四諦(したい)

四諦(したい)について
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釈尊の本意 2008-09-24 18:31:37

八正道の霊的エッセンスは、この中に隠れている「正知」(せいち)、人生を正しく知る事だと、私はします。

では、仏教の根本基本である四諦は、
(1)人が生きるということは苦であるという真理
(2)その苦の原因は人間の執着にあるという真理
(3)この苦を滅した境地が悟りであるという真理
(4)その悟りに到達する方法が仏道であるという真理

この中の特に(1)が、釈尊の基本にあります。
そもそも、人生とは苦しいものだと。
苦しい事が当たり前だと。
これを避けようとしたり、逃げようとすること自体が宇宙の真理に逆らう事だとします。


すべてを改善させる道 2015-01-17 11:54:56

人が真から幸福に成れるための道が色々とありますが、
その中でも「八個の正しい道」(八正道:はっしょうどう)が最高です。

また、多くの真理の内でも「四つのあきらめる方法」(四諦:したい)が最重要です。

(中略)

そして釈尊は、人間は4つの「あきらめ」を真理として知って置くことが大切だとします。
(1) 人が生きるということには、「苦しいことも初めからセット」であるという真理。
これを明るく受け入れて、人生を思いっ切り生きることが重要なのです。

(2) その苦の原因は人間の「執着」することにあるという真理
(3) この執着を滅した境地が「悟り」であるという真理
(4) その悟りに到達する方法が「八つの道」であるという真理
この4つを四諦(したい)という、正しく明るく前向きに「あきらめる真理」とします。

更に釈尊は、人徳が重要だとします。


本当の裏話 2015-01-20 11:58:10

「八個の正しい道」(八正道:はっしょうどう)と、
「四つのあきらめる方法」(四諦:したい)こそが、
真の幸福への道です。

何が正しいのかが分かるように成れるためには、この2つの道を歩む以外に方法はありません。
あなた達は、この道を歩きなさい。
この道こそは、悪魔をも打倒します。
(274番)

あなた達がこの2つの道を歩いて行けば、苦しみから離れることが出来ます。
私(釈尊)は、苦しみを去る方法を自分で体験して、この2つの道をあなた達に伝えています。
(275番)

あなた達は、自分で頑張らないといけないのです。
すべての真のブッダ(完成した聖人)たちは、手助けをせずに敢えて教えることしか絶対にしないのです。
覚悟して2つの道を歩む人々は、悪魔が仕掛けるワナから離れることでしょう。
(276番)

(原始仏典 ダンマパダ20章-274・275・276番)

(感想)
コノ世で霊的先生だと自称する人間が、絶対に言わない事をこの項で釈尊は述べています。
それは、真のブッダこそは「表面では」教えを説くだけだということです。
逆に言葉に出して、他人を助けるなどとは絶対に言わないのです。
ましてや、金銭と交換で助けるなどは、天地が逆転しても言いません。
この発言を見ましても、ダンマパダ仏典が釈尊の本当の言葉であることが霊的に分かります。



仏教の根本理念である(四諦:したい)とは、
「四つのあきらめる方法」でもあります。

(1) 人が生きるということは、「苦」であるという真理
(2) その苦の原因は、人間の「執着」にあるという真理
(3) この苦を滅した境地が、「 悟り」であるという真理
(4) その悟りに到達する方法が、「仏道」であるという真理

人の苦しみの原因のすべては、「執着」から起こると釈尊は指摘します。
だから、何事にも執着しなければ、
・ 苦しみは発生しない。
と断言します。

(中略)

釈尊は、「四つのあきらめる方法」四諦を通じて、何もしないという諦めでは無くて、
諦めた上で仏道に専心することが、人を真に幸福にするとします。
それは、城壁の門の太い柱のように、揺るがない人間にすると断言されています。

ここで思い出す言葉は、宮本武蔵の言葉です。
・  我(われ)、神仏を尊びて、神仏を頼らず。
・ 仏神は貴し 仏神は頼まず。
(自分は神仏を尊んで拝むが、神仏に頼ることはしない。晩年の書「独行道」・どっこうどう)

これを四諦で解釈すれば、
・ われ、努力はするが、その結果に執着はしない。
・ われ、すべてを諦めた上で、出来る最大の努力をして生きる。

霊的には、諦めた上で最大の努力をすることは、
自我(ワレよしの思い)からの妨害を防御する意味でも、
自分の生霊のムダな漏電を軽減させる意味でも、
非常に有効です。
最善の結果を呼びやすく成ると言えます。


諦(あきら)めの真理 2023-12-12 12:29:50

仏教の最重要な言葉に、「四諦」(したい)が有ります。
四諦は、釈尊の最初の説法とされており、これ無しでは悟ることは無理だと、最初に宣言された言葉です。
何と釈尊は、自分の苦しみから卒業したい人は「全てを諦めるんじゃ〜〜〜!」
いや、
「今の自分が欲しがるものから離れて見なさい」
と言われました。

四諦には4つが有ります。
(1)苦諦(くたい):人生の現実は、自分の思う通りにはならず、苦しみであるという真実に前向きに気付きましょう。

(2)集諦(じったい):その苦しみは、すべて自分の執着と欲望から生ずるという事実を認めましょう。

(3)滅諦(めったい):それらの欲望を断じて、それから解脱(げだつ)し、涅槃(ねはん)の安らぎに達して悟りが開かれるということ。
(4)道諦(どうたい):この悟りに導く実践方法には、8個の道が在ること(八正道)。

今日の言いたかったことは、
・ もし最大の努力をしても叶わないことが有れば、いったん、それを諦めて見たほうが、自分の何がダメだったかが明らかに成りやすい。
・ どうしても手に入らないことは、逆に諦めたほうが、それに対する自我の生霊の妨害が減って、別の良い知恵が入りやすい。
・ 最大の努力を継続しながら、諦めているほうが、「脱力して」冷静に成れて夢が実現しやすい。

【悟り】と【八正道(はっしょうどう)】・【四諦(したい)】


仏教では、どうすれば悟れるか?
という一番大切な説明が、八正道(はっしょうどう:8つの正しい生活法)や四諦(したい:因果の法則)という膨大な説明により逆に分かり難くなっています。
これだ!という悟る方法の説明が無いのです。上記のような後世に弟子がまとめた仏典のために、ダラダラと長い説明に成ってしまっています。

ところが、釈尊の言葉をまとめた本当に初期の仏典である「ダンマパダ」のこの章には、明確に短い言葉で悟るための説明が成されているのです。


関連コメント

八正道だけに注目すれば、リーマンさんの意見や思いは納得のいくものとして拝聴しました。

しかし、その目的は苦として捉えた輪廻からの解脱が目的であろうと思います。
各々が抱えるカルマを乗り越え、この世の苦しみを生き抜き、神の役に立つ人間になるために精進することを放棄する教えとなってしまったことを、釈迦は死後すぐに後悔したというような説を聞いたことがあります。

・・・釈尊の直伝は、四諦と八正道と
現状を受け入れ、感謝することだけだと、感応します。その他全ては、捻じ曲げ解釈の蓄積です。
本当の釈尊の教えは、明るく、生きる力に溢れたものです。
釈尊を利用した宗教には、誤りが多いです。
2007-10-14 18:27:10


【掲載順序】本ページは「日付昇順」とします。



  • 最終更新:2023-12-22 20:07:04

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