神道(祖霊崇拝)

神道(祖霊崇拝)について
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日本人は太古から、自分たちの先祖霊を大切にする「祖霊崇拝・それいすうはい」という行為を大自然の中で綿々と行なっていました。
そこに伝来した仏教思想も加わり、先祖供養という形で更に強化されました。
つまり、日本が他国と違う大きな特徴の根底には、「遺伝子へのケア」が存在したということです。

これが色んな開発・発明へのインスピレーションを、遺伝子を通じて子孫に教えています。
外国人の方も、精霊が多い日本の地という土壌において、遺伝子へのケア(先祖への感謝・先祖供養)を行えばやはり変化します。


神が押す国 2011-08-11 11:31:31

キリストにしても同じです。キリストを送り出した(生み出した)背後の創造神を思う必要があります。
自分の先祖→肉体を持ったキリスト→創造神、という繋がりが在ります。この世は、たった二人の人類から始まっていますから、すべての人類には遺伝子の繋がりが生じています。
どの道でも、自分の遺伝子(先祖)へ感謝をすることが、神へと接続される一番に安全で現実的な方法です。
この日本は、天皇陛下を始めとして、祖霊崇拝(それいすうはい:先祖を大切にすること)の国です。祖霊崇拝は、神社の氏神信仰の起源なのです。


七夕の意味 2011-07-07 11:27:00

七夕祭りは、本来は旧暦の7月7日の行事ですから、今の8月7日ごろに行われた行事(祭り)のことです。
ちょうど霊的に非常に重要な、8月の中旬の先祖を迎える「お盆祭り」の一週間前の8月7日(旧暦の七夕・7月7日)に、先祖を迎えるための目印となる旗や、先祖名が書かれた新しい短冊を準備したのでしょう。
要は、先祖供養のための準備を始める日が、七夕だと私は感じます。
夕という、夕方の漢字が入ることも、黄泉の国(よみのくに:霊界)を連想させます。

男女の星が1年に1度だけ会うことが許された日が七夕だとする伝説も、先祖と子孫が1年に1度だけお盆に会うことが許される霊界の仕組みからの転用だと考えれば、つじつまが合う感じがします。
七夕を祖霊崇拝(それいすうはい:先祖供養)の視点から上記は書きましたが、七夕を神道的な視点で観ますと、少し違います。

(中略)

つまり今日は、祖霊崇拝の視点では、8月のお盆の準備を始める日でしたね。そして、仏典で言う新しい仏・ミロク菩薩(ぼさつ:修行者)が現れ始める日だとも感じます。
今日を境にして、民衆が新しい視点で生き始めるかも知れません。楽しみですね。



21世紀は、人類の遺伝子がククリ直される世紀であると神示は示します。白山神(ククリ直す神性)の本性が地球に発露する世紀です。
つまり、生物の新たな進化のジャンプが精神面「から」起こるのです。それは遺伝子への感謝磁気の干渉から始まります。
これを促進させるのは、外来の仏教からも先祖供養と言う概念を「突出させて創造した」日本の文化にあります。
二千年以上前の神道は、神祭りと先祖崇拝を一体化したものでしたが、今の社会風習では分けられています。やはり自然界の精霊と先祖霊を両方意識した、生かされている原点への感謝の祭りがカギを握ります。
先祖霊や生きる人間への「思いやり」を意識した行為が、遺伝子の正常化を生きている人間にも起こす世紀に入っています。奇跡的な改善が起こる世紀です。ただし、外在への依存は魔逆な悪化を起こす世紀でもあります。自分の心を見つめることが大切です。
自分なりの感謝の気持ちを発露させて生きましょう。



鎌倉時代にワザと外来宗教である仏教を爆発的に流布させて、自然崇拝だけの国であった日本に、個人の魂を癒す概念を普及させています。
ただ、いまだに未完成な信仰の面があります。
自然崇拝と個人の供養が、まだ今までの日本では分けられて来ました。
神道と仏教というように、別物にされているのです。
しかし、これでは遺伝子をククリ治すことが出来ないのです。
太陽神である魂の親である天照太御神(アマテラスオホミカミ)を祭事した下方で、個人と先祖の魂を癒しケアすることで、遺伝子の霊線のククリ治しの革命が起こります。
これに気付いて挑戦したのが、日蓮(にちれん)さんでした。しかし、志(こころざし)なかばで終わっています。


自然との共生が神道 2010-02-08 10:28:53

神道とは何か?と問われれば、大自然に感謝をする教えです。感謝をするだけでは無く、自然の中で「生活」をする教えでもあります。
伊勢神宮などは、まさに自然素材だけで生活をする知恵の実践を、神を祭る神事として毎日実行されています。

(中略)

逆に神宮に不足しているものは何か?
これは、先祖霊への感謝の行為が流布されていません。ただ神道的には、先祖も死ねば大自然に同化すると考え、大自然に感謝をする事=先祖霊への感謝、に成るとは言えますが、少し先祖への気持ちがボヤケます。


決して一人では無い 2010-01-27 10:45:05

大昔の神道系の文献や古神道の奥義書では、神様の事を「長物、ながもの」と表現する記述がかなり見られます。
伊勢神宮の内宮にも、毎夜のように五十鈴川から這い上がり体を引きずりながら内宮本殿に向かう長物の記述が文献に在ります。
自然界で長い物と言えば蛇です。奈良三輪山の信仰でも蛇は古来から尊重されています。その理由は、長い物の象徴だったから、たまたま蛇も尊重されたと感じます。神霊のエナジー体が起こり移動する時、大きな蛇の様にクネり渦巻ながら移動する様を霊視して、蛇をその象徴としたとも言えます。

(中略)

私たちも先祖が繋いだロープの先端だと言う視点で考えますと、霊的には人間も「長物」だと言う表現は正しくて的を射ていると思います。
この宇宙の物質も全て、形は変化をしても軌跡として1本に繋がっているのです。
目の前にある鉄も、元は石から抽出して出来ています。石は地球から生まれています。その繋がりが霊的には1本のロープ=長物と言えます。
この世は、目に見えない「長い繋がり」=「長物」で構成されている様です。


信託はダメです 2009-09-19 10:44:08

信じるべきモノは、絶対に明らかに存在するモノで、誰もが見られるモノを信じるのが間違いが無いです。
神様を見たと言ったところで、個人の世界での事です。誰もが見る訳でも無く、その存在の正邪は別の話です。
信じても絶対に裏切らない存在。明らかに存在すると誰もが否定できない存在を信仰すれば間違いは無いです。
それは、祖霊崇拝(それいすうはい)です。
ようは先祖霊を信仰する事です。神道の原点です。
自分が存在するのは、先祖が存在したからです。だから、先祖の霊を信じるのです。
氏神信仰の原点も、地域を束ねる家系の先祖霊を、世話に成った住民全体で信仰したのが始まりです。
伊勢神宮の内宮は、皇室の先祖霊を太陽神として祭事した神社です。そして国土に住む住人の多くと共に信仰しているのです。
皆さんが自分の先祖霊を信仰する事は、神様に繋がる神道を実践している事に成ります。


切断されるな! 2009-06-25 11:07:31

日本の神道も、途中から祖霊信仰が神祭りから軽視され、別けられてしまいました。
これは、生命を繋ぎ循環させようとする産む神と、生命の「循環の輪」を分断させて魂を食べようとする魔物との攻防が、地球レベルで太古から有った影響からです。
この因縁の影響が、地球レベルで色々な文化の根底に反映されて来ました。
2つの大いなる存在の攻防は、地球における生物の進化には必要だった様です。

先祖供養を通じて正しく産む神様と繋がりますと、日常生活で気付きが起こり、人間は目覚め始めます。


全ては1つに帰る 2009-06-04 11:12:50

釈尊が誕生されたインドでは、古来から庶民が亡くなっても御墓を造る習慣がありません。現代でもそうです。
遺体を火葬して、川に流して海に帰すのです。
原始時代に生物が海から誕生して、陸に上がった道理から考えても、陸で死を迎えた生物が海に帰るのは正しい循環だと思います。川の水に乗って海に帰るという、とても神道的な世界観がそこにあります。

(中略)

神道の原型は、恵みをもたらす大自然=神へ「感謝する事」しかありませんでした。だから、死者にも感謝の気持ちを捧げていました。 太陽の動きに合わせて、決められた時期・季節に合同で感謝の磁気を先祖霊へ捧げたのです。

(中略)

日本神道は、死者の葬儀を仏教に渡した事は間違いです。
穢れの思想により、神様と死者を切り離してから日本の霊性は、縄文以前からの正しい霊性を無くしていきました。
神様を独占し、専売特許の売り物にする様な管理体制だけが進展したと感じます。流派ごとに独自色の祝詞を捏造して、自己主張ばかりが目立って来ました。
そんなものは、神様に一切通じません。


代償行為と切断 2009-04-04 10:19:55

現在は神道から線香秘儀が消されていますが、神道に道教が取り込まれた当時は、神事に線香が使われていました。
この秘儀は後世に神道から分けられて、皇室では後の香道(こうどう)の原型となる作法として伝承されました。
道教では祭事において、今でも大きな3本線香を使用しています。

では私が行なう、この方法とは何か?
それは、感謝の先祖供養3本行為の中に、言霊とタイミングの全てが凝縮されています。
これに加えて自分供養も行なえば、見えない霊的世界で発動しているものには、大きな事が起こっています。
3本目の「その他もろもろ」の線香では、悪い霊的磁気が寄るどころか、本人が元々保有する悪い霊的磁気を焙り出し、消去しているのです。
臭いものにフタをして隠し逃げたところで、本人の運勢は好転しません。迷いの磁気を抱えたままだからです。


先祖霊を太陽に帰す 2009-01-31 09:50:50

御先祖様に神道の天照太御神とは、合わないのでは?
変ではないか?と一般の方は思うかも知れません。
この神意は、天照太御神は一つの宗教の神では無く、生き物の親、私達の命が来た元だからです。
天照太御神の御姿は、本当に太陽の姿で現れます。
神霊が現れる次元を落とせば、色々な人間的な姿を帯びるだけで、最高次元の正体は太陽とそっくりな姿です。
御先祖様も亡くなれば、命が来た元である太陽に帰られる事が本当の成仏であり、正しい事なのです。


毎日の供養が勝る 2008-12-17 18:21:16

人型をした紙を自分の背中や病気の箇所に当て、教えられた呪文を唱えて紙に息を吹き掛ける御まじない修法があります。 神道系の新興宗教や一部の神社でも宮司の一存で行っている所があります。
この紙を配布元の組織に送り返して御祓いをして頂く事になります。この時に良心的な組織ならば、自分で任意の金額を振り込むか納める様に指示されます。
しかし悪質な組織は、郵便によるダイレクトメールで一方的に人型祓いの用紙と、その効果の宣伝文を送って来ます。

(中略)

問題は年に数回ぐらい、人型による代理祓いをしたところで、その霊的効果は薄くて気休め程度です。
日々の生活の中で、自分で迷いの磁気を祓う事が大事です。
先祖供養の短冊は、実は大変に優れた自分の身代わりの作用をしてくれます。


神の心に至る道 2008-10-02 18:46:51

自分の内部に存在する神を求め、外部の神には、ただ礼を尽くして感謝を奉納する。
感謝の先祖供養は安全に、しかも早く神へ至る道を示してくれます。 自分が一番強く影響を受ける先祖の霊系を使い遡るのです。 神に向かって。
これには、感謝と「寄り代」という、古代から存在する最も古い霊的エッセンスが内蔵されています。
寄り代(よりしろ)とは、古神道の奥義であり、秘儀の根幹を為すものです。
皆さんが実践する、短冊に先祖霊を呼び祭る行為です。
これには、とても強い実践力が有るのです。
自分自身に一番強く作用する霊系を使用するからです。
近年にあるオカルト技法などは、幼くて比較に成りません。


3本で思いっ切り生きる 2008-04-25 19:36:30

御自分の手足を見てください。
この肉体は、勝手に生えて来たのでは無いですよね。
肉体を有する短い人生期間は、どうしても先祖霊の状態の反映を受けます。
精神世界の自称専門家でも、自身の先祖供養が届いていない状態で、神や天使がどうしたと講釈を述べています。
神道家でも、先祖供養が疎かな人が大変多いです。
先祖霊の迷いの波動を受けたまま、精妙な神霊と感応する事は不可能です。 迷う先祖霊を無視して感応できる存在は迷いの世界の存在です。

関連コメント

先日のお彼岸に奈良の春日大社に行ってきました。これまで何度か足を運んだことがあっても行かなかった方になぜか足が向き、行ってみると先祖供養の特別参拝場所が設置されていました。「線香で先祖供養をする神社」となってあり、ビックリでした。神社でなぜ線香を使うのかとても興味が沸き、後になって宮司さんに聞けばよかったと後悔しました。これは珍しいことではないのでしょうか?起源はどこから来るのでしょうか?

。。。古い神社ではそうです。古神道の残存です。
神社と先祖を分けたのは明治維新以降の近代のこと。
2015-10-06 14:11:47



  • 最終更新:2021-12-22 23:25:55

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