原始仏典:ダンマパダ(第25章)

原始仏典:ダンマパダ(第25章)について
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意外な視点 2015-09-28 11:22:13

自分が他人から得たモノを軽視しては絶対に生けません。

逆に、他人が得たモノを自分が羨(うらや)ましがっても生けません。

他人を羨む限り、人は自分の心を安定させることは不可能なのです。

(原始仏典 ダンマパダ25章-365番)

(感想)
この項は単純な「他人を羨むな!」という話ではありません。
非常に怖い因果の法則を釈尊は言っています。

(1) 他人から得るモノとは、それが良いモノであれ、悪いモノであれ、因果のカタマリだということ。

(2) 他人が得た良いモノ(仕事・地位・伴侶・子供・金銭・財産・・・・・)も、その人物に憑く因果から得ているということ。
* だから他人が得た因果を羨ましいと思う必要は無いということ。
* その得た人には、因果の責任が発生しているということ。
* その他人が得た因果を、自分が欲張って無理に取りますと、自分の寿命を削る場合もあること。

(3) 要するに、他人が得た因果(一見は良いモノに見えても)を羨ましい限りは、自分も不要な因果をかき集めて行く人間だということ。
いつまで経っても、その人は安心の境地に入ることは無いということ。

(中略)

今の自分を信じましょう。
すべては、自分が努力した結果が因果のバランス(善悪の相殺の上で)が取られて発露して行きます。
自分の努力が報われない場合も、その陰では悪い因果を帳消しにするエネルギーに消費されているのが霊的な真実です。
すべては完全に機能しており、今の自分に最善が発露しています。

だから、本当は、誰もが生かされていることに感謝をするべきなのです。
他人が羨ましい間は、絶えず不満が湧き、自分が生かされている感謝に気付くことは難しいです。
これこそが、本当の不幸なのです。自分の死後に後悔をする大きな点と成ります。


その中で頑張れば大丈夫 2015-10-03 10:45:26

人生で自分が得る財産は少なくても、
人(修行者)は自分が得たモノ、与えられたモノを軽視しては生けません。
今の自分に与えられたモノの中に住みながら、それでも勤勉に清く正しく生きる人々は、
神々からも拝まれます。

(原始仏典 ダンマパダ25章-366番)

(感想)
人は何事も、他人との比較でしか自分のことを知ろうとはしません。
今の自分を知るには、「他人よりも」何かが多い・少ない、キレイ・キタナイ、金持ちか・貧乏か、役職が上か下か、などなど・・・・・。

他人と比較をすることで、人は安心したり悲しんだりしています。
他人と比較して分かる自分とは、それは本当の自分なのでしょうか?
まったく違います。むしろ、他人との比較で知る自分とは、その実態が真逆であるのが霊的正体です。

(中略)

ここで釈尊は、
「今の自分を見なさい」
「今のソレ、が因果の帳尻も合わせた自分の最高・最善なんだよ」
「いったい、何を悲しむことがあろうか?」
「今の自分の条件の中でも頑張ろうとする人は、神々からも賞賛される」
と、仰っています。

つまり、それほどコノ世は難しくて難関であり、特殊で素晴らしくもある世界なのです。
地獄と天国が共存する世界とは、コノ世しか存在しません。
水と油が混ざるようなコノ世が存在するのは、まさに期間限定の奇跡だと霊的に言えます。
他の次元での区別とは、非常にハッキリとしており、決して混ざることが有り得ません。

だからコノ世の今の自分の環境の中でも頑張ろうとすることは、非常に大切であり、大変な修行となり、神々さえも賞賛してくれます。
他人が見ていなくても関係ないのです。自分の心の中の神様(内在神)がいつも観ています。
今日も精一杯に明るく頑張りましょう。



「自分の持つ」
名称(地位・名声・学位・経歴・・・・・)と、
形(環境・財産・家族・持ち物・・・・・)などに、
「自分のモノである」という意識をまったく持たない人。

また逆に、自分が何も持っていなくても、まったく落ち込まない人。

このような人物こそが、菩薩になって行かれます。

(原始仏典 ダンマパダ25章-367番)

(感想)
* 釈尊はこの項で、「自分のモノである」という意識を持つ限りダメだと仰っています。

自分の肉体でさえも、「自分のモノ」という意識を持てば不健康に成って行きます。
自分は先祖から肉体を
「借りている」「預かっているだけ」
「いつかキレイに返さなければ生けない」
と素直に思える人は、健康に注意し、食生活を節制し、健康に成って行きます。

そして更に釈尊は、
* 自分が何も持たないことを悲しむ人もダメだと言っています。

人間は、この2点に注意すれば、段々と人生が楽しく成って行きます。
苦しみが減って行くのです。
* 自分が今の持つものを失っても平気。
* 何も持たないことも平気。

これでは悲しむ機会が、その人には無いのが冷静な現実です。
後は、楽しく成るしかないのです。
要するに執着を持たない人間は、最強だということなのです。



良い教えを素直に喜べる人。
良い教えの影響を受けて、自分も情け深い心境に成れる人。
このような人は、世の中の動静への興味から離れて、
安心した、静かな境地に達することに成ります。

(原始仏典 ダンマパダ25章-368番)

(感想)
「良い教えを素直に喜ぶことが出来る」
実は、これだけでも凄いことだと最近は特に感じます。

最近の若者に多い特徴は、道徳などを聞かされましても、
* それの、どこが良いのか本当に分からない。
* だからと言って、なぜ自分がそうするべきなのかが分からない。

このような感情を、反発心からではなくて、「無表情な顔」から淡々と言う生徒がいるようです。
これを考察しますと、非常に冷たい家庭環境で育った生徒が多いようです。

(中略)

人間は、
「自分が受けたことを、他に返す」
という自動的な鏡の反射のようなサガの側面を法則として有します。

だから自分が愛情を受けて育った場合は、次は自分が他人に愛情を出すことは出来るのです。
しかし、この逆の冷たい家庭で育った場合でも、自分からは愛情を他人に出せる人は尊い御方です。
ただ、その人もよく調べますと、家庭以外の陰で愛情をくれる他人が居たことが多いのです。
それは担任の教師だったり、近所のオバちゃんだったり、地域の寺の住職だったりと、必ず善人が存在していました。

要するに、これからの日本を良くするためには、いかに先ず自分が家族や「他人にも」愛情や思いやりを配ること、出すこと、からが重要なのです。
これが大いなる善の連鎖を引き起こします。

この項の釈尊の言葉に戻りますが、
* 良い教えを素直に喜べる人。
* 良い教えの影響を受けて、自分も情け深い心境に成れる人。

もし、自分がこのような感じに「自分なりに」成れるならば、自分を育ててくれた周囲の人々も素晴らしかったのだと言えそうです。
それは本当に「感謝をするべき」ことだったのです。



生きる人々は、自分が乗る船から水を汲み出しなさい。
自分で水を汲み出したならば、その船は楽に前に進むことが可能になります。

同様にして、ワレヨシな欲望と怒りを自分から手放したならば、
その人は安心の境地へと楽に進みます。

(原始仏典 ダンマパダ25章-369番)

(感想)
人間はいつのまにか、不要な荷物を自分の心に抱え込んでいるようです。
多くの人が、このことに気付けません。

今の、そのあなたの悩みは、本当に悩むべき問題なのでしょうか?
自分で勝手に、それを悩みにしていないでしょうか?

別の人が、その悩みを聞きますと、
「そんな悩みが持てること自体が、既に幸福なことなのに」
と思われるかも知れません。

(中略)

真実は、コノ世のどんなことも、善悪も、すべてが自分のための大いなる修行です。
誰もが旅の途中です。
それ、を苦にせずに明るく歩いて行きましょう。
必ず、すべてが変わって行きます。

パソコンでも閲覧データのゴミが溜まれば、電源の終了時に自動的に消去します。
* 自分でも、不要なゴミを心に溜めないようにしましょう。
* 日々をリセットして行きましょう。
* 心を重くしないように注意しましょう。
すべては、思い出に変わります。


すべては五つの要素から 2015-10-23 11:27:57

人間には、
五つの要素の束縛が有りますから、これを切断しなさい。
五つの要素の我欲が有りますから、これを捨て去りなさい。

更に人には、
五つの要素の活躍の場がコノ世でありますから、これを極めなさい。
五つの要素の肉体の活動がありますから、これを安定させなさい。

更には、
五つの要素の執着を超えた人は、大いなる彼岸の川(ひがんのかわ:アノ世)を超えることが出来た存在に成ります。

(原始仏典 ダンマパダ25章-370番)

(感想)
釈尊が、コノ世のすべてにおいて「五つの要素」と発言されています。
ここにも、釈尊が老子の教えの影響を受けた痕跡の証拠が見られます。

(中略)

この「五つの要素」とは、その時の人それぞれの個人でも違う面があります。
「五つの要素の活躍の場がコノ世であります」
では、主婦ならば、働く労働者であり、旦那には女性であり、自分の子供には親であり、趣味の場所では先生であり、自分の親には子供、かも知れません。

とにかく、どんな人にも、人それぞれに
「束縛」「我欲」「活動の場」「肉体の内部の働きの強弱」「執着」
が存在し、そのそれぞれが大きく五種類に分けることが可能だと思ってください。

陰陽と五行とは、
*「陰陽」
大きく全体を見ると、とにかく陰と陽の2種類にコノ世は分けることが出来る真理です。
男と女、昼と夜、プラスとマイナス、善と悪、コノ世とアノ世、・・・・・。
すべては二種類に大きく分かれる真理です。

*「五行」
更には、陰と陽のそれぞれは、5つの要素で構成される、分けることが出来る、と思って下さい。

釈尊は、この項の最後で
「自分の5種類の執着を超えなさい」
と仰っています。これが、この項のメインの話です。


無心と知恵は連動します 2015-10-26 11:24:46

恵の無い人は、心が無心(安定すること)には成れません。

心が無心では無い人には、知恵が湧きません。

つまり、心が無心に安定しており、そして明らかに知恵が有る人は、
その人は既にコノ世に居ながらにして天国の近くに住んでいます。

(原始仏典 ダンマパダ25章-372番)

(感想)
人間は、心が最高に安定・安心している時(最中)は、
* 何も考えていない。
* 心が、無心な状態で安定しています。
* そして、良い知恵が湧きやすいのです。

更には、
* 目玉をあまり動かしません。
* 優しく一点を見る時間がゆったりとします。
(普通の会話でも、目玉をよく動かす人には注意。ウソが多いかも知れません)

釈尊はこの項で、人間は知識・知恵が無いと、
* むやみに心配したり、
* 誤解から他人と争う。

ということも示唆されています。
弁護士に相談すれば「何でもなかった」ことを、自分の体調を崩してまでして心配する人がいます。
要は、法律上はまったく自分には責任も問題も無いことで、心を不安定にする人がいます。

(中略)

つまり人が勉強するのは、広い視野と知恵を身に付けて、
* 自分を安心させる側面が有る
* 心を豊かに、安定させる意味が有る
ということを知って置いてください。

(中略)

もし勉強が嫌いならば、
* 無心で働ける心境は、更に上を行く「動の瞑想」となり、自分を涅槃(ねはん:安心の境地)へといざないます。
あれこれ考えずに、心配せずに、悩まずに、淡々と働けることは凄いことなのです。

そうは言っても、何かを考えてしまい、無心には成れないのがコノ世です。
でも、「何も考えない」無心ということを、生活の中で心がけて見ましょう。
新しい自分を発見することでしょう。



人間を取り巻くすべての点において、
それぞれに色んな意味で(細胞・仕事・交友関係・妊娠・結婚・・・・)、
誕生と死滅が起こっていることを正しく見て理解をしなさい。

その先に、不死、決して死なない、という真理を見出した人々は、
本当の喜びと楽しみを獲得することでしょう。

(原始仏典 ダンマパダ25章-374番)

(感想)
釈尊いわく、
* コノ世は、誕生と死滅だらけだ。誕生と死滅に満たされているのがコノ世さ。
* 誕生と死滅が無いものは、コノ世には一切無い。
* しかし、このことを本当に理解した時、誕生も死滅も本当はしていないことに気付くのさ。
* だって、誕生も死滅も、「その前に」存在しているからこそ出来ることだろ?

* だから、存在している、ことこそが真実なのだよ。
* 「存在している」という真理の前では、誕生も死滅もただの「途中過程の現象に過ぎないのだよ」。
* これに気付いた人は、今のそのままで、すべてに感謝をしたくなるのさ。その人は、もう天国に居るのと同じなんだよ。

最初は、コノ世には誕生と死滅しか無い、と言いながら、でもその現象をよくよく見ると、そこには「決して死なない」「人は死ねない」と釈尊は断言されています。

(中略)

今日も、先ず、自分が存在していることに感謝をして見ましょう。
そのためには、陰での無数の援助があり、家族や他人が居たのです。
このことに気付いた人から、喜びも楽しみも、幸運も新たに始まるのです。



常に自分の感覚器官を大切にしなさい。
満足することを知りなさい。感謝を知りなさい。
社会規則を守り、仕事を淡々と行いなさい
怠け者には成らないように。
真面目に生きる人間を、良い友人として交友しなさい。

以上は、コノ世の知恵にあふれた尊い人が行う生活の基本です。
(幸運へのカギです)

(原始仏典 ダンマパダ25章-375番)

(感想)
この項を単純に読みますと、つまらない、と最初は思われるかも知れません。
しかし、ここには、幸運のカギ、ナゼ人により金運が違うのか?の原因と対策が書かれています。

世の中には、真面目に働かずに、家事もせずに、神仏に祈願することで幸運や金運が「来る」と思っている人が多いです。
真実は、決してそうでは無いのです。真逆なのです。

上記のような生活をすることで、幸運や金運は「向こうから来る」のです。
願わなくても、やって来るのです。
そう成るための生活が、

(1) 他人よりも、自分の感覚を大切にしなさい。
(2) 欲張り過ぎずに、ほどほどを知りなさい。
    現状の感謝するべきことに気付きなさい。
(3) 規則正しい生活と仕事を継続すること。
(4) 怠ける心に注意することで、災難を避けることに成ります。
(5) 自分が付き合う人間を選びなさい。

(1)~(4)の生活は、(5)の為に有ると言っても過言ではありません。
コノ世では、交友関係により、幸運も不幸も、金運も大きく左右されるのです。
自分が悪い生活をしていますと、やはり似たような悪い友人しか出来ないのです。

(中略)

すべては、(1)~(5)の「継続」が、本人を変えて行くのです。
生きる限り、誰もが、自分の生活の中で変わって行くことが可能なのです。



自分の行いが他人の為であるようにしましょう。
何でも他人に分け与える気持ちを持つようにしましょう。
善行を実践しましょう。

このように出来る人は、自然と喜びに満たされるように成ります。
そして、コノ世の悩みが消えて行くのです。

(原始仏典 ダンマパダ25章-376番)

(感想)
このように心から思える人は、既に素晴らしいと思います。
今の人間には、このように素直に思えること自体が難しいかも知れません。

どんなに悪党だった人も、いざ本当に死期が迫りますと、死ぬ直前には
「もっと良いことを、自分はするべきだった」
と漏らすことが多いそうです。
刑務所の監視官や、末期医療の関係者が証言しています。

コノ世を去る直前には、コノ世に居ながらにしてアノ世で起こる
* 罪の意識が10倍に成る法則が発動すること。
が、悪行が多かった人には早めに始まるようです。

(中略)

自分にとって嫌なことが、ただの損でムダなことだと落胆をしないで欲しいのです。
それを通じて、もし自分が反省するべきことに気付ければ、嫌な問題が終息して行くことを、この項の最後で釈尊は示唆しています。

自分が元気な内から、
「他人に良いことをしたい」
と思える人は本当に素晴らしいです。自分自身が弱ってから思えるのも価値が有るのですが、それを元気な状態でも「そう思える」ことは素晴らしいです。

まずは、今の自分が「他人に良いことをしたい」と素直に思えるか否かを、自分の生活の中で静観をして行きましょう。
こう思えるだけでも、運気は変わり始めます。
誰にでも潜むガン細胞が、減り始めます。
人間は生きている限り、開運が可能なのです。


現代人に必要な格言です 2015-11-13 11:18:19

人間は、自分で自分自身を励ましたほうが良いです。

そして、自分で自らを反省させることをしたほうが良いのです。

生きる人々よ、自分で自分自身を守りなさい。(自分をイジメるな!)

そして、正しい思いを持つように務めましょう。

そうすれば、誰もが天国に行けるのです。

(原始仏典 ダンマパダ25章-379番)

(感想)
釈尊が、またまた斬新なことを仰っています。

(1) 「自分で自分を励ましなさい!」

これは生霊の視点からも、意味が有ります。
自分の名前を呼んで、
「◯◯よ、頑張れ~」「まだまだ行けるぞ」「そこは注意だ」
「自分は、そんなもんじゃ終われない!」・・・・などなどと。

エベレスト山などへの登山家のエピソードを読みますと、高所に行くほど酸欠が進み、低温と合わせていよいよ「死」を間近に多くの人間が感じるそうです。
段々と生活のことや他人への思いが消え始めて、自分自身との対話が始まるようです。

その時に多い現象が、斜め上方向から別の自分が、まさに上記のような「◯◯よ、頑張れ~」
と話しかけてきて、別の自分との対話が始まるのです。その別の自分は、以前から良く知っているような懐かしさをも持つようです。
その別の自分は、雪で隠れた危険な足下も薄れ行く意識の中で教えてくれるそうです。

(中略)

(2) 「定期的に、自分で自分を反省させなさい」

このような習慣を持つ人は、人生を無難に安定させることが出来ます。災難除けにも成ります。
お祓いや厄除け祈願よりも、本当に実践的に実現させます。

今日の寝る前に、
* 今日1日の反省をすること。
* そして大事は、それでも生かされたことに感謝をして置くこと。
この2点の継続は、強力に明日からを変えて行く原資と成ります。

(3) 「自分で自分自身を守りなさい」「自分をイジメるな!」

多くの人は、自分を精神的に守るどころか、逆にイジメることで何かの昇華をしています。
これではダメなのです。運気が落ちて行きます。
イザという時に、本当の自分(良心・内在神)が助けてはくれないのです。

(中略)

(4) 「正しい思いを持つように務めなさい」

これは釈尊が、悟り(天国感覚)に至るために必須とした、八正道(はっしょうどう)の中の1つである、重要な
「正思(しょうし)」
のことです。

やはり生きる間の糞袋(くそぶくろ:一休禅師は人間をこう表現しました)は、常に自分で
「正しい思考」
を心掛けるべき生き物なのです。
思考はいつも、逃避、暴走、虐待、色情、へと勝手に進む「生き物」だと思っても良いです。

定期的に、自分の思考に「中立・中道」「常識」「道徳」という手綱を付けて引っ張ることが大切です。
このブログを毎日読むだけでも、思考が正されるかも知れません。(これを手前味噌と言う)

釈尊は、以上の4つを「継続した」者は、天国(涅槃・ねはん)に行きます、と断言されています。
これを信じて見ましょう。
実践が自分に教え、先行きを導きます。


自分自身を育てましょう 2015-11-17 11:47:12

今の自分は、自分自身の責任者であり管理者なのですよ。

また自分とは、自分自身が一番に帰るべき故郷なのです。

だから、本当の自分に帰りなさい。

まるで、実業家が良い馬を育てるようにしてです。

(原始仏典 ダンマパダ25章-380番)

(感想)
釈尊いわく、

(1) 今の自分は、他人のせいではなく、自分が自分自身を育てた結果であることを直視しなさい。

(2) 誰もが、本当の自分自身に帰ることが、その人の最大の幸福であることを知りなさい。

(3) 自分で自分自身をじょうずに誘導して育てなければ生けない。

現代人の多くは、自分で自分自身を育てるという子育てに失敗しているかも知れません。
それ以前に、自分は誰かに育てて貰わなければ生けない、他人に指導してもらう必要が有る、と思い込んでいる人が多いと思います。

* 先ず、自分で自分自身を育てなければ生けない、ということ自体を知りません。認識していません。

ここで、釈尊の考えの中心に在る思想は、
「天上天下 唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)
つまり、
* すべては1つしか存在していない。
* 人は、自分という宇宙を完成させることが、全宇宙を完成させることに成る。
というものなのです。

この項でも同じ意味を釈尊は言っています。
* 本当の自分に帰りなさい、戻りなさい。
* 自分という宇宙を完成させなさい。

これはもう、人がコノ世に生まれて来る究極の目的です。
ただ、多くの人類を観ても分かることなのですが、

* 自分が、他人を育てることも、自分自身を育てていることに成る。
* 自分の子供を育てることは、本当は自分自身を育てている。

という転写が発生しているのです。

(中略)

自分が高齢に成っても、自分で自分自身を育てるという概念・意識が大切です。
そう思える限り、その人は自分自身の宇宙の完成に近付いて行くのです。
自分なりの宇宙をコノ世で仕上げて、そして死後に持参して、その宇宙の中で暮らすのが霊界・アノ世の真相なのです。



「喜びながら」覚者の教えを実行する人々は、
コノ世の喜怒哀楽が静まって行き、
そして幸福に成り、
やすらぎの心境・涅槃(ねはん)に向かって行きます。

(原始仏典 ダンマパダ25章-381)

(感想)
この項も非常に重要な指摘が成されています。
それは、物事をするには、
「喜びながらする」
ことが、その人の運命の分かれ道なのです。

仕事をするにも、勉強するにも、家事をするにも、夫婦生活をするにも、子育てをするにも、介護をするにも・・・・。
「イヤイヤながらする」のは最悪なのです。
すべてが悪い方向に向かいます。

(中略)

人は嬉々として仕事に集中していますと、童心に帰るようです。
そして、疲れ知らずに成ります。若返るのです。

仕事や生活の中で、自分の顔から笑顔が消えているか否か、注意を致しましょう。
笑顔が消えていますと、口角が下がっていますと、脳も疲労して行くと思います。

この項で釈尊が言われる、
「喜びながら、良いことを実行すること」
は、仕事にも生活にも、脳の健康にも、万能の妙薬だと思います。
皆さんの生活の中での注意点として知って置いてください。



人間は年齢に関わらず年が若くても、
神仏(自分の良心・内在神)の気持ちに沿って真剣に生きる人は、
雲の掛からない満月のように、暗闇のコノ世を明るく照らします。

(原始仏典 ダンマパダ25章-382)

(感想)
釈尊はこの項で、
「自分の良心(仏への道)に沿って真剣に生きる人は、周囲を明るく照らすことが年齢に関係なく出来る」
と仰っています。

上記の横断歩道の小学生たちにしましても、その映像は現実に世界の人々を感動させて明るくしていました。
* 自分の良心に沿って生きること。
* 神仏を自分の心中に意識して生きること。
* 道徳に沿って真剣に生きる姿。

このようなことを意識して生きる人は、自分の周囲から自然と明るくして行きます。
人間は自分が不幸に成ることを恐れます。
自分の生活が先の見えない暗闇に入ることが怖いです。

でも、受け身で暗闇をただ恐れるのでは無く、自分から周囲を明るくする逆転の姿勢が大切です。
そのためには、
「自分の良心(内在神)に沿って真剣に生きること」
を今日から意識して生活をして見ましょう。
必ず自分も周囲も明るく変えて行きます。



今朝に思いますことは、釈尊が言われました、

「もっと、自分で自分自身を励ましなさい!」
(原始仏典 ダンマパダ25章-379番「現代人に必要な格言です」より)

ということです。

(中略)

普段から、他人を妬む、ひがむ、自分自身に感謝をしない人ほど、大きなブラック・シャドウを抱えていますから、運気が落ちる、悪い方向に行く、と言えます。

別の自分自身に復讐されている人が多いのです。他人が原因では無いことが大半なのです。
「お前を幸福にはさせない」
と言う正体は、普段の自分自身の姿(生霊)だったのです。
まさに天が、自業自得の法則を貫徹させている一面だと言えます。

* 和解するべきは、別の自分自身との関係だったのです。

ここに、コノ世で幸福に生きるための大切なヒントがあります。
先祖霊・守護霊、神霊とは別の存在である、「自分自身の生霊」というものが在ることを知って置いてください。

コノ世に近いどころか、今の自分に同居していますから、先祖霊よりも神様よりも、今の自分に干渉する力が大きいのです。
善にも悪にも転じる自分の生霊です。

自分の生霊を善霊(ホワイト・シャドウ)にする手段・方法が、
* 真面目に働くこと。(家事道も含む)
* 感謝だけの先祖供養の実践。
* 氏神・神社への感謝の参拝。
* 自分で自分自身を励ますこと、自分にも感謝をしてあげること。

このようなことが大切なのです。


【掲載順序】本ページは「日付昇順」とします。



  • 最終更新:2020-06-11 21:14:38

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