太陽信仰・自然崇拝

太陽信仰・自然崇拝について
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日本という国は、科学技術がどんなに進みましても、大自然の精霊への信仰(=神道)が廃れないという、地球上でも珍しい国柄です。私はこのことに、地球への大切なカギが在ると感じます。
アジアにおきましては、バリ島などでは精霊信仰が盛んですが、多くの国が産業の発達と共に固有の精霊信仰を捨てて、キリスト教やイスラム教などに置き換わっています。

伊勢神宮にしましても、欧米の研究者の発言を見ますと、固有の土着信仰という評価をしているのを感じます。
しかし、古代ユダヤ教の研究者が伊勢神宮を見ますと、良い意味で黙ってしまうのです。
神宮の鯨幕(くじらまく)の習慣や、遷御の儀(せんぎょのぎ)において、御神体を幕で覆ってお運びする様子を見ますと、驚いて押し黙ってしまいます・・・・。

これから大自然への感謝を習慣でしている国(氏神信仰)と、人間を崇拝する国との差が出るでしょう。地球がどちらを評価するのかは、今後は明らかに成ります。
日本とは、人間を崇拝するような信仰は、霊的に不敬になる国柄です。信仰するべきは、太陽(天津神)と大地(国津神)なのです。
天皇陛下は、日々、民衆のために太陽と大地への平穏と感謝を捧げておられます。


知る前の静けさ 2013-10-29 10:16:44

地球とは生命体であり、生き物であるが故に「気持ち」が在ることを日々に感じています。
「地球の今の気持ちは何だろうか?」
と人間が意識を地球に向けるだけでも、微細な電気信号が脳から地球に走り、地球が認識するのを感じます。
だから、地球に感謝の気持ちを送ることは、とても重要な意味を持ちます。
日本の神道は、以上のことを日々に行う「道」であるのが本質です。
神道=地球への感謝をする道(行為)です。


太陽への感謝が大事 2012-07-04 10:14:53

日本が今の太陽から注目されているとは、光栄なことです。
太陽に向けて感謝の思いを持ちましょう。必ず聞いてくれています。
太古の信仰がすべて太陽信仰であったことには、単純に理由が在るのです。
私は太陽の奥に、超高度な知性と愛情を感じます。
この「愛情」を感じるということが最重要なポイントでありまして、他の惑星からは決して感じないことなのです。
太陽には、神様の秘密が必ず存在しています。
単純に純粋に太陽に感謝することが大切であり、最も有効なのです。

日本は、太陽を国旗に掲げ、太陽神・天照太御神を崇拝する国柄です。
太陽信仰を忘れない限り、必ず強力に救われて行きます。
世界を助けるためにも、日本が頑張る必要があります。



見える人物像や物を信仰する文化とは、実は誰にでも分かりやすいのです。
しかし、見えない物を信仰する、しかも他人からの強制がなくて自然と根付く信仰には、人間側に高度な精神性が必要とされます。
自然崇拝は世界中に存在しますが、人間が大自然の精霊を凝縮して表現した形が伊勢神宮などには在ります。

神社には社殿などの木と植物で造られた外見が存在しますが、社殿の内側の何も無い空間を「神の間」として祭ります。
神=空間=空気でもあります。神は「無」であるという見えない机上の観念だけではなく、空間とは見えない神気が寄る・泊まる・宿るという実践的な霊的側面の理に叶った形でもあります。


大丈夫に出来る 2011-09-09 10:45:48

どんな原始信仰を見ましても、すべてに太陽信仰が関与します。特に日本では、すでに縄文時代には太陽の軌道・レイラインを意識した自然崇拝がなされていた痕跡が、巨石信仰などから考察されています。
伊勢神宮を見ましても、太陽が昇る伊勢の地を太陽神の国とみなし、太陽が沈む方向の熊野地方をアノ世(冥界:めいかい。死後の世界。夜。)のスサノオ神の国とみなした信仰の形態がなされています。
この縮小版といいますか、霊的な原点の「型」が、伊勢神宮の伊雑宮と、近所に在る佐美長神社という2箇所でも表現されています。
要は、この世で見えない世界のことは、すべてに太陽が関与するのです。

問題は、この太陽が、生きた生命体だということです。個人の運命から、生命誕生まですべてに関係しています。社会の経済活動も、太陽黒点の活動とリンクしている統計が検証されています。
死後にも太陽は関係します。皆さんも死後に普通の霊界に行ければ、そこでも太陽が天に存在するのを見て、思い出すことでしょう。
私の記憶では、形は今の太陽と同じですが、オレンジ色が強くなり見詰めても眩しくは無いです。ある神界は、太陽の中の次元に在ります。
つまり、昔の人がしていたように、太陽を直接に拝んで感謝を捧げることは、意味を持ちます。


いろんな自衛対策 2011-07-29 10:39:30

日本の神道は、古来から太陽自体を天照太御神として、感謝を捧げて来ました。
太陽を鎮めるには、人間が出す感謝の磁気が必須なのです。
太古の人類の大半が、太陽信仰をしていたのは古代遺跡からも明らかです。キリスト教でさえも、その本当の起源はキリストという個人ではなく、太陽信仰に原点が在ります。釈尊も、太陽族と呼ばれた民族の族長でした。

生活の中で太陽に感謝しながら、生きてみましょう。生きる御神体(太陽)への感謝は、よく自分自身へと反射します。
そして、すべてを無難へと鎮めます。



神道とは本来が、すべての自然現象にご神名を付けて、神様として畏(おそ)れ感謝を捧げて静観する教えです。
人間が祈願により大自然に干渉する思いを持つなどは、本来の神道は持ちません。
祝詞を優しく読み上げて、神様に感謝を「申し上げて」、後は神様にお任せします。

自分が(我)台風を曲げた、遠ざけたと主張するオメデタイ先生がよく居ますが、気の毒な人は置いておいて、多くの人間一人ひとりが地球への感謝の思いを持つことが一番大切であり、今求められていることだと感じます。


地下湖と崩落地震 2011-06-18 10:12:37

これには天空の異常気象だけではなく、地下水の状態が地熱による影響を受けて、地球規模で枯渇を始めているのが原因にあると感じます。
ただ、日本はまだまだ地下水脈が豊富です。おそらく、地球上では最後まで水を宿す大地に成るかも知れません。
しかし、これには条件があり、水を呼び宿すという大地への感謝の信仰が不可欠なのです。
過去記事(【海外出張中 感じたこと2 2011-05-23 17:33:36】)にある、ワニが水を呼ぶ理論と同じなのです。
日本人ならば、ワニ以上に自然崇拝が出来ると確信しています。
極端な話ですが、もし他国が、日本の水源欲しさに侵入して来ても、日本人が居なくなれば水も必ず消えることに成るでしょう。
日本各地の氏神神社とは、水源の維持装置でもあるのが、霊的な日本の真相なのです。神社とは、水神信仰でもあるのです。



神様という存在は、黙って陰から支えておられる自然霊です。常に何事も浄化する方向に動きます。
汚れた物が在れば、風を吹かせて雨で流し、大海原で塩漬けにした後、太陽熱で蒸溜して昇華してしまうのです。
絶えず地球を清浄にするように動きます。だから、地球の青さ=神が居る証拠です。
この尊い働きに対して、誰からも感謝されなくても、たんたんと生き物が生きられるように提供し続けてくれます。
感謝どころか、近年100年間の人類ほど、この浄化作用を妨害して踏みにじった人類はいません。

大自然などは、人間の不便という名の下で「苦にされて」、「ほめられもされていない」のです。
宮沢賢治の詩に在る、
「みんなに、でくの棒と呼ばれ。ほめられもせず。苦にもされず。」
のような、最下層の存在に近代の神=自然霊はされて来ました。地球上での最大の下働き者とは、神のことです。
キンキラ衣装を着た神などは居ません。
神を真似る人間が、キンキラ衣装に身を包み、「不幸な人々から」集金して御殿に住んでいます。
ボロボロにされている無言の下働きをする本当の神が、そのような連中を見れば、どうなのでしょうか?しかも、神様の名前を利用してです。
不幸な人々が「信じたい」本当の神は、御殿に居るのではなく、人々の心に「既に居ること」を本当の神ならば気付いて欲しいでしょう。

自然が在るのがアタリマエであり、自然の浄化作用を迷惑にさえ思う人間を増産して来たのが今までの時代です。
本来の日本神道は、「大自然への感謝」を忘れないようにするための「行事」をするのが本意です。
それが、大自然(神)をいじめる人間活動(開発など)を祈り、社会の集金活動を祈り、神に申し上げているのです。
これでは、大自然を鎮(しず)める能力を無くしてしまうのは、当然なのでした。



神道では、大自然が動いた時は絶対に人間では抑えられない恐怖を知るがゆえに、古来から「平時」(へいじ:変わりの無い日常)における祭りを重視して鎮める行為を行ってきました。
動き出しそうな自然(山・海・川・風・太陽・・・)に神名を付けて、「感謝の気持ち」を捧げることで鎮める祭りをしていました。
近年では、本来は大自然を静かに鎮めるべき「要所」である神社が、大自然よりも人間の個人欲ばかりのスポットにされています。
心有る人々から、「生かされている感謝の気持ち」を神社や自分の社会生活の中で、「意識をする」ことが大切です。
感謝の気持ちで止まるものか!と思う人は多いでしょう。
しかし私は、感謝の気持ち1本で、精霊が反応する様相を観てきましたし、現実生活の中での改善を起こすことを数多く体験しています。
本来の神道の行為が、最高・最善・最短であるのは間違いが無いです。


自分なりが最善です 2010-01-19 15:08:00

全ての信仰は、太陽信仰に行き着きます。特に日本の神道は、太陽信仰をそのまま継続してきた信仰であり、これ以外の細かい教義は本来は無くて不要なのが真実です。
細かい教えの全てが、信仰を金銭に変える為のただの人間心による手段だったのです。自分自身を権威付ける為に、わざと特殊な内容を言い出します。
近世では、神道界における京都の吉田家などが有名です。神職の免許を認可する様な権威職が存在したのです。この様な特殊な数軒の家系が、平安期以降の日本の神道信仰を牛耳って来た歴史がありました。
特殊な祝詞や秘密事を個人で創作しては、教える代わりに金銭を得ていたのが実態です。この為に現代では、ムダで効果の無い祝詞や呪文だらけです。
私の感覚では、大祓詞(おおはらえのことば)1つだけが神界の波動を「発音」に変換した祝詞であり、その他の全ての祝詞は個人による人造捏造です。


伊勢~熊野、天河へ 7 2009-12-02 11:32:52

もしドラエモンを千年間も真剣に神として崇拝すれば、霊的には現実に形象が現れるでしょう。自然界にも形象の転写が起こるかも知れません。この現実界の磁気法則の一つです。
やはり、人間が作成した像を拝むのでは無く、神道のように大自然そのままを素直に拝むのが正しいと思います。


妊娠のヒント 前説2 2009-11-13 11:12:38

粘菌は絶対に死なないそうです。どんな過酷な状態でも潜伏する事が出来ます。砂漠には、砂漠なりの人間と菌との共生関係が存在し、それが住民の肉体と志向性に現れているのです。そこから地域特有の精神性を持つ宗教が誕生する訳です。
日本には、国土に存在する菌の状態から生まれた信仰が必然的に合います。日本の場合は、日本に自生する植物を保護する信仰が最適です。日本の宗教=森林保護教が最適なのです。これに一番近い形態が、神道に残存するとは言えます。


そのままで良いのだ 2009-10-25 10:23:21

伊勢は、海から朝日が誕生する「太陽が産まれる国」。
熊野は、伊勢から見ますと太陽が隠れる「黄泉(よみ)の国」と、古代の神祭りにおいて認識されていました。その結果、地域に祭る主宰神も、
伊勢=太陽神=天照太御神。
熊野=黄泉の神=スサノオ。
と認識され、それぞれの地域の多くの神社における原初の祭神名は、この二つの神様に綺麗に分かれていました。
時代が進むに連れて、人間心で祭神が勝手に増やされ、この二つの神様の区別がボヤケつつ在ります。
日本神道=自然の教え、が本質です。
太陽の動きにも神様の働きを感じ、神名を変える事により、自然界への作用を表現していました。
天照太御神=太陽光=植物・生物を活動させる。
スサノオ=月の薄光=生き物を休息させる。


太神の手の上で 2009-02-12 10:50:00

神道の基本は太陽崇拝であり、太陽の動きや性質を反映させた形象や内容が神事の基本にあります。
伊勢神宮の社殿が、例えば右側の遷宮地面に新しく建てられたとします。
1.右側の新社殿(=太陽が朝日となり生まれた)
2.20年後に取り壊される(=太陽が夕日となり沈む)
3.左側に新社殿が建つ
(=違う世界、つまり異国に太陽が生まれている。)
4.20年後に左側社殿が壊されて、右側に新社殿が建つ(=太陽が朝日となり、元の国に生まれる)
つまり、遷宮を2回する40年間が、現実界での太陽軌道の24時間に相当すると感じます。
太陽=神界の1日は、現実界の40年間に相当するとも言えます。 もし人間が浦島太郎の様に、神界に2日間住んで
帰還しますと、老人に変化してしまいますね、笑。



  • 最終更新:2021-12-16 20:08:31

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