの人間の祈りなどは、見えない世界の次元へは発信も出来ない状態です。
精神意識に変えるという基本設定の見直し、生活習慣の変更が必須です。

また、肉体意識で生きる人は、老けるのも早いです。
特に女性は、42歳を過ぎれば、そういう肉体意識の人は顕著に老けます。

この逆に、精神意識、霊体が肉体よりも優位な人は、老け難い現象が起こります。
こういう人は、思いの力も強く、神縁も出来やすい導きが起こります。



人間は、欲望という「感覚」を満足させるために、生きているのが真相だと示唆されています。
本当の自分を生きるのでは無くて、自分の欲望が満足するための人生を生きているのが、悩める人間の正体だと指摘されています。

誰も本当の自分を生きずに、世間からの視線のために頑張る、他人の視線を満足させるためにウソの自分を生きる。
でも、それは本当の自分では無いから、心底から疲れてしまいます。

他人に良く見せたいという自我(ワレヨシの心)の欲望が、本当の自分を苦しめて行きます。
人間が持つ欲望とは、個人で様々です。年代によっても、欲望の対象が変わります。
ただ、共通して言えますことは、多くの人数の他人が欲しがる同じ対象ほど、欲望を抱きやすいというサガが人間に有ることです。

(中略)

人間は、他人が欲しがるモノが欲しい、という錯覚に欲情して苦しんでいるのです。
お金、健康、長寿、美貌、家、服、異性、地位・・・・何でも良かったのです。
他人が欲しがるモノを、手にしたいだけなのです。
そのようなものが無くても、本当の自分は大丈夫なのです。 (続く)



「〜したい」とは、欲望・願望・希望のことです。
何れにせよ、人は最後まで自我の願望を果たそうとするサガ・性を持ちます。
そういう欲望の自分に気付いた人は、
生きたい、死にたい、も超えて、

・ 「あるがまま」で良いや、というその欲望を静観する自分に気付き始めます。

そうしますと、生きたい、死にたいも、生かされている上でのこと。
どの感情もプレゼントの上でのことであり、「ありがたい」ということに気付き始めます。

ありがたい、の「たい」には欲望が消えています。自我が消えています。
その時に人は、めでたい、すべてが有り難い、という宇宙の実相に触れます。

誰もが生きる間は、生きたい、死にたい、の繰り返しです。
でも、これも二度と無い貴重な期間限定なのです。
どんな状態でも、有り難い、めでたい、を目指して淡々と生きて見ましょう。

今はピンと来なくても、問題はないです。
以上は大体の流れを書きました。
方向性を知って置くだけでも、人は変わって行けます。



人は、欲望を満たせば「満足する」と思うものです。
その欲望を満たせば、ほんとうにそれで終わるのでしょうか?
しかし現実には、人は自分の欲望を満たした後に、時間が経てばより大きな欲望を求めるパターンがあります。

結局は、欲望の火はいつまで経っても収まることが無く、時間が経つほどに巨大化し、切りが無いのです。
これに気付いた時は・・・既に家族を不幸にしていたり、自分が罪を犯していたりとするのも人のサガ(ワレヨシな自我)です。パターンなのです。

(中略)

* 欲望は、満たしても終わらない。より大きくなる。そういうものだ。

という認識の上で、自分なりに欲望を楽しむことが大切です。
* 欲望に呑まれては生けないのです。
欲望に呑まれることは、自分が自分自身の欲望に負けたことに成ります。

では、欲望を満たそうとすることがムダなことならば、最初から一切の欲望を我慢すれば、人はどうなるのでしょうか?

自分は我慢した、という「飢餓感の欲望」だけが増大するのも人間なのです。
人の心とは、何と難しいことなのでしょうか。

これに対する釈尊の答えは、
* 中道(ちゅうどう・真ん中)を心掛けなさい。
* 何でもほどほどで良い。
ということを示されています。

これが終わりの無い自分の欲望を制御する1つの答えです。
でも、中道なんて何かつまらない、と人は思うかも知れません。
しかし、投資については、
* 引き際を知ること。
この駆け引きを知る者が、結局は大きく勝つのです。

人生も、押すばかりではダメに成ります。周囲が離れて行きます。
押したり、引いたり、ほどほどの中間を意識する者が残って行きます。
以上の話は、人生の何についても言えることですから、皆さんの生活の参考にして頂ければ幸いです。



大切なことは、
* 済んだ過去は捨てること。

これを自分の心の中で実践するだけでも、生命力が回復を始めます。
逆に言えば、運の悪い人ほど、今でも済んだ過去の嫌なことを思い出す人です。

ましてや、済んだ過去のことで恨んでいる人は、まったくダメです。
今の自分の生活を過去のために捨てていることに成り、運気は落ちて行き、その継続で来る未来もより悪いものに成ります。

* 今を全力で生きること。

これが最善です。この継続で来る未来は、より良いものに成ります。

(中略)

過去を捨て、今を懸命に嬉々として生きるだけで、なんと恩恵の大きいことか。
死ぬ前までに、自分の自我(ワレヨシの欲望)を昇華させるためにも、
* コノ世に居る間に、済んだ過去への思いを捨てて行く練習をすること。

この練習は、今からの自分を最善にして行きます。
誰もが、今日が誕生日です。


誰もが竹の子 2016-08-19 11:17:50

人は竹の子のように、表面(自我)の黒い皮をむけば、美味しく素直な白い中身が現れます。
でも黒い皮は、風雨や寒暖から中身を守ってくれます。
* 黒い皮=自我(ワレヨシな欲望)
* 風雨や寒暖=社会での試練。危険。

だから生きる限りは、自我を完全に取り去る必要もありません。
ただ、内に純粋な白い中身を持つ自分を忘れずに、意識して守ることが大切です。
* 白い中身=内在神
とも言えそうです。



釈尊は、このリアルな人生でさえも、
* どんな人生も、自分の因果が放射して映し出す映像なんだよ。
* しかも、大勢の他人と同時に同じ映像を見ることが可能な幻想なんだよ。(まさに映画館)
としています。

更には、その作られた映像・幻想を見せられて、どんな窮地に陥りましても、どんな誘惑(ワナ)を受けましても、
* 他人を押し退けてでも、という自我の欲望に負けない人
であるべきだとします。

では、しょせんは作られた映画であるのがコノ世の真相ならば、もう真面目に生きることや、努力することもアホらしい。
・・・・これでは釈尊はダメだと仰っています。

* コノ世が映画(幻想)であると認識をしながら、それでも真面目に、懸命に生きることが大事。

これをすることが強制的で「嫌な苦しい」転生(てんしょう:生まれ変わり)を止める、と示されています。



* 簡単に望みが叶わないからこそ、社会で雑巾のように絞られる苦労をして成長が起こり、人類は滅びないのではないでしょうか。
* 自分の望みをゴリ押ししないからこそ、他人との共存が可能に成り、繁栄するのです。

ここで霊的な解析をしますと。
* 「成りたいようにはならない」・・・・これは自我(ワレヨシ)の思いは、コノ世は叶わないように出来ているのです。
一瞬は叶ったと見えましても、継続はまずしません。長い視点で見れば分かります。

* 「成るようになる」・・・・これは自業自得の法則でそうなります。
真我(内在神)が、霊的借金の量、因果の昇華具合を考えて、本人のための最善に成らしめます。
これは自分の自我の希望とは異なる結果が多いわけです。

(中略)

人生が期間限定である宿命を見ましても、努力することは自我の思いではありません。人が生まれて来ればするべきことなのです。
その結果に執着することが自我の思いなのです。

「あるがままにが最善」を都合よく解釈して信じた怠け者の若者が、老後は悲惨なパターンをたどっているのが現実です。
甘い言葉に酔って遊んでいては生けません。

「成りたいようにはならない」・・・・それでも良いのです。
これが老けないための秘訣であり、まだまだ自分が死ねないと頑張れる長命の原因と成ることでしょう。
そして、それ以前に先ず、

生かして頂いて 有り難う御座います



明るい夜の満月のように、清らかに澄み渡り、曇りが無い人。
自我が欲する欲望の行いが枯れた人。

そういう人を私・釈尊は、最高の人間とします。

(原始仏典 ダンマパダ26章-413)

(感想)
「欲望の行いが枯れた人」・・・・これは若い人間には難しいことです。
むしろ若い時から枯れることが、人間として良いことなのか?という問題があります。しかし、
「清らかに澄み渡り、曇りが無い人」・・・・これは子供であろうが、青年であろうが、老人でも、人間として大切なことでありますし、このような御方が年齢を問わずに居るものです。

人間はどうすれば、「明るい夜の満月のように、清らかに澄み渡り、曇りが無い人」に成れるのでしょうか?

(中略)

大事なことは、愛情の大切さだと思います。
そうしますと最初に挙げました、
「自我(ワレヨシ)の欲望の行いが枯れた人」・・・・・真の愛情を人が発揮するには、「駆け引きのない」愛情を人間が持つには、自我の欲望が無いことが必須かも知れません。

つまり、生きる上での欲望は、特に若い頃には大切ですが、自分が真の愛情を発揮する意味では、自我の欲望が無いことが理想です。
自分が真の愛情を持つ視点では、「自我が欲する欲望の行いが枯れること」は大切だということを知って置いてください。

人は、理想の視点を知っているだけでも、変わって行くものです。
自分の生活の中で、愛情を持つことを意識して見て行きましょう。



欲しい、欲しいという欲望は、投資にも必ず負け、良い結婚相手にも目がフタをされ、仕事の最善の選択も自分から捨てる選択をさせるのです。
これに気付いていない人が大半です。
心の目が開いた人は1割にすぎません。9割の人が自分の自我の欲望に呑まれたままです。

そして、消極的で自暴自棄の「もう期待しない」ではダメなのです。これでは更に落ちるばかりです。
* 明るく自分なりの最善を本当に尽くせば、もうお任せで良い、期待はしない。
という心境が自然と自分で分かります。
* 自我の欲望が自分から落ちるのです。

自分の努力の実行をしない思考だけの人が、努力をする前から、
「しょせん自分はダメだ」「何をしても同じ」「何も期待しない」
と思うだけで終わっています。
* 一生懸命な行動が無いのです。

そうでは無くて、本当に自分の最大の行動と努力を人がした時、明るく欲望も願望も消えて行きます。
中途半端な努力では、欲望は残り続けます。

(中略)

人間は、生きているだけでも有り難い、という真理が本当に分かり始めますと、どんな結果も明るく受け入れて、何でも明るく頑張り続けることが可能に成ります。

もう疲れた、もう嫌になった、と思う人は、まだまだ自分の自我の欲望が強い人です。
これでは「諦めた」と自分で言いながらも、死んでも死に切れない執着が強くて成仏は出来ません。

自我の欲望が脱落するまで「自分なりに」出来る努力をすることに、新しい境地の世界が待っています。
これは、昔の日本人には多かった心境なのです。
大切なことを思い出して行きましょう。


足るを知る者は富む 2015-12-16 11:21:01

(読者)

「足るを知る清貧」より「大欲」の方が尊いのでしょうか?

(中略)

現状で満足が出来る者は、心が安心しており、心配が無く、「今を楽しみながら」心も貯金も豊かに成る可能性が有ります。
本当にお得な生き方が、「足るを知る清貧」だと言えそうです。

しかし、これも「自分だけの世界」のことに過ぎません。私が瞑想を嫌う理由でもあります。自分の世界だけで良く成ることは、本当にツマラナイことに過ぎないのです。
と言いながらも、「足るを知る清貧」を真に実行できる人は本当に素晴らしい人です。
でも、この上を行くのが、

(2)「大欲」(たいよく)
「大欲」を「だいよく」と読めば、大きな自分だけの欲望。
自分だけが良くなりたい、ワレヨシな自我が持つ欲望。
と言えます。

しかし、これを「たいよく」と読む時は、仏教的な崇高な意味に成ります。
派生表現として、
* 「大欲は無欲に似たり」(たいよくはむよくににたり)
* 「小欲を捨て、大欲に立つ」
自分だけの利益を考えることは小さすぎて、アホらしくなる心。
社会全体、全員が良く成らないと満足ができないと思える心。

自分が貧乏であろうが、純粋な火の玉のような少年に成り切って、社会の為に貢献したいと思える欲望を大欲(たいよく)と言います。

読者の質問への感想としては、霊的には
「大欲・"たい"よく」>「足るを知る清貧」
「足るを知る清貧」>~~(大きな差)~~>「大欲・"だい"よく」
と言えます。

やはり、「自分だけの物事で」コノ世を終えるのは、アノ世に帰れば後悔する点なのです。
死後にアノ世という広大な世界が実在することを自分の魂が思い知った時、思い出した時、
* 今生の自分の生活のすべて思い出して、アホらし過ぎて笑います、泣きます、後悔します。
自分は何をやっていたのかと、バカなことで悩んでいたと、小さすぎることで真剣に縛られていたと、思い知ります。



感想としましては、改めて
「本当の自分を生きている人は少ない」
ということを思いました。

大半の人に、
* 他人の思考の生霊を受けて生活している人。
* 自分の自我(自分の欲望)の思いが独立して、本当の自分(良心)を乗っ取り、思わぬ行動をしてしまう人。
* 過去の死者の憑依を受けて、その死者の人生をリピート再現している人。
このような人が多いと感じます。

たまには、今の自分は本当の正直に自分自身を生きているのか?
と思い直すことも必要なようです。
他人の人生を好んで生きている人が多いです。

このようなことを防ぐには、遺伝子を借りている最中の今生の自分の先祖たちに感謝をすることが大切なのです。
自分の魂は色々な時代を生きて旅行していますが、今はこの肉体を借りている最中なのです。
借りた肉体の家賃は、当然に感謝の思いとして、先祖に日々返して行くのが最善です。
家賃を滞納していれば、いずれは遺伝子から出て行けと追い出されることでしょう(病気や死亡)。



私が感じる宇宙は、「白紙状態」という膨大なエネルギーの磁場1つが存在しています。
この「白紙状態」を垣間見た精神世界の人々が、これを「無」と表現しているようですが、それは正確では無いです。
いかようにも観測者=人間により変容する、膨大なエネルギーの「白紙状態」が実在するのが宇宙の正体だと感得します。

ここに大いなるヒントが在る訳です。
コノ世には、戦争や犯罪が後を絶ちません。これは過去の因果というよりも、やはり今の人間が欲望の自我から選択して「新規で」実行しているのです。
白紙状態の宇宙では、人間が選択して「実行」することは、現実に起こり出現するのです。

霊や因果を気にする人は、「今の」自分が主役であり、「今の」自分が原因であり、「今の」自分が選択して実行していることを認めようとしません。
絶えず過去生や、他人のせいや、憑依を恐れます。
ここがダメなのです。自分で不幸の原因を生んでいます。
すべての原因は、犯人は、自分自身である認識を先ず持つべきであることを、この量子実験は証明しています。

これは逆の視点では、改善も成功も、幸福に成ることも自分の今の努力で可能である証明でもあるのです。
観測者である自分が、幸福を選択して努力すれば良いのです。



「コノ世には各人それぞれに応じた3つの大きな欲望がありますが、“その内の1つだけ”でも良いから、自分なりに我慢する習慣を持ちなさい」
(記事:【その人の我慢力がカッコイイのです 2014-10-01 11:34:08】)

昨日の記事で、「我慢するのは堅苦しい」「我慢はストレスが溜まり良くない」
と思われた方も居られることでしょう。
でも、よく読んで頂きたいことは、釈尊は
「3つの欲望の“全部を”我慢しなさい」
とは決して言っていないのです。「多くの欲望の内の1つだけでも良い」とわざわざ仰っています。

「3つの」という数字は、多数を意味する場合の比喩表現でもあります。
数ある人の欲望の内、1つだけでも良いから自分でコントロールする意識を持つことは、人として重要な意味を持ちます。
1つでも欲望を管理出来るか、否かで、その人の人生を決めて行きます。
1つでも抑制出来る人は、やはり自分の全体も管理が出来る人なのです。

(中略)

欲望という表現を、「自我」という言葉に置き換えますと、より霊的な意味がハッキリします。
自我(欲望)に呑まれる人が、真我(しんが:良心・内在神)を心の表面に実現できるわけがありません。
自分の自我(欲望)とナントカ調和を付けて行く中で、大いなる存在の真我を自分の中に感じ始めます。

誰の中にも、絶対安心の「境地」(=真我・内在神)が存在しています。
この境地を自分の中に知り始めることで、本当の安心感、生きる意味、生き甲斐、愛情、というものが理屈抜きに腑(ふ:腹)に落ちるのです。
そう成れるためには、先ず、自分の欲望の1つだけでもコントロールする意識を持つことです。
この過程が、真我の達成には必要なのです。



(感想)
自分自身の志(こころざし:継続してある方向を目ざす気持ち)の重要さに気が付いていない人、または軽視している人が多すぎます。
自分自身の気持ちを信じずに、他人の気持ちを求める人は色んな意味で奴隷に成ります。
自分の気持ちを大切にして、信じることが大切です。

では、信じるべき自分の気持ちとは何か?
自分の欲望(自我)を信じていてはダメです。それを自分の夢だと思っていては失敗します。
そんな夢は長続きしないのです。実現しません。
自分の良心(他のための気持ち)の欲する内容を夢に持つことが大切です。
自分の良心(内在神)が欲しがる内容を追い求めれば、コノ世的な成功は自然と後から付いて来ます。


自分の心を今に置くこと 2013-02-25 10:28:52

何が有ろうと、今の目の前のするべき仕事を懸命にしましょう。
この時に、自分の気持ちを過去にも未来にも飛ばさないことが大切です。ひたすら目の前のことに生きるのです。
このように出来ますと、自分の自我(じが:自分の欲)が縛っていた無意識が解放されて、自分の希望のための霊的活動が成されるのです。
不運の正体は、違う時間軸に飛ばしていた自分の欲望・願望が逆にブレーキを掛けていたのです。
今の目の前の物事に生きれば、大丈夫に成って行きます。



誰もがコノ世で幸福に暮らしたいと思っています。
ただ、自我の欲望に従うだけでは、すべてがダメな方向へ向きやすい時節が始まっています。
しかし逆に言えば、正しい思いを自分が持てば、自分の心が「満足」する方向にすべてが流れ易くなっている時でもあります。


目の前のことが大切です 2012-01-02 11:56:30

だから、自分の希望があれば、そのことばかりを考えるよりも、それでも生かされている現状へ感謝することが、その希望を逆に引き寄せさせます。
自分の自我(我良しの欲望)は、実際には希望を遠ざけるハンディとなっています。
つまり、自分に無いこと・与えられていないことを考えるよりも、今すでに在ることに気持ちを向けることが幸運を呼ぶ秘訣です。
恋愛でも、男性は釣った魚(女性)にはエサを与えない、とはよく言われます。
でも、その魚を無くしてから、その大切さに気付くものです。これはすべてに言えることなのです。



「出すこと=与えることが改善の秘訣」とは、呼吸だけの話ではなく、社会生活や運勢の改善にも言えることです。
昭和までの地球の磁場では、何かを得ようと思えば、「引き寄せる思い」「勝ち取る思い」「もらう思い」を持つことが必要な面がありました。
しかし、今の世界の磁場では逆転が始まっており、上記のような思いを強く持つほど、逆に「失くす方向」に向かう時節に入っています。
今の磁場では、自分から気持ちを「配る思い」「他を思いやる気持ち」「自分が与える気持ち」を持つことが、逆に多くの何かを与えられます。

思いや祈りで何かを実現させる・得る・勝ち取ると言う人がいれば、それはもう古い時代遅れの人です。霊的な時節の変転を感じていません。
霊性の浄化が進んでいる人間は、そのような思いに違和感を感じ出します。何かが重く感じるのです。
心は、これから身軽に成りたがります。

だから勉強や資格試験なども、良い点数を取って良い学校に行き、将来は高収入を目指すなどと考えていれば、勉強は伸びませんし必ず途中で息切れします。
逆に勉強を「楽しむ」視点が学力を伸ばし、資格を持って社会に「貢献したい」という思いを想起することが、自分自身を勉学に「向かわせます」。

自分自身を向かわせる・・・・何か他人ごとのように聞こえるでしょう。
でも、これは霊的な真実です。自分の本心(内在神)は、知っているのです。
間違った自我の欲望が目的ならば、自分の本心からの馬力が出ない時節に入ったのです。
だから逆に言えば、この今の時節の法則に自ら乗れば良いのです。


いつもの現実が大切 2010-10-10 12:13:10

いつもの生活の現実こそが、真実です。
自分の欲しい物や願望などは、コロコロと必ず変わって行くものです。幼い自我の欲望にすぎません。
私は子供の頃、怪獣ガメラに成りたいと真剣に思っていたものです。大空の下でクルクルと何回も旋回していました。皆さんもそうでしょう。
昔はタカラジェンヌに成りたいと真剣に思っていたが、今は結婚をしたい・・・などなど。
必ず時と共に、願望は変化をして行くものなのです。
そんな変化をしてコロコロと変わる願望に、大切な自分の心(=内在神)を痛めては生けません。


願望よりも感謝です 2010-08-13 11:24:05

願望は、自我の産物です。
もし、各人が持つ願望や欲望がイメージで叶う世界が在れば、その世界は必ず簡単に破滅します。戦争も、国家が持つ自我のために起こります。
なぜならば、もし同じ願望を持つ人が居れば、どうなるのか?
もし一人の男性を巡って、結婚を望む二人の女性が引き寄せ術を駆使すれば、どうなるのか?そこには相克(そうこく)、念の争いしかありません。
もし祈願で会社が大きく成るならば、陰では淘汰される会社も有るのです。正神が、そんな事に加担すると思いますか?
つまり、引き寄せや、願望実現を宣伝しているのは、破滅させる為の魔界からの干渉です。その証拠に、こんな説を言う人は、他人を搾取してぜいたくに遊んでいる有料先生ばかりです。正しい人々を迷走(めいそう)させて、厚顔で遊んでいます。あまりにも低い境涯で呆れます。まさに動物性根の神経です。

関連コメント

「自我の根幹には大我がある、大我とは大きな夢をもつこと、自我を否定せずそれを大きく広げて深めてそこと繋がる」という考え方は正しいのでしょうか。仏教です。
自我を否定せずに逆に大きくすることで大きな夢を叶えることが出来るのでしょうか。
それは魔境に陥りやすいと思うし、私には方便に聞こえるのですが。自分を表現するだけで、何というかスケールが小さいと思うのです。どう言えばいいのかな。後に繋がらないというか。良ければご意見下さい。

。。。自我が持つ夢や欲望には切りがない。
それでは最後は自滅します。
2019-11-27 09:19:28


繰り返す欲望に対して、《その欲望の奥に隠れている自分の自我というものを静観することを覚えておくように、これにより、色々な欲望が終息して行く可能性がある》というような記事が2015年6月29日にありました。
何でも元を観る大切さ 2015-06-29 11:16:27】なぜ静観することで、欲望が終息して行くのでしょうか?
1、自分が素に帰る。
2、欲望が「ばれたかー」と去る。
3、自分のパターンに気がつける。
4、感覚にだまされなくなる。
5、その他。

。。。。2,3,4
2017-03-12 20:51:50


ブログのなかでよく仰られている「事前に想定したことは、無難になります。無難にできます。」についてです。
私は昔からよく不安なこと心配なことを想像してしまいますが、この言葉の通り不思議とその通りになることは過去になかったように思います。
しかし、残念ながら同様に良いことや期待、希望することを想像してもその通りになることはほとんどありません。
質問1、この「事前に想定」は良いことに対しても当てはまりますか?

次に、巷のスピリチュアルの本等でよく見かける引き寄せの法則の中では、引き寄せたいことをリアルに想像するとよい、と言われ、悪いことをリアルに想像することで悪いことも引き寄せてしまうとも言われているものが多い気がします。ですので、今まで私は悪いことを想像することに対して少し怖れを抱いていました。
しかし、このブログで「事前に想定したことは無難になる」という言葉に出会って安堵し、これまで自分が悪いことを想像しても現実にならなかったのはそういうことだったのだろうかと思いました。
質問2、引き寄せの法則と「事前に想定」は仕組みが異なるのでしょうか?なぜ事前に想定することで無難にできるのでしょうか?

。。。事前に想定すると、注意するから無難になります。

泥棒を想定すれば、防御をするようにです。
泥棒を思いもしなければ、カギもかけ忘れるかもです。

良いことを期待するのは、自我、欲望の肥大に注意。
引き寄せも、我欲の肥大化に注意。自我が大きくなります。
2016-10-14 22:37:11


麻雀やら、賭け事に関する質疑があったので質問させて下さい。
私も20代の頃、パチンコやら、競馬やら、周りの人が暇さえあれば話していたので、私も話の輪に入りたく思い、何度かトライしましが、ギャンブルには全くもって興味が湧かないどころか、退屈で苦痛すら感じました。
他人様と比較するつもりはありませんが、このギャンブルに興味が湧かない私の性分とは一体どういうことなのでしょうか?

。。。そういうものを卒業しているからです。良いこと。
賭け事=自我の大きさ=迷い、不運が大きい人。
2016-10-14 15:55:40


麻雀は、金を賭けてはいけないのは何故ですか?

...........欲望は自我の増大。これで悟るのは無理。
コレぐらいは、常識で分かって欲しいものです。
2016-10-13 14:15:01


>自我の欲望が脱落するまで「自分なりに」出来る努力
>をすることに、新しい境地の世界が待っています。

「欲望が脱落する」「脱落していく」過程として、「悪い思い」や「自我の欲望」や「誤った性的嗜好」(私の場合)がやめられず、もはや飽きてきてしまった、だんだんつまらなくなってしまったと感じたときも、「脱落」にゆきつくのでしょうか(努力しているわけではなく、もうこんなことよそうやめようと思いつつも、それに惹かれてつい手を出してしまうという場合ですが)。こんな場合でもまだ、執着から離れられるでしょうか。

。。。。自分のことだけ、では堂々巡り。
生活努力と、先祖への感謝を普段の中ですることが大事。これ次第です。先祖への感謝磁気を貯めることが、守護に繋がります。
家系の水子にも感謝をしましょう。応援されます。
実践が自分に教え、先行きを導きます。
2016-02-24 12:31:34


大元は神様は御一人(?)の存在であるのに、なぜ人間は争いをするのですか。なぜ他への殺戮をするのですか。

。。。。人間の自我の欲望からです。
2015-01-11 19:28:33


「水は自然と流れるが、人間の思惑は“逆向き”に流れる」【気付いて「行く」ことが、何にでも大切 2013-07-22 11:13:55】意味がわかりません。何を言いたいんですか?

。。。人間の自我の欲望は、反対の結果を呼びます。
老子の言葉
詳細があります。
2013-07-22 22:28:00



  • 最終更新:2022-04-05 13:03:55

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